こんばんは。sunburst2006です。
えー、今日書いた、トップページだとこの下にある記事 「秋風」 ですが、これは独り言というカテゴリの初投稿になります。特に何があったわけでもなく、こういうのが書きたくなる日がありまして。sunburst2006が急におかしくなったと思われたら困るので、念のため補足です(^^;
ちなみに私は、今日もいつもと変わらず「痛みに耐えて、よくがんばっ(by小泉)」ていますので、ご安心ください(笑)。
こんばんは。sunburst2006です。
えー、今日書いた、トップページだとこの下にある記事 「秋風」 ですが、これは独り言というカテゴリの初投稿になります。特に何があったわけでもなく、こういうのが書きたくなる日がありまして。sunburst2006が急におかしくなったと思われたら困るので、念のため補足です(^^;
ちなみに私は、今日もいつもと変わらず「痛みに耐えて、よくがんばっ(by小泉)」ていますので、ご安心ください(笑)。
この秋風が好きだ。
ここには、あたたかい予感が満ちている。
いつもより冷たい風にあわてて、身をかがめる。笑っちゃう。今日は何を食べようかと考えている。
あたたかい日と、寒い日と。交互に続いても、いずれ寒さが優勢に。そして僕は、毎日、湯気の出るものを食べるようになる。
自然は、生命は、極度を嫌う。大切なのはバランスだ。
日に日に、夜が早くなってくる。
そのことに気づいて、驚く。
早い夜は、長い夜。
家に帰り、仕事のメールをチェックしたら、パソコンを閉じる。ケータイの電源を切る。
僕の全身が欲しているのは、よろこびの歌。突き抜けるスピードと、確かな方位。僕は僕を、どこまで連れて行けるだろうか。
音と言葉に満たされて、僕は、やわらかな光を浴びる。風はあたたかく吹き、夜は優しくふけていく。
しんしんと積もっていくような時間を感じて、僕は、しあわせを抱き寄せる。明日が来るまで、オレンジの光の中で眠る。
こんばんは。sunburst2006です。
さて、今日も月曜日ということで、先週のまとめから入ることにさせていただきます。私の原点シリーズの続きを期待してくださった皆さまは、もうしばらくお待ちください。
ではでは、今日も表を使って、私の体がどんなことになっているのかを見てみましょう(それぞれ、いつもの通り右クリック→新しいウインドウで開くで大きくなります)。
腹部と臀部 大腿と上腕
これは、今私がつけている、FUZEON(T-20)の打った場所と痛いところ一覧表です。それぞれ、打った日に○と時間を、その後はどれくらい痛みや硬結などが続いたかを書いています。打った場所の記号と体の位置については下の図を参照してください。
体の打つ場所図
上腕の打つ場所図
それでは、昨日(10月29日、日曜日)の時点でのまとめをしておくと、
痛くて硬結になっている場所→6カ所 内訳:上腕で2カ所 お腹で3カ所 大腿で1カ所
痛いけど硬結は起こしてない場所→3カ所 内訳:上腕で2カ所 お腹で1カ所
痛くないけど硬結がある場所→9カ所 内訳:上腕で2カ所 お腹で4カ所 臀部で3カ所
という状況です。
さてさて、だんだん厳しくなってきましたねー。寝返りがうてませーん。
今は特に昨日(29日)に打った右腹部の硬結(7×4cm)が痛くて、寝っ転がって右は向けません。一回打ってこの硬結ですから、この場所も封印して使わない方がいいのかもしれませんね。
だんだん打てる場所も少なくなってきたため、体中をつまみながら新しく打つ場所を探索中です。
皆さんが嫌がる「たるみ」が、私にとっては何よりの宝物です。
「やったー、ここがたるんでるから、FUZEONが打てるぞー!」
ということで、今日の夜もどこに打つか、あちこちつまみながら思案しているところですが、しっかりがんばります。
てやんでい、いてえくらいじゃ負けねえぜ。
こんにちは。sunburst2006です。
今回の記事は
の続きです。これらの記事を読んでいらっしゃらない方は、1からお読みいただくよう、よろしくお願いいたします。
なお、本文中「ホニャえもん」が登場しますが、「ホニャえもんって誰?」という方は、合わせて
を先にご覧ください。よろしくお願いいたします。
前回の記事で、私は、文芸編集者を目指して就職活動に挑戦したものの、書類選考で落ちてしまったところまでを書きました。体調も悪く入退院を繰り返していたため、就職活動自体も続けられなくなったsunburst2006は、ここからどこへ向かったのでしょうか。その続きをご覧ください。
違う道を探そうとしても、そんなにやりたいことがぽんぽん出てくるわけもありません。そこで今度は、またうちで寝ていたホニャえもんに相談しました。ホニャえもんは未来の便利な道具は出せませんが、いつも話を聞いてくれます。
ホニャえもんはこう言いました。
「やりたいことが分からなくなったら、今やれること、やるべきことを一生懸命やったらどうだ?」
また笑い飛ばされたらどうしようかと思っていたのですが、今回は的確なアドバイスをしてくれました。ありがたいことです。
じゃあ自分の今やれること、やるべきことはなんだろう。そう思っているうちに、卒業の日が来てしまいました。
進路も決まらないまま卒業だけが決まり、私は無職になりました。
いつまで生きられるわからないという不安に加え、「無職」という言葉が重く私にのしかかりました。精神的に不安定になりながらも、私は自分にやれることはなんなのかと考え続けていました。何か動きださないと自分はだめになる、そう思っていたころ、そういえば自分は、中学生、高校生のころ、国語の先生が好きだったなあということを思い出しました(それぞれ、T先生、W先生と呼ばせてもらいます)。
T先生は授業時間以外に(たまに授業時間にも)いろんな話をしてくれました。私は放課後になると、大体T先生のところに遊びに行っていました。
T先生はよく人間を見ている人で、中学生ながら先生の話には鋭さと深さがあると感じていました。
そして時折、先生は自分が好きな本や音楽の話をしてくれました。先生が坂口安吾の文章が好きだということ、エリック・サティのピアノ曲が好きだということ。私はそれらを後追いして読み、聴きました(ただし、坂口安吾は当時中学生の私には何を言っているのかわからず、本格的に読み出したのは大学生になってからでした)。
ある日、T先生は「接続詞の使い方がうまい」と、私の文章をほめてくれました。ほめられたのは狭い範囲でしたが、とても嬉しかったのを覚えています。
また、W先生も、よく私の文章をほめてくれました。
私はよくW先生のところに、小論文の勉強を兼ねて1200~2000字くらいの文章を書いて持って行っていました。テーマを決めて書く日もあれば、とりとめもなく考えていることを書く日もありました。でも先生は、放課後の職員室で嫌な顔一つせずに読み、添削をしてくれました。ある時先生は、私の文章を添削し終わると、かけていた眼鏡をはずしてこう言ってくれました。
「読みやすいように文章を直したところはいくつかあったけど、あなたの感性には直すところは一つもありません。その素晴らしい感性を大切にしてください」
また、国語のテストの回答では「私の考えていた答えよりsunburst2006さんの回答の方が良かったので、そちらを答えとします」と言って、授業中に私の書いた答えを板書してくれました。そして先生は「本当に、いい文章ねー」と言って物思いにふけってしまい、しばし授業が中断されました(笑)。
私は、この二人の先生のおかげで、より本が好きになったように思います。自分の文章をほめられたことも嬉しかったですが、何より二人のあたたかい人間性に憧れていました。
「本をたくさん読んでいると、素敵な人になれるんだなあ」
私は漠然とそんな風に思い、より本を読むようになっていました。
大学に入ると、サークルでは本を好きな人が多かったのですが、クラスの友だちは本を読まない人ばかりでした。本は面白いのに、みんな何で読まないんだろうと思っていたのですが、本好きな人に憧れる経験がなかったのかもしれません。
そういう意味では、国語の先生というのは、より多くの人に本や文章のすばらしさをわかってもらうことのできる、一番身近な職業だと思います。
もともと私が文芸編集者を目指したのは、まず自分が一人の読者として、もっともっと面白い作品を読みたかったからです。そして同時に、多くの人に面白い本を読んでほしかったからです。いつか作家と一緒に「この作品と出会えて良かった」と胸を張って言えるような本を出版し、多くの人とその感動を共有したかったのです。
しかし本を読む人が少なくなり、本が人に読んでもらえなくなってしまったら、いくらいい本を出版しても自分が楽しむだけになってしまいます。それでは喜びも半減してしまいますし、せっかくのいい作品もかわいそうです。
もっと多くの人に、本の面白さをわかってもらいたい。そう思った私は、文芸編集者でない方向に進むのなら、本の面白さを伝えられる国語の先生という道もあるかもしれない、と思うようになりました。
ただ、私は大学で教職課程はとっていなかったので、教師として学校で教えることはできません。じゃあまずは、塾講師の仕事に挑戦してみようかと思っても、当時の私は入退院を繰り返す日々。入院する度に授業を休んでは、受講生たちに迷惑がかかってしまいます。
ではどうするか。今すぐ仕事としてできなくても、体調が良くなって入院の心配がなくなったときに備えて(そういう日が来ると信じていました)、今できることはないのかと考えました。自分がいつか講師として教えられる日が来たときのため、今できること、やるべきことは何なのかと考えました。
国語は教えるのがとても難しい教科です。数学や日本史などであれば答えは一つですが、国語(特に現代文)の場合、回答にはある程度の幅があります。いくつかの予備校が大学の過去問集を出版していますが、現代文は出しているところによって答えが違うということも良くあることです。
塾で受験勉強として教えるからには、ある程度テクニック的なことも教えなくてはいけません。また、回答はこれだと言い切れる、論理に裏打ちされたぶれない軸を持たなければいけません。
現代文を教えるとはどういうことなのか、答えを導き出す軸はどこにあるのか。受講生にきちんと教えるためには、まず自分が勉強しなくてはいけません。そこで私は、大学卒業から一年が経ったころ、大手進学予備校(大学受験)の現代文の講座をとり、まずは受講生として自分が予備校に通うことにしたのです。
冷静に考えてみると、大学を卒業してから予備校に通うというのも、これまたおかしな話かもしれません。普通の順序と逆になってしまいました。
予備校の教室で隣に座った生徒から「どこの大学を狙ってるんですか?」と聞かれたときは、どう答えて良いか分からず自分の出身大学の名前を出しました。それが不謹慎にもちょっとおかしくて(心の声→「ていうか、卒業してんじゃん(笑)」)、そのあと笑いをこらえるのが大変でした。
ある人は「大学を卒業してから予備校に通う」という私の行動を笑うかもしれません。そもそも、そんな進路を目指すこと自体がナンセンスだと思うかもしれません。また、体のことを考えたら無理をしない方がいいと言うかもしれません。
しかし私は、最も大切なことは、どんなに無様でも、人からなんと思われようと、あちらこちらぶつかりながら転がり続けることではないかと思います。
転石 苔むさずと言いますが、動かない石には苔がはりついてしまいます。人間も動かなければ、良くない考えや後ろ向きな感情が、澱(おり)のようにべったりついて、さらに動けなくなってしまいます。
やれないことを指折り数えている暇があったら、たった一つでいい、やれることを探して行動に移すことです。全ては、具体的な一つの行動から始まるのだと思います。
動き続け、転がり続けていれば、何かにぶつかります。Like a Rolling Stones、足を止めず、とにかく必死で転がり続けていくのです。
2007.04.01 追記
続きを書くのが大分滞っていますねー。お待たせしてしまって申し訳ないです。近々、書きあげますので、今しばらくお待ちください。。。
こんばんは。sunburst2006です。
本日は、私の過去の使用薬剤をアップしてみました。この記事の下に出ていると思いますので、興味のある方はご覧ください。今後、私の耐性の状態についても載せようと思いますが、そちらはしばしお待ちください。
さて、FUZEONを含めたHAART再開して、今日で17日。9月にひどい硬結を起こしていた場所は見た目に治っていても、新たにFUZEONを打つとまたひどい硬結を起こします。ということで、本日も写真をご覧ください。
(なお、B8、B9などの記号がどこを表わすかについては 体の打つ場所図 をご覧ください。)
横8cm×縦3cmくらいの硬結。場所は左腹部(B8~B9)
違う角度から。ぽっこりしているのがわかります
こうなると、すごく痛いです(T_T)
まあ百歩譲って、痛いだけならいいとしても、あまりひどい腫れを繰り返すと潰瘍になってしまうことがあるそうです。そうなると外科的処置が必要になり、かなり大変なことになるので、腫れる場所には打たないのが賢明です(詳しくは FUZEONはどこに注射するべきか も参照してください)。
ということで、今後はB8とB9は使わないことにしようと思います。また、一度打ってみないと分かりませんが、その付近のB5、B6、B7あたりも使えないかもしれません。
さらに、上腕も2サイクル目に入り、場所によって硬結を起こすようになってきました。あちこちいてー。
しかし、硬結の程度はお腹ほどではありません。これくらいなら、しっかりローテーション(中6日~中9日)していけば大丈夫そうかなと思います。
痛いのは大変ですが、せっかく 5年半待った 薬です。お腹で打てる場所が減った分、他に打てる場所を探して、負けずに打ち続けていきまーす。
核酸系逆転写酵素阻害剤 | プロテアーゼ阻害剤 | 非核酸系逆転写酵素阻害剤 | 備考 | |
1990頃 | AZT(ZDV) | 単剤治療 AZT耐性化 | ||
1992頃 | AZT(ZDV) ddI |
ddIは1週間で中止 | ||
1996 | ddC | SQV-HGC サキナビル (インビラーゼ) |
サキナビルは治験 2剤治療 ddC、サキナビル耐性化 | |
1998.04 | d4T 3TC |
NFV ネルフィナビル |
ウイルス量が ほとんど 下がらず、 d4T、3TC、 ネルフィナビル 耐性化 | |
2000.01 | ABC アバカビル |
APV アンプレナビル (プローゼ) |
EFV エファビレンツ (ストックリン) |
APVは ホスアンプレナビル (レクシヴァ) ではない アバカビル、 アンプレナビル、 エファビレンツ耐性化 |
2000.08 | 全てのHAARTを中止 | |||
2001.04 | ddI | LPV/RTV ロピナビル (カレトラ) |
徐脈 (完全房室ブロックIII°) 出現により1日で中止 | |
2001.06 | ddI | LPV/RTV ロピナビル (カレトラ) |
再チャレンジも、 徐脈により1日で中止 | |
2001.07 | d4T 3TC |
NFV ネルフィナビル |
治療効果を期待せず ウイルスのフィットネス を落とすために使用 | |
2002.07 | AZT(ZDV) 3TC |
NFV ネルフィナビル |
乳酸値上昇のため d4TをAZTに変更 | |
2002.10 | 乳酸値が高いため、全てのHAARTを中止 | |||
2002.12 | AZT(ZDV) 3TC |
EFV エファビレンツ (ストックリン) |
||
2005.06 | AZT(ZDV) 3TC |
肝機能障害 のためEFV中止 | ||
2006.02 | 3TC | 乳酸値上昇 のためAZT中止 | ||
2006.09 | TDF (テノホビル) FTC |
Prezista (darunavir:TMC-114) RTV (少量のリトナビル) |
FUZEON (enfuvirtide:T-20) を併用 |
こんばんは。sunburst2006です。
今日こそは続き記事をと思い、今日は一日パソコンに向かっていたのですが、なんと、書き上がりませんでした! 今日は元気に言ってみます! ごめんなさい!
まあそんなに引っ張る話でもないですし、引っ張れば引っ張るほど書きにくくなるのですが、もうしばらくかかると思ってください。いつか書き上げますので、首をながーくしてお待ちくださいませ。
さて、このところいただき物が続いたので、今日はそれを紹介させていただきます。
まずは昨日、ある先輩がお見舞いにと持ってきてくれたのがこちら。
I'm lovin' it!
王道ですね。ビッグマックとポテトとコーラ。私は、月に何回か食べないと調子が出ません。いかにも肉が付きそうなビジュアルです。スーパーサイズミー。
続いて、本日友だちが持ってきてくれたものがあるんですが、これまたすごいです。まずは写真をば。
でかいパンケーキが3つ(上にあるのは15cmの定規です)
|
|
↓
切り分けていくと、下には脂の跡がくっきりと(笑)!
|
|
↓
ケーキの山(下にあるのは15cmの定規です)
このパンケーキ、「コストコ」というスーパーで買ってきてくれたそうです。コストコは、アメリカのでっかい人たちが家族でまとめ買いをするようなスーパーで、とにかく物のサイズが大きいことで有名です。以前takeさんもブログで紹介されていましたね。
しかもこのケーキ、見た目では分かりませんがとても重たいです(片手で持ったらよろめいた)。たぶん、1.5~2kg近くあります。この中には、食べたら肉になる成分がつまっているのでしょう。
切り分けたケーキは、一気に食べたら大変なことになると思われたので、袋に入れて冷凍庫に保管しました。これから10日くらいかけて食べていこうと思います。
これでFUZEONを打つ場所を増やしつつ、生活習慣病には気をつけつつ(笑)、しっかりがんばりまーす。
こんばんは。sunburst2006です。
本日は月に一度の眼科検診がありました。
HIV感染症によって免疫の司令塔である CD4値 が低くなると、目に「サイトメガロ網膜炎」という日和見感染症がでることがあります。これは、放っておくと失明の危険がある怖い病気なので、CD4が低いうちは月に一度の眼科検診が必須です。
この大切な眼科検診、少し困ったことがあります。それは検査で「眼底(がんてい)」という、瞳孔が開いていないと見えないところを見るため、毎回「散瞳(さんどう)」といって瞳孔が開く目薬をさすことです。これをすると、瞳孔が閉じないので常にまぶしくなり、さらに目の焦点が合わなくなって本などが読めなくなります。
この散瞳をして瞳孔が開いたころ、虫眼鏡みたいなのを使って医師が眼底を見ます。その際、しっかりと眼底が見えるように、医師は私の目にライトをあてます。
そもそも瞳孔とは、強い光を遮るため、明るいときには閉じるようにできています。瞳孔が閉じることによって、まぶしさが軽減されるわけです。
しかし今の私は、散瞳により瞳孔が閉じないようになっています。しかも医師は私の目の上下を指でおさえ、まぶたも閉じないようにしています。
さてここで問題です。目と瞳孔を強制的に開かせた状態で医師の当てるライトの光を受けるとどうなると思いますか?
正解は・・・、「とてもまぶしい」です。きゃー、やめてー。
最初はじたばたする感じでしたが、もう10年近く、毎月毎月、散瞳しているので、この検査のまぶしさにも大分慣れてきました。人間、なんにでも慣れるもので、検査自体はそれほど苦にもならなくなってきたのですが、そのあとの日常生活がちょっと大変です。
私の場合、散瞳の効果は、徐々に軽減されながら夜まで続きます。つまり、今日のように天気の良い日はまぶしくて目を開けられません。外来で天気のいい日に眼科に行く場合は、石原軍団みたいな真っ黒のサングラスが必須です(これをかけてもまぶしいです)。そうしないと、目をつぶって歩かなくてはなりません。目をつぶって歩いて、何かにぶつかって倒れて意識を失ったとしたら、救急隊に「はっ! 瞳孔が開いている」と言われて死んだことにされてしまうかもしれません(笑)。生きてますよー。早とちりしないでー。
今日は入院中だったのでサングラスはかけませんが、ベッドが窓際のため大変まぶしかったです。それで、ああ目を開けてられないなあと目をつぶったところ、なんとまた爆睡! 例の記事 の続きを書く予定が伸び伸びになり、大げさなタイトルをつけた近況報告となりました。
まあ「寝る子は育つ」と言いますので、今日もsunburst2006はすくすくと育っていると思っていただければ幸いです。食べて寝て、FUZEONのためにしっかりお肉をつけまーす。
こんばんは。sunburst2006です。
私の原点シリーズの続きはー、もう少しー、お待ちくださいー。
今日は昼食後に爆睡してしまい、気付いたら外も暗くなり始めていました(^^;
ということで、今日は私がやっているFUZEONの対処法のお話を。今日は体験記として書きますが、今後もう少し中身を整理して、まとめの方にも書きたいと思います。
最近、上腕や大腿、臀部は、FUZEONを打ったあと、炎症止めのドレニゾンテープを貼った上に冷却シート(熱さまシート)を貼り、さらに上からアイスノンで冷やすという戦略をとっています。アイスノンはその日一日、冷却シートは熱感が引くまで、交換しながら使っています。
お腹の場合は、ドレニゾンテープを貼って冷却シートを貼るまでで、アイスノンは使いません。一度お腹もアイスノンで冷やしてみたのですが、お腹はアイスノンが動いてしまい、その動きが物理的な刺激となってあまり良くないような気がしました。さらに「お腹を冷やさないように」と昔から言われているように、お腹を冷やせば下痢をして、さらにおならも止まらなくなります(あうー)。
ということで、またもや写真で見ていただきたいのですが・・・
腕はアイスノンの上から包帯でぐるぐる
お腹はドレニゾンテープだけ(写真下側)だったり、ドレニゾンテープの上に冷却シート(写真上側)を貼ったり
上腕はアイスノンを包帯で巻いて、がっちり固定しています。そのため、見た目にも肩が大きくなっているように見えます。
ある看護師さんからは「試合後のピッチャーみたいですよ」と言われました。確かに、肩の近くに打った日は肩も含めて冷やしているので、まさに試合後のヒーローインタビューに答える完封したピッチャーみたいです。しっかりアイシングをして、次の試合(FUZEON)に備えるわけです。
ということで、今日は私のことを「硬結王子」と呼んでください(笑)。
しかし今日あたり、東京は寒かったですね。こんな日にアイスノンを巻いているのは、硬結王子といえども結構大変です。特に大腿にアイスノンを巻いていると、全身が冷えてきます。汗なんかかくわけもなく、ハンカチを出すこともできません。普通に寒いですよー。
これからどんどん寒くなっていくというのに、こりゃまた困りましたなあ。風邪を引かないように気をつけなければいけません。
こんにちは。東京地方は大変お天気も良く、絶好の行楽日和ですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。こんな日はブログを見る人も少ないだろうなーと思いながら更新しているsunburst2006です。
さて、今日のお話は 1.状況を全部とっぱらった時、お前は何がやりたいんだ? の続きのお話になっております。このお話をご覧いただく前に、まずは そちらのお話 をご覧ください。よろしくお願いいたします。
「大事なのはよ、夢を語る事じゃねえのかい」
悪太郎さんにそう言われて、進路を考える方向性は決まりました。
しかし、夢を語るのは大変なことです。「♪夢見る少女じゃいられない(by 相川七瀬)」と思っていた私にとっては、状況を無視してやりたいことを考えるというのはとても難しいことでした。
しかも、私自身にこれをやりたいという具体的なものがないため、夢を語るには「言葉が好き」というとても広いところから考えなければいけません。言葉・文章に関係できる仕事として、私の夢はなんなのかと漠然と思うようになりました。
そのうちに、私は大学3年生になりました。3年次には、私は資格試験のことなど考えず好きな授業を取ることにしました。私の学部は一般教養(リベラルアーツ)に力を入れている学部で、ある程度幅広く授業をとることができました。そのため、1,2年では取っていなかった文学・思想系の授業を取り、ゼミは「文学・思想・哲学研究ゼミ」に入りました。
余談ですが、このゼミで、私は坂口安吾研究という、またコアな研究をしておりました。このブログのタイトル「あちらこちら命がけ」も、実は坂口安吾が色紙に書いて残した言葉なのです。ああ、この話もまた長くなりそうなので別の機会に・・・。
この時期、私はとにかく本を読みました。暇さえあれば図書館に行き、文庫本程度の薄さの本なら、多い日は一日に5冊以上読んだ日もあります。
また、私の入っていたサークルは著名人を呼んで講演会をやったり、小説やエッセイなどを載せた雑誌を作る企画サークルでした。まあ雑誌といっても、大学の近くの本屋さんに置いてもらったりするくらいの、同人誌的なものだったのですが。
そこで私は、社会を知らない学生の怖さといいますか、無鉄砲にも講演をしてもらいたいと思っていた作家と映画監督の電話番号を調べて、直接電話をしました。そこでアポを取ったあとその作家の家に行き(映画監督にもそちらに来てもらいました)、お酒をご馳走になり、ぜひ講演をというお話をさせてもらいました。講演料も交通費くらいしか出せないにも関わらず、二人は「お前ら面白いな」と快諾してくれ、大学の講堂で講演会(対談)をしてもらうことができました。
さらに雑誌の方では編集長となり、一冊の雑誌を作ることができました。このときは自宅を編集拠点として提供し、さらに多くの人がうちに住むようになりました(この辺りのお話もまた長くなるので別の機会にと言って、どんどん書かなきゃいけないことが増えていきます・涙)。
そんなこんなで
「具体的な進路が見えなければ、とことん好きなことをやって、その中でやりたいことを見つけよう大作戦」
と銘打った作戦のもと、私は馬車馬のように駆け回っていました。
たぶん、この頃の私を、医療従事者の皆さまはとても心配して見ていたのではないかと思います。入院しなきゃダメと言われても「また今度にしてください」とか言って病院から逃げてきたり、体調が悪くても「今、病院に行ったら入院しろって言われるだろうなあ」とか思って病院に行かなかったりしていましたから。あわわ、その節は、大変ご心配をおかけし、申し訳ありませんでした(^^; この場を借りてお詫び申し上げます。
そして3年生の末ごろ、周囲では現実に就職活動が始まります。私はこのときすでに留年が決まっていたため(涙)、私自身の就職活動はもう一年先のことになるのですが、もう自分の進みたい道は決まっていました。
私はサークルでの経験を通して、「文芸編集者」として作家と一緒に本を作りたいと思うようになっていました。
「具体的な進路が見えなければ、とことん好きなことをやって、その中でやりたいことを見つけよう大作戦」は大成功でした。本当に、やりたいことが見つかってしまいました。
だから私は、サークルの講演会やミニコミ誌の編集が終わった打ち上げで、夢を語りました。
「私は、小説家といっしょに本を作る、文芸編集者になります!」
そこにいたほとんどの人が、私が血友病で、HIV感染していることを知っています。
しかし、冷めた目で「そんなのは無理だ」なんていう人は一人もいませんでした。みんな、お前ならできる、がんばれと言ってくれました。みんなで酒を飲みながら、いつしか私だけでなく、一人一人が自分の夢を語っていました。
そして時は流れ、一年後、私は就職活動を開始します。
私には、行きたいと決めている出版社がありました。その出版社は歴史も浅く、それほど規模は大きくありません。雑誌を作ったりはせずに、小説を中心とした「本」だけに力を入れていました。しかし、だからこそ出版している本の充実度は高いものでした。私は、そこで書いている作家の陣容と出版されている本を見て、その出版社・編集者の力量がすさまじいものであることを感じていました。
前述した講演会に呼んだ作家も、その出版社で本を出している人でした。
下手に手を広げずに、純粋に本を作っている出版社。本からは、本物の言葉に出会いたいと心から願う編集者が作家と火花を散らしながら作品を生み出している様子が、こちらに伝わってくるようでした。
私は漠然と、私が編集者として働けるとしたら、採用してくれるのはこの出版社しかないのではないかと思っていました。
ある日、この出版社のホームページに新規採用のお知らせが出ました。私は履歴書に、自身のHIV感染と血友病のこと、言葉への思い、その出版社への思いをつめこんで、全てを包み隠さずに書きました。そして、様々の願いをこめて、その履歴書を出版社に送りました。
数週間後、出版社から一通の封筒が届きました。その中には、不採用を告げる短い文章が印刷された、一枚の紙切れが入っていました。
私は、履歴書に思いのたけをつめこんで書いたつもりです。自身の存在の全てをかけて書いたつもりです。それが、たった一枚の、不採用の人全員に送っている、なんの思いも感じられない紙切れ一枚で否定されました。
今から考えれば、不採用の結果を告げるのに、会社が特別の言葉をかけるはずもないとも思います。また、私が履歴書に書いた内容が、それほど読む人の心に届いていなかったのかもしれません。しかし、言葉を大切にする出版社だと思っていたからこそ、私の言葉が一枚の、印刷文字の紙切れで否定されたということがなによりショックでした。これは私のわがままかもしれませんが、不採用であったとしても、何かの言葉が書かれていてほしかったのです。
それで私は、就職活動をやめてしまいました。心底惚れ込んだ出版社だったので、ここでこういう扱いを受けるのならばどこに出しても同じだろうと思ってしまったのです。
実質的にはこの当時、私は入退院をくり返し、一時は薬の副作用で心臓が止まりそうになるなどのかなりのきわどい状況になっていました。その時は、本当に危ない状況でした。五年半待ったんだ!で書いたように、医師から「このまま何の治療もしなければ、一年後の生存を保証できない」と言われたのもこの頃です。そのため、就職活動を続けられる状態でもありませんでした。この話も長くなるので、また別の記事でということで・・・。
さあここからどうするか。私は悩み始めました。しかし、まだ心は折れていませんでした。確かに一時期はどうしようもなく落ち込みましたが、やはり私には、相談に乗ってくれる仲間がたくさんいました。
そのうち、これを乗り越えれば、私はもっとしなやかで強い人間になれるのではないかと思うようになっていました。ギリギリのところでしたが、いつかその出版社に「あいつを採っておけば良かった」と思わせてやる、そう心に誓って次の道を探し始めました。
みなさん、覚えておいてください。状況はどうあれ、心さえ負けなければ、人間はどんなところからだってはい上がることができるのです。
次の記事→ 3.今やれること、やるべきことをやれ! に続く
というところで、なんと、またまた次回に続いてしまうわけです。予想外に長くなり、さらにはこの記事からさらに3つのスピンアウト記事(「踊る大捜査線」でいうところの 「容疑者 室井慎次」 的な)が生まれそうです。あわわわ、書けば書くほど書くことが増えていく。デフレスパイラルって、こういうことですか?
この先は、もうそんなに長くならないはずですので、たぶんあと一回で終わると思います(10月28日追記:終わりませんでした・笑)。ただ 「日曜はお休みよ」 なので、この続きは月曜以降ということで。週末の尻切れトンボでごめんなすって。
こんばんは。sunburst2006です。
このブログを立ち上げた主な理由の1つに、
FUZEON(T-20)の情報や体験談を載せておけば、これからFUZEONを使う、もしくは使いたいという人にとって有益なのではないか
というものがありました。
しかし、そろそろ記事が多くなってきて、時系列順に私の試行錯誤な実験日記が続いていては、なかなか見にくいのではないかと思うようになりました。そこで、カテゴリに
FUZEON情報・私の試した方法等まとめ
という項目を作り、FUZEON体験記から独立させました。このまとめのカテゴリに、ある程度の情報をまとめていこうと思います。本日は早速、FUZEONはどこに注射したらいいのかというお話を書きました。
このカテゴリでは、書いてある内容が、きちんとした「製薬会社からの情報」に基づくものなのか、「医学雑誌に掲載されたもの」なのか、もしくは「私の体験談」なのかと、しっかり分かるように記述していきます。情報がどこから出たものかというのは、その情報の信頼度を測る上で最も重要なことですからね。なお、これもメディアにあふれる情報(うわさも含む)に流されないための、 メディアリテラシー の基本です。ですから、できるかぎり出典も明記したいと思います。
そして、ここに書かれた情報を参考にされる場合には、必ず医師などの専門家に相談の上で行っていただきたいと思います。
昨日 の続き記事を期待してもらったみなさまには申し訳ありません。このブログでは、硬軟織り交ぜつつ、いろんな話が飛び交いますがご了承ください。ご覧いただいているみなさまには、それぞれのお立場でこのブログをお楽しみいただく方法を見つけていただければ幸いです(^^;
ちなみに、カテゴリを見ると、これから先、私が何を書こうとしているのかがある程度分かっていただけると思います。不謹慎な独り言ってなんだ?(笑)
ちなみにちなみに、 医療従事者の皆さまへ で書いた「T-20の注射部位の副作用に対する戦略」が載っていそうな雑誌、
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/entrez/queryd.fcgi?db=pubmed&cmd
=Retrieve&dopt=AbstractPlus&list_uids=17024766&itool=pubmed_docsum
Enfuvirtide: patient acceptance and strategies for managing injection-site reactions.
を、現在、医師に取り寄せてもらっています。「は~や~く~き~て~」と念じています(笑)。
こんばんは。sunburst2006です。
FUZEONには、FUZEONを作っている製薬会社(Roche とTrimeris)がまとめているFUZEONの情報サイト(英語) http://www.fuzeon.com/ があり、ここには患者用・医療従事者用を含め、いくつかの情報があります。今日はそこからのお話で、どこに注射をするべきかというお話のまとめをば。
FUZEONはどこに注射するべきか
http://www.fuzeon.com/3000/faqId.asp?i=89&nav=tips
上記サイト(FUZEONの患者用質問集)にFUZEONをどこに打つべきかという話が出ていますので引用します。Q: Where should I inject FUZEON?
A: The sites for injection are the abdomen, upper thighs or upper arms because there is enough fatty tissue under the skin to allow you to pinch enough skin to give the injection correctly. Do not inject into the same area as you did the time before. Do not inject in or near bumps or any other types of reactions from past injections. Also, do not inject into moles, scars, bruises, your belly button or areas that could be irritated by a belt or waistband.Even if you have a preference for one particular injection site, it is important that you change sites. Changing injection sites helps to decrease the intensity of injection site reactions.
Click here to read the patient injection instructions.
これを私の方で訳すと、以下のようになります。
注:何度も申し上げているとおり、私の訳には誤訳、誤読がある可能性があります。そのことを前提としてご覧ください。なお、私の訳のミスを信用しあなたがどのような損害を受けても、私はその責任をとることはできません。この訳文を参考にする場合は、必ず専門家に相談をしてください。注射をする場所は、腹部、太ももの上部、上腕になります。というのも、これらの場所には十分な皮下脂肪があり、そのことはあなたが皮膚をつまんで正しく注射を行うことを可能にします。なお、注射はその前に注射した同じ場所に打ってはいけません。こぶ(硬結)の近くや、過去の注射で起こした他の種類の副作用が出た場所も注射を打ってはいけません。また、あざがある場所、傷跡(やけどの跡)、打撲をした場所も打ってはいけません。そして、ウエストのベルトによる刺激があるので、おへその周りや、ベルトの当たる場所も注射を打ってはいけません。
たとえあなたが、ある1つの特定の注射場所を好むとしても、注射する場所を変えることが重要です。注射場所を変えることは、、注射部位の反応(副作用)の強さを減らすことに役立ちます。
こちらをクリックして、患者用の注射説明書を読んでください。
ということで、FUZEONを注射する場所としては
1.腹部
2.太ももの上部
3.上腕部
が推奨されています。さらに、お腹に打つ場合には、ベルトなどの刺激を避けるようにとあります。
--------ここからは私の体験談です--------
実際、私の場合には、注射したあとの場所はなんらかの刺激(接触などの物理的刺激)が加わると硬結がひどくなります。注射した場所には、持っているカバンが触れたりすることも避け、あまり触らない方がいいように思います。
私はこの他に臀部(お尻)にも打っています(私の注射部位については、 体の打つ場所図 と 上腕の打つ場所図 を参照してください)が、お尻に打つ場合、座ったときに下になる場所を避けています。また、寝るときもその場所が下にならないよう、体の向きを気をつけて寝るようにしています。寝返りを打っても打った場所を下にしないという強い意志の下、就寝します。
ただ、このお尻に打つという方法は製薬会社から推奨されている方法ではありませんし、自分で打つには体をひねって打つコツがいります。私にとっては、お尻は皮下脂肪が多く刺激さえ避ければいい場所のように思いますが、それは私自身の感想であり、私は誰かに、FUZEONをお尻に打つことを推奨しているわけではありません。試される場合は、必ず医療従事者にご相談ください。
先日のコメントで、私は
「病気は確かに大変ですし、悩むことも多いですが、そこから得たこともたくさんあります。この病気のおかげで、自分のやるべきこと、やりたいことが見えてきましたし。ああ、これは話が長くなりそうなので、また別の記事で書きまーす」
と書きましたが、今日はその関連のお話をば。
---------------前置き 今日の登場人物について------------------
以前お話した「ホニャえもん」さんと同様、大学のサークルの先輩で、私の家によく寝泊まりしている人がいました。その人は海外旅行先から私に、朝7時頃、こんな電話をかけてくる人です。
「あ、もしもし、sunburst2006? オレオレ。
そっちまだ7時頃だよな? ごめんごめん、今、海外なんだけどさ、今日締め切りで提出しなきゃいけないレポートがあるんだよね。これ出さないと単位落としちゃうからやばくてさー。
で、今書き上げたんだけど、これからFAXでそっちへ送るから、パソコンで清書して提出しておいてくれないか?
そうそう、提出の仕方なんだけど、教授の自宅に今日必着で送らなきゃいけないやつなんだ。だから、今日郵便局に出すんじゃ間に合わないから、学部事務所で教授の住所を調べて、教授の家を探し出して、ポストになんとなく入れておいてくれるかな。『郵便でーす』なんつって、こう、いかにも郵送で届きました的な風を装ってさ」オレオレ詐欺も真っ青な、手間のかかる電話です。お金は取られませんが、時間を取られます。
ええ、でも心優しきsunburst2006は、
- 海外からFAXで届いたレポートをパソコンで打ち直し、印刷。
- 大学へ行き、学部事務所で教授の住所を聞く。
- レポートを入れた封筒に教授の住所・宛名を書き、一応、切手も買って貼ってみる(あ、お金も取られてる・笑)。
- 電車を乗り継いで教授の家の最寄り駅まで行く。
- 住所から家を探し出す。
- 郵便受けに「郵便でーす」なんつってレポートを入れる。
という6工程を、てきぱきと一日がかりでやりました。
このように、この先輩はたまにとんでもないことをしてしまうちょっと悪い人なので、ここでは仮に「悪太郎(あくたろう)」と呼ぶことにします(笑)。
-------------------前置きここまで---------------------
と、またまた前置きが長すぎるsunburst2006です。今日のお話では、悪太郎さんが活躍しますので、はじめにその人となりを紹介させてもらいました。
さてさて、今日書こうと思っているのは、私が大学2年生のころ、進路で悩んでいたときのお話です。
大学2年生と言えば、特に多くの文系の学生は、将来の進路を現実的に考え始めるころです。私も、どの道へ進んだらいいものかと、あれこれ考え始めていました。
実は私は、大学には「資格をとる」ことが目的で入りました。
私は高校生の頃から、やはりこの体を抱えては一般企業への就職は難しいだろうと思っていました。そして家族や周りの人からも「資格を取って、自分でできる仕事をやったほうがいい」と勧められていました。そのため、まあ公務員か、あわよくば税理士、会計士、弁護士あたりを狙っちゃおうかなーなんて虫の良いことを考え、受ける大学・学部を選んでいました。
そう思って入学した大学だったので、1年生の時は法律科目や会計・経済学などを履修しました。しかし、ここで大きな問題が持ち上がりました。それは、これらの科目が、私にとっては全く面白くないということでした(笑)。
もう勉強に身が入らないこと、この上ありませんでした。法律なんか、ほんとにこれは日本語かと、「欧米かよ!(タカ and トシ)」と条文ごとにツッコミを入れたくなる感じで。しかも入学直後の5~6月ごろに入院して授業に出られなかったため、わからないことに拍車がかかり、興味すら失っていたわけです。
そして、1年生では半分くらいの単位を落としました(前期試験の前ごろに入院したのが痛かったですね)。2年生での授業は楽勝科目(単位が取りやすいと評判の科目)ばかりを取り、資格試験に関係するような科目は取りませんでした。でもそろそろ周りの人たちも就職・進路の話を始めるころで、自分は進路をどうしたもんかと、またぐるぐる悩み始めました。
そんなある日、私の家の近くで飲んでいて終電を逃した悪太郎さんから「おー、オレオレ、終電ないからそっち行くわ」と電話がありました。はいはい、構いませんよ、じゃあ、お夜食でも作って待ってますわよということで、それからうちで飲み直すことになりました。
注:このころはまだ肝臓の数値もそれほど高くなかったため、私も酒を飲み、煙草を吸い、大学生活を満喫しておりました。お酒は飲み出すと、一晩で日本酒を1升(1.8リットル)ほど。煙草は一日に1~3箱。いやー、ひどい生活をしていたものです。ごめんなさい。もうお酒も煙草もやめて6年くらいが経ちますので、許してください。
こうして家で飲み始めて、私は悪太郎さんに進路のことを相談しました。
就職は難しいと思うということ、でも資格試験の勉強には身が入らないこと、また資格をとっても本当にこの体でやっていけるのかという不安があることなどを話し、ああもうどうしたらいいのかわかりませんと。悪太郎さんは私の病気(血友病やHIV感染)のことを知っていたので、全ての事情を知った上で聞いてくれました。
私の話の全てを聞き終えた悪太郎さんは、飲んでいた酒をテーブルに置き、べらんめえ口調でこう言いました。
「で、状況を全部とっぱらった時、おめえ(お前)は何がやりてえんだ?」
この一言は、私にとっては衝撃でした。というのも、今までそんな風に考えたことなどなかったからです。
私は、高校生で自分の病気のことを知って以来、何を考えるにも病気のことが頭から離れませんでした。特に進路に関しては、まず自分が、はたして仕事ができるのか、できるとしたらどんな職種があるのか、入院したらどうするのかと、そんなことばかりを考えていましたし、周囲の人からもそういうアドバイスばかりを受けていました。
しかし、悪太郎さんは全く違いました。
それまで進路を消去法で考えていた私に、悪太郎さんはど真ん中から切り込んできました。
「私のやりたいこと」、考えたこともなかった視点を提示され、私は言葉を詰まらせました。すると、悪太郎さんはこうたたみかけてきました。
「じゃあ、おめえは何が好きなんだ?」
私は、幼いときから体も弱かったため家の中で遊ぶことが多く、本を読むのが好きでした。そしてこの頃には、特に「言葉」に愛着を持つようになっていました。というのも、以前にこの記事で書いた恩師の「生きろ!」という叫びや、大学入学以来のホニャえもんさんや悪太郎さんをはじめとした人たちの思いのつまった言葉に、私は何度となく救われていたからです。
悪太郎さんは、事実だけを書くと無茶苦茶な人のように見えますし、実際かなり無茶苦茶な人なのですが、その実、とてもまじめな人でもあります。とんでもないことをしながら、後からそのことを激しく後悔したりする、ある程度、常識的な感覚を持った人です。そして、いつも言葉には、自身の思いをつめ込むだけつめ込んで話すような人でした。だから私は、悪太郎さんの言葉を聞くと、いつも生命を揺さぶられました。
思いのつまった言葉には体温があり、その人自身が生きています。
私は、そういう言葉だけが、本物の「言葉」と呼べるのだと思います。
本物の言葉は、その人の生命そのものです。
生命だけが、相手の生命を揺さぶることができるのです。
本物の言葉だけが、私の生命に届き、私の生命を変えました。
軽い言葉が氾濫するこの世界で、私は本物の言葉に出会い、本物の生命に揺さぶられました。恩師をはじめとした多くの人と、この病気のおかげで、私は言葉のもつすさまじいまでの力に触れ、言葉が大好きになりました。
だから私は、悪太郎さんに「私は、言葉が好きです」と言いました。
「じゃあ、そん中から探しゃあいいじゃねえか」
悪太郎さんはすっきりした顔でそう言いました。なので、私もすっきりした顔で「はい」と言いました。
「大事なのはよ、夢を語る事じゃねえのかい」
悪太郎さんは、日本酒を片手にそう言うと、ニヤッと笑いました。
(このあとsunburst2006はいくつかの変遷を経て今の仕事に就いたのですが、長くなったのでそれはまた別の記事で書かせてもらいます。)
次の記事→ 2.とことん好きなことをやってみよう に続く
注:お食事中の方は、お食事が終わってからお読みください(^^;
こんばんは。sunburst2006です。
えー、なんと申しますか、タイトルの通りなのですが(笑)。
このネタに触れるかどうか、私の中ではかなりの葛藤がありました。しかし、ブログカルテを目指してこのブログを始めた以上、私の健康状態については克明に記さねばなりません。ある情報を意図的に隠蔽するというのは、ある種の間違った情報を垂れ流すことと同義であるからです(これはメディアリテラシーとして、メディアの情報を読み取る上での基本にもなっていますので、覚えておいてください)。
そうした観点からも、私の体調を包み隠さず書くということは、恥ずかしいとか、女の子にもてたいとか、そういう個人的な感情は抜きにして果たすべき、私の一種の義務ですらあるのです。そう決意して、このネタを書くことにしたわけであります。
ということで、おならが止まりません(涙)。
今飲んでいるツルバダというお薬の副作用に「腹部膨満」というのがあるので、これはツルバダ君のせいだと思います。
ツルバダは朝一回飲むようになっていて、朝の服薬をして午前中くらいはなんともありません。ただ、夕方を過ぎるころからお腹が張ってきて、夜ご飯を食べた後はもうひどい騒ぎです。本当に、びっくりするぐらいおならが出ます。出たと思ったら、またすぐに出ます。ひっきりなしにブーブー。ひどいときは「ブーーーーーー」と、止まりません。
しかも、ただ出るだけではありません。くさいのです(いやん)。
質、量、ともに半端ないのです。はらわたがくさってしまったのでせうか。
まあ、おならじゃ死なないですし、他の副作用よりはいいんですが、それでも年頃の男の子としてはちょっと困ります。これではおムコにいけません。
そこで私は、この子を試してみました。
生きたまま腸内に届くぞー
そして
さらに強いぞー
ということで、朝食後と夕食後はヤクルトを、昼食後には「強いヤクルト」を飲むようにしています。なんとなく、昼過ぎに「はらわたがくさってくる」感じがするので、お昼は強そうなヤクルトを飲んでいます。
私は、ツルバダを開始する前から下痢をしやすかったので「ビオフェルミン」という整腸剤を飲んでいます。ツルバダを開始した後も「ビオフェルミン」は飲んでいるのですが、ビオフェルミンだけでは止まらかったおならが、ヤクルトを併用することによって少し改善したような気がします! おならの質、量ともに、ちょっといい感じです。
私のお腹の印象としては、へたな薬を飲むよりもヤクルトの方がいいような気がします(ただしこれは私の個人的な感想で、ヤクルトの効用を保証するものではありません)。
その日の体調にもよって、やはりおならが止まらない日もありますが、止まらなくても少しにおいは薄くなる気がします(質の改善)。ということで、しばらくヤクルト作戦は続けてみようと思います。
しかし、本当にいろんな副作用があって、なんとも困ったものです(^^;