帰省は3泊4日。
初日は昼過ぎに札幌に到着し、実家で軽く食事。それから家族でお寺へ行き、お経をあげてもらう。
そのまま車で小樽にある祖母の家へ行き、祖父の仏壇に線香をあげる。
さらには叔母の家にも行ってくる。
夜にはすすきの周辺まで車で送ってもらい、20時から昔からの友人と待ち合わせて4人でビール園へ行く。キリンビール園。
アーバン札幌ビル7Fにある新館の方で、スタイリッシュなビール園で驚く。壁一面のスクリーンで野球が流され、個室なども多い。
そこで(もちろん)キリンビールを飲んで、ジンギスカンを食べる。この夏はじめてのビール園で、しかも久しぶりのジンギスカン。
懐かしい話に花を咲かせながら、食べ放題の肉をかなりおかわりする。
店を出てから、2次会は大通り近辺で働いている友人がときどき行くというジャズバーへ。小さな店で、壁一面がレコードに覆われている。
100万円以上するのだという歴史のありそうなスピーカーからは大音量のジャズが流れていて、ときどき話し声が聞こえづらいほど。
0時少し前にお開きになり、1人と地下鉄に乗る。ほぼ終電に近い大通りのホームは、たくさんの人で混雑している。
今度は1月に会おうという約束をする。
1月は母の一周忌なので、再び地元に帰省するのだ。
地下鉄の終点からタクシーに乗って、家の前で降りる。
実家にもう母がいないことに現実味がないような気がする。それはもちろん普段別の場所で暮らしているからなのだとも思う。
もし近くで暮らしていたら、不在感は日々より強く実感されるはずだ。父や妹がおそらくそうであるように。
これが現実じゃないとは思わないけれど、それでも事実を認識するためには自分の中の何かのチャンネルを合わせなければならないような気がしている。
あるいな何かのボタンをゆっくりと押さなければならないような。
そして、そういうちょっとしたアクションが、ショックのようなものに対する麻酔のようなものであるような気もしている。
ある程度以上の時間が経たないと、麻酔のようなものを必要ないとは言い切れないように思う。
かつての自分の部屋(学生の頃使っていたパイプベッドが置かれていることくらいしか痕跡がない部屋)で眠る。実家に残している本を手にとってぱらぱらとめくる。
ビールのせいか、部屋の電気をつけたまま、いつの間にか眠ってしまう。
2日目は朝起きてから、バッグに入れてきたジャージとTシャツに着替える。
父や同じく実家に帰省してしていた妹が驚く。ジョギングはそれなりに前からしていたけれど、帰省中に走ることはいままでなかった。
ただ、今回はちょっとした計画があってジャージを持ってきたのだ。
計画は、手稲山を少しだけ走ってみるというものだ。
会社の他部署の人に山道を走る市民駅伝のようなものに誘われていて、それに出ることにしていた。それなので、その練習という思いがあった。いま住んでいる場所はほぼ平地でフラットなコースなので、斜面を走って感覚を持っておきたかったのだ。参加するのはひとり5kmほどの距離を走るものなのだけれど、山道ということであればやはり普段とは全然勝手が違うと思ったのだ。また、高校時代に友人に誘われて同じ坂道を数ヶ月走っていたということもある。同じコースを十数年ぶりに走るのは新鮮かと思ったのだ。
家から国道5号線に出て、それから手稲山への上り口を目指す。そこから斜面を駆けはじめる。
想像以上に負荷がかかる。前日飲んでいた翌朝ということもあるのかもしれないけれど、普段よりも大分ペースが落ちる感覚がある。
山道はカーブが続き、ほぼ上りに時折下りが混じるアップダウンだ。この感じだと、本番のときには結構ハードに感じるだろうなと思う。
高校時代のジョギングでは、千尺という昔のスキー場の入口までいって折り返していた。一番街側に近いコースで、小さなリフトが伸びていた。頭の中で、かつてのその光景を思い出そうとしながら、ほとんどはじめて走るに等しく感じられる山道を走る。山菜採りをしているおじいさんを横目に走る。
しばらく進むと、ほとんど唐突にかつて千尺の入口だった場所が現れた。唖然としてしまう。
そのコースがすでになくなってしまっていたのだ。
草木が周囲を覆い、小さなリフトはなくなっていた。半分以上錆びたような看板だけが当時そこがスキーのコースだったことを告げていて、コンクリートの台座のようなものだけがわずかに剥き出しになって残っている。
iPod nanoのタイムを計る機能を一時停止にして、荒い呼吸のまましばらくその周辺を歩く。時の流れをずしりと感じる。別にショックなわけではないのだけれど、随分と時間が経ったのだということが理解される。もう一度昔のことを思い出そうとしてみる。高校時代には、いつも夜に走っていた。校内の10kmほどのマラソン大会の準備のために、トレーニングをしたいという友人に誘われて、とりあえず面白そうだなと思って付き添って走っていたのだ。いまではあの頃の倍以上の年齢になっている。同じであるはずがないよなと納得する。
前日の友人との飲み会のときだって、中学生のときに同じ塾に通っていた友人たちだったのだけれど、当時からもうすぐ20年くらいになるのだという話をしていたばかりだった。
いろいろと考えさせられるなーと、穏やかな朝の日差しの中でしみじみと暢気に思う。何だかんだ言って、日々は楽しく過ごしているし、これが最良かどうかは別にして、自分で選んできた時間だ。それなりにいろいろなことがあって、それなりに時間が過ぎている。普段はそういったことを考えないけれど、こういったときには唐突に何かを目の当たりにさせられた気になる。
そして、またふと思いつくことがあって、そこから山道を下りはじめる。再び5号線を超えてさらに下り、JRの線路が走っている高架もくぐり抜ける。
稲積公園を走ってみようと思ったのだ。子供の頃に何度も訪れた場所で、そこにある手稲プールだって何度だって行った。大きな公園で、子供心にはとても広大に思えたものだ。それをいま走ったらどれくらいなのだろう? と思い返すついでに連想してしまったのだ。
懐かしい稲積公園の入口まで走り、ジョギングやサイクリングなどができそうな舗装された外周を走り出す。野球場に、テニスコート、遊具、それからプール。いろいろな施設が一堂に会している公園で、いまでも実際に広い。ただ、それほど広いと思っていた公園も、1周は2kmに満たなかった。もちろん、2km弱でも十分に広大だけれど、子供の目に映っていたサイズといま感じるサイズとでは当然のことながら違うのだなというようなことを思っていた。
稲積公園を3周してから、家に戻った。
お盆時期の午前中の大きな公園。公園の一角にある小さな山(冬になると子供たちがミニスキーで滑る)も薄い黄緑に覆われていて、小学校低学年くらいの兄弟が、身体を伸ばしたまま斜面を転がっているのが見えていた。昔、自分も同じようなことをしていたよなと思わず笑ってしまう。小さな草が服にたくさんついて、でも楽しいので回り続ける。いまの年齢ではもちろんそんなことはやらないけれど、いまやってももしかしたら面白く感じられるのかもしれない。
午後は家族で小樽のマイカルへ。中にあるシネコンで父と一緒に映画『ダークナイト』を観る。四十九日で帰省したときにもそうしたのだけれど、仕事以外ではなかなか家から出ないので、帰省したときには父を連れ出して映画を観るようにしている。気分転換になるだろうし。
映画は面白かった。ジョーカー役のヒースは本当に熱演で、すでに亡くなってはいてもアカデミー賞を獲ってもらいたいくらい。バッドマン自体はそれほど好きでもないので入り込めない部分もあったのだけれど、次から次へと畳み掛けるようなストーリーや演出は、確かに今年No.1に推す人が多いことにもうなづける出来。
それからゲームコーナーなどで遊んでいた妹と姪っ子たち(5歳と3歳)と合流して回転寿司を食べて、最後は姪が乗りたいと言った観覧車に乗る。売り上げ的にはおそらく計画倒れでとんでもないことになっているだろうそのショッピングセンターには、一時期全国的になぜか流行った商業施設に隣接する観覧車があって、いまでは数千円以上買物をしたレシートを見せれば、無料で乗ることさえできるようなのだ。
ゆっくりと観覧車は動いていく。確かに目の前が日本海という立地ではあるけれど、夜景が印象的なわけでもなく、一度乗ればいいのだろうなという気がする。問題は、その一度を体験する人の分母が小さいことで、こういった施設を立案する人は、その後々の採算のことについては考えなかったのだろうか?
それに、観覧車はお盆時期だというのに大分閑散としていて、小さな子供連ればかりが乗り込んでいく。カップルとかそういう姿は少なくともその時間帯には見当たらなかった。
ただ、姪は喜んでいたので、ファミリー層にはうけているのかもしれないけれど。
3日目はやはり家族で旭山動物園へ。ここ数年何かと話題になっている場所で、いままで行ったことがなかったのでよかった。父の運転する車で高速に乗って札幌から旭川へ。途中、激しい雨が降っていて、目の前も見えないほど。午後から止むだろうと言われていたのだけれど、そのような気配はなし。
旭山動物園に到着したときにもまだ雨が降っていたのだけれど、それでもかなりの入園客で溢れていた。これがもし快晴だったら、いったいどれだけの人がいただろうとおそろしい感じ。
さすが、道北にありながら日本で一番入園者の多い動物園と言われているだけのことはある。
動物園自体も、予想以上におもしろい場所だった。よくテレビなどでもやっている透明なチューブを潜り抜けていくあざらしや、ガラスのトンネルから見える泳いでいるペンギンの白いお腹、レッサーパンダの吊り橋に迫力あるホッキョクグマ。一風変わった演出方法で見る動物たちは、よくある動物園のイメージとは確かに異なっていた。子供ばかりでなく、大人たちも十分に愉しむことができる場所だ。姪たちもとても喜んでいたのでよかった。
雨は最後まで降り続いていたけれど、多くが館内なのでそれほど濡れることもなく見て回る。
再び高速で札幌へ向かう。ちょうど年間で5日間だけの夜の動物園の時期(21時まで開園)だったのだけれど、夕方に帰る。
もし19時過ぎまでいられれば、数百匹のホタルの乱舞が見られるという「ほたるのこみち」の催しを見ることができたのだけれど、さすがにそこまで姪たちを引っ張れないので、ちょっと残念ではあったのだけれど……
帰りにそのまま外食。家族連れを推奨しているような個室つきの郊外型の居酒屋で、母がよく姪たちを連れてきていたのだという店に行く。
郊外型の居酒屋というコンセプトが飲酒運転を連想させてしまい「?」という感じではあるけれど、運転する人だけ飲まなければいいし、大人も子供も好きそうなメニューが溢れているので、それなりに需要があるのかもしれない。
姪たちもすっかりその店に慣れていて、なんだか不思議な感じがする(帰りには子供へのサービスのお菓子までもらってごきげんだった)。
そして、最後の夜も姪たちとあとは遊んで過ごす。たまにくるおじちゃんである僕は、ママのお兄ちゃんであることを理解しているのかどうか不明な感じではあるのだけれど、やっぱりわかるのかなついてくれている。今回の帰省の目的のひとつが「姪たちと遊ぶ」だったので、次から次へと変わる遊びにつきあう。塗り絵をしたかと思えばお店屋さんごっこになり、歌になり踊りになり、かくれんぼになる。まったくよく飽きないものだと思いながら、でもやっぱり子供はかわいいよなと思う。何を言っているのかわからないときもあるけれど。
4日目は午前のうちに実家を出る。新千歳空港で札幌ラーメンを食べ、おみやげを購入する。自分用にはmorimotoのハスカップのピュレ(果汁の原液のようなもの)を購入する。ただでさえ帰省ラッシュに重なっていて空港はものすごい人だかりだったのだけれど、中でもとりわけ並んでいる場所があった。近づいていくと、田中義剛の花畑牧場の生キャラメルを買い求める列で、あまりの人気ぶりに驚く。
羽田空港もかなりの混雑。それからモノレールや電車を乗り継いで埼玉まで帰る。
部屋に着いて、やっぱり自分の部屋はいいなといつも思うことを思う。大分汗をかいたのでシャワーを浴び、着替えてから荷物を片付ける。
19時からは飲み会。
参加者は7人で、1人以外ははじめて飲む人ばかり。男3女4で、笑える話がたくさん出てくる。居酒屋の個室にいたのだけれど、19時から0時少し前までいたのだから、結構長いと言えば長い。
そしてあっという間だった夏休みも終わった。
あと、もう一本映画を観たのだけれど、とても当たりだった。
『ベガスの恋に勝つルール』で、いかにもベタな展開なんて最初からわかりきっているので、その過程がどれだけ楽しいかという類のロマンティック・コメディ。
パンフレットから筋を引用すると、
フィアンセにこっぴどくフラれたバリバリのキャリアウーマン、ジョイ。父親が経営する工場を解雇されたジャック。気晴らしにでかけたラスベガスで出会ったふたりは意気投合して派手に飲み明かし、勢いで結婚してしまう。翌朝、正気に戻って結婚を取り消そうとしたものの、ジョイの25セントをジャックが投入したスロットマシーンで300万ドルが大当たり! ニューヨークに戻ったふたりは賞金の所有権を主張するが、裁判の判決で6ヶ月の結婚生活を送るはめに。財産の取り分をめぐって仮面夫婦生活を送るうち、衝突ばかりしているジョイとジャックの関係に変化が訪れる……。
ここだけ読んでも、もう大体想像がつくという感じなのだけれど、やりすぎ感さえある笑いの連続で、あっという間に進んでいく。
心を通わせていくエピソードがもう2、3あった方がよりよいような感じはしたけれど、最近のこの手のロマンティック・コメディの中では、個人的には充分以上に楽しい映画だった。
キャメロン・ディアスにアシュトン・カッチャーという主役たちも魅力的で、観終わった後の満足度が高い作品。
先週から読んだ本は、
『ビジネス脳を磨く』小阪裕司著。日経プレミアシリーズ。
『風が強く吹いている』三浦しをん著。新潮社。再読。
『ハードボイルド/ハードラック』吉本ばなな著。ロッキング・オン。再読。
『悪童日記』アゴタ・クリストフ著。早川書房。再読。
再読が多いのも、夏休み的な感じがするような気がする。
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お知らせ
ハスカップのピュレは、ペリエと混ぜてハスカップソーダのようにして飲んでいます。味が濃いですが、おいしいのです。