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文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

以下はリアルタイムのベスト10である。

2019年06月01日 23時53分59秒 | 日記

1

辻元清美の両親の国籍は韓国なんでしょうか? 国籍が韓国である噂は多かったので、 帰化の噂の真相を調べてみますと、

2

フランスはドイツに占領されてビシー政権(注I)になった経験があるから、国土の一部、および全部が占領されている時は憲法を改正してはいけないことになっている。

3

北朝鮮は世襲の独裁国、韓国は日韓基本条約も守れない国、中国は自国民を数千万人も虐殺し、しかもチベットやウイグルを侵略して残虐行為を続けている国だ。 

4

他国を信頼して生存を委ねるなどという馬鹿な国はない。国民を生かすも殺すも他国に委ねるというこの部分だけを読んでも、「これは憲法ではありません」と言っているに等しい

5

占領軍が全体を十日足らずで作ったものであるにもかかわらず、改正条項だけで日本をあげて何年も議論しているのである。滑稽極まりない。なぜ滑稽か。インチキだからだ

6

ところが、「占領政策基本法」である日本国憲法を本物の憲法だというようなインチキな主張を盾にとると、すべてがおかしくなる。

7

日本が連合軍の占領下にあり、天皇陛下も連合国軍総司令官に隷属されていたということは、つまり日本政府そのものが連合軍に隷属していたのである。

8

以前、政治評論家の竹村健一氏が「世界の常識は日本の非常識、日本の常識は世界の非常識」と言った。それについては、ほとんどの外国人が頷いている。 

9

明治以来、日本の常識を世界の常識に合わせる努力をしてきた。明治憲法もそれを目指したものだったから、明治以後の日本のスタンダードは間違いなく世界のスタンダードだった

10

言い換えれば、日本国憲法は条約憲法で普通の憲法ではない。正確に言えば、占領政策基本法ということになるだろう。 


しかし国を預かる人が、「対馬を取られたら島根県も差し出します」では困る。 

2019年06月01日 23時51分00秒 | 日記

以下は前章の続きである。
第9条は宗教として考えよ 
日本国憲法のなかでも、とりわけ第9条は神聖視されている。
日本が終戦以来、60年以上にわたって平和であったのは第9条のおかげだと言う人たちがいるが、まったく馬鹿げた話だ。
真相は、日米同盟があるからソ連が手を出さなかっただけなのである。
大平正芳内閣の時期に、ある防衛問題の委員をしていた関係で私はいろんな報告を聞いたが、当時のソ連極東軍に対するソ連政府の力の入れ方は大変なものだった。
上陸作戦は「ポート・トゥ・ポート」、日本の港から港へ好きに船をつけて上陸できるくらいの力をソ連は持っていた。 
そういう冷戦状況下で日本が生き残ってこられたのは、アメリカとの同盟があり、アメリカの基地が日本にあったからだ。 
こんなわかりきったことに目をつぶって、第9条があったから平和なのだと言う人は正気なのかと問いたい。
本気で第9条が日本の平和を守ってきたと思っているのなら、子供以下だと言えるだろう。
もし、アメリカ軍がいたからだと思いながらも第9条を讃えているのであれば、これは悪質である。 
共産党や社民党が第9条を神聖視するのには理由がある。 
そもそも当初、共産党は第9条に反対していたのだが、それが以下のような理由で神聖視することになった。 
冷戦構造が明確になり、日本でも占領軍の要請により警察予備隊ができると、日本は明らかに西側につくことになった。
日本がアメリカ側について武力を増強すると、戦前の二大軍事国家が連合することになる。 
アメリカと日本を戦前の二大軍事国家というのは嘘ではなくて、航空母艦主体の機動部隊を作る力があったのはこの二国だけだった。
ソ連の海軍はなきに等しかったし、ヒトラーも航空母艦を持っていなかった。
イギリスは持っていたけれども機動部隊を作るほどではなかった。
アメリカと日本の軍事力が突出していたのだ。 
その日本が第9条の縛りもなく、アメリカと同盟を組んで行動するとなると、ソ連など敵ではない。
だから、スターリンが第九条を守れという指令を出した。 
外務省の人から聞いたのだが、サンフランシスコ講和条約締結の頃からすでにスターリンの命令は届いていた。
日本がサンフランシスコ講和条約を結べば、西側につくことは明白だった。
だから日本の左翼的知識人は血眼になって反対し、全面講和を主張した。 
日本が40数ヵ国と講和条約を結ぶのに反対したのは、ソ連とその衛星国、2~3ヵ国でしかなかった。そのたかだか2~3ヵ国を除いて講和条約を結ぶことを、南原繁東大総長をはじめとする知識人たちは単独講和だと言って反対したのである。 
吉田茂首相は全ての党をあげて講和条約にサインをしたかったが、共産党、社会党は最後まで反対した。
それほどスターリンの命令は重かったのだ。
単独講和反対、全面講和を主張した「平和問題懇談会」の事務局は岩波書店にあった。
そこに進歩的文化人たちが嬉々として集まったのは当然だった。
その後の言論界が左翼で占められたのは、前述のように公職追放令で空いたポストに追放されていた者たちが戻ってきたからだ。 
スターリンの命令から始まった嘘に左翼は酔える。
オウム真理教に酔えた人もいるくらいだから酔えるのだろう。
つまりは、馬鹿げたことではあるが第9条は宗教の域に達しているのだ。 
『憲法9条を世界遺産に』(集英社新書)を書いた宗教学者、中沢新一氏もオウム真理教を弁護した一人である。
オウム真理教に酔ったように第九条に酔えるのだろう。 
17世紀の後半にショージ・フォックスという人がいた。
学はなかったが、マコーレーの言葉を借りれば「自由にしておくには頭が狂いすぎ、精神病院に入れるには少し正気があった」というような人だった。 
彼は寓話的に書かれている聖書の言葉を文字どおりに解釈してみたり、誰が見ても事実が書いてあることを寓話として読んだりという滅茶苦茶な聖書の解釈をした。
「絶対に帽子はとらない」「絶対にお辞儀はしない」「絶対に戦争はしない」という主張もあった。
さらに、他宗派の教会で怒鳴って礼拝を邪魔するなどの奇行に走ったりしていた。 
しかし、そういうことを続けていると、それについてくる人が現れる。
そしていつの間にか、「絶対に戦争はしない」という部分だけが残った。
これがのちにクエーカー(フレンド派)になるのである。 
クエーカー自体は、いまでは立派な宗教団倭だと思うが、彼らがどこで繁栄したかといえば、世界一の海軍を持つイギリスだった。
そしてのちにアメリカに渡った。 
宗教とはそうしたもので、オウム真理教の教祖・麻原彰晃の空中浮遊など、正気では信じられないことも信じてしまうものなのである。
第九条も同じだ。
両手を挙げて攻めてきてくださいというのだから、正気の人には理解できない代物である。
しかし、宗教にはなる。 
だから第9条は憲法論として考えるのではなく、宗教論として考えるのが適当だ。
法律論として考えると馬鹿馬鹿しいが、宗教上の信念として「上着を取られたら下着も差し出します」とか、「右の頬を殴られたら左の頬も差し出します」というのはいいだろう。
しかし国を預かる人が、「対馬を取られたら島根県も差し出します」では困る。 


法律論として考えると馬鹿馬鹿しいが、宗教上の信念として「上着を取られたら下着も差し出します」とか、「右の頬を殴られたら左の頬も差し出します」というのはいいだろう。

2019年06月01日 23時49分57秒 | 日記

以下は前章の続きである。
第9条は宗教として考えよ 
日本国憲法のなかでも、とりわけ第9条は神聖視されている。
日本が終戦以来、60年以上にわたって平和であったのは第9条のおかげだと言う人たちがいるが、まったく馬鹿げた話だ。
真相は、日米同盟があるからソ連が手を出さなかっただけなのである。
大平正芳内閣の時期に、ある防衛問題の委員をしていた関係で私はいろんな報告を聞いたが、当時のソ連極東軍に対するソ連政府の力の入れ方は大変なものだった。
上陸作戦は「ポート・トゥ・ポート」、日本の港から港へ好きに船をつけて上陸できるくらいの力をソ連は持っていた。 
そういう冷戦状況下で日本が生き残ってこられたのは、アメリカとの同盟があり、アメリカの基地が日本にあったからだ。 
こんなわかりきったことに目をつぶって、第9条があったから平和なのだと言う人は正気なのかと問いたい。
本気で第9条が日本の平和を守ってきたと思っているのなら、子供以下だと言えるだろう。
もし、アメリカ軍がいたからだと思いながらも第9条を讃えているのであれば、これは悪質である。 
共産党や社民党が第9条を神聖視するのには理由がある。 
そもそも当初、共産党は第9条に反対していたのだが、それが以下のような理由で神聖視することになった。 
冷戦構造が明確になり、日本でも占領軍の要請により警察予備隊ができると、日本は明らかに西側につくことになった。
日本がアメリカ側について武力を増強すると、戦前の二大軍事国家が連合することになる。 
アメリカと日本を戦前の二大軍事国家というのは嘘ではなくて、航空母艦主体の機動部隊を作る力があったのはこの二国だけだった。
ソ連の海軍はなきに等しかったし、ヒトラーも航空母艦を持っていなかった。
イギリスは持っていたけれども機動部隊を作るほどではなかった。
アメリカと日本の軍事力が突出していたのだ。 
その日本が第9条の縛りもなく、アメリカと同盟を組んで行動するとなると、ソ連など敵ではない。
だから、スターリンが第九条を守れという指令を出した。 
外務省の人から聞いたのだが、サンフランシスコ講和条約締結の頃からすでにスターリンの命令は届いていた。
日本がサンフランシスコ講和条約を結べば、西側につくことは明白だった。
だから日本の左翼的知識人は血眼になって反対し、全面講和を主張した。 
日本が40数ヵ国と講和条約を結ぶのに反対したのは、ソ連とその衛星国、2~3ヵ国でしかなかった。そのたかだか2~3ヵ国を除いて講和条約を結ぶことを、南原繁東大総長をはじめとする知識人たちは単独講和だと言って反対したのである。 
吉田茂首相は全ての党をあげて講和条約にサインをしたかったが、共産党、社会党は最後まで反対した。
それほどスターリンの命令は重かったのだ。
単独講和反対、全面講和を主張した「平和問題懇談会」の事務局は岩波書店にあった。
そこに進歩的文化人たちが嬉々として集まったのは当然だった。
その後の言論界が左翼で占められたのは、前述のように公職追放令で空いたポストに追放されていた者たちが戻ってきたからだ。 
スターリンの命令から始まった嘘に左翼は酔える。
オウム真理教に酔えた人もいるくらいだから酔えるのだろう。
つまりは、馬鹿げたことではあるが第9条は宗教の域に達しているのだ。 
『憲法9条を世界遺産に』(集英社新書)を書いた宗教学者、中沢新一氏もオウム真理教を弁護した一人である。
オウム真理教に酔ったように第九条に酔えるのだろう。 
17世紀の後半にショージ・フォックスという人がいた。
学はなかったが、マコーレーの言葉を借りれば「自由にしておくには頭が狂いすぎ、精神病院に入れるには少し正気があった」というような人だった。 
彼は寓話的に書かれている聖書の言葉を文字どおりに解釈してみたり、誰が見ても事実が書いてあることを寓話として読んだりという滅茶苦茶な聖書の解釈をした。
「絶対に帽子はとらない」「絶対にお辞儀はしない」「絶対に戦争はしない」という主張もあった。
さらに、他宗派の教会で怒鳴って礼拝を邪魔するなどの奇行に走ったりしていた。 
しかし、そういうことを続けていると、それについてくる人が現れる。
そしていつの間にか、「絶対に戦争はしない」という部分だけが残った。
これがのちにクエーカー(フレンド派)になるのである。 
クエーカー自体は、いまでは立派な宗教団倭だと思うが、彼らがどこで繁栄したかといえば、世界一の海軍を持つイギリスだった。
そしてのちにアメリカに渡った。 
宗教とはそうしたもので、オウム真理教の教祖・麻原彰晃の空中浮遊など、正気では信じられないことも信じてしまうものなのである。
第九条も同じだ。
両手を挙げて攻めてきてくださいというのだから、正気の人には理解できない代物である。
しかし、宗教にはなる。 
だから第9条は憲法論として考えるのではなく、宗教論として考えるのが適当だ。
法律論として考えると馬鹿馬鹿しいが、宗教上の信念として「上着を取られたら下着も差し出します」とか、「右の頬を殴られたら左の頬も差し出します」というのはいいだろう。
しかし国を預かる人が、「対馬を取られたら島根県も差し出します」では困る。 


宗教とはそうしたもので、オウム真理教の教祖・麻原彰晃の空中浮遊など、正気では信じられないことも信じてしまうものなのである。第九条も同じだ。

2019年06月01日 23時48分57秒 | 日記

以下は前章の続きである。
第9条は宗教として考えよ 
日本国憲法のなかでも、とりわけ第9条は神聖視されている。
日本が終戦以来、60年以上にわたって平和であったのは第9条のおかげだと言う人たちがいるが、まったく馬鹿げた話だ。
真相は、日米同盟があるからソ連が手を出さなかっただけなのである。
大平正芳内閣の時期に、ある防衛問題の委員をしていた関係で私はいろんな報告を聞いたが、当時のソ連極東軍に対するソ連政府の力の入れ方は大変なものだった。
上陸作戦は「ポート・トゥ・ポート」、日本の港から港へ好きに船をつけて上陸できるくらいの力をソ連は持っていた。 
そういう冷戦状況下で日本が生き残ってこられたのは、アメリカとの同盟があり、アメリカの基地が日本にあったからだ。 
こんなわかりきったことに目をつぶって、第9条があったから平和なのだと言う人は正気なのかと問いたい。
本気で第9条が日本の平和を守ってきたと思っているのなら、子供以下だと言えるだろう。
もし、アメリカ軍がいたからだと思いながらも第9条を讃えているのであれば、これは悪質である。 
共産党や社民党が第9条を神聖視するのには理由がある。 
そもそも当初、共産党は第9条に反対していたのだが、それが以下のような理由で神聖視することになった。 
冷戦構造が明確になり、日本でも占領軍の要請により警察予備隊ができると、日本は明らかに西側につくことになった。
日本がアメリカ側について武力を増強すると、戦前の二大軍事国家が連合することになる。 
アメリカと日本を戦前の二大軍事国家というのは嘘ではなくて、航空母艦主体の機動部隊を作る力があったのはこの二国だけだった。
ソ連の海軍はなきに等しかったし、ヒトラーも航空母艦を持っていなかった。
イギリスは持っていたけれども機動部隊を作るほどではなかった。
アメリカと日本の軍事力が突出していたのだ。 
その日本が第9条の縛りもなく、アメリカと同盟を組んで行動するとなると、ソ連など敵ではない。
だから、スターリンが第九条を守れという指令を出した。 
外務省の人から聞いたのだが、サンフランシスコ講和条約締結の頃からすでにスターリンの命令は届いていた。
日本がサンフランシスコ講和条約を結べば、西側につくことは明白だった。
だから日本の左翼的知識人は血眼になって反対し、全面講和を主張した。 
日本が40数ヵ国と講和条約を結ぶのに反対したのは、ソ連とその衛星国、2~3ヵ国でしかなかった。そのたかだか2~3ヵ国を除いて講和条約を結ぶことを、南原繁東大総長をはじめとする知識人たちは単独講和だと言って反対したのである。 
吉田茂首相は全ての党をあげて講和条約にサインをしたかったが、共産党、社会党は最後まで反対した。
それほどスターリンの命令は重かったのだ。
単独講和反対、全面講和を主張した「平和問題懇談会」の事務局は岩波書店にあった。
そこに進歩的文化人たちが嬉々として集まったのは当然だった。
その後の言論界が左翼で占められたのは、前述のように公職追放令で空いたポストに追放されていた者たちが戻ってきたからだ。 
スターリンの命令から始まった嘘に左翼は酔える。
オウム真理教に酔えた人もいるくらいだから酔えるのだろう。
つまりは、馬鹿げたことではあるが第9条は宗教の域に達しているのだ。 
『憲法9条を世界遺産に』(集英社新書)を書いた宗教学者、中沢新一氏もオウム真理教を弁護した一人である。
オウム真理教に酔ったように第九条に酔えるのだろう。 
17世紀の後半にショージ・フォックスという人がいた。
学はなかったが、マコーレーの言葉を借りれば「自由にしておくには頭が狂いすぎ、精神病院に入れるには少し正気があった」というような人だった。 
彼は寓話的に書かれている聖書の言葉を文字どおりに解釈してみたり、誰が見ても事実が書いてあることを寓話として読んだりという滅茶苦茶な聖書の解釈をした。
「絶対に帽子はとらない」「絶対にお辞儀はしない」「絶対に戦争はしない」という主張もあった。
さらに、他宗派の教会で怒鳴って礼拝を邪魔するなどの奇行に走ったりしていた。 
しかし、そういうことを続けていると、それについてくる人が現れる。
そしていつの間にか、「絶対に戦争はしない」という部分だけが残った。
これがのちにクエーカー(フレンド派)になるのである。 
クエーカー自体は、いまでは立派な宗教団倭だと思うが、彼らがどこで繁栄したかといえば、世界一の海軍を持つイギリスだった。
そしてのちにアメリカに渡った。 
宗教とはそうしたもので、オウム真理教の教祖・麻原彰晃の空中浮遊など、正気では信じられないことも信じてしまうものなのである。
第九条も同じだ。
両手を挙げて攻めてきてくださいというのだから、正気の人には理解できない代物である。
しかし、宗教にはなる。 
だから第9条は憲法論として考えるのではなく、宗教論として考えるのが適当だ。
法律論として考えると馬鹿馬鹿しいが、宗教上の信念として「上着を取られたら下着も差し出します」とか、「右の頬を殴られたら左の頬も差し出します」というのはいいだろう。
しかし国を預かる人が、「対馬を取られたら島根県も差し出します」では困る。 


『憲法9条を世界遺産に』(集英社新書)を書いた宗教学者、中沢新一氏もオウム真理教を弁護した一人である。オウム真理教に酔ったように第九条に酔えるのだろう。 

2019年06月01日 23時47分23秒 | 日記

以下は前章の続きである。
第9条は宗教として考えよ 
日本国憲法のなかでも、とりわけ第9条は神聖視されている。
日本が終戦以来、60年以上にわたって平和であったのは第9条のおかげだと言う人たちがいるが、まったく馬鹿げた話だ。
真相は、日米同盟があるからソ連が手を出さなかっただけなのである。
大平正芳内閣の時期に、ある防衛問題の委員をしていた関係で私はいろんな報告を聞いたが、当時のソ連極東軍に対するソ連政府の力の入れ方は大変なものだった。
上陸作戦は「ポート・トゥ・ポート」、日本の港から港へ好きに船をつけて上陸できるくらいの力をソ連は持っていた。 
そういう冷戦状況下で日本が生き残ってこられたのは、アメリカとの同盟があり、アメリカの基地が日本にあったからだ。 
こんなわかりきったことに目をつぶって、第9条があったから平和なのだと言う人は正気なのかと問いたい。
本気で第9条が日本の平和を守ってきたと思っているのなら、子供以下だと言えるだろう。
もし、アメリカ軍がいたからだと思いながらも第9条を讃えているのであれば、これは悪質である。 
共産党や社民党が第9条を神聖視するのには理由がある。 
そもそも当初、共産党は第9条に反対していたのだが、それが以下のような理由で神聖視することになった。 
冷戦構造が明確になり、日本でも占領軍の要請により警察予備隊ができると、日本は明らかに西側につくことになった。
日本がアメリカ側について武力を増強すると、戦前の二大軍事国家が連合することになる。 
アメリカと日本を戦前の二大軍事国家というのは嘘ではなくて、航空母艦主体の機動部隊を作る力があったのはこの二国だけだった。
ソ連の海軍はなきに等しかったし、ヒトラーも航空母艦を持っていなかった。
イギリスは持っていたけれども機動部隊を作るほどではなかった。
アメリカと日本の軍事力が突出していたのだ。 
その日本が第9条の縛りもなく、アメリカと同盟を組んで行動するとなると、ソ連など敵ではない。
だから、スターリンが第九条を守れという指令を出した。 
外務省の人から聞いたのだが、サンフランシスコ講和条約締結の頃からすでにスターリンの命令は届いていた。
日本がサンフランシスコ講和条約を結べば、西側につくことは明白だった。
だから日本の左翼的知識人は血眼になって反対し、全面講和を主張した。 
日本が40数ヵ国と講和条約を結ぶのに反対したのは、ソ連とその衛星国、2~3ヵ国でしかなかった。そのたかだか2~3ヵ国を除いて講和条約を結ぶことを、南原繁東大総長をはじめとする知識人たちは単独講和だと言って反対したのである。 
吉田茂首相は全ての党をあげて講和条約にサインをしたかったが、共産党、社会党は最後まで反対した。
それほどスターリンの命令は重かったのだ。
単独講和反対、全面講和を主張した「平和問題懇談会」の事務局は岩波書店にあった。
そこに進歩的文化人たちが嬉々として集まったのは当然だった。
その後の言論界が左翼で占められたのは、前述のように公職追放令で空いたポストに追放されていた者たちが戻ってきたからだ。 
スターリンの命令から始まった嘘に左翼は酔える。
オウム真理教に酔えた人もいるくらいだから酔えるのだろう。
つまりは、馬鹿げたことではあるが第9条は宗教の域に達しているのだ。 
『憲法9条を世界遺産に』(集英社新書)を書いた宗教学者、中沢新一氏もオウム真理教を弁護した一人である。
オウム真理教に酔ったように第九条に酔えるのだろう。 
17世紀の後半にショージ・フォックスという人がいた。
学はなかったが、マコーレーの言葉を借りれば「自由にしておくには頭が狂いすぎ、精神病院に入れるには少し正気があった」というような人だった。 
彼は寓話的に書かれている聖書の言葉を文字どおりに解釈してみたり、誰が見ても事実が書いてあることを寓話として読んだりという滅茶苦茶な聖書の解釈をした。
「絶対に帽子はとらない」「絶対にお辞儀はしない」「絶対に戦争はしない」という主張もあった。
さらに、他宗派の教会で怒鳴って礼拝を邪魔するなどの奇行に走ったりしていた。 
しかし、そういうことを続けていると、それについてくる人が現れる。
そしていつの間にか、「絶対に戦争はしない」という部分だけが残った。
これがのちにクエーカー(フレンド派)になるのである。 
クエーカー自体は、いまでは立派な宗教団倭だと思うが、彼らがどこで繁栄したかといえば、世界一の海軍を持つイギリスだった。
そしてのちにアメリカに渡った。 
宗教とはそうしたもので、オウム真理教の教祖・麻原彰晃の空中浮遊など、正気では信じられないことも信じてしまうものなのである。
第九条も同じだ。
両手を挙げて攻めてきてくださいというのだから、正気の人には理解できない代物である。
しかし、宗教にはなる。 
だから第9条は憲法論として考えるのではなく、宗教論として考えるのが適当だ。
法律論として考えると馬鹿馬鹿しいが、宗教上の信念として「上着を取られたら下着も差し出します」とか、「右の頬を殴られたら左の頬も差し出します」というのはいいだろう。
しかし国を預かる人が、「対馬を取られたら島根県も差し出します」では困る。 


その後の言論界が左翼で占められたのは、前述のように公職追放令で空いたポストに追放されていた者たちが戻ってきたからだ。スターリンの命令から始まった嘘に左翼は酔える

2019年06月01日 23時46分15秒 | 日記

以下は前章の続きである。
第9条は宗教として考えよ 
日本国憲法のなかでも、とりわけ第9条は神聖視されている。
日本が終戦以来、60年以上にわたって平和であったのは第9条のおかげだと言う人たちがいるが、まったく馬鹿げた話だ。
真相は、日米同盟があるからソ連が手を出さなかっただけなのである。
大平正芳内閣の時期に、ある防衛問題の委員をしていた関係で私はいろんな報告を聞いたが、当時のソ連極東軍に対するソ連政府の力の入れ方は大変なものだった。
上陸作戦は「ポート・トゥ・ポート」、日本の港から港へ好きに船をつけて上陸できるくらいの力をソ連は持っていた。 
そういう冷戦状況下で日本が生き残ってこられたのは、アメリカとの同盟があり、アメリカの基地が日本にあったからだ。 
こんなわかりきったことに目をつぶって、第9条があったから平和なのだと言う人は正気なのかと問いたい。
本気で第9条が日本の平和を守ってきたと思っているのなら、子供以下だと言えるだろう。
もし、アメリカ軍がいたからだと思いながらも第9条を讃えているのであれば、これは悪質である。 
共産党や社民党が第9条を神聖視するのには理由がある。 
そもそも当初、共産党は第9条に反対していたのだが、それが以下のような理由で神聖視することになった。 
冷戦構造が明確になり、日本でも占領軍の要請により警察予備隊ができると、日本は明らかに西側につくことになった。
日本がアメリカ側について武力を増強すると、戦前の二大軍事国家が連合することになる。 
アメリカと日本を戦前の二大軍事国家というのは嘘ではなくて、航空母艦主体の機動部隊を作る力があったのはこの二国だけだった。
ソ連の海軍はなきに等しかったし、ヒトラーも航空母艦を持っていなかった。
イギリスは持っていたけれども機動部隊を作るほどではなかった。
アメリカと日本の軍事力が突出していたのだ。 
その日本が第9条の縛りもなく、アメリカと同盟を組んで行動するとなると、ソ連など敵ではない。
だから、スターリンが第九条を守れという指令を出した。 
外務省の人から聞いたのだが、サンフランシスコ講和条約締結の頃からすでにスターリンの命令は届いていた。
日本がサンフランシスコ講和条約を結べば、西側につくことは明白だった。
だから日本の左翼的知識人は血眼になって反対し、全面講和を主張した。 
日本が40数ヵ国と講和条約を結ぶのに反対したのは、ソ連とその衛星国、2~3ヵ国でしかなかった。そのたかだか2~3ヵ国を除いて講和条約を結ぶことを、南原繁東大総長をはじめとする知識人たちは単独講和だと言って反対したのである。 
吉田茂首相は全ての党をあげて講和条約にサインをしたかったが、共産党、社会党は最後まで反対した。
それほどスターリンの命令は重かったのだ。
単独講和反対、全面講和を主張した「平和問題懇談会」の事務局は岩波書店にあった。
そこに進歩的文化人たちが嬉々として集まったのは当然だった。
その後の言論界が左翼で占められたのは、前述のように公職追放令で空いたポストに追放されていた者たちが戻ってきたからだ。 
スターリンの命令から始まった嘘に左翼は酔える。
オウム真理教に酔えた人もいるくらいだから酔えるのだろう。
つまりは、馬鹿げたことではあるが第9条は宗教の域に達しているのだ。 
『憲法9条を世界遺産に』(集英社新書)を書いた宗教学者、中沢新一氏もオウム真理教を弁護した一人である。
オウム真理教に酔ったように第九条に酔えるのだろう。 
17世紀の後半にショージ・フォックスという人がいた。
学はなかったが、マコーレーの言葉を借りれば「自由にしておくには頭が狂いすぎ、精神病院に入れるには少し正気があった」というような人だった。 
彼は寓話的に書かれている聖書の言葉を文字どおりに解釈してみたり、誰が見ても事実が書いてあることを寓話として読んだりという滅茶苦茶な聖書の解釈をした。
「絶対に帽子はとらない」「絶対にお辞儀はしない」「絶対に戦争はしない」という主張もあった。
さらに、他宗派の教会で怒鳴って礼拝を邪魔するなどの奇行に走ったりしていた。 
しかし、そういうことを続けていると、それについてくる人が現れる。
そしていつの間にか、「絶対に戦争はしない」という部分だけが残った。
これがのちにクエーカー(フレンド派)になるのである。 
クエーカー自体は、いまでは立派な宗教団倭だと思うが、彼らがどこで繁栄したかといえば、世界一の海軍を持つイギリスだった。
そしてのちにアメリカに渡った。 
宗教とはそうしたもので、オウム真理教の教祖・麻原彰晃の空中浮遊など、正気では信じられないことも信じてしまうものなのである。
第九条も同じだ。
両手を挙げて攻めてきてくださいというのだから、正気の人には理解できない代物である。
しかし、宗教にはなる。 
だから第9条は憲法論として考えるのではなく、宗教論として考えるのが適当だ。
法律論として考えると馬鹿馬鹿しいが、宗教上の信念として「上着を取られたら下着も差し出します」とか、「右の頬を殴られたら左の頬も差し出します」というのはいいだろう。
しかし国を預かる人が、「対馬を取られたら島根県も差し出します」では困る。 


単独講和反対、全面講和を主張した「平和問題懇談会」の事務局は岩波書店にあった。そこに進歩的文化人たちが嬉々として集まったのは当然だった。

2019年06月01日 23時44分58秒 | 日記

以下は前章の続きである。
第9条は宗教として考えよ 
日本国憲法のなかでも、とりわけ第9条は神聖視されている。
日本が終戦以来、60年以上にわたって平和であったのは第9条のおかげだと言う人たちがいるが、まったく馬鹿げた話だ。
真相は、日米同盟があるからソ連が手を出さなかっただけなのである。
大平正芳内閣の時期に、ある防衛問題の委員をしていた関係で私はいろんな報告を聞いたが、当時のソ連極東軍に対するソ連政府の力の入れ方は大変なものだった。
上陸作戦は「ポート・トゥ・ポート」、日本の港から港へ好きに船をつけて上陸できるくらいの力をソ連は持っていた。 
そういう冷戦状況下で日本が生き残ってこられたのは、アメリカとの同盟があり、アメリカの基地が日本にあったからだ。 
こんなわかりきったことに目をつぶって、第9条があったから平和なのだと言う人は正気なのかと問いたい。
本気で第9条が日本の平和を守ってきたと思っているのなら、子供以下だと言えるだろう。
もし、アメリカ軍がいたからだと思いながらも第9条を讃えているのであれば、これは悪質である。 
共産党や社民党が第9条を神聖視するのには理由がある。 
そもそも当初、共産党は第9条に反対していたのだが、それが以下のような理由で神聖視することになった。 
冷戦構造が明確になり、日本でも占領軍の要請により警察予備隊ができると、日本は明らかに西側につくことになった。
日本がアメリカ側について武力を増強すると、戦前の二大軍事国家が連合することになる。 
アメリカと日本を戦前の二大軍事国家というのは嘘ではなくて、航空母艦主体の機動部隊を作る力があったのはこの二国だけだった。
ソ連の海軍はなきに等しかったし、ヒトラーも航空母艦を持っていなかった。
イギリスは持っていたけれども機動部隊を作るほどではなかった。
アメリカと日本の軍事力が突出していたのだ。 
その日本が第9条の縛りもなく、アメリカと同盟を組んで行動するとなると、ソ連など敵ではない。
だから、スターリンが第九条を守れという指令を出した。 
外務省の人から聞いたのだが、サンフランシスコ講和条約締結の頃からすでにスターリンの命令は届いていた。
日本がサンフランシスコ講和条約を結べば、西側につくことは明白だった。
だから日本の左翼的知識人は血眼になって反対し、全面講和を主張した。 
日本が40数ヵ国と講和条約を結ぶのに反対したのは、ソ連とその衛星国、2~3ヵ国でしかなかった。そのたかだか2~3ヵ国を除いて講和条約を結ぶことを、南原繁東大総長をはじめとする知識人たちは単独講和だと言って反対したのである。 
吉田茂首相は全ての党をあげて講和条約にサインをしたかったが、共産党、社会党は最後まで反対した。
それほどスターリンの命令は重かったのだ。
単独講和反対、全面講和を主張した「平和問題懇談会」の事務局は岩波書店にあった。
そこに進歩的文化人たちが嬉々として集まったのは当然だった。
その後の言論界が左翼で占められたのは、前述のように公職追放令で空いたポストに追放されていた者たちが戻ってきたからだ。 
スターリンの命令から始まった嘘に左翼は酔える。
オウム真理教に酔えた人もいるくらいだから酔えるのだろう。
つまりは、馬鹿げたことではあるが第9条は宗教の域に達しているのだ。 
『憲法9条を世界遺産に』(集英社新書)を書いた宗教学者、中沢新一氏もオウム真理教を弁護した一人である。
オウム真理教に酔ったように第九条に酔えるのだろう。 
17世紀の後半にショージ・フォックスという人がいた。
学はなかったが、マコーレーの言葉を借りれば「自由にしておくには頭が狂いすぎ、精神病院に入れるには少し正気があった」というような人だった。 
彼は寓話的に書かれている聖書の言葉を文字どおりに解釈してみたり、誰が見ても事実が書いてあることを寓話として読んだりという滅茶苦茶な聖書の解釈をした。
「絶対に帽子はとらない」「絶対にお辞儀はしない」「絶対に戦争はしない」という主張もあった。
さらに、他宗派の教会で怒鳴って礼拝を邪魔するなどの奇行に走ったりしていた。 
しかし、そういうことを続けていると、それについてくる人が現れる。
そしていつの間にか、「絶対に戦争はしない」という部分だけが残った。
これがのちにクエーカー(フレンド派)になるのである。 
クエーカー自体は、いまでは立派な宗教団倭だと思うが、彼らがどこで繁栄したかといえば、世界一の海軍を持つイギリスだった。
そしてのちにアメリカに渡った。 
宗教とはそうしたもので、オウム真理教の教祖・麻原彰晃の空中浮遊など、正気では信じられないことも信じてしまうものなのである。
第九条も同じだ。
両手を挙げて攻めてきてくださいというのだから、正気の人には理解できない代物である。
しかし、宗教にはなる。 
だから第9条は憲法論として考えるのではなく、宗教論として考えるのが適当だ。
法律論として考えると馬鹿馬鹿しいが、宗教上の信念として「上着を取られたら下着も差し出します」とか、「右の頬を殴られたら左の頬も差し出します」というのはいいだろう。
しかし国を預かる人が、「対馬を取られたら島根県も差し出します」では困る。 


吉田茂首相は全ての党をあげて講和条約にサインをしたかったが、共産党、社会党は最後まで反対した。それほどスターリンの命令は重かったのだ。

2019年06月01日 23時43分57秒 | 日記

以下は前章の続きである。
第9条は宗教として考えよ 
日本国憲法のなかでも、とりわけ第9条は神聖視されている。
日本が終戦以来、60年以上にわたって平和であったのは第9条のおかげだと言う人たちがいるが、まったく馬鹿げた話だ。
真相は、日米同盟があるからソ連が手を出さなかっただけなのである。
大平正芳内閣の時期に、ある防衛問題の委員をしていた関係で私はいろんな報告を聞いたが、当時のソ連極東軍に対するソ連政府の力の入れ方は大変なものだった。
上陸作戦は「ポート・トゥ・ポート」、日本の港から港へ好きに船をつけて上陸できるくらいの力をソ連は持っていた。 
そういう冷戦状況下で日本が生き残ってこられたのは、アメリカとの同盟があり、アメリカの基地が日本にあったからだ。 
こんなわかりきったことに目をつぶって、第9条があったから平和なのだと言う人は正気なのかと問いたい。
本気で第9条が日本の平和を守ってきたと思っているのなら、子供以下だと言えるだろう。
もし、アメリカ軍がいたからだと思いながらも第9条を讃えているのであれば、これは悪質である。 
共産党や社民党が第9条を神聖視するのには理由がある。 
そもそも当初、共産党は第9条に反対していたのだが、それが以下のような理由で神聖視することになった。 
冷戦構造が明確になり、日本でも占領軍の要請により警察予備隊ができると、日本は明らかに西側につくことになった。
日本がアメリカ側について武力を増強すると、戦前の二大軍事国家が連合することになる。 
アメリカと日本を戦前の二大軍事国家というのは嘘ではなくて、航空母艦主体の機動部隊を作る力があったのはこの二国だけだった。
ソ連の海軍はなきに等しかったし、ヒトラーも航空母艦を持っていなかった。
イギリスは持っていたけれども機動部隊を作るほどではなかった。
アメリカと日本の軍事力が突出していたのだ。 
その日本が第9条の縛りもなく、アメリカと同盟を組んで行動するとなると、ソ連など敵ではない。
だから、スターリンが第九条を守れという指令を出した。 
外務省の人から聞いたのだが、サンフランシスコ講和条約締結の頃からすでにスターリンの命令は届いていた。
日本がサンフランシスコ講和条約を結べば、西側につくことは明白だった。
だから日本の左翼的知識人は血眼になって反対し、全面講和を主張した。 
日本が40数ヵ国と講和条約を結ぶのに反対したのは、ソ連とその衛星国、2~3ヵ国でしかなかった。そのたかだか2~3ヵ国を除いて講和条約を結ぶことを、南原繁東大総長をはじめとする知識人たちは単独講和だと言って反対したのである。 
吉田茂首相は全ての党をあげて講和条約にサインをしたかったが、共産党、社会党は最後まで反対した。
それほどスターリンの命令は重かったのだ。
単独講和反対、全面講和を主張した「平和問題懇談会」の事務局は岩波書店にあった。
そこに進歩的文化人たちが嬉々として集まったのは当然だった。
その後の言論界が左翼で占められたのは、前述のように公職追放令で空いたポストに追放されていた者たちが戻ってきたからだ。 
スターリンの命令から始まった嘘に左翼は酔える。
オウム真理教に酔えた人もいるくらいだから酔えるのだろう。
つまりは、馬鹿げたことではあるが第9条は宗教の域に達しているのだ。 
『憲法9条を世界遺産に』(集英社新書)を書いた宗教学者、中沢新一氏もオウム真理教を弁護した一人である。
オウム真理教に酔ったように第九条に酔えるのだろう。 
17世紀の後半にショージ・フォックスという人がいた。
学はなかったが、マコーレーの言葉を借りれば「自由にしておくには頭が狂いすぎ、精神病院に入れるには少し正気があった」というような人だった。 
彼は寓話的に書かれている聖書の言葉を文字どおりに解釈してみたり、誰が見ても事実が書いてあることを寓話として読んだりという滅茶苦茶な聖書の解釈をした。
「絶対に帽子はとらない」「絶対にお辞儀はしない」「絶対に戦争はしない」という主張もあった。
さらに、他宗派の教会で怒鳴って礼拝を邪魔するなどの奇行に走ったりしていた。 
しかし、そういうことを続けていると、それについてくる人が現れる。
そしていつの間にか、「絶対に戦争はしない」という部分だけが残った。
これがのちにクエーカー(フレンド派)になるのである。 
クエーカー自体は、いまでは立派な宗教団倭だと思うが、彼らがどこで繁栄したかといえば、世界一の海軍を持つイギリスだった。
そしてのちにアメリカに渡った。 
宗教とはそうしたもので、オウム真理教の教祖・麻原彰晃の空中浮遊など、正気では信じられないことも信じてしまうものなのである。
第九条も同じだ。
両手を挙げて攻めてきてくださいというのだから、正気の人には理解できない代物である。
しかし、宗教にはなる。 
だから第9条は憲法論として考えるのではなく、宗教論として考えるのが適当だ。
法律論として考えると馬鹿馬鹿しいが、宗教上の信念として「上着を取られたら下着も差し出します」とか、「右の頬を殴られたら左の頬も差し出します」というのはいいだろう。
しかし国を預かる人が、「対馬を取られたら島根県も差し出します」では困る。 


そのたかだか2~3ヵ国を除いて講和条約を結ぶことを、南原繁東大総長をはじめとする知識人たちは単独講和だと言って反対したのである。 

2019年06月01日 23時42分49秒 | 日記

以下は前章の続きである。
第9条は宗教として考えよ 
日本国憲法のなかでも、とりわけ第9条は神聖視されている。
日本が終戦以来、60年以上にわたって平和であったのは第9条のおかげだと言う人たちがいるが、まったく馬鹿げた話だ。
真相は、日米同盟があるからソ連が手を出さなかっただけなのである。
大平正芳内閣の時期に、ある防衛問題の委員をしていた関係で私はいろんな報告を聞いたが、当時のソ連極東軍に対するソ連政府の力の入れ方は大変なものだった。
上陸作戦は「ポート・トゥ・ポート」、日本の港から港へ好きに船をつけて上陸できるくらいの力をソ連は持っていた。 
そういう冷戦状況下で日本が生き残ってこられたのは、アメリカとの同盟があり、アメリカの基地が日本にあったからだ。 
こんなわかりきったことに目をつぶって、第9条があったから平和なのだと言う人は正気なのかと問いたい。
本気で第9条が日本の平和を守ってきたと思っているのなら、子供以下だと言えるだろう。
もし、アメリカ軍がいたからだと思いながらも第9条を讃えているのであれば、これは悪質である。 
共産党や社民党が第9条を神聖視するのには理由がある。 
そもそも当初、共産党は第9条に反対していたのだが、それが以下のような理由で神聖視することになった。 
冷戦構造が明確になり、日本でも占領軍の要請により警察予備隊ができると、日本は明らかに西側につくことになった。
日本がアメリカ側について武力を増強すると、戦前の二大軍事国家が連合することになる。 
アメリカと日本を戦前の二大軍事国家というのは嘘ではなくて、航空母艦主体の機動部隊を作る力があったのはこの二国だけだった。
ソ連の海軍はなきに等しかったし、ヒトラーも航空母艦を持っていなかった。
イギリスは持っていたけれども機動部隊を作るほどではなかった。
アメリカと日本の軍事力が突出していたのだ。 
その日本が第9条の縛りもなく、アメリカと同盟を組んで行動するとなると、ソ連など敵ではない。
だから、スターリンが第九条を守れという指令を出した。 
外務省の人から聞いたのだが、サンフランシスコ講和条約締結の頃からすでにスターリンの命令は届いていた。
日本がサンフランシスコ講和条約を結べば、西側につくことは明白だった。
だから日本の左翼的知識人は血眼になって反対し、全面講和を主張した。 
日本が40数ヵ国と講和条約を結ぶのに反対したのは、ソ連とその衛星国、2~3ヵ国でしかなかった。そのたかだか2~3ヵ国を除いて講和条約を結ぶことを、南原繁東大総長をはじめとする知識人たちは単独講和だと言って反対したのである。 
吉田茂首相は全ての党をあげて講和条約にサインをしたかったが、共産党、社会党は最後まで反対した。
それほどスターリンの命令は重かったのだ。
単独講和反対、全面講和を主張した「平和問題懇談会」の事務局は岩波書店にあった。
そこに進歩的文化人たちが嬉々として集まったのは当然だった。
その後の言論界が左翼で占められたのは、前述のように公職追放令で空いたポストに追放されていた者たちが戻ってきたからだ。 
スターリンの命令から始まった嘘に左翼は酔える。
オウム真理教に酔えた人もいるくらいだから酔えるのだろう。
つまりは、馬鹿げたことではあるが第9条は宗教の域に達しているのだ。 
『憲法9条を世界遺産に』(集英社新書)を書いた宗教学者、中沢新一氏もオウム真理教を弁護した一人である。
オウム真理教に酔ったように第九条に酔えるのだろう。 
17世紀の後半にショージ・フォックスという人がいた。
学はなかったが、マコーレーの言葉を借りれば「自由にしておくには頭が狂いすぎ、精神病院に入れるには少し正気があった」というような人だった。 
彼は寓話的に書かれている聖書の言葉を文字どおりに解釈してみたり、誰が見ても事実が書いてあることを寓話として読んだりという滅茶苦茶な聖書の解釈をした。
「絶対に帽子はとらない」「絶対にお辞儀はしない」「絶対に戦争はしない」という主張もあった。
さらに、他宗派の教会で怒鳴って礼拝を邪魔するなどの奇行に走ったりしていた。 
しかし、そういうことを続けていると、それについてくる人が現れる。
そしていつの間にか、「絶対に戦争はしない」という部分だけが残った。
これがのちにクエーカー(フレンド派)になるのである。 
クエーカー自体は、いまでは立派な宗教団倭だと思うが、彼らがどこで繁栄したかといえば、世界一の海軍を持つイギリスだった。
そしてのちにアメリカに渡った。 
宗教とはそうしたもので、オウム真理教の教祖・麻原彰晃の空中浮遊など、正気では信じられないことも信じてしまうものなのである。
第九条も同じだ。
両手を挙げて攻めてきてくださいというのだから、正気の人には理解できない代物である。
しかし、宗教にはなる。 
だから第9条は憲法論として考えるのではなく、宗教論として考えるのが適当だ。
法律論として考えると馬鹿馬鹿しいが、宗教上の信念として「上着を取られたら下着も差し出します」とか、「右の頬を殴られたら左の頬も差し出します」というのはいいだろう。
しかし国を預かる人が、「対馬を取られたら島根県も差し出します」では困る。 


だから、スターリンが第九条を守れという指令を出した。外務省の人から聞いたのだが、サンフランシスコ講和条約締結の頃からすでにスターリンの命令は届いていた

2019年06月01日 23時41分22秒 | 日記

以下は前章の続きである。
第9条は宗教として考えよ 
日本国憲法のなかでも、とりわけ第9条は神聖視されている。
日本が終戦以来、60年以上にわたって平和であったのは第9条のおかげだと言う人たちがいるが、まったく馬鹿げた話だ。
真相は、日米同盟があるからソ連が手を出さなかっただけなのである。
大平正芳内閣の時期に、ある防衛問題の委員をしていた関係で私はいろんな報告を聞いたが、当時のソ連極東軍に対するソ連政府の力の入れ方は大変なものだった。
上陸作戦は「ポート・トゥ・ポート」、日本の港から港へ好きに船をつけて上陸できるくらいの力をソ連は持っていた。 
そういう冷戦状況下で日本が生き残ってこられたのは、アメリカとの同盟があり、アメリカの基地が日本にあったからだ。 
こんなわかりきったことに目をつぶって、第9条があったから平和なのだと言う人は正気なのかと問いたい。
本気で第9条が日本の平和を守ってきたと思っているのなら、子供以下だと言えるだろう。
もし、アメリカ軍がいたからだと思いながらも第9条を讃えているのであれば、これは悪質である。 
共産党や社民党が第9条を神聖視するのには理由がある。 
そもそも当初、共産党は第9条に反対していたのだが、それが以下のような理由で神聖視することになった。 
冷戦構造が明確になり、日本でも占領軍の要請により警察予備隊ができると、日本は明らかに西側につくことになった。
日本がアメリカ側について武力を増強すると、戦前の二大軍事国家が連合することになる。 
アメリカと日本を戦前の二大軍事国家というのは嘘ではなくて、航空母艦主体の機動部隊を作る力があったのはこの二国だけだった。
ソ連の海軍はなきに等しかったし、ヒトラーも航空母艦を持っていなかった。
イギリスは持っていたけれども機動部隊を作るほどではなかった。
アメリカと日本の軍事力が突出していたのだ。 
その日本が第9条の縛りもなく、アメリカと同盟を組んで行動するとなると、ソ連など敵ではない。
だから、スターリンが第九条を守れという指令を出した。 
外務省の人から聞いたのだが、サンフランシスコ講和条約締結の頃からすでにスターリンの命令は届いていた。
日本がサンフランシスコ講和条約を結べば、西側につくことは明白だった。
だから日本の左翼的知識人は血眼になって反対し、全面講和を主張した。 
日本が40数ヵ国と講和条約を結ぶのに反対したのは、ソ連とその衛星国、2~3ヵ国でしかなかった。そのたかだか2~3ヵ国を除いて講和条約を結ぶことを、南原繁東大総長をはじめとする知識人たちは単独講和だと言って反対したのである。 
吉田茂首相は全ての党をあげて講和条約にサインをしたかったが、共産党、社会党は最後まで反対した。
それほどスターリンの命令は重かったのだ。
単独講和反対、全面講和を主張した「平和問題懇談会」の事務局は岩波書店にあった。
そこに進歩的文化人たちが嬉々として集まったのは当然だった。
その後の言論界が左翼で占められたのは、前述のように公職追放令で空いたポストに追放されていた者たちが戻ってきたからだ。 
スターリンの命令から始まった嘘に左翼は酔える。
オウム真理教に酔えた人もいるくらいだから酔えるのだろう。
つまりは、馬鹿げたことではあるが第9条は宗教の域に達しているのだ。 
『憲法9条を世界遺産に』(集英社新書)を書いた宗教学者、中沢新一氏もオウム真理教を弁護した一人である。
オウム真理教に酔ったように第九条に酔えるのだろう。 
17世紀の後半にショージ・フォックスという人がいた。
学はなかったが、マコーレーの言葉を借りれば「自由にしておくには頭が狂いすぎ、精神病院に入れるには少し正気があった」というような人だった。 
彼は寓話的に書かれている聖書の言葉を文字どおりに解釈してみたり、誰が見ても事実が書いてあることを寓話として読んだりという滅茶苦茶な聖書の解釈をした。
「絶対に帽子はとらない」「絶対にお辞儀はしない」「絶対に戦争はしない」という主張もあった。
さらに、他宗派の教会で怒鳴って礼拝を邪魔するなどの奇行に走ったりしていた。 
しかし、そういうことを続けていると、それについてくる人が現れる。
そしていつの間にか、「絶対に戦争はしない」という部分だけが残った。
これがのちにクエーカー(フレンド派)になるのである。 
クエーカー自体は、いまでは立派な宗教団倭だと思うが、彼らがどこで繁栄したかといえば、世界一の海軍を持つイギリスだった。
そしてのちにアメリカに渡った。 
宗教とはそうしたもので、オウム真理教の教祖・麻原彰晃の空中浮遊など、正気では信じられないことも信じてしまうものなのである。
第九条も同じだ。
両手を挙げて攻めてきてくださいというのだから、正気の人には理解できない代物である。
しかし、宗教にはなる。 
だから第9条は憲法論として考えるのではなく、宗教論として考えるのが適当だ。
法律論として考えると馬鹿馬鹿しいが、宗教上の信念として「上着を取られたら下着も差し出します」とか、「右の頬を殴られたら左の頬も差し出します」というのはいいだろう。
しかし国を預かる人が、「対馬を取られたら島根県も差し出します」では困る。 


アメリカと日本を戦前の二大軍事国家というのは嘘ではなくて、航空母艦主体の機動部隊を作る力があったのはこの二国だけだった。ソ連の海軍はなきに等しかったし、ヒトラーも航空母艦を持っていなかった

2019年06月01日 23時39分49秒 | 日記

以下は前章の続きである。
第9条は宗教として考えよ 
日本国憲法のなかでも、とりわけ第9条は神聖視されている。
日本が終戦以来、60年以上にわたって平和であったのは第9条のおかげだと言う人たちがいるが、まったく馬鹿げた話だ。
真相は、日米同盟があるからソ連が手を出さなかっただけなのである。
大平正芳内閣の時期に、ある防衛問題の委員をしていた関係で私はいろんな報告を聞いたが、当時のソ連極東軍に対するソ連政府の力の入れ方は大変なものだった。
上陸作戦は「ポート・トゥ・ポート」、日本の港から港へ好きに船をつけて上陸できるくらいの力をソ連は持っていた。 
そういう冷戦状況下で日本が生き残ってこられたのは、アメリカとの同盟があり、アメリカの基地が日本にあったからだ。 
こんなわかりきったことに目をつぶって、第9条があったから平和なのだと言う人は正気なのかと問いたい。
本気で第9条が日本の平和を守ってきたと思っているのなら、子供以下だと言えるだろう。
もし、アメリカ軍がいたからだと思いながらも第9条を讃えているのであれば、これは悪質である。 
共産党や社民党が第9条を神聖視するのには理由がある。 
そもそも当初、共産党は第9条に反対していたのだが、それが以下のような理由で神聖視することになった。 
冷戦構造が明確になり、日本でも占領軍の要請により警察予備隊ができると、日本は明らかに西側につくことになった。
日本がアメリカ側について武力を増強すると、戦前の二大軍事国家が連合することになる。 
アメリカと日本を戦前の二大軍事国家というのは嘘ではなくて、航空母艦主体の機動部隊を作る力があったのはこの二国だけだった。
ソ連の海軍はなきに等しかったし、ヒトラーも航空母艦を持っていなかった。
イギリスは持っていたけれども機動部隊を作るほどではなかった。
アメリカと日本の軍事力が突出していたのだ。 
その日本が第9条の縛りもなく、アメリカと同盟を組んで行動するとなると、ソ連など敵ではない。
だから、スターリンが第九条を守れという指令を出した。 
外務省の人から聞いたのだが、サンフランシスコ講和条約締結の頃からすでにスターリンの命令は届いていた。
日本がサンフランシスコ講和条約を結べば、西側につくことは明白だった。
だから日本の左翼的知識人は血眼になって反対し、全面講和を主張した。 
日本が40数ヵ国と講和条約を結ぶのに反対したのは、ソ連とその衛星国、2~3ヵ国でしかなかった。そのたかだか2~3ヵ国を除いて講和条約を結ぶことを、南原繁東大総長をはじめとする知識人たちは単独講和だと言って反対したのである。 
吉田茂首相は全ての党をあげて講和条約にサインをしたかったが、共産党、社会党は最後まで反対した。
それほどスターリンの命令は重かったのだ。
単独講和反対、全面講和を主張した「平和問題懇談会」の事務局は岩波書店にあった。
そこに進歩的文化人たちが嬉々として集まったのは当然だった。
その後の言論界が左翼で占められたのは、前述のように公職追放令で空いたポストに追放されていた者たちが戻ってきたからだ。 
スターリンの命令から始まった嘘に左翼は酔える。
オウム真理教に酔えた人もいるくらいだから酔えるのだろう。
つまりは、馬鹿げたことではあるが第9条は宗教の域に達しているのだ。 
『憲法9条を世界遺産に』(集英社新書)を書いた宗教学者、中沢新一氏もオウム真理教を弁護した一人である。
オウム真理教に酔ったように第九条に酔えるのだろう。 
17世紀の後半にショージ・フォックスという人がいた。
学はなかったが、マコーレーの言葉を借りれば「自由にしておくには頭が狂いすぎ、精神病院に入れるには少し正気があった」というような人だった。 
彼は寓話的に書かれている聖書の言葉を文字どおりに解釈してみたり、誰が見ても事実が書いてあることを寓話として読んだりという滅茶苦茶な聖書の解釈をした。
「絶対に帽子はとらない」「絶対にお辞儀はしない」「絶対に戦争はしない」という主張もあった。
さらに、他宗派の教会で怒鳴って礼拝を邪魔するなどの奇行に走ったりしていた。 
しかし、そういうことを続けていると、それについてくる人が現れる。
そしていつの間にか、「絶対に戦争はしない」という部分だけが残った。
これがのちにクエーカー(フレンド派)になるのである。 
クエーカー自体は、いまでは立派な宗教団倭だと思うが、彼らがどこで繁栄したかといえば、世界一の海軍を持つイギリスだった。
そしてのちにアメリカに渡った。 
宗教とはそうしたもので、オウム真理教の教祖・麻原彰晃の空中浮遊など、正気では信じられないことも信じてしまうものなのである。
第九条も同じだ。
両手を挙げて攻めてきてくださいというのだから、正気の人には理解できない代物である。
しかし、宗教にはなる。 
だから第9条は憲法論として考えるのではなく、宗教論として考えるのが適当だ。
法律論として考えると馬鹿馬鹿しいが、宗教上の信念として「上着を取られたら下着も差し出します」とか、「右の頬を殴られたら左の頬も差し出します」というのはいいだろう。
しかし国を預かる人が、「対馬を取られたら島根県も差し出します」では困る。 


共産党や社民党が第9条を神聖視するのには理由がある。そもそも当初、共産党は第9条に反対していたのだが、それが以下のような理由で神聖視することになった

2019年06月01日 23時38分21秒 | 日記

以下は前章の続きである。
第9条は宗教として考えよ 
日本国憲法のなかでも、とりわけ第9条は神聖視されている。
日本が終戦以来、60年以上にわたって平和であったのは第9条のおかげだと言う人たちがいるが、まったく馬鹿げた話だ。
真相は、日米同盟があるからソ連が手を出さなかっただけなのである。
大平正芳内閣の時期に、ある防衛問題の委員をしていた関係で私はいろんな報告を聞いたが、当時のソ連極東軍に対するソ連政府の力の入れ方は大変なものだった。
上陸作戦は「ポート・トゥ・ポート」、日本の港から港へ好きに船をつけて上陸できるくらいの力をソ連は持っていた。 
そういう冷戦状況下で日本が生き残ってこられたのは、アメリカとの同盟があり、アメリカの基地が日本にあったからだ。 
こんなわかりきったことに目をつぶって、第9条があったから平和なのだと言う人は正気なのかと問いたい。
本気で第9条が日本の平和を守ってきたと思っているのなら、子供以下だと言えるだろう。
もし、アメリカ軍がいたからだと思いながらも第9条を讃えているのであれば、これは悪質である。 
共産党や社民党が第9条を神聖視するのには理由がある。 
そもそも当初、共産党は第9条に反対していたのだが、それが以下のような理由で神聖視することになった。 
冷戦構造が明確になり、日本でも占領軍の要請により警察予備隊ができると、日本は明らかに西側につくことになった。
日本がアメリカ側について武力を増強すると、戦前の二大軍事国家が連合することになる。 
アメリカと日本を戦前の二大軍事国家というのは嘘ではなくて、航空母艦主体の機動部隊を作る力があったのはこの二国だけだった。
ソ連の海軍はなきに等しかったし、ヒトラーも航空母艦を持っていなかった。
イギリスは持っていたけれども機動部隊を作るほどではなかった。
アメリカと日本の軍事力が突出していたのだ。 
その日本が第9条の縛りもなく、アメリカと同盟を組んで行動するとなると、ソ連など敵ではない。
だから、スターリンが第九条を守れという指令を出した。 
外務省の人から聞いたのだが、サンフランシスコ講和条約締結の頃からすでにスターリンの命令は届いていた。
日本がサンフランシスコ講和条約を結べば、西側につくことは明白だった。
だから日本の左翼的知識人は血眼になって反対し、全面講和を主張した。 
日本が40数ヵ国と講和条約を結ぶのに反対したのは、ソ連とその衛星国、2~3ヵ国でしかなかった。そのたかだか2~3ヵ国を除いて講和条約を結ぶことを、南原繁東大総長をはじめとする知識人たちは単独講和だと言って反対したのである。 
吉田茂首相は全ての党をあげて講和条約にサインをしたかったが、共産党、社会党は最後まで反対した。
それほどスターリンの命令は重かったのだ。
単独講和反対、全面講和を主張した「平和問題懇談会」の事務局は岩波書店にあった。
そこに進歩的文化人たちが嬉々として集まったのは当然だった。
その後の言論界が左翼で占められたのは、前述のように公職追放令で空いたポストに追放されていた者たちが戻ってきたからだ。 
スターリンの命令から始まった嘘に左翼は酔える。
オウム真理教に酔えた人もいるくらいだから酔えるのだろう。
つまりは、馬鹿げたことではあるが第9条は宗教の域に達しているのだ。 
『憲法9条を世界遺産に』(集英社新書)を書いた宗教学者、中沢新一氏もオウム真理教を弁護した一人である。
オウム真理教に酔ったように第九条に酔えるのだろう。 
17世紀の後半にショージ・フォックスという人がいた。
学はなかったが、マコーレーの言葉を借りれば「自由にしておくには頭が狂いすぎ、精神病院に入れるには少し正気があった」というような人だった。 
彼は寓話的に書かれている聖書の言葉を文字どおりに解釈してみたり、誰が見ても事実が書いてあることを寓話として読んだりという滅茶苦茶な聖書の解釈をした。
「絶対に帽子はとらない」「絶対にお辞儀はしない」「絶対に戦争はしない」という主張もあった。
さらに、他宗派の教会で怒鳴って礼拝を邪魔するなどの奇行に走ったりしていた。 
しかし、そういうことを続けていると、それについてくる人が現れる。
そしていつの間にか、「絶対に戦争はしない」という部分だけが残った。
これがのちにクエーカー(フレンド派)になるのである。 
クエーカー自体は、いまでは立派な宗教団倭だと思うが、彼らがどこで繁栄したかといえば、世界一の海軍を持つイギリスだった。
そしてのちにアメリカに渡った。 
宗教とはそうしたもので、オウム真理教の教祖・麻原彰晃の空中浮遊など、正気では信じられないことも信じてしまうものなのである。
第九条も同じだ。
両手を挙げて攻めてきてくださいというのだから、正気の人には理解できない代物である。
しかし、宗教にはなる。 
だから第9条は憲法論として考えるのではなく、宗教論として考えるのが適当だ。
法律論として考えると馬鹿馬鹿しいが、宗教上の信念として「上着を取られたら下着も差し出します」とか、「右の頬を殴られたら左の頬も差し出します」というのはいいだろう。
しかし国を預かる人が、「対馬を取られたら島根県も差し出します」では困る。 


本気で第9条が日本の平和を守ってきたと思っているのなら、子供以下だと言えるだろう。もし、アメリカ軍がいたからだと思いながらも第9条を讃えているのであれば、これは悪質である

2019年06月01日 23時37分02秒 | 日記

以下は前章の続きである。
第9条は宗教として考えよ 
日本国憲法のなかでも、とりわけ第9条は神聖視されている。
日本が終戦以来、60年以上にわたって平和であったのは第9条のおかげだと言う人たちがいるが、まったく馬鹿げた話だ。
真相は、日米同盟があるからソ連が手を出さなかっただけなのである。
大平正芳内閣の時期に、ある防衛問題の委員をしていた関係で私はいろんな報告を聞いたが、当時のソ連極東軍に対するソ連政府の力の入れ方は大変なものだった。
上陸作戦は「ポート・トゥ・ポート」、日本の港から港へ好きに船をつけて上陸できるくらいの力をソ連は持っていた。 
そういう冷戦状況下で日本が生き残ってこられたのは、アメリカとの同盟があり、アメリカの基地が日本にあったからだ。 
こんなわかりきったことに目をつぶって、第9条があったから平和なのだと言う人は正気なのかと問いたい。
本気で第9条が日本の平和を守ってきたと思っているのなら、子供以下だと言えるだろう。
もし、アメリカ軍がいたからだと思いながらも第9条を讃えているのであれば、これは悪質である。 
共産党や社民党が第9条を神聖視するのには理由がある。 
そもそも当初、共産党は第9条に反対していたのだが、それが以下のような理由で神聖視することになった。 
冷戦構造が明確になり、日本でも占領軍の要請により警察予備隊ができると、日本は明らかに西側につくことになった。
日本がアメリカ側について武力を増強すると、戦前の二大軍事国家が連合することになる。 
アメリカと日本を戦前の二大軍事国家というのは嘘ではなくて、航空母艦主体の機動部隊を作る力があったのはこの二国だけだった。
ソ連の海軍はなきに等しかったし、ヒトラーも航空母艦を持っていなかった。
イギリスは持っていたけれども機動部隊を作るほどではなかった。
アメリカと日本の軍事力が突出していたのだ。 
その日本が第9条の縛りもなく、アメリカと同盟を組んで行動するとなると、ソ連など敵ではない。
だから、スターリンが第九条を守れという指令を出した。 
外務省の人から聞いたのだが、サンフランシスコ講和条約締結の頃からすでにスターリンの命令は届いていた。
日本がサンフランシスコ講和条約を結べば、西側につくことは明白だった。
だから日本の左翼的知識人は血眼になって反対し、全面講和を主張した。 
日本が40数ヵ国と講和条約を結ぶのに反対したのは、ソ連とその衛星国、2~3ヵ国でしかなかった。そのたかだか2~3ヵ国を除いて講和条約を結ぶことを、南原繁東大総長をはじめとする知識人たちは単独講和だと言って反対したのである。 
吉田茂首相は全ての党をあげて講和条約にサインをしたかったが、共産党、社会党は最後まで反対した。
それほどスターリンの命令は重かったのだ。
単独講和反対、全面講和を主張した「平和問題懇談会」の事務局は岩波書店にあった。
そこに進歩的文化人たちが嬉々として集まったのは当然だった。
その後の言論界が左翼で占められたのは、前述のように公職追放令で空いたポストに追放されていた者たちが戻ってきたからだ。 
スターリンの命令から始まった嘘に左翼は酔える。
オウム真理教に酔えた人もいるくらいだから酔えるのだろう。
つまりは、馬鹿げたことではあるが第9条は宗教の域に達しているのだ。 
『憲法9条を世界遺産に』(集英社新書)を書いた宗教学者、中沢新一氏もオウム真理教を弁護した一人である。
オウム真理教に酔ったように第九条に酔えるのだろう。 
17世紀の後半にショージ・フォックスという人がいた。
学はなかったが、マコーレーの言葉を借りれば「自由にしておくには頭が狂いすぎ、精神病院に入れるには少し正気があった」というような人だった。 
彼は寓話的に書かれている聖書の言葉を文字どおりに解釈してみたり、誰が見ても事実が書いてあることを寓話として読んだりという滅茶苦茶な聖書の解釈をした。
「絶対に帽子はとらない」「絶対にお辞儀はしない」「絶対に戦争はしない」という主張もあった。
さらに、他宗派の教会で怒鳴って礼拝を邪魔するなどの奇行に走ったりしていた。 
しかし、そういうことを続けていると、それについてくる人が現れる。
そしていつの間にか、「絶対に戦争はしない」という部分だけが残った。
これがのちにクエーカー(フレンド派)になるのである。 
クエーカー自体は、いまでは立派な宗教団倭だと思うが、彼らがどこで繁栄したかといえば、世界一の海軍を持つイギリスだった。
そしてのちにアメリカに渡った。 
宗教とはそうしたもので、オウム真理教の教祖・麻原彰晃の空中浮遊など、正気では信じられないことも信じてしまうものなのである。
第九条も同じだ。
両手を挙げて攻めてきてくださいというのだから、正気の人には理解できない代物である。
しかし、宗教にはなる。 
だから第9条は憲法論として考えるのではなく、宗教論として考えるのが適当だ。
法律論として考えると馬鹿馬鹿しいが、宗教上の信念として「上着を取られたら下着も差し出します」とか、「右の頬を殴られたら左の頬も差し出します」というのはいいだろう。
しかし国を預かる人が、「対馬を取られたら島根県も差し出します」では困る。 


こんなわかりきったことに目をつぶって、第9条があったから平和なのだと言う人は正気なのかと問いたい。

2019年06月01日 23時35分44秒 | 日記

以下は前章の続きである。
第9条は宗教として考えよ 
日本国憲法のなかでも、とりわけ第9条は神聖視されている。
日本が終戦以来、60年以上にわたって平和であったのは第9条のおかげだと言う人たちがいるが、まったく馬鹿げた話だ。
真相は、日米同盟があるからソ連が手を出さなかっただけなのである。
大平正芳内閣の時期に、ある防衛問題の委員をしていた関係で私はいろんな報告を聞いたが、当時のソ連極東軍に対するソ連政府の力の入れ方は大変なものだった。
上陸作戦は「ポート・トゥ・ポート」、日本の港から港へ好きに船をつけて上陸できるくらいの力をソ連は持っていた。 
そういう冷戦状況下で日本が生き残ってこられたのは、アメリカとの同盟があり、アメリカの基地が日本にあったからだ。 
こんなわかりきったことに目をつぶって、第9条があったから平和なのだと言う人は正気なのかと問いたい。
本気で第9条が日本の平和を守ってきたと思っているのなら、子供以下だと言えるだろう。
もし、アメリカ軍がいたからだと思いながらも第9条を讃えているのであれば、これは悪質である。 
共産党や社民党が第9条を神聖視するのには理由がある。 
そもそも当初、共産党は第9条に反対していたのだが、それが以下のような理由で神聖視することになった。 
冷戦構造が明確になり、日本でも占領軍の要請により警察予備隊ができると、日本は明らかに西側につくことになった。
日本がアメリカ側について武力を増強すると、戦前の二大軍事国家が連合することになる。 
アメリカと日本を戦前の二大軍事国家というのは嘘ではなくて、航空母艦主体の機動部隊を作る力があったのはこの二国だけだった。
ソ連の海軍はなきに等しかったし、ヒトラーも航空母艦を持っていなかった。
イギリスは持っていたけれども機動部隊を作るほどではなかった。
アメリカと日本の軍事力が突出していたのだ。 
その日本が第9条の縛りもなく、アメリカと同盟を組んで行動するとなると、ソ連など敵ではない。
だから、スターリンが第九条を守れという指令を出した。 
外務省の人から聞いたのだが、サンフランシスコ講和条約締結の頃からすでにスターリンの命令は届いていた。
日本がサンフランシスコ講和条約を結べば、西側につくことは明白だった。
だから日本の左翼的知識人は血眼になって反対し、全面講和を主張した。 
日本が40数ヵ国と講和条約を結ぶのに反対したのは、ソ連とその衛星国、2~3ヵ国でしかなかった。そのたかだか2~3ヵ国を除いて講和条約を結ぶことを、南原繁東大総長をはじめとする知識人たちは単独講和だと言って反対したのである。 
吉田茂首相は全ての党をあげて講和条約にサインをしたかったが、共産党、社会党は最後まで反対した。
それほどスターリンの命令は重かったのだ。
単独講和反対、全面講和を主張した「平和問題懇談会」の事務局は岩波書店にあった。
そこに進歩的文化人たちが嬉々として集まったのは当然だった。
その後の言論界が左翼で占められたのは、前述のように公職追放令で空いたポストに追放されていた者たちが戻ってきたからだ。 
スターリンの命令から始まった嘘に左翼は酔える。
オウム真理教に酔えた人もいるくらいだから酔えるのだろう。
つまりは、馬鹿げたことではあるが第9条は宗教の域に達しているのだ。 
『憲法9条を世界遺産に』(集英社新書)を書いた宗教学者、中沢新一氏もオウム真理教を弁護した一人である。
オウム真理教に酔ったように第九条に酔えるのだろう。 
17世紀の後半にショージ・フォックスという人がいた。
学はなかったが、マコーレーの言葉を借りれば「自由にしておくには頭が狂いすぎ、精神病院に入れるには少し正気があった」というような人だった。 
彼は寓話的に書かれている聖書の言葉を文字どおりに解釈してみたり、誰が見ても事実が書いてあることを寓話として読んだりという滅茶苦茶な聖書の解釈をした。
「絶対に帽子はとらない」「絶対にお辞儀はしない」「絶対に戦争はしない」という主張もあった。
さらに、他宗派の教会で怒鳴って礼拝を邪魔するなどの奇行に走ったりしていた。 
しかし、そういうことを続けていると、それについてくる人が現れる。
そしていつの間にか、「絶対に戦争はしない」という部分だけが残った。
これがのちにクエーカー(フレンド派)になるのである。 
クエーカー自体は、いまでは立派な宗教団倭だと思うが、彼らがどこで繁栄したかといえば、世界一の海軍を持つイギリスだった。
そしてのちにアメリカに渡った。 
宗教とはそうしたもので、オウム真理教の教祖・麻原彰晃の空中浮遊など、正気では信じられないことも信じてしまうものなのである。
第九条も同じだ。
両手を挙げて攻めてきてくださいというのだから、正気の人には理解できない代物である。
しかし、宗教にはなる。 
だから第9条は憲法論として考えるのではなく、宗教論として考えるのが適当だ。
法律論として考えると馬鹿馬鹿しいが、宗教上の信念として「上着を取られたら下着も差し出します」とか、「右の頬を殴られたら左の頬も差し出します」というのはいいだろう。
しかし国を預かる人が、「対馬を取られたら島根県も差し出します」では困る。 


そういう冷戦状況下で日本が生き残ってこられたのは、アメリカとの同盟があり、アメリカの基地が日本にあったからだ。こんなわかりきったことに目をつぶって、第9条があったから

2019年06月01日 23時34分23秒 | 日記

以下は前章の続きである。
第9条は宗教として考えよ 
日本国憲法のなかでも、とりわけ第9条は神聖視されている。
日本が終戦以来、60年以上にわたって平和であったのは第9条のおかげだと言う人たちがいるが、まったく馬鹿げた話だ。
真相は、日米同盟があるからソ連が手を出さなかっただけなのである。
大平正芳内閣の時期に、ある防衛問題の委員をしていた関係で私はいろんな報告を聞いたが、当時のソ連極東軍に対するソ連政府の力の入れ方は大変なものだった。
上陸作戦は「ポート・トゥ・ポート」、日本の港から港へ好きに船をつけて上陸できるくらいの力をソ連は持っていた。 
そういう冷戦状況下で日本が生き残ってこられたのは、アメリカとの同盟があり、アメリカの基地が日本にあったからだ。 
こんなわかりきったことに目をつぶって、第9条があったから平和なのだと言う人は正気なのかと問いたい。
本気で第9条が日本の平和を守ってきたと思っているのなら、子供以下だと言えるだろう。
もし、アメリカ軍がいたからだと思いながらも第9条を讃えているのであれば、これは悪質である。 
共産党や社民党が第9条を神聖視するのには理由がある。 
そもそも当初、共産党は第9条に反対していたのだが、それが以下のような理由で神聖視することになった。 
冷戦構造が明確になり、日本でも占領軍の要請により警察予備隊ができると、日本は明らかに西側につくことになった。
日本がアメリカ側について武力を増強すると、戦前の二大軍事国家が連合することになる。 
アメリカと日本を戦前の二大軍事国家というのは嘘ではなくて、航空母艦主体の機動部隊を作る力があったのはこの二国だけだった。
ソ連の海軍はなきに等しかったし、ヒトラーも航空母艦を持っていなかった。
イギリスは持っていたけれども機動部隊を作るほどではなかった。
アメリカと日本の軍事力が突出していたのだ。 
その日本が第9条の縛りもなく、アメリカと同盟を組んで行動するとなると、ソ連など敵ではない。
だから、スターリンが第九条を守れという指令を出した。 
外務省の人から聞いたのだが、サンフランシスコ講和条約締結の頃からすでにスターリンの命令は届いていた。
日本がサンフランシスコ講和条約を結べば、西側につくことは明白だった。
だから日本の左翼的知識人は血眼になって反対し、全面講和を主張した。 
日本が40数ヵ国と講和条約を結ぶのに反対したのは、ソ連とその衛星国、2~3ヵ国でしかなかった。そのたかだか2~3ヵ国を除いて講和条約を結ぶことを、南原繁東大総長をはじめとする知識人たちは単独講和だと言って反対したのである。 
吉田茂首相は全ての党をあげて講和条約にサインをしたかったが、共産党、社会党は最後まで反対した。
それほどスターリンの命令は重かったのだ。
単独講和反対、全面講和を主張した「平和問題懇談会」の事務局は岩波書店にあった。
そこに進歩的文化人たちが嬉々として集まったのは当然だった。
その後の言論界が左翼で占められたのは、前述のように公職追放令で空いたポストに追放されていた者たちが戻ってきたからだ。 
スターリンの命令から始まった嘘に左翼は酔える。
オウム真理教に酔えた人もいるくらいだから酔えるのだろう。
つまりは、馬鹿げたことではあるが第9条は宗教の域に達しているのだ。 
『憲法9条を世界遺産に』(集英社新書)を書いた宗教学者、中沢新一氏もオウム真理教を弁護した一人である。
オウム真理教に酔ったように第九条に酔えるのだろう。 
17世紀の後半にショージ・フォックスという人がいた。
学はなかったが、マコーレーの言葉を借りれば「自由にしておくには頭が狂いすぎ、精神病院に入れるには少し正気があった」というような人だった。 
彼は寓話的に書かれている聖書の言葉を文字どおりに解釈してみたり、誰が見ても事実が書いてあることを寓話として読んだりという滅茶苦茶な聖書の解釈をした。
「絶対に帽子はとらない」「絶対にお辞儀はしない」「絶対に戦争はしない」という主張もあった。
さらに、他宗派の教会で怒鳴って礼拝を邪魔するなどの奇行に走ったりしていた。 
しかし、そういうことを続けていると、それについてくる人が現れる。
そしていつの間にか、「絶対に戦争はしない」という部分だけが残った。
これがのちにクエーカー(フレンド派)になるのである。 
クエーカー自体は、いまでは立派な宗教団倭だと思うが、彼らがどこで繁栄したかといえば、世界一の海軍を持つイギリスだった。
そしてのちにアメリカに渡った。 
宗教とはそうしたもので、オウム真理教の教祖・麻原彰晃の空中浮遊など、正気では信じられないことも信じてしまうものなのである。
第九条も同じだ。
両手を挙げて攻めてきてくださいというのだから、正気の人には理解できない代物である。
しかし、宗教にはなる。 
だから第9条は憲法論として考えるのではなく、宗教論として考えるのが適当だ。
法律論として考えると馬鹿馬鹿しいが、宗教上の信念として「上着を取られたら下着も差し出します」とか、「右の頬を殴られたら左の頬も差し出します」というのはいいだろう。
しかし国を預かる人が、「対馬を取られたら島根県も差し出します」では困る。