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文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

蓮舫氏に限らず、みんな自分のことばかり…4月28日号、週刊文春から。

2011年04月23日 23時18分45秒 | 日記

総力特集「官邸迷走40日」の全行状。
…4月28日号、週刊文春から。
「震災発生直後に、節電担当相に任命された蓮舫氏は、防災服のエリを立ててコンビニを視察し、批判を浴びた。何とかイメージを回復させたい彼女が起死回生をかけたのが、先日、圧倒的な強さで四選を果たした石原慎太郎都知事との〝対決″です。石原氏の花見自粛発言に、すぐ反論しましたが、独裁者との批判も根強い石原氏にモノ申すことで、闘う女をアピールする狙いがあるんでしょう」(民主党担当記者)
さらに石原氏が「軒並み自販機が並んでいるバカな国は、世界中にない」と自販機不要論を唱えたのに対して、蓮舫氏は「自販機の売り上げは一・九兆円。
清涼飲料水業界の売り上げの四二%に当たる。
権力で経済活動に影響が出る要請をするべきじゃない」と噛み付いたが、節電担当相の発言とは思えない。
「蓮舫氏に限らず、みんな自分のことばかり。菅首相のもとで与えられた仕事に邁進しようなんて考えている人は、この政権には皆無です」(前出・民主党担当記者) 
象徴的だったのは、四月十二日、震災からIヵ月ということで菅首相が行なった記者会見における、閣僚たちの様子だった。
「内容的には『ただの復旧ではなく、新しい創造でなければならない』といった抽象的な言葉が多く、枝野官房長官は、しきりと首を傾げるような仕草をし、仙谷由人官房副長官に至っては、ときどき寝ているように見えました」(同前)
首相が求心力を失う中、「菅降ろし」の動きはもはや隠しようもなくなっている。
…後略。


総力特集「官邸迷走40日」の全行状。…4月28日号、週刊文春から。

2011年04月23日 22時58分37秒 | 日記
…前略。

なぜこうしたことがまかり通るのか。
 
「官邸は、今に至るも情報の集約と分析がまったくできていない。正しい判断ができないのは当然でしょう。本来であれば、各省庁から情報を吸い上げるべき官邸の危機管理センターが機能不全を起こしている。センターに派遣されているのが各省庁のエース級ならグリップも効くが、実際はそうではない。センターが笛吹けど、各省庁は踊らず、です」(官邸キャップ) その一方で官邸の内外には、原発関連だけでも、原子力災害対策本部、政府・東電の統合対策本部、原子力災害現地対策本部、原子力経済被害対応本部、原子力被災者生活支援チーム、
 と組織が乱立している。海江田万里経産相に至っては、そのほとんどに本部長診曝しくは副本部長として、名を連ねる一方、現地対策本部長はこの間、六回も変わっている。

自身も官邸で原発対応にあたっている、民主党の長島昭久衆院議員はこう語る。
 
「危機管理センターがしっかりしていれば、こんなに対策本部は要らない。センターにぽ何百人もスタッフがいて、毎日寝ずに動いてますが、機能してません」 
信じられない話もある。
 
「福島原発の建設作業員の線量計と防護服のセットが足りなくて、人が集まらない。どうにかならないか」長島氏に国交省からそんな電話が入ったという。

「本来なら危機管理センターに電話一本すれば済む話が、なぜ僕のところに来るのか。実際には先日、フランスから二万セット届いて、防護服は足りてるんです。にもかかわらず1ヵ月経っても、まだそんなことが起こっているんです」
 
対策本部を乱立させ、対策大臣を量産した結果、菅政権は制御不能に陥りつつある。

…以下略。

彼らが統一地方選後にレベル7であると発表した真相は、芥川の推測通りだったようだ。

2011年04月23日 22時48分25秒 | 日記
総力特集「官邸迷走40日」の全行状。…4月28日号、週刊文春から。

…前略。

さらに四月十二日、保安院が福島原発事故に対する国際原子力事象評価尺度(INES)の暫定評価をチェルノブイリ事故と同じ最悪の「レベル7」に引き上げたことも、国際社会の不信を招いた。事故から一ヵ月後の引き上げに、海外メディアは「日本政府は隠していた」と批判したが、驚くべきことに日本の政府内で、それを暗に認めるかのような発言が相次ぐ。
 
事故発生以来、連日の記者会見を通じて「人体への影響はない」と言い続けてきた枝野幸男官房長官は、引き上げを発表した後、周囲にこう語っている。
 
「表では言えないけど、かなり早い段階から、たぶんレベル7くらいの事故だよな、とは言ってた。原発も多少落ち着いて、発表の時期としては悪くないタイミングだったんじゃないか」最近では、「官邸のゴールキーパー」を自認しているという枝野氏だが、この発言は〝オウンゴール″ではあるまいか。
 
また原発処理担当の細野豪志首相補佐官も、オフレコでこう語っている。
 
「三月十五日ごろが(放射線量は)一番高くて、その時点で既にレベル7相当なんだよ。別に隠していたわけじゃないけど、レベル5でも7でも対策は変わらない。単なる評価だからね」

*彼らが統一地方選後にレベル7であると発表した真相は、芥川の推測通りだった訳です。…該当の章をご参照ください。


だが「単なる評価」では済まされない話がある。
 
「官邸は、『そこまで深刻な事態ではない』として、事故現場で働く作業員たちの。造血幹細胞の採取を敢えて行なっていませんでした」(防衛省関係者)
 
造血幹細胞とは血液中の白血球などをつくる細胞である。仮に大量被曝による白血病で造血機能を失っても、事前に採取して保存していた造血幹細胞を体内に戻すことで、機能を回復できるという。
 
「三月二十八日に、自民党の逢沢一郎国対委員長の紹介で、虎の門病院血液内科の谷口修一医師が官邸を訪れています。谷口医師は、原発作業員の造血幹細胞採取を主張しましたが、結局、『まだそんな段階にはないんですよ』と受け入れられなかった経緯がある」(同前)「レベル7」という最悪の事態が進行しつつあることを秘かに認識しながら、官邸は現場の作業員を〝見殺し″にしたのである。

芥川は、川村昌代さんにエールを送る。

2011年04月23日 22時08分29秒 | 日記
今日、芥川の読者の方にお伝えしていた号外を書くつもりでしたが、今週号の週刊文春と新潮を読んで居たら、何と言うか、気が抜ける…以前にご紹介した週刊朝日、気鋭の女性記者、「カームラが行く」、の川村昌代さんは、まさに、当然と芥川は思うのだが、衆議院選挙愛知6区の補選に、意を決して出馬した訳ですが(芥川は、彼女に圧勝して欲しいと思っている)、彼女が気合いの入った取材を為した後に、現政権の出鱈目さ、官僚に丸投げの仕事ぶり等に対して、書いていた言葉(芥川のお気に入り)…「カームラの腰も抜ける」

今夜の芥川は、まさに、その様な状態なので、書く予定だった号外は、後日に延期します。悪しからず。

その代わりと言ってはなんですが、芥川の腰も抜けた、彼等の行状の数々を、抜粋しますから、お読みください。

標題は、これからの時代は、世界的にですが…日本は特に、「甘えの構造」の中で生きて来た様な、男の政治家の無様さは、もう良いんじゃないかと思う気持ちがあるのと、週刊朝日誌上で、あれだけ、新聞やテレビが、全くと言って報道しない=国民に伝えない、教えてくれなかった実態を、とことん取材検証してきた、ベテラン記者でもある、川村昌代さんが、当選どころか圧勝を果たして、現内閣に対して、激しくNOを突き付けて欲しいと祈る芥川の気持ちです。

信長、秀吉、家康の三英傑を生んだ、尾張のDNAが、市議会議員=地方公務員の給料が高過ぎることの、おかしさを指摘した、河村たかしを生み、先般の、県と市双方における圧勝を為し遂げ、川村昌代に立候補を決意させたのだと芥川は思う。

大阪では橋下徹が頑張っているが…大阪は秀吉(は特に)にも、家康にもゆかりの街でもある…日本は400年前も、今も、尾張から流れが生まれるのではないか。

「雨の島、カウアイ島」、あ、忘れてた、とNHKBSプレミアムを観た。

2011年04月23日 21時24分29秒 | 日記
断崖絶壁の、わずかな場所に、ヘリコプターで二人の人間が降りた。ヘリは天候が崩れない内にと直ぐに離れた。
こんな所で何をするのかと、見ていれば、絶滅危惧種の植物は、断崖絶壁の様な所に在るのだと。

ロープで断崖絶壁に足をかけて、植物を探す。これまでに見つけた、或いは、救いだした品種は100種類超だと、救いだした植物を育てているプラントハウスで言う。二人の内の一人の女性は言う。絶滅危惧種を探し育てるのが「使命」なのだと。

アメリカ人は強いなぁ、タフだなぁ、と思って見ていたら、キリン0.00とプレミアムを間違って飲んで、「何で、0.00で酔うんだ?」などと言っていたせいか、ウトウト眠ってしまった。

目を覚ましたら、北島三郎を取り上げたNHKならではの特集だった。仲代達矢が語り、作詞の分析も見事、王貞治が語り、今は、ずっと大ファンだという徳光が語る。…北島三郎は好き嫌いは関係なくプロだね。変な話だが、今週、週刊文春が取り上げている人たちに無い物は、言わば、これだな、等と思った。

空疎な政治家たちは空疎なお笑いタレントとなにもかわるところがない。それ以下だ。…辺見庸。

2011年04月23日 19時29分34秒 | 日記
総力特集「官邸迷走40日」の全行状。独占スクープ…4月28日号、週刊文春、続き。

十四日、水素爆発の悪夢が現実となる。菅首相は夜が明けるのももどかしいとばかりに、翌十五日の朝五時半に東京電力本店に乗り込み、マイク片手に顔を紅潮させて、こう叫んだ。「こんなにいっぱい人がいるところじゃ、物事はなにも決まらないぞ! いったい何をやってるんだ!」
 
オペレーションルームに集まった東電の勝俣恒久会長や清水正孝社長以下、二百人を超える社員たちは、その剣幕にポカンとするばかりだった*芥川は、この部分を読んだ時には、もう笑うしかなかった*というが、皮肉なことに菅首相の言葉は、その後の首相官邸の混乱ぶりを予言していた。途中、徹夜の疲れから、別室で居眠りする場面もあり、菅首相が官邸に戻ったのは三時間半後のことだった。
 
この日の午後、田中真紀子氏、松木謙公氏、沓掛哲男氏など地元に原発を抱える民主党議員たちが、官邸に押しかけた。
「本当に二十キロ退避でいいんですか? 最初は五十キロなどに設定して、事態が安定したら、狭めていくべきではないか」
田中氏が問い詰めると、菅首相は「そんなことはわかっている! しかし五十キロだ、百キロだという話になると国の根幹が揺らぐんだ」と声を荒げた。さらに田中氏が「今、アメリカ人なんかは東京からどんどん逃げているんですよ!」と迫ると、ヤケクソ気味に、こう言い放った。「アメリカ人なんか、日本にI人もいなくなるでしょうな。場合によっては、列島から日本人が出て行かなきゃならなくなるかもしれない。そうならないように努力するということだ」
 
さらに菅首相はこうつけ加えたという。「チェルノブイリ以上になる可能性だってある」結果的に菅首相の〝見立て″は、正しかったわけだ。
が、その後の官邸の対応を振り返ると、「チェルノブイリ以上」の事態に見合ったものだとは、到底言い難い。
 
「象徴的なのは初期段階で米国の支援を断ったことです」(日米外交筋)
 
既に報じられている通り、菅首相は、米国政府からの冷却材の散布など支援の申し出を断っている。
 
「米軍が働くのを日本人は黙ってテレビで見ておけというのか。日本のことは、まずは自衛隊に頼む。それが国家というものだ」
 
菅首相は、断った理由を周囲にそう語っているというが、実はこのとき、米国側は重要な“忠告”を行なっている。
 
「原子炉を冷却するために『海水を使うべきではない』と指摘したんです。漏れたプルトニウムが、海水に含まれる天然の放射性物質と化学反応を起こして、放射線濃度がさらに高まる恐れがあった。それが今まさに問題となっている『汚染水』です」(前出・外交筋)
 
一方で、官邸には事故発生から間もなく、汚染水を出さずに原子炉を冷却する方法も、進言されていた。
 
「佐賀大学の元学長で五号機の復水器を設計した上原春男氏は、津波で故障した冷却装置の復旧は当分見込めないとして、外付けの熱交換機による原子炉冷却を
提案していました。この方法なら汚染水も出ないし、上原氏はそのための機器を確保して、菅首相に電話で説明したそうです」(別の官邸関係者)
 ところがー。「今仰った装置は、どこにどう取り付けるんですか」「取り付けるとして、どこに穴を開けるんですか?」菅首相は、その電話で上原氏に次から次へと疑問を投げかけたのだという。
 
「菅首相は『きちっとしたことがわからないと判断できない』と言い訳していたようですが、この切迫した状況下、総理は大局的な判断をすることが大事で、技術的な細かい点は、専門家に任せればいい。一体、何をやってるんだ、と周囲も首を傾げていました」(同前)
 
だが結局、この案は判断されないまま放置されてしまう。そして四月四日、菅首相は、低濃度汚染水の海への放出を決断する。

「外務省では十六時から定例の外国大使館向けブリーフィングで『準備が整い次第放出』と説明しましたが、実際には十九時すぎには放出されていた。ブリーフに出席してなかった韓国やロシアに対する事前通告もなかった。韓国が『日本は無能』と罵倒するのも当然、という失態です」(同前)

…以下略。

総力特集「官邸迷走40日」の全行状。独占スクープ…4月28日号、週刊文春、次の章は。

2011年04月23日 17時56分18秒 | 日記
「菅(直人)総理は相変わらず、官僚を怒鳴りまくってます。最近では、『レクをしてくれ』と言って呼んだのに説明を聞いているうちに、『そうじゃない』と自分が喋り始め、『オマエは現場を見たのか? オレは見たぞ!』と絶叫する。終いには『もういい!』と言って、部屋から追い出してしまう」(官邸スタッフ) そうかと思えば、こんな話もある。
 
「先日、一年生議員が数人、菅首相のもとを訪れて、その中のある年配議員が、『被災地支援をしっかりやって下さい。できないならお辞めください!』と激しく責め立てると、総理は俯いたまま、一言も返せなかった。その目は涙ぐんでいたそうです」(民主党関係者) 

ヒステリーと涙目の菅首相は〝制御不能″に陥ってしまったのか。その一方で阪神・淡路大震災の際には、発生後四十日間で復興のための法律が十六本も成立したが、菅政権では、未だ一本も通っていない。未曾有の大災害は、ここにきて未曾有の〝大人災″へと変質しつつあるー

…中略。

後に自ら「僕は原子力にものすごく詳しい」と語るだけあって前のめりになっている様が窺えるが、翌十三日に菅首相と面会した社民党の阿部知子衆院議員は、こう振り返る。
 
「当時は一号機・二号機が注目されていましたが、私たちは三号機がプルサーマル燃料を使用していることを危惧していました。けれど総理はそのこと自体、ご存知なかったようで、慌てて東電の担当者を呼びつけて確認してました。確かに水素爆発のメカニズムなどはよくご存知でしたが、それを知っていても防げなければ意味はないですよね」 

この日、菅首相のもとに、民主党議員から一本の電話が入る。
 
「三号機には、使用済み核燃料棒もあるそうです。最悪の場合、二十キロ退避ではすまなくなります」
 
これを聞かされた菅首相は、絶句する。
 
「東電は何でそんな大事な情報をあげてこないんだ!(燃料棒の本数が)十二日に現地で聞いた数と全然違うじゃないか。それが事実なら、俺の計算では百キロ退避になるぞ!」

…以下略。

東電社員を叱った後居眠り の中見出しを挟んで書かれている事ごとの全ても、「呆れかえる」とは、この事の様なオンパレード。

これも4ページに渡る、週刊文春、渾身の記事です。

こういう人物を、首相に仕立て上げた、このような内閣を作り上げた論説員達や、それに誘導されて世論形成を為した人達の罪は、もはや贖(あがな)いようがないほどだと芥川は思う。

総力特集「官邸迷走40日」の全行状。独占スクープ…4月28日号、週刊文春から。

2011年04月23日 16時49分54秒 | 日記
今週号の週刊文春を読んでみれば、一体、何ちゅう話や、と、「呆れかえる」とは、この事。大幅な抜粋ですので悪しからず。全文は、購入して読んで下さい。

「オレの選挙区に50台タンクローリーを出せ!」玄葉国家戦略担当相 復興を裏切る 大スキャンダル の大見出しで4ページに渡る大特集記事が冒頭に。

突出して多い田村市の配給先  

もちろん玄葉光一郎氏のことだ。田村市が地元選挙区の衆議院議員である。しかし、玄葉氏は、ただの議員ではない。現在、菅直人政権の閣僚で、国家戦略担当大臣。 肩書はほかにもある。政府と党の重要ポストを兼務。宇宙開発担当大臣、内閣府特命担当大臣(新しい公共担当、科学技術政策担当)。また、民主党の心臓部である政策調査会(政調会)の会長でもある。政府と党の重要ポストに就く玄葉氏は、将来の民主党代表候補であり、文字通りの民主党のエースだ。まさしく菅直人政権の中心人物であり、菅首相の右腕。さらに言うなら、日本国家の行く末を決める最高責任者の1人である。
 
経歴も華やかだ。上智大学卒業後に、政治家養成機関、松下政経塾に入塾。同期には前原誠司元外相もいる。妻の父が福島県知事を務めた。
その甘いマスクから、テレビにも度々登場。歯に衣着せぬ大胆な物言いとあわせ、一般からの人気は高い。
 
しかし、さきのM氏の話は聞き捨てならない。

三十キロ圏内に含まれるのは、田村市だけではないからだ。南相馬市に始まり、飯舘村、葛尾村、浪江町、双葉町、川内村、広野町、そして、いわき市もその中に含まれる。

もし玄葉大臣が、政府最高幹部という権力を使い、選挙区だけにガソリンを供給したのなら重大問題だ。同じ田村市で、スタンドを経営するK氏は、経済産業省の外局である「資源エネルギー庁(エネ庁)」という役所の名前を口にした。 「エネ庁から、『緊急支援』でタンクローリー(ローリー)を送り込むとの話があったんです。それを受け、うちの石油組合の幹部で、同じスタンド経営者のS氏が、ガソリン受け取りの窓口となりました」
 エネ庁とは、石油、電力、ガスなどのエネルギーの安定供給を監督する国の機関。業者に対して許認可権限を持つ。ゆえに、業者に対する指示は絶対命令なのだ。
ところで、K氏のガソリン販売で、絶望していた田村市民の喜びはひとしおだったという。

しかし、ちょっと侍って頂きたい。

救援物資の供給先は公平でなくてはならないからだ。にもかかわらず、地元選挙区だからという理由で、個別な支援を、管轄外の国の機関にもし指示したとすれば、公平さを破壊する重大問題である。広大な三十キロ圏内でガソリンを待ち望み苦しむ人々への、許されざる背信行為と糾弾されるべき問題だ。

〈手配するローリーは五十台予定。スタンドは田村市十一店、いわき市七店、南相馬市二店〉
 さらに同文書には、具体的なスタンドの名前と住所まで書かれている。
 例えば田村市では、〈(株)A社・田村市××。(株)B社・田村市××〉…繰り返すが、三十キロ圏内には、いわき市、飯舘村、葛尾村、浪江町、双葉町、川内村と広野町がある。それより何より、エネ庁のリストに書かれた配給先のスタンドの数は、見ての通り、田村市が突出している。
 
いったいなぜか?

いわき市の人口は、田村市の八倍であり、相馬市とはほぼ同じだ。三十キロ圏内の屋内退避指示がなされた全域の人口は、約十三万人。田村市の約三十三倍である。逃げるに逃げられず、ガソリンを待っていた人々は膨大にいた。この“差”についての合理的な説明はまったくつかない。
 
ちなみに、リストのA社は、前出のM氏の経営する会社であり、B社の社長はやはり前出のK氏である。さらに言えば、K氏は、玄葉大臣の、地元、田村市の高校時代の同級生である。
 
そしてエネ庁の資源・燃料部政策課は、小誌の取材にはっきりとこう証言した。
「緊急供給する前日の十五日の夜、玄葉先生がわが庁(エネ庁)の上の方に電話を入れ、『田村市、いわき市、南相馬市にガソリンを配給してくれ』と要請をなさいました」エネ庁の上層部は当然わかったはずだ。中に含まれる田村市が玄葉大臣の地元であることを。
 
それは官僚にとって、“オレの選挙区に入れろ”と言われたも同然だったはずだ。
 
しかも疑惑はさらに膨らむ。田村市だけにすれば余りにも露骨と考え、いわき市と南相馬市を敢えて加えたのではないかー。

実は、問題はこれにとどまらない。

経産省幹部によれば、玄葉大臣は、十五日の直後、二回目の“個別支援”を工ネ庁に要請。さすがに同庁は、責任問題となることを嫌がり、自衛隊に代行してもらうための働きかけを自衛隊関係者へ行った。
 
ところが、それを聞いた北沢俊美防衛大臣が政府対策本部の席上、玄葉氏を罵倒した。「何、勝手なことやってんだ!」
 
玄葉大臣のふるまいはもはや常軌を逸している。
 
これでは、選挙区を優先、優遇するため所管外の役所にねじ込んだと批判されても仕方がないではないか。いや、権力の濫用だ、と国民が声を上げる可能性も高い。

さらに、玄葉氏によるこの奇怪な〝個別支援″のために動員されたローリーは、その後、〝風評被害" を受け、他で使えなくなった。エネ庁はこれら三十三台のローリーを買い上げている。ローリー一台が約二千数百万円だから、その予算は莫大なものになる。政府は果たしてこの巨額の支出を認めるのか?
 
玄葉氏からエネ庁上層部への電話指示、田村市のスタンド組合の幹部に、深夜にかかってきたエネ庁の不可思議な電話。バタバタとなされた緊急配布。それも一部の地域で、玄葉氏の選挙区へは重点配給ー。職権乱用があったと理解する方が自然だ。
 
かつて民主党幹部たちがスキャンダルで辞任した時、それらはミスや部下の責任を負ったものが多い。しかし今回の疑惑は、政治家としてのみならず、人間の根幹にかかわる重要問題だ。菅首相には今、重大な決断が求められている。


*テレビで政治家を選んだら、どんな事になるのか、と言う事の見本の様な、週刊文春、渾身の特集記事…長文を、大幅抜粋していますのはご容赦下さい。

メルマガ、「文明のターンテーブル」、第二章、号外15:30分で発行しました。

2011年04月23日 14時58分56秒 | 日記
芥川は、今日は、珍しく、家でのんびりした休日を過ごしている。
アメーバで「読みましたよ」とペタを付けて頂いた方たちの、ブログを読みながら、大笑いしたり、感心したりした御礼を書きながら。

今日は、前章に続く、号外を書きあげ、発行する予定なのですが、その前に、昨日、思っていた事…これは、どうしてもやらねばいけないな、と考えていた事を、先程、実行しました。

それをメルマガ15:30分発行の号外として出しましたので、どうぞ、ご購読下さい。

「復興財源」について、嘘と馬鹿はもう止めよう。

2011年04月23日 08時36分08秒 | 日記
と、題した、芥川にしか書けない論文を書き上げ、9:00分発行のメルマガ「重要な号外」として出しました。ぜひ、ご購読下さい。…これぞ全国民必読の書。…後はもう、何も読まなくても良いと言っても過言ではない。

この論文は、「文明のターンテーブル」、第一章を完結させるものでもあり、第二章の、「21世紀の戦争と平和」、の重要なテーマの、一つを完成させたともいえる。

読めば、この20年の事も、一瞬にして分かるでしょう。

今、増税は止む無しと思い込まされている方、や、…自らも訳が分からず、そう信じて世論形成をしている人たち、彼らの頭は、「なぜ経済予測は間違えるのか?デイヴィッド・オレル著。 4/17日経新聞読書欄から」で紹介した「市場は公平で均衡している」等の神話で一杯で、こんな簡単な事実も見えない、分からない…層から言えば、芥川の同級生や、先輩、後輩にあたる…日本の中枢に居る人たちにこそ、読んで頂きたい。

標なき終わりへの未来論…辺見庸。続き。 朝日ジャーナル「知の逆襲」第2弾から。

2011年04月23日 06時23分29秒 | 日記
黒字化は芥川。

インターネットはそのアイデイアを無意識に受けつぎ発展させた、おそらく二十一世紀のパノプティコンである。
無数の監視カメラ、スパイ衛星、テレビ、携帯電話もパノプティコンだ。そこでは、看守と囚人の境界がない。わたしたちはこもごも看守となり、囚人となる。

わたしたちはパノプティコンの住人である。わたしたちはある日はその囚人であり、またある日はその看守である。

二十一世紀のパノプティコンはほとんど万能である。万能と信じこまされている。わたしたちは世界のなんでも見ることができる。
フランスのネコが水洗トイレの便座にまたがって大便をする映像から、リビアで蜂起したひとびとが機銃掃射でうち殺されるシーンまで。
なんでも、即座に、くりかえし。


わたしたちはながめながら、ながめられている。他を監視しながら、他に監視されている。なんでも見える。なんでも見られる。

けれども、見えないものがいくつもある。パノプティコンからはひとの内心のふかみが見えない。万視塔からは未来のものすごさが見えない。未来の徴が見えない。終わりの徴が見えない。

パノプティコンが見るものは現在の諸現象だけである。それら諸現象がよってきたる本質は、「ない」とされる。

パノプティコンでは、理不尽な制度への抵抗と批判と疑問の精神が、その全基盤ごと、ねこそぎ、合理的に、民主的に、円滑に、じょじょに、楽しく、無意識に、うばいさられる。パノプティコンの現在は、そのまま百パーセント、未来へとつづくだろう。

パノプテイコンのすばらしさは、看守がじっさいに監視しているかどうかにかかわりなく、じぶんが常時見られているという囚われの感覚と意識を囚人に自然に感じさせ、内面化させていくことであった。

われわれのいまがそうではないか。わたしたちは結果、命令や強制によらずに、自動的にニコリとわらい、いまある権威と権力とつまらぬ上司たちに摩擦なく服従するようになってしまった。

パノプティコンは監獄だけではない。会社や学校でも、FAやOAをとおし、労働効率や忠誠度をたちどころに集約する人間管理システムすなわち電子パノプティコンがつとに実現した。

ベンサムの万視塔はたてられることはなかったけれども、一見正気にみえて、そのじつ、たわみ狂った思想はいまに根づいており、モモちゃんが成長する未来には、さらに発展、洗練されているはずだ。ベンサムはもっとも効率的な監獄を構想しつつ、一方で 「最大多数の最大幸福」の実現を夢みた。ひととその配置、関係性を機能的にかんがえた。

日本ではいま、とても空疎な政治家により「最小不幸社会」とやらがもっともらしく言われる。笑止。
 
「美しい国」どうように、どのみち言われなくなるだろうけれども、最小とはいったいどのくらいか。最大とはどれくらいか。直腸熱三十九度で亡くなった老人Aは「最小不幸」の範囲内だからOKだとでもいうのか。ばかな!

とても空疎な政治家は、最大幸福であれ最小不幸であれ、ベンサムほどには大まじめにかんがえてやしない。かれの言説の理由はただただ、おのが権力の保持だけである。空疎な政治家たちは空疎なお笑いタレントとなにもかわるところがない。それ以下だ。

国会はすでに三分間と見るにたえない下等きわまる見世物である。

それよりも老人Aのことを、われらの未来のために、モモちゃんたちのために、かんがえるべきなのだ。老人Aが亡くなったときにも、空にはたくさんのスパイ衛星が飛んでいた。地ではおびただしい監視カメラが作動していたのだった。それらは老人Aのあまりにもさびしい死を見ていたはずだ。だが、パノプティコンは、老人Aの惨憺たる死を、惨憺たる未来への識として感じとることができなかったのだ。

囚人にして看守であるわたしたちも、ひととして感じるべきことを感じなくなるように日々、民主的に合理的に円滑に矯正されている。


*芥川の Gifted は、辺見庸という詩人の頭脳に、直接であれ、間接であれ、届いていたのだと芥川は確信している。(呵々大笑)
嘘だと思う者は、芥川の、「文明のターンテーブル」、を再読するべし。芥川と辺見庸が宮城県出身であるということも、あながち偶然ではない。

伊達正宗の心意気、宮沢賢治の魂、或いは「学都・仙台」の気風が、両者に宿っていることに間違いはないし、芥川が、これから書きあげ、メルマガとして発行する、…「復興財源についての論」を読めば、誰でも、無条件に、納得するだろう。

現代ジャーナリズムに欠けるもの…梅原猛、高橋和巳との対話から。

2011年04月23日 00時52分29秒 | 日記
梅原 僕なんかロマンチックな幻想を持っているかも知れんけれども、やはりジャーナリズムの批判にもなるけれども、あまりにも今日の問題を文学なんかでも考え過ぎている。

やはり日本文学というものが、深く内面へ潜ることによって、僕は永遠の問題、少くとも非常に長い時則の問題が出てくると思う。

内面へ潜ることを忘れていると同時に、人間において普遍的な問題というものを考えることを忘れている。

時間の考え方が、きょうの、あすの時間ですね。だから十年後の日本をどうするかという問題、あるいは百年後の日本をどうするか、また百年後の世界はどうなるか、そういう巨大な問題を作品の中で考えてゆく。漱石なんか、そういうことを考えていた人ですわ。日本文学はそういうものを失っている。哲学もですけれども、同じように文学も、そういうことも考える。

毎月の文壇を見ても、女を抱いて寝たというようなことばかり書いてある。論壇を見たらベトナムはどうかという問題ばかりだ。

ベトナムはどうかでも、僕はいいと思いますけれども、ベトナムの問題を考えるときも、人間の生と死とか、人間永久の問題、あるいは人間の文化、人間の思想というものが、戦争に対して、どういう考え方でやってきたか、あるいは自分の生と死はどうかという問題とどう関係するかを考えて見なければならんと思います。

そうでなくて、一面において自分の内部へ潜らない、同時に他面において、あまりにきょうと、あすという問題に限るという発言が、現代のジャーナリズムに多過ぎるような気がするね。

人間とは何か 「未来への対話」梅原猛、との対話、から抜粋。 高橋和己。

2011年04月23日 00時14分46秒 | 日記
高橋和己                                 黒字化は芥川。

それと少し焦点がずれるかも知れませんけれども、今世紀まできて人類が科学技術の時代に入ったと同時に、人間が人間を、自分を律してゆく律し方として、いままで築いてきた法律および政治による統治や秩序の作り方が爆発寸前まできているという感じがする。

政治的に人間が人間を律してゆくより仕方がないという態度の根底にあるものは、要するに性悪説だと思うのです。人間というものは放っておけば放っておくほど悪いことをする存在だという認識。

それから人間を利益追求的存在と見る頑固な見方、あるいはそれに慣らされてしまって、存在自体がそうなってしまっている、そういう人間のあり方が、世界をこういうふうにさしていると思うのです。

そういう政治万能にまでなってしまった人間が、本当に性悪的存在なのかどうか、あるいはそれを変えることができるかどうかということと、それから利益でしか人間は相互に協力しない存在なのかどうか、そういうことをいま人類は人類全体に対して問うべきです。

残念ながらここ当分人間は、自己とその属する集団の利益を追求する経済的存在として、バタバタするでしょうし、世界史はやはり国家利益同士の格闘の歴史としてここ当分は続いてゆくでしょう。

しかし、より大きな目で人間は何であるかということを、もう一度、それこそ東洋の知恵を動員して、本当に利益の共通性がなければ人は肩を組まないのか、あるいは宗教、がややそれをやろうとしたように、人間というものは利益よりもお互いに約束し合った、その誓約の方を大事にする存在なのか、あるいは愛の原理の方が、本当にヨリ高い原理なのか、そういうことを小さな実験室で、ということは各自の内面で試験してみる必要があると思います。

…以下略。