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コスモのフォトアルバム

旅の記録 五街道ウォーク中!旧東海道、旧甲州街道、旧中山道を完歩。只今、日光街道に挑戦中!    

京都府の洋館④

2023-09-08 05:53:36 | 洋館まとめ

京都府の洋館④


紫明会館(登録文化財)

京都府京都市北区

京都府師範学校の同窓会館として、紫明通に面して建てられた鉄筋コンクリート造三階建。外壁はスタッコ塗でアーチ窓を並べ、パラペット頂部をスペイン瓦葺、内外の細部をアール・デコ風意匠で飾る。講堂や和室を有するなど社会教育目的の建築的特徴を備える。1932

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紫明会館(登録文化財)


同志社大学・クラーク記念館(重要文化財)

京都府京都市上京区(今出川キャンパス)

ドイツ・ネオ・ゴシック建築の重厚な煉瓦造りの建物、1894(明治27)年。

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同志社大学・クラーク記念館(重要文化財)


同志社大学・ハリス理化学館(重要文化財)

京都府京都市上京区(今出川キャンパス)

創立者新島襄の科学に対する熱意に共鳴した米実業家J.N.ハリスの寄付によって1890年に竣工したもの。

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同志社大学・ハリス理化学館(重要文化財)


同志社大学・礼拝堂(重要文化財)

京都府京都市上京区(今出川キャンパス)

D.C.グリーンによる設計で、1886年6月に竣工したプロテスタントのレンガ造チャペルとしては日本に現存する最古の建物です。正面中央に円形のバラ窓、左右にアーチ窓を設け、その前に屋根と尖りアーチの入口を持っており、ゴシック建築の特徴が出ています。

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同志社大学・礼拝堂(重要文化財)


同志社大学・彰栄館(重要文化財)

京都府京都市上京区(今出川キャンパス)

アメリカン・ボードの寄付によりD.C.グリーンが設計した建物で、1884年に竣工しました。レンガ造の洋風な外観に対して、内部の間仕切壁や小屋組など、構造形式は純和風になっています。

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同志社大学・彰栄館(重要文化財)


同志社大学・有終 館(登録文化財)

京都府京都市上京区(今出川キャンパス)

煉瓦造、二階建、地下一階

初代図書館「書籍館」として建てられ、当時は日本最大の学校図書館。また一部教室としても使用され、現在は総長室や事務棟となっている。1887(明治20)年

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同志社大学・有終館(重要文化財)


同志社大学・アーモスト館(登録文化財)

京都府京都市上京区(今出川キャンパス)

桁行22m,梁間12mのRC造3階建,平入で,南面にサンルームを張出し,大型の腰折れ屋根には煙突や屋根窓を左右対称に配す。外装煉瓦張で,隅部では竜山石を算木積状に張るなど,材料を丁寧に使い分け華やかさを演出する。1932

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同志社大学・アーモスト館(登録文化財)


京都府の洋館①

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京都府の洋館③

2023-09-07 05:57:21 | 洋館まとめ

京都府の洋館③


京都大学百周年時計台記念館

京都府京都市左京区(吉田キャンバス)

百周年時計台記念館は、工学部建築学科初代教授 武田五一氏が設計し、1925(大正14)年に完成した京都大学のキャンパスを代表する建物です。その外観は格調高い風格を備え、歴史的にも貴重な存在となっています。完成以来、かつては法学部、経済学部の講義施設、近年は本部事務局として歩んできた時計台は、現在、学術の交流および社会との連携の場として、京都大学のシンボル的な存在となっています。

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京都大学百周年時計台記念館


京都大学楽友会館(登録有形文化財)

京都府京都市左京区

京大創立25周年記念の同窓会館。分離派建築会の森田慶一が設計にあたる。スパニッシュ・ミッションを基調としながら,Y字型の柱に支えられた円みをもつポーチ屋根が破調を与える。森谷延雄による家具とともに内部空間も大正建築の特徴をよく伝える。1925

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京都大学楽友会館(登録有形文化財)


大丸ヴィラ(京都市登録有形文化財)

京都府京都市上京区

この洋館は大丸百貨店店主の下村家が居宅として昭和7年にヴォーリズ建築事務所の設計、清水組の施工によって建てられました。 当時、日本化して行く洋館の中で、イギリスのチューダー様式でまとめられていますところから中道軒(ちゅうどうけん)と名づけられました。急勾配の瓦屋根に煉瓦積の煙突を付け、鉄筋コンクリート造でありながら妻面には太い柱型を見せたハーフティンバー(半木造)によって変化に富んだ外観となっています。
 室内にはヴォーリズの計画になるアメリカのキッチンジャー社の家具が残されており、ともに京都市登録有形文化財になっています。

どうやらこの建物は非公開らしい。建物は樹木で囲まれていて全体の撮影は難しい。

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大丸ヴィラ(京都市登録有形文化財)


聖アグネス教会

京都府京都市上京区

京都府京都市上京区外観はレンガ造り・ゴシック様式の「三廊式バジリカ型」と呼ばれる西洋の典型的な教会様式です。
内部のデザインも、随所に明治期のキリスト教会堂の特色を伝えています。1898年に竣工。日本聖公会

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聖アグネス教会(登録有形文化財)


平安女学院・昭和館(有形文化財)

京都府京都市上京区

1929年に建築。
意匠設計は、当時聖路加国際病院や京都聖三一教会などを手がけたアメリカ人建築家のJ・V・Wバーガミニー氏が、構造設計は「日本における耐震構造の父」と評され東京タワーや通天閣などを手がけた内藤多仲氏が担当。
堅牢な建物ながら、「尖頭アーチ」や「メダリオン―徽章やシンボルマークなどのレリーフ」を効果的に用いて華やかさを見せています。外壁を1階モルタル塗,2階煉瓦タイル貼とする。昭和初期のSRC造の学校建築。

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平安女学院・昭和館(有形文化財)


京都府庁旧本館(重要文化財)

京都府京都市上京区

ルネサンス様式に属する建物の外観は、正面の一段高くなった屋根を中心に左右両翼に対称に張り出した形となっており、西洋近世の大邸館を彷彿とさせるものがあります。建物内部には和風の優れた技術が巧みに取り入れられており、内部意匠は建築よりも、むしろ工芸品といった趣さえ感じられます。明治37年(1904)12月20日に竣工

一般公開されているが、この日は非公開日でした。残念、また次回

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京都府庁旧本館(重要文化財)


旧西陣織物館(京都市考古資料館)

京都府京都市上京区

煉瓦造3階建の寄棟屋根に玄関ポーチをつけ,単純化された壁面など,様式主義建築が主流であった時代にしては簡素な手法が用いられています。大正3年上棟

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旧西陣織物館(京都市考古資料館)


京都府の洋館①

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京都府の洋館②

2023-09-06 05:54:49 | 洋館まとめ

京都府の洋館②


旧帝国京都博物館本館(重要文化財)

京都府京都市東山区

現在の京都国立博物館旧館がこの建物で、明治二十八年完成し、同三十年開館された。 煉瓦造一階建、外壁の要所に石を用い、正面中央には大きな妻飾りをもつ玄関を設け、すぐれた意匠になる。
正面表門および袖塀も創建時のもので当初の景観をよく伝えている。この建物は明治中期における貴重な遺構である。1895

現京都国立博物館旧館

訪問時、改修工事のため工事用フェンスに囲まれていて立ち入り禁止でありました。

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旧帝国京都博物館本館(重要文化財)


進々堂 京大北門前

京都府京都市左京区

創業者が留学時に目にしたヨーロッパ中世の様式を取り入れた建物。風格ある重厚な煉瓦造りの建築は、界隈の人々の度肝を抜いた。京都で初めての本格的フランス風喫茶店として1930年に建築された老舗喫茶店です。

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進々堂 京大北門前(京都で初めての本格的フランス風喫茶店)


旧関西日仏学館(登録有形文化財)

(現アンスティチュ・フランセ関西 )

京都府京都市左京区

20世紀フランスを代表する建築家ペレの弟子メストラレが基本設計にあたる。ペレ流の洗練された柱型と軒線がつくる古典主義的骨格に,要所の曲面が優美さを与える。東大路通に面して建ち,京都大学の諸建築とともに学園街を形成する。

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旧関西日仏学館(登録有形文化財)


京都大学人文科学研究所

京都府京都市左京区

外務省東方文化学院京都研究所として建設。RC造,外壁スタッコ仕上で、塔付2階建の西棟と平屋建の他棟が中庭を囲みロ字形平面を構成する。スパニッシュ・ミッション様式を基調に外観・内装ともに高密度のデザインが施される。設計は武田五一と東畑謙三。1930  (附属東アジア人文情報学研究センター)

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京都大学人文科学研究所


京都大学旧演習林事務室(登録有形文化財)

京都府京都市左京区(吉田キャンバス)

昭和6年に建設された北部構内の特徴的な建物の一つです。スパニッシュ瓦葺、ベランダをめぐらしたバンガロー風の木造建築で、天井の意匠などモダニズムの清新さ溢れる建物に仕上がっています。現「四明会」

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京都大学旧演習林事務室(登録有形文化財)


京都大学総合研究15号館(旧建築学教室本館)

京都府京都市左京区(吉田キャンバス)

竣工: 1922年 鉄筋コンクリ-ト造地上2階地下1階建

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京都大学総合研究15号館(旧建築学教室本館)


京都大学文学部陳列館(登録有形文化財)

京都府京都市左京区(吉田キャンバス)

京都帝大拡張期の代表的建築で,陳列館としての記念碑的性格を有する。ブロークンペディメントや楕円形の窓などネオバロックに傾斜しながらも,細部装飾にはセセッション的意匠が認められ大正期建築の特徴をも示す。京大営繕の山本治兵衛と永瀬狂三の設計。1914年

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京都大学文学部陳列館(登録有形文化財)


京都府の洋館①

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福井県の洋館

2023-08-31 05:57:45 | 洋館まとめ

福井県の洋館(更新)


旧京都電燈古市変電所 登録有形文化財

福井県吉田郡永平寺町

永平寺口駅構内にあり、駅本屋の90m東に位置する。桁行19m梁間8.0m、妻入で、西面して建つ。煉瓦造平屋建、切妻造桟瓦葺で、木造トラスとし、開口部の頂端部を迫石とした煉瓦アーチで造る。丁寧なつくりになる、県内有数の大規模な煉瓦造建築。

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旧京都電燈古市変電所(登録有形文化財)


福井市水道記念館 登録有形文化財

福井県福井市足羽

福井市水道記念館は、福井市内中央にある足羽山の東山麓に位置する。 伝染病対策として良質の飲料水と防火用水の必要性が高まるなか、福井市の上水道事業が大正7年に計画されたが、このポンプ場は、大正13年ころに、一本木浄水場の水を足羽山山頂に揚げ、市内に配水するために建てられた施設である。切妻造スレート葺、正面18m、側面13mの鉄筋コンクリート造2階建の建物で、外壁はモルタル洗い出し、上下2段の大きな窓や胡麻殻仕上げの柱を配し、リズム感のある外観となっている。 約70年間使用されていたが、平成3年にその役目を終え、現在は福井市水道記念館として市民に親しまれている

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福井市水道記念館


敦賀港駅ランプ小屋(赤煉瓦)

福井県敦賀市金ケ崎町 

敦賀港駅は当初金ヶ崎駅と呼ばれていました。明治末期から昭和初期にかけて欧亜国際列車が運行され、ここからウラジオストク航路に乗り継ぎ、遥か欧州を目指す人や荷物で賑わっていた場所です。ランプ小屋は、列車の灯火に使用されるカンテラの燃料を保管する油庫として、かつては主要な駅に一般的に存在したものです。しかし光源が電灯に変わるなどして、その用途が消滅すると、駅の増改築などで急速にその姿を消していきました。ランプ小屋は1882年(明治15年)頃に建てられました。近代のコンクリートブロックやスレート造のものとは違い、丁寧に積み上げられたレンガや開口部のアーチなどは、独特の趣があります。そのレンガには、ところどころに四角い小さな文字が刻まれています。これはレンガを作った職人のサインのようなものです。

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敦賀港駅ランプ小屋


敦賀の赤レンガ倉庫 

福井県敦賀市金ケ崎町

明治から昭和初期にかけて港を中心に国際的な都市として発展した敦賀。その当時の面影を今もとどめる建造物だ。1905年(明治38)に紐育[ニューヨーク]スタンダード石油会社によって建てられた。オランダ製レンガ造りの建物は外国人の設計で、柱6本の内側に壁を設けているため内部は無柱の空間となっていることやフィート単位で造られているのが特徴。

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敦賀の赤レンガ倉庫


旧敦賀港駅舎

福井県敦賀市金ヶ崎町

とんがり屋根が印象的な旧敦賀港駅舎。「欧亜国際連絡列車」の発着駅としてかつて重要な位置を占めていた敦賀港駅舎を1999年の「つるがきらめみなと博21」開催時に再現したものです。敦賀は古くから大陸への玄関口として栄え、近代に入ると日本海側で最初に鉄道が走るなど、港と鉄道の街として発展してきました。時代背景を交えながら敦賀の鉄道に関する歴史を紹介し、鉄道資料や列車模型などを展示しています。

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旧敦賀港駅舎


若狭鯖街道熊川宿資料館(宿場館)

福井県三方上中郡若狭町熊川

昭和15年に、熊川出身で伊藤忠商事二代目社長の逸見竹ノ助により、近代洋風建築の熊川村役場が建てられました。トスカナ風の柱頭をもつ円柱がポーチに建ち、寄棟瓦葺の2階屋根の中央には越屋根が付いています。

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若狭鯖街道熊川宿資料館(宿場館)


高島歯科医院(登録有形文化財)

福井県小浜市小浜鹿島

小浜漁港に向かう通りに東面して建つ。正面5間半、奥行5間の木造2階建で、2階南側3間分を診療所部とする。屋根は小屋根を戴くマンサード風とし、外部はモルタル洗出しで石目地を切って洋風に仕上げ、窓下等に煉瓦タイルを貼ってアクセントをつける。大正14年

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高島歯科医院(登録有形文化財)


2023年8月30日 更新

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岩手県記事まとめ

2021-03-14 05:50:16 | 洋館まとめ

岩手県記事まとめ

岩手県の洋館

七滝~岩手県八幡平市

八幡平2019~岩手県八幡平市

八幡平温泉郷にて~岩手県八幡平市

新花巻駅(岩手県花巻市矢沢)⇒福島駅(福島県福島市栄町)⇒大泉駅(阿武隈急行)

花巻温泉郷にて~岩手県花巻市

八幡平(岩手県八幡平市)2017②(東北の山々を堪能)

八幡平(岩手県八幡平市)2017①(東北の山々を堪能)

盛岡の町並み②~岩手県盛岡市

報恩寺・五百羅漢~岩手県盛岡市名須川町

三ツ石神社(鬼の手形)~岩手県盛岡市名須川町

旧井弥商店~岩手県盛岡市上ノ橋町

紺屋町番屋~岩手県盛岡市紺屋町

茣蓙九(商家)~岩手県盛岡市紺屋町

盛岡信用金庫本店(洋館)~岩手県盛岡市中ノ橋通

岩手銀行中ノ橋支店(重要文化財)~岩手県盛岡市中ノ橋通

桜山神社~岩手県盛岡市内丸

岩手県公会堂~岩手県盛岡市内丸

彦御蔵(盛岡市指定有形文化財)~岩手県盛岡市内丸

盛岡城100名城~岩手県盛岡市内丸

盛岡の町並み①~岩手県盛岡市

金ケ崎町城内諏訪小路(重要伝統的建造物群保存地区)~岩手県胆沢郡金ケ崎町

水沢の町並み③~岩手県奥州市水沢区

水沢の町並み②~岩手県奥州市水沢区

奥州宇宙遊学館(旧緯度観測所本館)~岩手県奥州市水沢区星ガ丘町

木村榮記念館(旧緯度観測所旧本館分館)~国立天文台水沢VLBI観測所内

国立天文台水沢VLBI観測所~岩手県奥州市水沢区星ガ丘町

駒形神社~岩手県奥州市水沢区中上野町

水沢の町並み①~岩手県奥州市水沢区

JR平泉駅~岩手県西磐井郡平泉町平泉字泉屋

中尊寺(世界遺産)~岩手県西磐井郡平泉町

毛越寺(世界遺産)~岩手県西磐井郡平泉町

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鹿児島県の洋館④(4/4)

2020-12-29 05:50:07 | 洋館まとめ

鹿児島県の洋館④


県政記念館(旧鹿児島県庁舎本館)

鹿児島県鹿児島市山下町

曽禰中條建築事務所設計によるロの字型平面の県庁舎建築の正面玄関及び中央階段部分。大正期におけるネオ・ルネッサンス様式による県庁舎建築で、中央は3階建とし、玄関車寄のトスカナ式の双柱に2階のイオニア式の柱を重ね、威厳ある正面をつくりあげている。

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県政記念館(旧鹿児島県庁舎本館)

 


鹿児島市中央公民館(登録有形文化財)

鹿児島県鹿児島市山下町

建物周囲にドライエリアを設け,ラーメン構造のRC造,地下1階地上3階建とする。正面立面及び平面をほぼ左右対称とし,玄関両脇に階段室塔屋を配し,その間に4本のピラスター,イスラム風尖頭アーチの窓を設置するなど,中央重視の特徴ある意匠とする。

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鹿児島市中央公民館(登録有形文化財)

 


鹿児島県立博物館(旧鹿児島県立図書館)

鹿児島県鹿児島市城山町

鉄筋コンクリート造3階建塔屋付で、鹿児島県建築課の設計による。担当は地元出身の岩下松雄。丸くした隅部に正面玄関を配し、階段室や塔屋に曲面を用いてダイナミックな構成とするなどに岩下松雄の作風がよく示されている。

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鹿児島県立博物館(旧鹿児島県立図書館)

 


旧芹ケ野島津家金山鉱業事業所(有形文化財)2017

鹿児島県鹿児島市吉野町

もと串木野村にあった島津家の金鉱山事務所。寄棟造の2階建本屋に片入母屋屋根の玄関及びムクリ屋根の張出し部がつく。外壁は下見板貼りとし、2階正面に連続アーチで構成されるベランダを設けるなど洋風の外観に、和風の屋根をかけた独特の形態を保つ。明治/1904/1923・1986移築

前回訪問は2016年9月で無用途でしたが、スターバックス鹿児島仙巌園店として利用されていました。

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 旧芹ケ野島津家金山鉱業事業所(有形文化財)2017

鹿児島県の洋館①(1/4)

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鹿児島県の洋館③(3/4)

2020-12-28 06:13:30 | 洋館まとめ

鹿児島県の洋館③


旧集成館機械工場(重要文化財・世界文化遺産)2016

鹿児島県鹿児島市吉野町

1863(文久3)年の薩英戦争で、薩摩藩は西洋の強力な軍事力を目の当たりにし、西洋の進んだ技術を積極的に取り入れようと考えるようになりました。斉彬が築いた集成館は薩英戦争で焼失しましたが、島津忠義によって復興が進められ、1865年に再建されました。この機械工場で使用された動力は蒸気機関によるもので、長崎製鉄所の特徴・技術を学び、主に洋式機械による金属加工、艦船・蒸気機関の修理、部品加工が行われました。

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旧集成館機械工場(重要文化財・世界文化遺産)2016

 


鹿児島県教育会館

 鹿児島県鹿児島市山下町

竣工: 1931年

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鹿児島県教育会館

 


山形屋

鹿児島県鹿児島市金生町

山形屋の創業は1751年(宝暦元年)、百貨店化は明治時代中頃、近代的なデパート建築(清水組による施工)となったのは大正時代初期と古く、地方百貨店の先駆け的存在であり、神戸以西における百貨店第1号である。1999年復元

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山形屋

 


南日本銀行本店(有形文化財)

鹿児島県鹿児島市山下町

昭和初期の建造物で有形文化財である本店は、建築学上、貴重な存在である。異なる建築様式の混合体であり、「近代から現代への過渡期の作品」と評される。と同時に、鹿児島市の目抜き通りにある立地も手伝って、ランドマークの役割も果たしている。鹿児島県技師三上昇氏の設計で1937年(昭和12年)5月、竣工した。鹿児島無尽の時代である。

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南日本銀行本店(有形文化財)

鹿児島県の洋館①(1/4)

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鹿児島県の洋館②(2/4)

2020-12-27 05:39:57 | 洋館まとめ

鹿児島県の洋館②


旧島津家吉野殖林所(磯工芸館)2017

鹿児島県鹿児島市吉野町

もと吉田村にあって島津家吉野殖林所として建築された。寄棟造の本屋正面に独特の意匠になるベランダやムクリ屋根の玄関ポーチがつく。

現在は島津薩摩切子ギャラリーショップ磯工芸館として利用されている。

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旧島津家吉野殖林所(磯工芸館)2017

 


旧鹿児島紡績所技術館(重要文化財・世界遺産)

鹿児島県鹿児島市吉野町

1867年(慶応3年)、洋式紡績工場の技術者宿舎として建てられ、通称異人館と呼ばれた。薩摩藩最後の藩主、12代島津忠義がイギリスから紡績機械を輸入して日本初の洋式紡績所を設け、技術指導を受けるために招いたイギリス人技師ら7名の宿舎として建設されました。当時の鹿児島には初めての2階建て洋館で、技師の帰国後に勃発した西南戦争の際では傷病者の救護施設にも使われますが1897年(明治30年)に閉鎖されました。洋風和モダン!イギリスで設計され、日本の寸尺の技術で建てられた。当時の日本には無い多面形のポーチは八角形の半分が表に出され、4面にはバルコニー、窓は全て透明のガラスが張られています。周囲は回廊となっており、内装も豪華で天井や内壁にもクロスが張られ、お洒落な照明器具が設置されています。外壁には白いペンキが塗られ、開口部はアーチ型が採用されていますが、屋根の小屋組は全て尺貫法の寸法が用いられ、洋風ながらもどことなく和のたたずまいを感じさせてくれます。

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旧鹿児島紡績所技術館(重要文化財・世界遺産)

 


旧島津家芹ヶ野鉱業所2016

鹿児島県鹿児島市吉野町

もと串木野村にあった島津家の金鉱山事務所。寄棟造の2階建本屋に片入母屋屋根の玄関及びムクリ屋根の張出し部がつく。外壁は下見板貼りとし、2階正面に連続アーチで構成されるベランダを設けるなど洋風の外観に、和風の屋根をかけた独特の形態を保つ。

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旧島津家芹ヶ野鉱業所2016

 


旧島津家吉野殖林所(磯工芸館)2016

鹿児島県鹿児島市吉野町

もと吉田村にあって島津家吉野殖林所として建築された。寄棟造の本屋正面に独特の意匠になるベランダやムクリ屋根の玄関ポーチがつく。

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旧島津家吉野殖林所(磯工芸館)2016

 

鹿児島県の洋館①(1/4)

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鹿児島県の洋館①(1/4)

2020-12-26 05:59:16 | 洋館まとめ

鹿児島県の洋館①


鹿児島県立博物館考古資料館

鹿児島県鹿児島市城山町

興業館として建設され,鹿児島県の産業振興に大きな役割を果たした。石造アーチ橋の文化圏にある鹿児島ならではの石造建築で,洋風を基調としながら,随所に和風モチーフの細部を混在させた特異な建造物として知られる。1883年建築

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鹿児島県立博物館考古資料館

 


鹿児島市役所本館(登録有形文化財)

鹿児島県鹿児島市山下町

大蔵省営繕管財局の設計になる府県庁舎スタイルを踏襲した市庁舎建築であるが,当時の岩元市長の強い意向により,ベースメント層を設けずに道路からストレートに入れるようなプランニングをとっている点に特徴がある。1937年

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鹿児島市役所本館(登録有形文化財)

 


豊産業社屋(鹿児島食販組合)

鹿児島県鹿児島市泉町

詳細不明 大正期

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豊産業社屋(鹿児島食販組合)

 

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熊本県・宮崎県の洋館

2020-12-25 06:50:28 | 洋館まとめ

熊本県・宮崎県の洋館


熊本県の洋館

カトリック人吉教会

熊本県人吉市寺町

1903年(?)建築

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カトリック人吉教会


宮崎県の洋館

旧飯田医院(洋館)

宮崎県日南市飫肥

詳細不明

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旧飯田医院(洋館)

 


服部植物研究所

宮崎県日南市飫肥 

1946(昭和21)年、飫肥出身の服部新佐博士が設立した研究所

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部植物研究所

2020-11-30 10:44:59

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長崎県の洋館④

2020-11-30 05:53:44 | 洋館まとめ

長崎県の洋館④


旧長崎高商表門衛所

長崎県長崎市南山手町 グラバー園内 

この洋風の建物は、1905年(明治38年)に創立した長崎高等商業学校の表門の傍らに建てられていた門衛所です。1976年(昭和51年)に現在の場所に移築復元されました。
高等商業学校は、旧制の高等教育機関(現在の大学にあたる)のなかで、商業・商学を担いました。長崎高等商業学校は、1944年(昭和19年)に長崎経済専門学校を経て、1949年(昭和24年)に長崎大学経済学部となり現在に至っています。

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旧長崎高商表門衛所

 


旧長崎地方裁判所長官舎

長崎県長崎市南山手町 グラバー園内

この洋風建築は、1883年(明治16年)3月に長崎控訴裁判所(現在の高等裁判所)の官舎として八百屋町1番地(現長崎市上町4番21号)建てられました。長崎控訴裁判所は、1886年(明治19年)に長崎控訴院に改称。その後、控訴院は1945年(昭和20年)に福岡に移転しました。それに伴ってこの建物も、控訴院の官舎から長崎地方裁判所長の官舎となります。建物は、明治時代の西欧化を反映した貴重な官庁建築のひとつとして、1979年(昭和54年)に現在地に移築し復元したものです。現在はレトロ写真館として利用されています。

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旧長崎地方裁判所長官舎

 


旧ウォーカー住宅(2017)

長崎県長崎市南山手町 グラバー園内

イギリス人ロバート・ネール・ウォーカーが、息子とともに明治10年代から約70年間住んでいた家。ウォーカーは、日本郵船高千穂丸の船長を務めた後、1898(明治31)年に、R・N・ウォーカー商会を設立。日本で最初の本格的清涼飲料水を作る。

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 旧ウォーカー住宅(2017)

 


旧リンガー住宅

長崎県長崎市南山手町 グラバー園内

明治初期の建築で、ウラジオストックの花崗岩を土台に使った外壁石造の木造住宅。ベランダの天井が格天井となっていて珍しい。イギリス人、フレデリック・リンガーは、1864(元治元)年に、グラバー商会の使用人として来日した。のちにグラバーの事業を継承し、グラバー商会番頭格ライル・ホームとホーム・リンガー商会を設立した。

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旧リンガー住宅

 


旧オルト住宅(重要文化財)

長崎県長崎市南山手町 グラバー園内

タスカン風列柱(れっちゅう)のベランダ中央に切妻(きりづま)屋根のぺディメントを持つポーチがあり、軒高の高い堂々たる偉容で、幕末明治期洋館遺構中の最も秀でた建物である。英人技師の設計と思われる平面図が、天草切支丹(キリシタン)館(天草市)に遺っている。英人オルトはお茶の輸出で巨利を得、自分でも製茶業に手を染めたが、彼の退去後、明治12年(1879)12月に創立された活水女学校が同15年(1882)まで仮校舎に使用した。

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旧オルト住宅(重要文化財)

 


旧グラバー住宅(邸)2017 重要文化財

長崎県長崎市南山手町 グラバー園内

グラバーは、南山手3番地の広大な敷地(1619坪)に庭園と木造洋風の住宅を建てました。この南山手の高台からは、長崎の港と対岸に現在の三菱重工業(株) 長崎造船所が一望できます。建設年代は主屋より発見された墨書により1863(文久3)年であることが確認され、木造洋風建築としては現存する日本最古の遺構になります。棟梁は大浦天主堂等を請負った天草の小山秀之進のちに改名、小山秀であったと思われます。旧グラバー住宅の主屋は、建築当初の平面は逆L字型をしており、その後の増築で、逆L字型からT字型へと変化し、さらに四つ葉のクローバーのように広がりました。旧グラバー住宅は、英国コロニアル様式と日本の伝統的な建築技術の融合を示しています。日本瓦や漆喰を用い、半円形を描く寄棟式屋根、石畳の床面に木製の独立円柱があり、柱間には吊束を持つアーチ型欄間、化粧軒、木造菱格子の天井を持つ広いベランダが特徴です。

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旧グラバー住宅(邸)2017 重要文化財


長崎県の洋館①

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長崎県の洋館③

2020-11-29 06:16:39 | 洋館まとめ

長崎県の洋館③


旧長崎内外クラブ(出島内)

長崎県長崎市出島町

明治32年(1899年)にT.B.グラバーの息子倉場富三郎、横山寅一郎、荘田平五郎等の発起によって長崎に在留する外国人と日本人の社交の場として設立した「長崎内外倶楽部」があった建物で、現在の建物は明治36年(1903年)にF.リンガー氏によって建てられた英国式明治洋風建築です。

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旧長崎内外クラブ(出島内)

 


江崎鼈甲器製造場(現江崎べっ甲店)

長崎県長崎市今魚町

鼈甲細工の製造・販売を手がけた老舗。正面を店舗,後方を工場・事務室等にあてる。店舗外観は,東が町家風,西が土蔵風で,軒廻り・窓廻り等の要所を洋風とする。内部は全体を洋風につくる。洋風建築が多い市内にあって,明治後期の店舗建築の好例である。明治31年建築

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江崎鼈甲器製造場(現江崎べっ甲店)

 


浦上教会

長崎県長崎市本尾町

浦上教会の建設計画は、1873年、キリシタン弾圧の禁制をとかれ自由を得た浦上の信徒達によって行なわれた。ところが資金がなかなか集まらず、20年余りの時を経た1895年、やっとフレノ神父の設計による教会の建設が開始し、1914年に東洋一のレンガ造りのロマネスク様式大聖堂として献堂式があげられた。

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浦上教会

 


旧三菱第2ドックハウス

長崎県長崎市南山手町 グラバー園内 

木造2階建て。1896(明治29)年に建てられた。船が三菱造船所のドックに入っている間の、乗員たちの宿舎だった建物。グラバー園の最上部にあり、ベランダから港の風景が楽しめる。 

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旧三菱第2ドックハウス


長崎県の洋館①

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長崎県の洋館②

2020-11-28 05:46:31 | 洋館まとめ

長崎県の洋館②


旧リンガー住宅2015(重要文化財)

長崎県長崎市南山手町

明治初期の建築で,ウラジオストックの花崗岩を土台に使った外壁石造の木造住宅。ベランダの天井が格天井となっていて珍しい。イギリス人,フレデリック・リンガーは,1864(元治元)年に,グラバー商会の使用人として来日した。のちにグラバーの事業を継承し,グラバー商会番頭格ライル・ホームとホーム・リンガー商会を設立した。

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旧リンガー住宅2015(重要文化財)

 


長崎市べっ甲工芸館(旧長崎税関下り松派出所) 重要文化財

長崎県長崎市松が枝町

「長崎市べっ甲工芸館」は、国指定重要文化財「旧長崎税関下り松派出所」の約4年間の保存修理工事を経て、べっ甲工芸品及び税関資料を市民の観覧に供し文化的向上に資することを目的に、平成14年4月10日にオープンしました。
「旧長崎税関下り松派出所」は、明治31年に建設され、平成2年3月に国の重要文化財に指定されおり、建物自体は小規模ではありますが、明治時代の税関施設の状況をよく伝えており、歴史的な価値だけでなく、海岸通りの景観形成にも重要な役割を担っています。

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長崎市べっ甲工芸館(重要文化財)

 


東山手甲十三番館 (登録文化財)

長崎県長崎市東山手町甲

東山手オランダ坂の西側に占める敷地の南寄りに建つ。桁行14m梁間9.9m、寄棟造桟瓦葺の2階建で、南に寄棟造2階建の付属屋を突き出し、北に庇を設ける。外観は下見板張で、港側の西面にはベランダを設ける。港町長崎の主要な景観要素の一つである。

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東山手甲十三番館 (登録文化財)

 


東山手十二番館(重要文化財)

長崎県長崎市東山手町

重要文化財東山手十二番館は、1868年(明治元)に建設されたもので、竣工後ほどなくロシア領事館が置かれました。その後アメリカ領事館やアメリカのメソジスト派(婦人外国伝道協会)の宣教師などの住宅として使われました。 1941年(昭和16)に活水学院に譲渡されましたが、1976年(昭和51)に建物は長崎市に寄贈されました。

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東山手十二番館(重要文化財)

 


旧出島神学校(出島内)

長崎県長崎市出島町

オランダ人だけが出島で通商を許されたのは、彼らがカトリックではなく、新教徒だったからである。1859年(安政6)から新教も本格的な活動を始め、出島に教会と神学校が造られたのは1876年(明治9)である。

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旧出島神学校(出島内)


長崎県の洋館① 

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長崎県の洋館①

2020-11-27 06:04:24 | 洋館まとめ

長崎県の洋館①


田平天主堂

長崎県平戸市田平町小手田免

田平天主堂は、1886(明治19)年以降、ラゲ神父やド・ロ神父が買い取った土地に黒島、外海から移住した信徒によってはじまる。1918(大正7)年、信徒たちは、中田藤吉神父の奔走による寄付に助けられ、鉄川与助が設計・施工した最後の煉瓦造教会堂を建てた。

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田平天主堂

 


平戸オランダ商会2015

長崎県平戸市大久保町

平戸オランダ商館は、1609年に設立された東アジアにおける貿易拠点で、江戸時代初期の日本の対外政策を考える上で重要な存在でした。平戸では比較的自由な活動ができたため、商取引や日常生活で様々な交流が行われていました。しかし、進展する鎖国政策により、1641年に長崎出島への移転が命じられ、約33年の平戸時代は終焉を迎えます。復元された建物は、1639年に完成した巨大な石造倉庫であり、日本ではじめての洋風建造物です。屋根などは、一部日本建築の要素も感じられますが、約2万個もの砂岩切石や48cm角の大きさの柱などが使用され、外観や構造はオランダの建物に酷似しています。 ながさき旅ネット

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平戸オランダ商会2015

 


大浦天主堂2015(国宝)

長崎県長崎市南山手町

幕末の開国にともなって造成された長崎居留地の中に、在留外国人のために建設した中世ヨーロッパ建築を代表するゴシック調の国内現存最古の教会堂です。聖堂内を飾るステンドグラスには、約100年前のものもあります。直前に列聖されたばかりの「日本二十六聖殉教者」に捧げられました。西坂の丘で殉教した二十六聖人へ祈りを捧げるために建てられたため、正面は西坂の丘に向けられています。設計指導者はフランス人宣教師のフューレ、プティジャンの両神父で、施工は天草の小山秀之進(のちに、「秀(ひいで)と改名」)です。元治元年(1864)末に竣工し、翌年2月に祝別されました。この直後の3月に、浦上の潜伏キリシタンが訪れ、信仰を告白したことにより、世界の宗教史上にも類を見ない劇的な「信徒発見」の舞台となりました。明治8年(1875)と同12年(1879)の増改築により、平面形式と外観デザインも変容し、外壁も木造から煉瓦造に変更されましたが、内部空間の主要部には創建当初の姿が温存されています。また1933(昭和8)年に国宝となるが原爆で被害を受け、1953(昭和28)年、日本最古の教会堂として国宝に再度指定されました。 ながさき旅ネット

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大浦天主堂2015(国宝)

 


長崎市旧香港上海銀行長崎支店記念館

長崎県長崎市松が枝町

香港上海銀行は、開港して間もない幕末の長崎に代理店を置いて活動を始め、明治25年(1892)長崎に支店を開設しました。香港上海銀行長崎支店の新社屋として明治から昭和初期の建築界の異才下田菊太郎が設計した現存する唯一の遺構であり、明治37年(1904)に竣工しました。長崎市内の石造り洋館としても最大級の物です。この支店は当時神戸以西唯一の外国銀行で、在留外国人なかでも貿易商を主な取引先として外国為替やロンドン・上海・香港における外貨の売買を主要業務とした特殊為替銀行でした。昭和6年(1931)、長崎支店が閉鎖された後は、梅香崎警察署、大浦警察署、長崎市歴史民俗資料館として利用され、親しまれてきました。平成3年(1991)、市民の声を受けて建物の調査・保存修理に着手、老朽化した建物を半解体修理するとともに長い年月の中で失われた装飾部などの復原を行いました。ながさき旅ネット

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長崎市旧香港上海銀行長崎支店記念館

 


旧グラバー住宅(邸)2015(重要文化財)

長崎県長崎市南山手町

グラバーは、南山手3番地の広大な敷地(1619坪)に庭園と木造洋風の住宅を建てました。この南山手の高台からは、長崎の港と対岸に現在の三菱重工業(株) 長崎造船所が一望できます。建設年代は主屋より発見された墨書により1863(文久3)年であることが確認され、木造洋風建築としては現存する日本最古の遺構になります。棟梁は大浦天主堂等を請負った天草の小山秀之進のちに改名、小山秀であったと思われます。旧グラバー住宅の主屋は、建築当初の平面は逆L字型をしており、その後の増築で、逆L字型からT字型へと変化し、さらに四つ葉のクローバーのように広がりました。旧グラバー住宅は、英国コロニアル様式と日本の伝統的な建築技術の融合を示しています。日本瓦や漆喰を用い、半円形を描く寄棟式屋根、石畳の床面に木製の独立円柱があり、柱間には吊束を持つアーチ型欄間、化粧軒、木造菱格子の天井を持つ広いベランダが特徴です。

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旧グラバー住宅(邸)2015(重要文化財)


長崎県の洋館②

長崎県の洋館③

長崎県の洋館④

 

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佐賀県の洋館②(2/2)

2020-11-26 05:54:12 | 洋館まとめ

佐賀県の洋館②


旧佐賀県警察部庁舎(現さがレトロ館)

佐賀県佐賀市城内

明治20年 警察部庁舎として現在の県庁本館付近に建築、昭和11年に警察本部の建て替えに伴い現在地へ移設。

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旧佐賀県警察部庁舎(現さがレトロ館)

 


有田異人館

佐賀県西松浦郡有田町幸平

有田の豪商であった田代助作が1876年(明治9年)に陶磁器を買い付けに来た外国商人の宿泊・接待施設として建築した和洋折衷の建物です。中にはらせん階段があり、当時としては画期的なデザインでした。

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有田異人館

 


旧唐津銀行

佐賀県唐津市本町

唐津銀行は明治18年に設立し、翌年に開業しました。設立時の頭取には、大島小太郎が就任しています。現在残る旧唐津銀行本店は明治43年8月に着工し、明治45年3月に竣工しました。

建設にあたり、大島小太郎とともに高橋是清から唐津藩英学校(耐恒寮)で教えを受けた工学博士辰野金吾の監督のもと、辰野金吾の弟子にあたる清水組の田中実が設計を担当し、装飾については京都高島屋が受け持っています。建物のデザインのスタイルは、辰野金吾がイギリス留学時代に流行したヴィクトリア様式のひとつであるクイーン・アン様式を日本化したいわゆる「辰野式」と呼ばれるもので、赤煉瓦に白い御影石を混ぜ、屋根の上に小塔やドームを載せて、王冠のごとく強調する辰野流の工夫が加味されています。

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旧唐津銀行

 


深川製磁本店

佐賀県西松浦郡有田町幸平

明治27年創業。宮内庁御用達で、艶やかな質感や『フカガワブルー』と呼ばれる透き通るような青色の染付と赤絵を特徴とする窯元です。
初代深川忠次の『工藝思想』を継承しながら進化を続け、現在も国内外で愛される作品を手掛けています

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深川製磁本店

2020-10-30 09:32:19

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