高橋和己 黒字化は芥川。
それと少し焦点がずれるかも知れませんけれども、今世紀まできて人類が科学技術の時代に入ったと同時に、人間が人間を、自分を律してゆく律し方として、いままで築いてきた法律および政治による統治や秩序の作り方が爆発寸前まできているという感じがする。
政治的に人間が人間を律してゆくより仕方がないという態度の根底にあるものは、要するに性悪説だと思うのです。人間というものは放っておけば放っておくほど悪いことをする存在だという認識。
それから人間を利益追求的存在と見る頑固な見方、あるいはそれに慣らされてしまって、存在自体がそうなってしまっている、そういう人間のあり方が、世界をこういうふうにさしていると思うのです。
そういう政治万能にまでなってしまった人間が、本当に性悪的存在なのかどうか、あるいはそれを変えることができるかどうかということと、それから利益でしか人間は相互に協力しない存在なのかどうか、そういうことをいま人類は人類全体に対して問うべきです。
残念ながらここ当分人間は、自己とその属する集団の利益を追求する経済的存在として、バタバタするでしょうし、世界史はやはり国家利益同士の格闘の歴史としてここ当分は続いてゆくでしょう。
しかし、より大きな目で人間は何であるかということを、もう一度、それこそ東洋の知恵を動員して、本当に利益の共通性がなければ人は肩を組まないのか、あるいは宗教、がややそれをやろうとしたように、人間というものは利益よりもお互いに約束し合った、その誓約の方を大事にする存在なのか、あるいは愛の原理の方が、本当にヨリ高い原理なのか、そういうことを小さな実験室で、ということは各自の内面で試験してみる必要があると思います。
…以下略。
それと少し焦点がずれるかも知れませんけれども、今世紀まできて人類が科学技術の時代に入ったと同時に、人間が人間を、自分を律してゆく律し方として、いままで築いてきた法律および政治による統治や秩序の作り方が爆発寸前まできているという感じがする。
政治的に人間が人間を律してゆくより仕方がないという態度の根底にあるものは、要するに性悪説だと思うのです。人間というものは放っておけば放っておくほど悪いことをする存在だという認識。
それから人間を利益追求的存在と見る頑固な見方、あるいはそれに慣らされてしまって、存在自体がそうなってしまっている、そういう人間のあり方が、世界をこういうふうにさしていると思うのです。
そういう政治万能にまでなってしまった人間が、本当に性悪的存在なのかどうか、あるいはそれを変えることができるかどうかということと、それから利益でしか人間は相互に協力しない存在なのかどうか、そういうことをいま人類は人類全体に対して問うべきです。
残念ながらここ当分人間は、自己とその属する集団の利益を追求する経済的存在として、バタバタするでしょうし、世界史はやはり国家利益同士の格闘の歴史としてここ当分は続いてゆくでしょう。
しかし、より大きな目で人間は何であるかということを、もう一度、それこそ東洋の知恵を動員して、本当に利益の共通性がなければ人は肩を組まないのか、あるいは宗教、がややそれをやろうとしたように、人間というものは利益よりもお互いに約束し合った、その誓約の方を大事にする存在なのか、あるいは愛の原理の方が、本当にヨリ高い原理なのか、そういうことを小さな実験室で、ということは各自の内面で試験してみる必要があると思います。
…以下略。