文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

19世紀後半に国際社会にデビューした日本はそれからの半世紀で世界を支配しつつあった白人世界に衝撃を与えた。

2021年12月18日 21時22分41秒 | 全般

以下は戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである高山正之と世界有数の中国通である宮崎正弘が対談した下記の素晴らしい本の、あとがき、からである。
この本は日本国民が今すぐに最寄りの書店に購読に向かわなければならない本である。
世界の人達には、私が出来るだけ伝える。   
白人世界に衝撃を与えた日本 
麻生太郎が地元福岡の会合で「二千年にわたって同じ民族が、同じ言葉で、同じ王朝を保ち続けたのは日本以外にない」と語った。 
別に何の違和感もない。
当たり前の話だ。
元英タイムズ紙特派員のヘンリー・ストークスがそれを「世界の奇跡だ」と著書に書いている。
ホントはすごいことだが、日本人はあまり深く考え、感動することはない。 
確かによその国の二千年を見ればわかる。
例えばロシア。
十三世紀のある日、地平線にモンゴルの騎馬兵が現れたかと思ったらリャザンもモスクワも攻められ、男は殺され、女は犯され、それでロシア人はアジア人的「レーニン顔になった」(古田博司筑波大教授)。 
モンゴルは西のウクライナを滅ぼし、ポ―ランドを落としウィーンの外れまで行った。 
ただウクライナの北辺は深い沼沢地帯があってそれより先の国は蹂躙を免れた。
それで人々は犯されなかった純白のロシア人という意味のベラルーシを国名にした。  
イランもモンゴルに犯された。
街でアジア人顔をときどき見かける。
だから隣で赤ちゃんが生まれたと聞くと彼らはまず「何色か」と聞く。
ペルシャ人の肌色だと聞いて初めてお祝いを言い、で、男の子か女の子か聞く。  
日本にはそんな災厄は史書にも伝承にもない。
何度か異民族が来たがみなやっつけた。 
四方を海という城砦で守られ、地震や噴火や津波などの天災は山とあっても少なくともこの二千年間は穏やかだった。
人々は災害があれば助け合い、思いやって生きてきた。 
語る言葉はだから滑らかで、時に主語も動詞も省かれる。
長い間、言語学者が言うように同じ仲間と暮らしてきた証左で、多くを語らなくても意は伝わるからだ。 
だから日本人は支那人やアメリカ人のように大声で話す人がいない。
ただそんな大声人種も日本語を話させると、まるで別人のように口調も表情も穏やかになる。 
支那人は「請う」と言おうとすると舌がもつれる。
アメリカ人も顔を引きつらして「Please」と言うが、日本語でなら躊躇いなく穏やかに「お願い」と言える。
日本語はそういう不思議な力も持つが、それは措いて。
麻生太郎がそんな当たり前を言った途端「アイヌがいるのにどこが一つの民族か」とか「渡来人が文化を持ち込んだのは常識」とか「特別な民族という思い上がりが先の戦争を起こした」とか非難の言葉が麻生を責め立てた。 
でもアイヌ人は鎌倉時代に北の方から渡ってきたのは学術的にも明らかだ。
在日朝鮮人の先輩でしかない。 
それに三内丸山遺跡に始まった多くの縄文文化遺跡発掘で、人類のどの文明より古い独自の文化の存在もわかってきた。
さらにはあらゆる民族についてのY染色体の解明から日本人は縄文の昔から現代まで紛うことなく続いた単一民族と証明され、もっと嬉しいことにその遺伝子配列から支那人や朝鮮人と何の共通性もないことも証明された。 
そんな時代になったのに「一つの民族」と聞いた途端、膝蓋腱反射みたいに非難が巻き起こるのはどういうことか。
そういう人たちの言い分を探ると多分に政治的な悪臭がする。
確かに明治時代の末には東大人類学研辺りから「日本はアメリカと同じ移民国家」みたいな話は出ていた。 
それが戦後になって甦り、ブタクサのように咲き誇り出す。
江上波夫が騎馬民族渡来説を語り、司馬遼太郎は日本の故郷は朝鮮だと言い、小熊英二は「日本が単一民族なんて神話だ」と断じた。
「神話」とは根拠のない嘘っぱちほどの意味だ。 
彼らの主張は日本には南洋人や大陸人がわんさか来てロシアにおけるモンゴルのように縄文人を犯し、稲作とか新しい文化をもたらし、その後も連綿と朝鮮半島から人や文物が’流れ込んだ等々だ。  
いまの学校教科書もY染色体はそっちのけで縄文のあとに渡来人による弥生文化が始まりましたみたいにやっている。
なぜそうなったかを手繰るとGHQが出てくる。
GHQは日本の歴史教育をかなり弄(いじ)った。
多くの本を焚書にした。
中に三島敦雄の『天孫人種六千年史の研究』がある。
日本文明はメソポタミアの「スメル文化」から来たと説く。
日本人は数千年の歴史と系譜を持つと。  
GHQはそれが気に食わなくて焚書したうえに学校では「スメル」が皇尊(すめらみこと)に通じるからと「シュメール」と発音させるよう命じている。  
そして「劣った縄文が渡来人の弥生文化に変わった」と教えさせた。
要は「日本人は特別な単一民族ではない」ことを徹底させた。 
この作業は実はいまも続く。
単一民族を神話だと言った小熊は毎日出版文化賞とかわんさか賞を貰ったが、それに符合するように米国ではジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』が絶賛された。
ピューリッツァー賞から学校図書賞まで贈られたが中身は酷い。
ダワーはことさらに昭和天皇を「責任逃れをした普通の人間」と貶め、日本人は支那人と変わらない卑屈で猥雑なつまらない民だと繰り返す。 
なんでそこまでして日本を並以下の国にしたがるのか。
実は宮崎正弘氏との対談の主眼はその辺にある。 
19世紀後半に国際社会にデビューした日本はそれからの半世紀で世界を支配しつつあった白人世界に衝撃を与えた。
北斎の絵も驚かせたし、彼らが五百年恐れた黒死病の謎を一週間で解いた北里柴三郎もそうだが、最大の衝撃は日本人が「強く、それでいてイエスより慈悲深い」ことだった。 
彼らにとって黄色い日本人はどこまでも未知の民だった。
彼らの行動は予測もできなかった。
だから恐れて抹殺を企んだ。
それが先の戦争だった。
しかしそれで終わらなかった。
一度滅んだ国は再起しない。
それが世界の通念だが、日本は再起し、いまもなお世界に多くを教え続ける。
だから怖い。
ダワーを使い、支那朝鮮を使って日本を貶め続ける理由がここにある。 
日本人は独自の感性を持ち、どの民より努力家で勤勉で研究好きだが、それでいて謙虚で人がよく、相手を善人と思い込む。 
彼らはそこを突き、日本人にそれを気づかせないよう周到に企んできた。 
それに日本人が気付き、周囲の猥雑な世界からの騒音を気にしなくなった時、日本は再起できる。
下品な隣人と交際を断っていい。
欧米に媚びる必要もない。
それができる底力を日本は持っているし、先人はそれをやってきた。
この対談がそれを理解する一助になれば幸せだ。 
令和ニ年ニ月 高山正之


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