あちらこちら命がけ

血友病、HIV、B/C型肝炎等を抱えて生きる人のブログ。薬の体験記、海外の最新医療情報、サルベージ療法から日常雑感まで。

2.とことん好きなことをやってみよう

2006年10月21日 22時27分34秒 | 私の原点

 こんにちは。東京地方は大変お天気も良く、絶好の行楽日和ですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。こんな日はブログを見る人も少ないだろうなーと思いながら更新しているsunburst2006です。
 さて、今日のお話は 
1.状況を全部とっぱらった時、お前は何がやりたいんだ? の続きのお話になっております。このお話をご覧いただく前に、まずは そちらのお話 をご覧ください。よろしくお願いいたします。

 

 


「大事なのはよ、夢を語る事じゃねえのかい」

 悪太郎さんにそう言われて、進路を考える方向性は決まりました。

 しかし、夢を語るのは大変なことです。「♪夢見る少女じゃいられない(by 相川七瀬)」と思っていた私にとっては、状況を無視してやりたいことを考えるというのはとても難しいことでした。
 しかも、私自身にこれをやりたいという具体的なものがないため、夢を語るには「言葉が好き」というとても広いところから考えなければいけません。言葉・文章に関係できる仕事として、私の夢はなんなのかと漠然と思うようになりました。

 そのうちに、私は大学3年生になりました。3年次には、私は資格試験のことなど考えず好きな授業を取ることにしました。私の学部は一般教養(リベラルアーツ)に力を入れている学部で、ある程度幅広く授業をとることができました。そのため、1,2年では取っていなかった文学・思想系の授業を取り、ゼミは「文学・思想・哲学研究ゼミ」に入りました。

 余談ですが、このゼミで、私は坂口安吾研究という、またコアな研究をしておりました。このブログのタイトル「あちらこちら命がけ」も、実は坂口安吾が色紙に書いて残した言葉なのです。ああ、この話もまた長くなりそうなので別の機会に・・・。

 この時期、私はとにかく本を読みました。暇さえあれば図書館に行き、文庫本程度の薄さの本なら、多い日は一日に5冊以上読んだ日もあります。

 また、私の入っていたサークルは著名人を呼んで講演会をやったり、小説やエッセイなどを載せた雑誌を作る企画サークルでした。まあ雑誌といっても、大学の近くの本屋さんに置いてもらったりするくらいの、同人誌的なものだったのですが。
 そこで私は、社会を知らない学生の怖さといいますか、無鉄砲にも講演をしてもらいたいと思っていた作家と映画監督の電話番号を調べて、直接電話をしました。そこでアポを取ったあとその作家の家に行き(映画監督にもそちらに来てもらいました)、お酒をご馳走になり、ぜひ講演をというお話をさせてもらいました。講演料も交通費くらいしか出せないにも関わらず、二人は「お前ら面白いな」と快諾してくれ、大学の講堂で講演会(対談)をしてもらうことができました。
 さらに雑誌の方では編集長となり、一冊の雑誌を作ることができました。このときは自宅を編集拠点として提供し、さらに多くの人がうちに住むようになりました(この辺りのお話もまた長くなるので別の機会にと言って、どんどん書かなきゃいけないことが増えていきます・涙)。

 そんなこんなで

「具体的な進路が見えなければ、とことん好きなことをやって、その中でやりたいことを見つけよう大作戦」

と銘打った作戦のもと、私は馬車馬のように駆け回っていました。


 たぶん、この頃の私を、医療従事者の皆さまはとても心配して見ていたのではないかと思います。入院しなきゃダメと言われても「また今度にしてください」とか言って病院から逃げてきたり、体調が悪くても「今、病院に行ったら入院しろって言われるだろうなあ」とか思って病院に行かなかったりしていましたから。あわわ、その節は、大変ご心配をおかけし、申し訳ありませんでした(^^; この場を借りてお詫び申し上げます。


 そして3年生の末ごろ、周囲では現実に就職活動が始まります。私はこのときすでに留年が決まっていたため(涙)、私自身の就職活動はもう一年先のことになるのですが、もう自分の進みたい道は決まっていました。

 私はサークルでの経験を通して、「文芸編集者」として作家と一緒に本を作りたいと思うようになっていました。

 「具体的な進路が見えなければ、とことん好きなことをやって、その中でやりたいことを見つけよう大作戦」は大成功でした。本当に、やりたいことが見つかってしまいました。
 だから私は、サークルの講演会やミニコミ誌の編集が終わった打ち上げで、夢を語りました。

「私は、小説家といっしょに本を作る、文芸編集者になります!」

 そこにいたほとんどの人が、私が血友病で、HIV感染していることを知っています。
 しかし、冷めた目で「そんなのは無理だ」なんていう人は一人もいませんでした。みんな、お前ならできる、がんばれと言ってくれました。みんなで酒を飲みながら、いつしか私だけでなく、一人一人が自分の夢を語っていました。


 そして時は流れ、一年後、私は就職活動を開始します。

 私には、行きたいと決めている出版社がありました。その出版社は歴史も浅く、それほど規模は大きくありません。雑誌を作ったりはせずに、小説を中心とした「本」だけに力を入れていました。しかし、だからこそ出版している本の充実度は高いものでした。私は、そこで書いている作家の陣容と出版されている本を見て、その出版社・編集者の力量がすさまじいものであることを感じていました。
 前述した講演会に呼んだ作家も、その出版社で本を出している人でした。

 下手に手を広げずに、純粋に本を作っている出版社。本からは、本物の言葉に出会いたいと心から願う編集者が作家と火花を散らしながら作品を生み出している様子が、こちらに伝わってくるようでした。
 私は漠然と、私が編集者として働けるとしたら、採用してくれるのはこの出版社しかないのではないかと思っていました。

 ある日、この出版社のホームページに新規採用のお知らせが出ました。私は履歴書に、自身のHIV感染と血友病のこと、言葉への思い、その出版社への思いをつめこんで、全てを包み隠さずに書きました。そして、様々の願いをこめて、その履歴書を出版社に送りました。


 数週間後、出版社から一通の封筒が届きました。その中には、不採用を告げる短い文章が印刷された、一枚の紙切れが入っていました。

 私は、履歴書に思いのたけをつめこんで書いたつもりです。自身の存在の全てをかけて書いたつもりです。それが、たった一枚の、不採用の人全員に送っている、なんの思いも感じられない紙切れ一枚で否定されました。
 今から考えれば、不採用の結果を告げるのに、会社が特別の言葉をかけるはずもないとも思います。また、私が履歴書に書いた内容が、それほど読む人の心に届いていなかったのかもしれません。しかし、言葉を大切にする出版社だと思っていたからこそ、私の言葉が一枚の、印刷文字の紙切れで否定されたということがなによりショックでした。これは私のわがままかもしれませんが、不採用であったとしても、何かの言葉が書かれていてほしかったのです。
 それで私は、就職活動をやめてしまいました。心底惚れ込んだ出版社だったので、ここでこういう扱いを受けるのならばどこに出しても同じだろうと思ってしまったのです。

 実質的にはこの当時、私は入退院をくり返し、一時は薬の副作用で心臓が止まりそうになるなどのかなりのきわどい状況になっていました。その時は、本当に危ない状況でした。五年半待ったんだ!で書いたように、医師から「このまま何の治療もしなければ、一年後の生存を保証できない」と言われたのもこの頃です。そのため、就職活動を続けられる状態でもありませんでした。この話も長くなるので、また別の記事でということで・・・。

 さあここからどうするか。私は悩み始めました。しかし、まだ心は折れていませんでした。確かに一時期はどうしようもなく落ち込みましたが、やはり私には、相談に乗ってくれる仲間がたくさんいました。
 そのうち、これを乗り越えれば、私はもっとしなやかで強い人間になれるのではないかと思うようになっていました。ギリギリのところでしたが、いつかその出版社に「あいつを採っておけば良かった」と思わせてやる、そう心に誓って次の道を探し始めました。

 みなさん、覚えておいてください。状況はどうあれ、心さえ負けなければ、人間はどんなところからだってはい上がることができるのです。


次の記事→ 3.今やれること、やるべきことをやれ! に続く


 というところで、なんと、またまた次回に続いてしまうわけです。予想外に長くなり、さらにはこの記事からさらに3つのスピンアウト記事(「踊る大捜査線」でいうところの 「容疑者 室井慎次」 的な)が生まれそうです。あわわわ、書けば書くほど書くことが増えていく。デフレスパイラルって、こういうことですか?
 この先は、もうそんなに長くならないはずですので、たぶんあと一回で終わると思います(10月28日追記:終わりませんでした・笑)。ただ 「日曜はお休みよ」 なので、この続きは月曜以降ということで。週末の尻切れトンボでごめんなすって。


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5 コメント

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Unknown (Kouhai)
2006-10-21 21:22:50
今回も感動しながら拝読させていただきました。

私にも夢があります。法曹になることです。しかし、去年試験に失敗して、どん底に叩きつけられました。「生き恥をさらすくらいなら死んだ方がマシ」だとさえ思いました。

しかし、私も沢山の良き仲間に支えられ復活を果たし、現在も試験に挑戦中です。

「るろうに剣心」というマンガの単行本14巻の一コマに「いつ死んでも殺されてもかまわないと心に秘めて生きてきた だが今は罪に苛まれようと罰を与えられようと生きようとする意志は決して捨てぬ」「生きようとする意志は何よりも強い」いうシーンがあります。生きよう、戦おうという志こそが大事なのだと感じる昨今です。

私もまだ手探り状態ですし、不安も拭い切れません。しかしsunburstさんのように強く生き抜き、答えを探し続けたいと思います。
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Unknown (1)
2006-10-22 15:58:46
これって、結構書くの大変だよな。

無理せず、細く長く続けてくださいね。

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Unknown (sunburst2006)
2006-10-23 19:47:57
Kouhaiさんへ

 試験に落ちたくらいで死を思っちゃダメだよ。法曹にかける意気込みが強いからこそそう思ってしまうのかもしれないけど、Kouhaiさんの生命に比べたら「たかが法曹」です。一番大切なものを見失わないように、でも今年もがんばってね。応援していますq(^-^)p



1さんへ

 なんか毎日締め切りに追われているようで(笑)。

 でも自分の原点を書くことは、自分にとって大切なことを再確認するいい機会にもなるので、がんばっていまーす。
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Unknown (1)
2006-10-26 22:47:10
ああ、毎日締め切りに追われている「よう」ならば、毎日締め切りに追われるよりマシだよ。



あははは。



もうやばいね。

やってもやっても湧いてくるよ。

モグラ叩きだね。
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似て非なるもの (sunburst2006)
2006-10-27 13:37:29
1さんへ

 確かに「よう」がつくと、似て非なるものになりますね。しかし「モグラ叩きのようですね」と言っても、モグラ叩きよりマシにはなりませんね(^^;
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