文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

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「女優は男だ」とはよく言われることだが…週刊朝日8月12日号

2011年08月14日 10時18分43秒 | 日記

自己目的としてのサッカーと喜びの現象学
お代は見てのお帰りに 小倉 千加子

おぐら・ちかこ 1952年、大阪府生まれ。心理学者。芸能にも造詣が深い。最新刊は「結婚の才能」(朝日新聞出版)

*何度も言うように、小倉千加子さんは、当代きっての、本当の、一流の知性である。
文中黒字化は私。

「女優は男だ」とはよく言われることだが、女優というのは女装した女子のことなのであろう。
普通の女子は男装するが、それは単にその方が活動的だからである。

プロのビーチバレー選手である女子がビキニを着るのは、スポーツをする時にも女装を忘れないという女優ルールを適用されているからである。彼女らは競技をしながら観賞もされなければならない。

純然たるアスリートでもなく女優でもない中途半端な有り様は女子アナにも当てはまるだろう。女子アナは日本ではまだアナウンサーという仕事の喜びだけに生きることができない。

元女子アナで結婚してから自殺する人が少なくないのは、この女子としての苦しみを引きずったままでいることと無関係ではないと思う。


そういう時に「なでしこジャパン」は出てきた。サッカーをするのにスーパーで働き、仕事を終えてから自費で練習に行く。

人が金銭や地位といった世俗的な報酬を一切生まない活動に没頭するのは、その活動をしたいという動機が自分の中にあるためである。誰かに命じられたり支配されたりしてやっているわけではない。

「なでしこジャパン」にとってサッカーをすることは自己目的的活動である。この活動は次のような報酬をもたらす。
「サッカーをすることの楽しさ」
「サッカー活動が生み出す世界」
「個人的技能の発達」
「友情・交友」
「競争」

報酬の中にある「個人的技能の発達」は、サッカーに限らず作曲でもダンスでも囲碁でもそうなのだが、伝統的な女性役割によって依然として広い世界で技能を習得する機会の少ない女性がエキスパートになって経験するものである。

その技能は「競争」という枠組みの中で試されると、より多くの楽しさを生み出すのである。
人から言われて生活のために選ぶ仕事で人は純粋に楽しみを見つけることは難しい。元々仕事は世俗的報酬のためなので、人は仕事そのものよりも世俗的な報酬によって周囲から評価されるようになるからである。


当初は外科手術の仕事に没頭していた医師が、病院内で出世するうちに手術という仕事から純粋な喜びを見いだすのが難しくなる。自分が周囲からどう思われるかを気にしないといけない地位にあるので、意識は仕事という行為から分離していく。

意識と行為が融合する忘我体験(フロー体験)は自分を意識しないでいられる時にしか訪れない。世界の外側にいる子どもと女子と高齢者に多く見られる理由である。

澤穂希選手が「負ける気がしなかった」のは、自分を外から眺めなくていい状態にいたからである。ゲームに集中して、外の世界は意識から締め出されていた。まさに「フロー体験」にあったということになる。


世俗的報酬によって動く成人男性は、「フロー体験」から疎外されている。だから女子に世俗的報酬が要らないということではない。

「社会における女性としての役割の準備は非常に早くから始まる。従って、それが何歳の時であろうと、女性がゲームをし、それが好きだとわかっても、女性の役割を果たすのに必要なことを強く教えこまれているので、真に強いプレイヤーになるのに必要な時間をさくことはとてもできない。

例えば、ホビー・フィッシャーは全生涯を自分のゲームの完成に捧げた。同じことを試みる女性は、すべて精神病院に入れられるだろう」(『楽しみの社会学』M・チクセントミハイ著)



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