こんにちは。sunburst暑いです。
今日は久々のお休みで、一日なんの予定も入れず、家でのんびりしています。寝ぐせも直さず、ひげもそらず、みなさまにはとてもお見せできない格好でブログを更新していますがお許しをば
さてさて、まあそんなことはどうでもいいのですが、あらためて、最近「だるい(眠い)」ということに気付きました。
どうもダルナビル(TMC-114 ; prezista )を飲み始めたころから、だるさは続いていたのですが、今年の4月末にenfurvirtide( T-20 ; FUZEON )を「ほにゃらほにゃほにゃ」に切り替えて以来、だるさが強くなっているような気がします。
いやその、ブログが更新できていないことの言い訳じゃなくてですね
特にここ最近は、毎日の猛暑も手伝って、家にいるときはほとんど寝ている感じです。実は今日も、朝起きて(7時すぎ)ごはんを食べて薬を飲んだ後、横になったら爆睡。起きたら15時でした。寝過ぎだろー。昨日も10時間ぐらい寝ているんですが、なんか疲れが取れないんですよねー。
もともと寝付きは良い方で、よく寝る子ではあったのですが、それにしても凶悪な眠気です。外にいて気が張っている間は大丈夫なので、気のもちようかなとも思うのですが、家で目の前にベッドがあるととても抗えない弱い子です。あー、ベッドが私を呼んでいるー。
仕事の都合で、あと2週間くらいである程度の英会話ができるようにならなければいけないんですが(無茶だよー)、なかなか勉強も進みません。うー、やばいです がんばらねばです。
こんばんは。sunburst京都どす。
いやはや、とんとご無沙汰してしまい、すいませんでした。どうにもこうにも忙しく、なかなか更新ができなくてと、いつもの言い訳でごめんちゃい。
さて、その割に京都どす? なんだ、遊び歩いてるじゃないか! とお思いのみなさん、違うんです。今日(10日・金)は、京都への日帰り出張だったのです(涙)。
新幹線「のぞみ」の車中は、いかにも「一足早くお盆休みをとったので、これから遊びに行きます」風な人たちであふれかえり、なんだかあちら側とこちら側の心模様のコントラストが痛いです。うぅ。遊びたいよー。
ただ、私の京都での仕事は午後からだったため、早めに行けば午前中は自由に使える!ということで、朝9時半頃京都に着くように家を出て、前から一度は行ってみたいと思っていた圓通寺に行ってみることにしました。
圓通寺入り口
圓通寺は「借景庭園」で有名なお寺です。
私は、仏教美術にはあまり興味はないのですが、昔から借景が大好きです。なんというか、借景という考え方そのものが好きなのだと思います。
圓通寺・借景1:ゴザ引きの室内から、枯山水庭園を近景に、遠く比叡山を望む風景。柱や鴨居も景色の一部になっている。(写真をクリックすると少し大きい画像が見えます)
圓通寺・借景2:同じ位置から、比叡山にフォーカスを。
借景とは、文字通り景色をお借りしちゃうこと。盗むのでも、奪うのでも、自分だけのものにするのでもなく、あくまで「お借りしちゃう」こと。このしたたかで奥ゆかしい感じが、なんとも私の心をとらえるのです。
私は今日、いろいろ思いめぐらしながら、1時間以上、この景色を見ていました。10時の開門と同時にお寺に入ってから、11時半頃まで、ずっとこの景色を見続けていました。
近くでは、重機によるけたたましい工事の音が聞こえます。和尚さんの話によれば、この景色をいつまで保てるかはわからないとのことです。写真からは見えませんが、開発の波が垣根のすぐ向こうまで来ているのです。
「目先の利益よりも、本当に美しいものを後世に残すことの方が大切だと訴え続けているが、どうにも話が通じない。最近では、もう、ちょっとあきらめています」
和尚さんはそう言うと、さみしく笑いました。
自然を我がものにしようとする行為と、大切にお借りして守ろうとする行為と。
借景とは、自然に借りを作ることに他なりません。自然に借りがあるならば、感謝の気持ちとともにお返しをするのが筋というものです。
自然に借りを作るくらいの方が、豊かな気がするのは私だけでしょうか?