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コスモのフォトアルバム

旅の記録 五街道ウォーク中!旧東海道、旧甲州街道、旧中山道を完歩。只今、日光街道に挑戦中!    

石川県の洋館③(3/3)

2020-07-23 05:42:03 | 洋館まとめ

石川県の洋館③


旧第6旅団司令部

石川県金沢市丸の内(金沢城址公園内)

旧第6旅団司令部は、明治31年に建てられた木造平屋建て、床面積196平方メートルの建物です。当時は、陸軍本省が各師団建物の設計をしていたため、全国に同様の建物が建てられました。金沢大学時代には、教育開放センターとして利用されていました。

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旧第6旅団司令部


金沢文芸館(洋館) 登録有形文化財

石川県金沢市尾張町1丁目7-10

浅野川大橋近くの橋場町交差点に建つレトロな元銀行の建物は、貴重な昭和初期のモダニズム建築で、金沢市指定保存建造物・国登録有形文化財となっています。よるまっし金沢より

国登録有形文化財に指定されている建物は、金沢市橋場町交差点に建ち、昭和初期の面影を残すデザインが目を引きます。金沢の文芸活動の拠点、発信基地として開設されました。1階は「交流サロン」、2階は「金沢五木寛之文庫」、3階は「文芸フロア」となっています。ほっと石川より

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金沢文芸館(洋館)


旧三田商店 指定保存建物

石川県金沢市尾張町1丁目8番5号

旧三田商店は、昭和5年(1930)建築の鉄筋コンクリート造2階建ての建物です。建物は立方体に近いプロポーションの単純な形態で、外壁にチョコレート・ブラウンのスクラッチ・タイルを貼っています。交差点に面する角を丸めて正面玄関を設け、1階ではアカンサスを頂く付柱のコリント式柱頭やびん飾りを配し、玄関欄間にはステンド・グラスを入れています。2階では石の窓枠を積み込みバルコニー風の窓台を付け、窓台のやや内側へ斜けた鉄製の手摺りを付けています。窓頂部の持ち送りや蛇腹の組み合わせから成るバロック風の破れ破風の意匠も独特なものです。

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旧三田商店


山中片岡鶴太郎工藝館(登録有形文化財)

石川県加賀市山中温泉湯の出町

昭和6年山中温泉でおこった大火の後に漆器商「山岡商山堂」の本社屋として建てられた鉄筋コンクリート造りの建物です。平成11年に文化庁の登録有形文化財に指定

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 山中片岡鶴太郎工藝館(登録有形文化財)

石川県金沢市の洋館①

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石川県の洋館②(2/3)

2020-07-21 05:37:26 | 洋館まとめ

石川県の洋館②


県立歴史博物館(旧金澤陸軍兵器支廠)  重要文化財

石川県金沢市出羽町3番1号

兼六園の周辺に位置し、石川の古代から近代までの歴史と文化を紹介する博物館。建物は、かつて旧陸軍兵器庫や金沢美術工芸大学に使用されていた本多の森公園の赤煉瓦棟を復元再生したもので、平成2年に重要文化財に指定されています。 金沢旅物語より

改修工事中でした。残念

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県立歴史博物館(旧金澤陸軍兵器支廠)重要文化財~石川県金沢市


くらしの博物館 (石川県第二中学校) 県指定有形文化財

石川県金沢市飛梅町3-31

当館は、明治32年(1899)に「石川県第二中学校」(通称・金沢二中)の校舎として建てられた木造校舎を活用した博物館です。左右二つの尖塔と、塔に見立てた中央の屋根を加えた「三尖塔校舎」の愛称で、長年市民から親しまれてきました。金沢くらしの博物館より

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くらしの博物館(石川県第二中学校)

 


旧ウィン館

石川県金沢市飛梅町1番10号

石川北陸学院短期大学附属ウィン幼稚園(旧ウィン館)は、1891年(明治24年)に建築された木造洋館(木造2階建て瓦葺き、外壁に下見板)です。アメリカ人宣教師トーマス・C・ウィンの住居として1891年(明治24年)に建てられた典型的なコロニアル形式の洋館です。

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旧ウィン館(木造洋館)

 


石川県庁舎石引分室(A)(旧陸軍第九師団司令部庁舎) 登録有形文化財

石川県金沢市石引4丁目18番3号

左右対称型の構成とし,正面のペディメントやピラスタ-、上下窓など簡素なルネサンス風の外観を見せています。明治期の庁舎建築の好例です。旧金沢城内に建築されましたが、昭和45年に現在地に移築され、その際両翼の一部が切り縮められました。陸軍経理部によって設計された建物です。いいね金沢より 明治31年建築

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石川県庁舎石引分室(A)(旧陸軍第九師団司令部庁舎)


石川県庁舎石引分室 (B)(旧陸軍金沢偕行社) 登録有形文化財

石川県金沢市石引4-18-3

マンサ-ド風の屋根を持つ中央棟の左右に,寄棟の翼屋が付く構造になる。コリント式のピラスターやドーマー窓等バロック風の技巧的な装飾を用いた外観意匠は,全体として華やかで優れている。明治42年に現在地に移築したと伝える。設計は,陸軍経理部。

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石川県庁舎石引分室(B)(旧陸軍金沢偕行社)

 石川県の洋館①

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石川県の洋館①(1/3)

2020-07-19 06:07:42 | 洋館まとめ

石川県の洋館①


金沢市立玉川図書館別館 (旧専売公社C-1号工場) 国登録有形文化財

石川県金沢市小坂町西

この建物は大正2年(1913)に専売公社C-1号工場として建てられたものです。煉瓦造2階建、寄棟、桟瓦葺、開口部は縦長窓を連送させ上部をアーチで繋ぐことで大きな窓に見せ、平滑になりがちな煉瓦の大壁にリズムを与えているようです。建物の隅部と要所には小塔が設えられ、屋根には大きめの換気口が設置されていることで建物がより立体的に見えるように演出しています。金沢市立玉川図書館別館は大正時代に建てられたレンガ造りの工場建築の遺構として貴重な存在で"造形の規範となっているもの"との登録基準により平成8年に国登録有形文化財に指定されています。

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金沢市立玉川図書館別館


金沢地方専売局時計台

石川県金沢市玉川町2-2

この時計台は大正2年に大蔵省が金沢市玉川町に建設した金沢地方専売局のたばこ製造工場の正面二階棟上に設置したもの。

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金沢地方専売局時計台


金沢聖霊修道院聖堂

石川県金沢市長町

金沢聖霊総合病院に隣接。1931年(昭和6))の木造建築で、ロマネスク様式を基調したデザイン。内部の連続アーチが美しく、金箔や黒漆塗りで仕上げられた円柱が金沢らしい。

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金沢聖霊修道院聖堂


西検番事務所(国登録有形文化財)

石川県金沢市野町

西検番事務所は、1922年(大正11年)に芸妓衆の稽古場兼管理事務所としてにし茶屋街に建築された木造2階建て瓦葺の建物です。洋風の事務所棟と中庭を隔てた木造二階建ての和風稽古場棟とから構成されています。事務所棟は寄棟造り桟瓦葺の木造2階建て下見板張で、明治時代にに流行したバージボード付きの玄関ポーチがこの建物特徴です

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西検番事務所(国登録有形文化財)


旧制第四高等学校 (四高記念文化交流館・石川近代文学館) 重要文化財

石川県金沢市広坂2-2-5

この赤レンガの建物は明治24年7月に完成した旧第四高等中学校本館です。明治27年には、第四高等学校と改称し、「学都」金沢の象徴として、県民に親しまれ、数々の人材を政財界に送り出してきました。そして昭和25年、学制改革により閉校し、昭和44年3月に重要文化財の指定を受けています。

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旧制第四高等学校(四高記念文化交流館・石川近代文学館)

石川県の洋館②

石川県の洋館③


都道府県別

北海道 富山 石川県

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新潟県の洋館

2020-07-15 05:45:08 | 洋館まとめ

新潟県の洋館


金井文化財館( 旧金井写真館本店 )

新潟県新潟市中央区中大畑町

明治期に創業した写真館で、北側に壁がガラス張りのスタジオを備えています。現在は非公開です。明治中期

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金井文化財館( 旧金井写真館本店 )

 


新潟市歴史博物館

新潟県新潟市中央区柳島町(みなとぴあ)

西堀通六番町(西堀交差点角)に所在した、二代目新潟市庁舎の外観をモチーフに建設された

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新潟市歴史博物館

 


旧第四銀行住吉町支店(登録有形文化財)

新潟県新潟市中央区柳島町(みなとぴあ)

重厚な古典主義様式の銀行建築。2階建で,躯体は鉄筋コンクリート造,外壁に花崗岩を張って石造風とし,コーニスを廻す。正面入口にはイオニア式列柱4本を並べ,柱間の壁上部アーチ型窓とする。当初の外装材,内部の造作をよく保存している。

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旧第四銀行住吉町支店(登録有形文化財)

 


旧新潟税関庁舎(重要文化財)

新潟県新潟市中央区柳島町(みなとぴあ)

明治2年に建てられた庁舎は、開港5港当時の税関として現存する唯一の建物。 
木造平屋建の税関庁舎。外壁をなまこ壁とし中央に二重の塔屋を持つ。引違の窓には両開きの鎧戸を設け、中央の入り口はアーチ状になっている。擬洋風建築の初期の例として、また最古の税関庁舎として貴重である。

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旧新潟税関庁舎(重要文化財)

 


旧県立村上高校の正門と門監(守衛)舎

新潟県村上市三之町

現在の市役所の敷地にあった村上高校は、昭和48年(1973)に村上駅近くの現在地へ移転しましたが、正門と門監舎だけがそのまま残されました。
 この門監舎は、村上高校が明治33年(1900)に旧制新発田中学校村上分校として開校したときに建てられました。その後明治44年(1911)に校舎が増築された際、正門とともに現在地に移されたものだそうです。
 旧制中学校時代には、正門には門監が立っていて、登校した生徒は門監に敬礼してから校内に入ったとも伝えられています。

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旧県立村上高校の正門と門監(守衛)舎

 


新潟県議会旧議事堂(重要文化財)

新潟県新潟市中央区一番堀通

明治十六年完成した建物で、設計および施工は地元出身の棟梁星野総四郎である。 木造二階建で、アーチおよびトラスを用いて大きな梁間を支えている。 こうした在来の大工による洋風建築として構造的にも見るべきものがあり、かつ県会議事堂としては唯一の遺構である。

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新潟県議会旧議事堂(重要文化財)

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山梨県の洋館

2020-07-13 05:35:37 | 洋館まとめ

山梨県の洋館


旧睦沢学校校舎(藤村記念館)(重要文化財)

山梨県甲府市北口

藤村記念館は、明治8(1875)年、巨摩郡睦沢村(現:甲斐市)に建築された校舎です。昭和41(1966)年には武田氏館跡(武田神社)西曲輪に移築、山梨県第5代県令・藤村紫朗にちなみ藤村記念館と命名され、歴史や民俗の教育資料館として一般公開されてきました。甲府駅周辺拠点形成事業に伴い、歴史景観の再生と市民や観光客の交流ガイダンス施設とすることを目的に、平成22年8月、甲府駅北口に移築・復元されました。この建物の様式は、当時の県令・藤村紫朗が積極的に奨励した擬洋風建築(西洋建築に似せて建てられた建築物)で、明治前期には市内の多くの官公舎、学校、商家などがこの様式で建てられ、藤村式建築とも呼ばれています。明治10(1877)年に甲府を訪れた英国公使のアーネスト・サトウは、街中に西洋式建築が建ち並ぶ様子に驚き、その数はまちの規模からして日本一だと日記に書き残しています。建物は、正面中央の玄関車寄せ、2階のベランダ、正面吹き放ち円柱、出入口や窓の黒塗りアーチ形の枠、両開きのガラス戸と鎧(よろい)戸の二重扉などに洋風の意匠を見ることができます。外壁は漆喰(しっくい)塗りの日本壁で、隅は黒漆喰で石の形を示し、屋根は宝形造の桟瓦葺(かわらぶき)で、中央に太鼓楼と呼ばれる塔屋をのせています。

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旧睦沢学校校舎(藤村記念館)(重要文化財)

 


山梨近代人物館

山梨県甲府市丸の内

山梨近代人物館は、昭和5年の創建時の姿によみがえった県庁舎別館内の一部に開館しました。当時の雰囲気を感じていただけるよう旧知事室や正庁を復元し、また展示室では、概ね明治時代から戦前までの間、山梨県の発展に貢献した人物や、山梨県ゆかりの国内外で活躍した人物を紹介しています。

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山梨近代人物館

 


旧室伏学校校舎(牧丘郷土文化館)

山梨県山梨市牧丘町室伏

明治8年(1875年)に建てられた木造方形の擬洋風建築物。藤村紫朗(1845~1908)が県令(のちの知事)時代に建設されたことから、山梨県内では「藤村式建築」と呼ばれています。学校、官公庁、住宅など100以上建てられましたが、現存する建物はほとんどなく、校舎は5つのみが残ります。 室伏学校は初め小学だけで「室伏学校」といい、のちに室伏尋常小学校となり、後に諏訪高等小学校を併設しました。昭和8年、諏訪尋常高等小学校(現在の牧丘第一小学校)が建設された後は、室伏区に払い下げられ、地域住民の公会堂として活用されました。 終戦後は、定時制高校分校の校舎として使用された歴史もあります。 地域では、「インキ壺」の名称で親しまれ、同地区に建設された「花かげの郷 道の駅まきおか」敷地内に、平成15年に移築され、現在は、「牧丘郷土文化館」として、活用されています。

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旧室伏学校校舎(牧丘郷土文化館)

 

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神奈川県の洋館⑤(5/5)

2020-07-11 05:43:03 | 洋館まとめ

神奈川県の洋館⑤


ホテルニューカマクラ

神奈川県鎌倉市御成町

大正期の希少建築。芥川龍之介と岡本かの子が出会った場所。1924(大正13)年建築

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ホテルニューカマクラ


旧華頂宮邸(洋館)

神奈川県鎌倉市浄明寺

この建物は、旧華頂宮邸(きゅうかちょうのみやてい)といわれ、昭和4年の春に華頂博信侯爵邸として建てられたものです。平成8年5月鎌倉市が取得し、平成18年4月には市の景観重要建築物、同年10月に国の登録有形文化財(建造物)に指定されました。古典的なハーフティンバースタイルの趣ある洋風建築

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 旧華頂宮邸(洋館)


鎌倉文学館(旧前田家別邸)

神奈川県鎌倉市長谷

この建物は、昭和11年旧加賀藩前田家第16代当主前田利為氏が建築したもので、相模湾を見下ろす谷戸の中腹に位置しており、当時の鎌倉の別荘を代表する建物の一つです。

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鎌倉文学館(旧前田家別邸)


横浜市大倉山記念館(旧大倉精神文化研究所本館)

神奈川県横浜市港北区大倉山

昭和7年、実業家大倉邦彦により、東西の精神文化の研究を目的に、大倉精神文化研究所として建設されました。昭和56年、横浜市が敷地を公園用地として買収すると同時に、建物の寄贈を受け、その原形を保存しながら大改修を行い、昭和59年10月27日「横浜市大倉山記念館」として生まれ変わりました。二層の塔屋、中央部に吹き抜けのある大階段と殿堂があり、両翼部に図書館書庫と閲覧室を配し、背面には中庭を囲んで回廊が廻る。意匠は、プレ・ヘレニズムの様式を取り入れ、下細まりの円柱を用いているのが特徴的である。

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横浜市大倉山記念館(旧大倉精神文化研究所本館)

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神奈川県の洋館④(4/5)

2020-07-09 05:39:39 | 洋館まとめ

神奈川県の洋館④


長浜ホール・旧細菌検査室

神奈川県横浜市金沢区長浜

▲長浜ホール

▲旧細菌検査室

浜ホールは、長浜検疫所の当時の事務所棟の外観を復元したもので、平成9年に開園した『長浜野口記念公園』内にあります。

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長浜ホール・旧細菌検査室


ホテル ニューグランド本館(近代化産業遺産)2016

神奈川県横浜市中区

当ホテルの本館は、1927年開業時に銀座和光などを設計した渡辺仁によるもので、クラシックホテルの代表例です。マッカーサー元帥やチャーリー・チャップリン、ベーブ・ルースをはじめ、多くの著名人をお迎えして参りました。
1992年には横浜市歴史的建造物に指定、2007年には、経済産業省が選んだ近代化産業遺産の認定を受け、ヨーロピアンテイストをコンセプトに、横浜・山下公園前のランドマークとして親しまれ続けています。

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ホテル ニューグランド本館(近代化産業遺産)2016


旧横浜ゴム平塚製造所記念館

神奈川県平塚市浅間町

同記念館は明治39年(1906年)頃、日本火薬製造(株)の支配人の住宅として建設された。大正8年(1919年)に旧海軍火薬廠となってからは将校クラブとして使われ、昭和25年(1950年)に横浜ゴムに払い下げされた後は応接室や会議室として利用。昭和30年(1955年)には国民体育大会に訪れた昭和天皇の休憩所としても使われた。

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旧横浜ゴム平塚製造所記念館


旧木下家別邸

神奈川県中郡大磯町大磯字北本

旧木下家別邸」は住民から「三角屋敷」と呼ばれ親しまれてきた、大正モダンの建物です。当時流行していた、ツーバイフォー工法で、輸入材ではなく国産材でつくられた住宅としては、国内最古のものと考えられています。この洋館の建物の特徴として、屋根は切妻造ストレート葺で、左右の屋根上に大きなドーマー窓を開けたシンメトリックな形状と、外壁は南京下見板張、各部屋には採光性に優れたベイウウィンド(出窓)を設置し、正面中央の玄関ポーチの上に2階バルコニーを乗せたデザインの外観が、往年の別荘時代を彷彿とさせます。

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旧木下家別邸


旧平塚市議事堂(平塚市崇善公民館)

神奈川県平塚市見附町

1950年(昭和25年)の建築。和洋折衷の「帝冠様式」を取り入れた独特の風格を持つ。

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旧平塚市議事堂(平塚市崇善公民館)

 

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神奈川県の洋館③(3/5)

2020-07-07 05:40:05 | 洋館まとめ

神奈川県の洋館③


ベーリック・ホール(横浜山手)

神奈川県横浜市中区山手町

イギリス人貿易商B.R.ベリック氏の邸宅として、J.H.モーガンの設計により1930年に建築。スパニッシュスタイルを基調とし、玄関の3連アーチやガーゴイルのある壁泉、四つ葉形の窓など見どころ満載。戦前の西洋館としては最大規模を誇る建築学的にも価値のある建物。

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ベーリック・ホール(横浜山手)


イギリス館(横浜山手)

神奈川県横浜市中区山手町

1937年に英国総領事公邸として建築。明るく開放的な設計と高い天井や重厚なドア、美しい寄せ木の床面など、当時の王室の威厳を感じることができる。 1990年横浜市指定文化財に指定。 

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イギリス館(横浜山手)


山手111番館(横浜山手)

神奈川県横浜市中区山手町

J.H.モーガンの設計により、1926年にアメリカ人J.E.ラフィン氏の住宅として建築。スパニッシュスタイルの赤瓦と白い壁が美しい西洋館。

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山手111番館(横浜山手)


エリスマン邸(横浜山手)

神奈川県横浜市中区元町

日本の建築界に大きな影響を与え「現代建築の父」と呼ばれたA.レーモンドの設計。絹糸貿易商エリスマン氏の私邸として1926年に127番地に建築された。異人館的要素を持ちながらも軒の水平線の強調など、レーモンドの師匠であるF.L.ライトの影響も見るこができる。現在の元町公園には1990年に移築復元。 

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エリスマン邸(横浜山手)

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神奈川県の洋館②(2/5)

2020-07-05 06:00:13 | 洋館まとめ

神奈川県の洋館②


ブラフ18番館(横浜山手)

神奈川県横浜市中区山手町

大正末期に建てられた外国人住宅で、1991年までカトリック山手教会の司祭館として使用されていた。1993年にイタリア山庭園内に移築復元。館内は震災復元期の外国人住宅の暮らしを再現。ベイウィンドウ・上げ下げ窓・鎧戸・サンルームなど、当時の外国人住宅の特徴が見られる。 

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ブラフ18番館(横浜山手)


外交官の家(横浜山手)

神奈川県横浜市中区山手町

1910年に明治政府の外交官・内田定槌氏の邸宅として、アメリカ人建築家J.M.ガーディナーの設計により東京都渋谷区南平台に建てられた。1997年この地に移築され、国の重要文化財に指定。今なお残るガスストーブやステンドグラス、サイドボード等の家具類が歴史を感じさせる。 

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外交官の家(横浜山手)


横浜・山手 テニス発祥記念館

神奈川県横浜市中区山手町

明治7年にイギリスで始まったローンテニスが、明治9年に横浜に伝わり、山手公園の中にテニスコートが2面つくられ、ここからテニスが全国に広まった。テニスの発祥の地を記念して建てられたのが「横浜・山手 テニス発祥記念館」。テニスウェアやラケットの変遷など、テニスの歴史を展示公開している。 

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横浜・山手 テニス発祥記念館


山手公園管理事務所(旧山手68番館)

神奈川県横浜市中区山手町

当初は山手68番の奧まった位置にあり、震災後に建てられた外国人向け賃貸住宅のひとつであった。平屋建で下見板張りと開放ベランダを持つバンガロースタイルの源流をとどめる。現在は山手公園内のテニスコートのクラブハウス・管理事務所として再生・利用されている。

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山手公園管理事務所(旧山手68番館)

 

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神奈川県の洋館①(1/5)

2020-07-03 05:42:17 | 洋館まとめ

神奈川県の洋館①


横浜赤レンガ倉庫

神奈川県横浜市中区新港

横浜赤レンガ倉庫は、明治/大正の煉瓦造建築が人気の横浜を代表する観光スポット。明治末期から大正初期に国の模範倉庫として建設されたレンガ造りの歴史的建造物です。

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横浜赤レンガ倉庫


神奈川県庁本庁舎(キングの塔)横浜三塔)

神奈川県横浜市中区日本大通

昭和3年(1928年)に建てられ、平成8年に国の有形文化財として登録されました。関東大震災で焼けた県庁本庁舎に代わる4代目で、知事が執務する現役の庁舎としては、大阪府庁本館に次いで全国で2番目に古いものです。
日本趣味のある洋風建築で、1920年代から1930年代頃に流行したアール・デコ様式の装飾が各所に見られます。
横浜のシンボル的存在であり、横浜三塔の一つ「キングの塔」と呼ばれています。

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神奈川県庁本庁舎(キングの塔)(横浜三塔)


横浜市開港記念会館(ジャックの塔)(横浜三塔)重要文化財

神奈川県横浜市中区本町1-6

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横浜市開港記念会館(重要文化財)


横浜税関(クイーンの塔)(横浜三塔)

神奈川県横浜市中区海岸通1-1

 

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横浜税関(クイーンの塔)(横浜三塔)

 


東京都の洋館⑧

2020-06-25 06:05:49 | 洋館まとめ

東京都の洋館⑧


交詢ビルディング(洋館)

東京都中央区銀座

交詢社:1880年(明治13)、福沢諭吉によって創立された社交クラブ。慶応義塾関係者を中心とした実業家の団体。「交詢雑誌」を発行。銀座6丁目にクラブの本拠として交詢ビルディングを所有しており、「交詢社通り」という地名にもなっている。関東大震災で被災した後、1929年(昭和4年)に建てられた歴史的建造物であったが、2004年に建て替えられた。新しいビルは地上10階で、バーニーズ・ニューヨークなどがテナントに入っている。ファサード保存によって以前の建築の一部が保存されている。

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交詢ビルディング(洋館)

 


科学博物館昭和館の天井

東京都台東区上野公園

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科学博物館昭和館の天井

 


築地本願寺

東京都中央区築地

元和3年(1617年)に創建された京都西本願寺の別院。正式名称は浄土真宗本願寺築地別院。一般には築地本願寺の名で知られています。
本堂は関東大震災で崩壊したが、昭和9年(1934年)古代インド様式の石造建造物として再建されました。本尊は聖徳太子の作と伝えられている阿弥陀如来立像。

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築地本願寺

 


和光ビル(旧服部時計店本社ビル)他

東京都中央区銀座

1932年(昭和7年)竣工

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和光ビル(旧服部時計店本社ビル)他

 


自由学園 明日館(重要文化財)2017

東京都豊島区西池袋

1921(大正10)年、羽仁吉一・もと子夫妻によって創立された自由学園の校舎として建設。近代建築の巨匠フランク・ロイド・ライトと、その高弟、遠藤新による設計。学校機能を東京・東久留米市に移し校舎としての役目を終えた後、自由学園と日本の教育の明日を託して「明日館」と命名され、卒業生の諸活動の場所として使用。それからさまざまな歴史を経て、1997(平成9)年、国の重要文化財に指定された。

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自由学園 明日館(重要文化財)2017

 


自由学園 明日館講堂2017

東京都豊島区西池袋

敷地の南側に建つ講堂は遠藤新の設計で、昭和2年(1927)に完成しました。生徒数の増加により、中央棟のホールでは手狭になったため、第5回本科卒業生の父母の提案により、当時、テニスコートとして使用していた場所を敷地にあて、この講堂が完成したのです。

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自由学園 明日館講堂2017

 


静嘉堂文庫(洋館)

東京都世田谷区岡本

文庫の建物は、桜井小太郎(1870~1953)の設計により、大正13年(1924)に建てられました。鉄筋コンクリート造2階建スクラッチ・タイル貼りの瀟洒な外観は、当時のイギリス郊外住宅のスタイルを顕著に表しています。

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 静嘉堂文庫(洋館)

 


旧竹田宮邸(グランドプリンスホテル高輪・貴賓館)

東京都港区高輪

1911年(明治44年)完成。 瓦造2階建て。近代日本の黎明期に宮廷建築家として活躍した、片山東熊により設計されました。 
室内は17〜18世紀初頭の様式で装飾され、細部にわたって優雅な意匠が散りばめられた格式のある建築となっています。

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旧竹田宮邸(グランドプリンスホテル高輪・貴賓館)

 


高輪消防署二本榎出張所

東京都港区高輪

高輪消防署二本榎出張所は、昭和8年12月28日に落成したもので、近代建築の遺産(ドイツ表現主義)として東京都文化デザイン事業により保存建築物に指定されています。

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高輪消防署二本榎出張所


東京都の洋館①

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東京都の洋館⑦

2020-06-24 05:40:35 | 洋館まとめ

東京都の洋館⑦


旧岩崎邸(洋館・和館)2017(重要文化財)

東京都台東区池之端

旧岩崎邸庭園は1896年(明治29年)に岩崎彌太郎の長男で三菱第3代社長の久彌の本邸として造てられました。往時は約1万5,000坪の敷地に、20棟もの建物が並んでいました。現在は3分の1の敷地となり、現存するのは 洋館・撞球室・和館の3棟です。木造2階建・地下室付きの洋館は、鹿鳴館の建築家として有名な英国人ジョサイア・コンドルの設計で近代日本住宅を代表する西洋木造建築です。館内の随所に見事 なジャコビアン様式の装飾が施されていて、同時期に多く建てられた西洋建築にはない繊細なデザインが、往事のままの雰囲気を漂わせています。

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旧岩崎邸(洋館・和館)2017(重要文化財)

 


旧岩崎邸・撞球室(ビリヤード場)2017

東京都台東区池之端

別棟として建つコンドル設計の撞球室(ビリヤード場)は当時の日本では非常に珍しいスイスの山小屋風の木造建築で、洋館から地下道でつながっていま す。洋館と結合された書院造りの和館は当時の名棟梁大河喜十郎の手によるものと言われています。床の間や襖には、明治を代表する日本画家・橋本雅邦が下絵を描いたと伝えられる障壁画などが残っています。現存する大広間を中心に 巧緻を極めた当時の純和風建築をかいま見ることができます。

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旧岩崎邸・撞球室(ビリヤード場)2017

 


国立西洋美術館(重要文化財 世界文化遺産)

東京都台東区上野公園

戦後、日仏間の国交回復・関係改善の象徴として、20世紀を代表する建築家のひとりであるフランス人建築家ル・コルビュジエ(1887-1965)の設計により、1959(昭和34)年3月に竣工した歴史的建造物である。1998(平成10)年に地域に根ざした優れた公共施設として建設省より「公共建築百選」に選定され、2007(平成19)年には国の重要文化財(建造物)に指定された。

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国立西洋美術館(重要文化財 世界文化遺産)

 


迎賓館赤坂離宮(赤坂離宮)重要文化財

東京都港区元赤坂

東京の元赤坂にある現在の迎賓館の建物は、東宮御所として1909年(明治42年)に建設された。鹿鳴館などを設計したお雇い外国人建築家ジョサイア・コンドルの弟子にあたる宮廷建築家片山東熊の設計により、元紀州藩の屋敷跡(明治6年宮城火災から明治21年の明治宮殿完成までの15年間、明治天皇の仮御所が置かれていた。)に建てられた。しかしそのネオ・バロック様式の外観があまりにも華美に過ぎたことや、住居としての使い勝手が必ずしも良くなかったことから、皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)がこの御所を使用することはほとんどなかった。嘉仁親王が天皇に即位した後は離宮として扱われることとなり、その名称も赤坂離宮と改められた。

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賓館2017( 旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮))

 


国会議事堂

東京都千代田区永田町

昭和11年(1936年)11月に建設されました。当時は日本一の高さを誇り、永田町の高台に美しいみかげ石で装われた議事堂が「白亜の殿堂」と賞賛されました。同年12月24日に召集された第70回帝国議会から使用され、現在に至っています。 ※内部は札駅禁止でした。

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国会議事堂

 


旧日比谷公園管理事務所

東京都千代田区日比谷公園

日比谷公園は、日本で最初の洋式公園でした。この建物は日比谷公園の管理事務所として、明治43年(1910年)に建てられました。設計は東京市の技師、福田重義が行いました。洋式の公園に相応しいよう、当時としてはとても斬新な、ドイツ・バンガロー風の瀟洒な造りとなっています。

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旧日比谷公園管理事務所

 


日比谷松本楼

東京都千代田区日比谷公園

東京都千代田区の日比谷公園内にあるレストラン。1903年、日比谷公園の開園と同時に開業。当時としては珍しい洋食を出すハイカラな店として人気を集める。その後、関東大震災による消失、太平洋戦争後の米軍による接収など相次ぐ苦難を乗り越えて再興。

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日比谷松本楼


東京都の洋館①

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東京都の洋館⑥

2020-06-23 05:50:32 | 洋館まとめ

東京都の洋館⑥


泰明小学校

東京都中央区銀座

都会の真中の小学校、中央区銀座5丁目にある泰明小学校は、2003年に開校125周年を迎えました。美しいアーチ型の窓をもつ建物に蔦の絡まる情景は、銀座のシンボルとなっています。 

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泰明小学校

 


旧万世橋駅

東京都千代田区神田須田町

かつて、中央線の神田~御茶ノ水間に、明治45(1912)年に開業した「万世橋駅」がありました。昭和18年に休止になりましたが、赤レンガの万世橋高架橋の中に、ホームや階段など、駅の施設が一部残っていました。
「旧万世橋駅」は、これら駅の遺構を再生し、歴史的価値ある遺構を随所にご覧いただける施設です。開業当時の姿をほぼ留めた「1912階段」や、交通博物館開館時に設けられた「1935階段」をはじめとする遺構を公開するほか、旧万世橋駅時代のプラットホームにデッキを設けた“2013プラットホーム”には、フリースペースやカフェがあります。 このほかにも、万世橋駅の足跡を今に伝える展示も実施しています。

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旧万世橋駅

 


旧府中尋常高等小学校校舎

東京都府中市・郷土の森

1935年(昭和10)に建設された、北多摩随一の規模を誇った木造校舎の一部を復元。

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旧府中尋常高等小学校校舎

 


旧府中町役場庁舎

東京都府中市・郷土の森

1921年(大正10)に完成した洋風の町役場の庁舎です。 地方自治を謳う大正デモクラシーの風潮のなか、財政難にもかかわらず町民の熱意によって3年かけて建てられました。屋根の飾り天窓(ドーマー・ウィンドウ)や錘を内蔵した上げ下げ窓などを取り入れた洋風の2階建て建築ですが、正面車寄せの屋根を和風の唐破風とし、裏側には和風平屋の建物を付設させている点に大きな特色があります。

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旧府中町役場庁舎

 


法務省旧本館(重要文化財)2018

東京都千代田区霞が関

明治政府の官庁集中計画の一環で招聘されたドイツ人建築家エンデとベックマンの設計で明治28年(1895)完成のドイツネオバロック様式の庁舎です。戦災で大きな被害を受けましたが、平成7年当初の姿に復原されました。

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法務省旧本館(重要文化財)2018

 


旧原宿駅

東京都渋谷区宮前

JR東日本によると、2020年の東京オリンピック開催に向けて、当駅の駅改良工事に着手することが発表された。年始のみ使用している臨時ホームを新宿・池袋方面行き外回り専用ホームとして常設化される他、2階建ての駅舎に建て替え・エレベーターとエスカレーターの増設・トイレや改札口と通路の拡張などが行われる。また、新駅舎は明治神宮口にも設置される。なお、今回常設化される外回り専用ホームにはホームドアも設置され、改良工事後の島式ホームは内回り渋谷・品川方面行き専用ホームになる。山手線唯一の木造駅舎だった。現在は新駅舎

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原宿駅

 


法曹会館

東京都千代田区霞が関

現在の法曹会館は、昭和11年(1936)竣工しました。お堀端という場所にふさわしい静謐な趣を生み出すよう配慮された倶楽部建築。尖塔屋根のある塔屋や正面にはめ込まれたステンドグラス、瀟洒な車寄などが特徴です。設計者は三菱地所技師長の藤村朗氏。

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法曹会館(洋館)


東京都の洋館①

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東京都の洋館⑤

2020-06-22 05:48:51 | 洋館まとめ

東京都の洋館⑤


青淵文庫・晩香廬(旧渋沢家飛鳥山邸)(重要文化財)

東京都北区西ヶ原

▲青淵文庫

▲晩香廬

旧渋沢家飛鳥山邸は,曖依村荘と呼ばれた渋沢栄一の邸宅である。旧渋沢家飛鳥山邸の晩香廬及び青淵文庫は,大正期を代表する建築家のひとりである田辺淳吉の作風がよく示された作品である。ともにアーツ・アンド・クラフツ運動の精神が具現された数少ない大正期の建築作品として重要である。

渋沢栄一は、日本初の銀行である第一国立銀行(現・みずほ)や東京証券取引所、東京ガス、帝国ホテル、キリンビールなど500社以上の設立に関与した大実業家でした。

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青淵文庫・晩香廬(旧渋沢家飛鳥山邸)(重要文化財)

 


常盤台写真場

江戸東京たてもの園(東京都小金井市桜町)

 

健康住宅地として開発された郊外住宅地常盤台に建てられた写真館です。 照明設備が発達していない当時、最も安定した照度を得るために、 2階写場の大きな窓には北側から光を採ることができるように摺りガラスがはめこまれています。竣工:昭和12(1937)年

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常盤台写真場

 


迎賓館( 旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)2015 前庭

東京都港区元赤坂

東京の元赤坂にある現在の迎賓館の建物は、東宮御所として1909年(明治42年)に建設された。鹿鳴館などを設計したお雇い外国人建築家ジョサイア・コンドルの弟子にあたる宮廷建築家片山東熊の設計により、元紀州藩の屋敷跡(明治6年宮城火災から明治21年の明治宮殿完成までの15年間、明治天皇の仮御所が置かれていた。)に建てられた。しかしそのネオ・バロック様式の外観があまりにも華美に過ぎたことや、住居としての使い勝手が必ずしも良くなかったことから、皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)がこの御所を使用することはほとんどなかった。嘉仁親王が天皇に即位した後は離宮として扱われることとなり、その名称も赤坂離宮と改められた。

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迎賓館( 旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)) 前庭公開2015

 


復興記念館

東京都墨田区横網

東京都復興記念館の敷地は、もと陸軍被服廠のあった所で、東京市がこれを買い受けて1923年(大正12年)に横網町公園の造営整備に着手したとき、図らずも関東大震災が発生し、東京市の遭難死者は58,000人に上った。東京市は犠牲者の霊を追悼し、また不言の警告を将来に残そうと、被服廠跡に震災記念堂を建設し、災害に対する不断の準備とその予防知識を普及するため、附属施設として東京都復興記念館を建設した。

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復興記念館

 


雑司が谷旧宣教師館

東京都豊島区雑司が谷

この建物は、木造総2階建て住宅で、全体のデザインはシングル様式であり、細部のデザインにはカーペンターゴシック様式を用いており、19世紀後半のアメリカ郊外住宅の特色を写した質素な外国人住宅です

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雑司が谷旧宣教師館

 


星薬科大学本館

東京都品川区荏原

大正13年に完成した星薬科大学のシンボル的建物です。世界的な建築家 アントニン・レイモンドによる設計で、創立者 星 一(ほしはじめ)が米国留学時に学んだコロンビア大学のローホールを模しています。

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星薬科大学本館

 


旧文部省庁舎(登録有形文化財)

東京都千代田区霞ヶ関

霞が関官庁街における震災復興庁舎の好例。大蔵省営繕管財局の設計で、施工は大林組。鉄骨鉄筋コンクリート造6階建、スクラッチタイル貼とする。正方形に近い大きな窓による立面構成と正面玄関上部の垂直性を強調した意匠に特徴がある。昭和7年

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旧文部省庁舎(登録有形文化財)


東京都の洋館①

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東京都の洋館④

2020-06-21 05:34:57 | 洋館まとめ

東京都の洋館④


早稲田大学大隈講堂(重要文化財)

東京都新宿区戸塚町

大隈講堂は本学建築科の創設者・佐藤功一とその弟子・佐藤武夫、耐震構造学の第一人者、内藤多仲によって設計され、昭和2年(1927年)10月15日に竣工しました。創立125周年を記念して全面的な改修工事が行われ10月2日に竣工した本学のシンボル「大隈講堂」が、文化庁文化審議会文化財分科会で国の重要文化財に登録するよう文部科学大臣に答申され、指定されることとなりました。昭和期の学校建築としては全国で2例目で、わが国の建築史上大きな意義を有することになります。

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早稲田大学大隈講堂(重要文化財)

 


日本銀行本店本館(重要文化財)

東京都中央区

辰野金吾の代表作で、現存する明治洋風建築のうち、最も重要なものの一つ。三階建地下一階で、外壁は石積みの内側にレンガを積む。内外ともネオ・バロック様式にルネッサンス的意匠を加味している。関東大震災で被災し、一部改造されているが、外観と一階の大部分および二階の主要部などはよく当初の形態を残している。 1896(明治29)年建築 

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日本銀行本店本館(重要文化財)

 


旧小笠原伯爵邸

東京都新宿区河田町

旧小倉藩藩主の伯爵小笠原長幹の邸宅として1927年(昭和2年)に現在地に建てられた。建物は当時流行のスパニッシュ様式で鉄筋コンクリート造の地上2階、地下1階建て。

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旧小笠原伯爵邸

 


大川邸

江戸東京たてもの園(東京都小金井市桜町)

1925年(大正14)郊外住宅地の一つである大田区田園調布に建てられた住宅です。 居間を中心に食堂・寝室・書斎が配置されています。また、当時としては珍しく全室洋間となっています。大田区田園調布

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大川邸~江戸東京たてもの園

 


鳩山邸(鳩山会館)

東京都文京区音羽

みまさかのくに(現在の岡山)勝山藩出身の鳩山和夫がこの地に居を構えたのは明治24年である。和夫は、弁護士の地位向上、私学の発展、立憲政治の発達と進歩を理想とした。洋館は大正13年に鳩山一郎によって建てられた。首相、初代自由民主党総裁の一郎のほか、妻の薫(共立女子学園理事長)、長男で外相を務めた威一郎を記念する部屋やバラに飾られる庭園などが公開されている。

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鳩山邸(鳩山会館)

 


デ・ラランデ邸

江戸東京たてもの園(東京都小金井市桜町)

元は平屋建ての洋館でしたが、1910年(明治43)年ころ、ドイツ人建築家ゲオルグ・デ・ラランデにより3階建てとして大規模に増築されました。その後、何回か所有者が変わりましたが、1956年(昭和31)から、三島海雲氏がこの住宅に住んでいました。1999年(平成11)まで新宿区信濃町に建っていました。新宿区信濃町 1910年(明治43)ころ

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デ・ラランデ邸

 


上野駅

東京都台東区

上野駅舎(1932年4月3日落成)2代目

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上野駅


東京都の洋館①

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