フラグメント10:「アニミズム的物質至上主義」など

2007-11-13 01:45:59 | フラグメント
フラグメントも10になったが、今回は宗教系のものが結構多い。


<無題>
昔は損得。豊かになった現代は気持ち良いことが正しいこと(今読んでいる電波的な第三巻)。殺人、踏切への障害物[=快楽殺人・愉快犯など]、その逆の不快感にも敏感になる、不快感の表明が奨励される社会、例えばセクハラ、いじめ、痴漢。研修でもあったが、その自分はそのつもりはなくてもその人がそうだ(=不快だ)と思ったら成立する。要は「泣き寝入り」をしなくなった(もっとも、それらがマイナスとばかりは言えないのだが)。親和性の高い社会ではことなかれで良かったかもしれないが、価値観の多様化してきている今では通用しなくなってきているし、「共感」が逆効果になってないか?


<砂川セクシャル、脳腫瘍対談>
神がいる[の]か知らない→いるかもしれないが、それは既存の神観念に当てはまるものとは限らない→無慈悲な神の可能性(ex人間は暇つぶしのための存在)、在不在の二元論は×、かたき討ち、サブリミナルマインド、新宗教(中公新書)、小学時代の友人三センチの脳腫瘍良性どこで手術するか外科的治療とγ線で焼く、後遺症、意外に明るく、ブログき方などで盛り上がった。検査は早めに。でも誰もしない。自分は違うと思っている。明日は同じ日常が続くと思わなければ不安定・偶然・不条理に恐れおののく。つまり鈍感な神経は宗教を求める心理と同根である。ドナー登録…死ぬ準備の一環


<学校教育、政教分離>
物質至上主義と占いブーム(アニミズム的物質[至上主義]なら正しい)、唯物論とは違う(影響関係の注意)…[※]、超常的なものには憧れるが、宗教のような「柱」はいらない[豊かな生活価値観の多様化]、
説明の効果…必然性の付与、他者性(それ以外の可能性)の排除、科学を極めようとする者は、よくその限界を理解するという。確かに不可思議なことは数多く存在しているように思える。しかし、その答えを特定の宗教や哲学に安易に求めるのは、哲学書を読むことで哲学を理解したと考えるのと同様に誤りである[※2]。


日本の「無宗教」の所以として物質至上主義が挙げられたりするが、それは唯物論的な響きを持っているように思える。しかし数多くの宗教にちなんだ行為や占いの流行、物の擬人化がしばしば行われていることを思えば、日本に物質至上主義があってもそれは到底唯物論的なものではない。確かにモノは溢れているが相変わらずアニミズム的な思考様式は継続している、いわば「アニミズム的物質至上主義」が日本においては支配的であるように思える。

※2
科学で解明できない不可思議なことがあるのを認めることと、特定の宗教を信仰することはイコールではない、という意味。


<仕事関連のメモのため省略>
[うみねこ]昨年事件=階段から落ちた[こと]?鳥居と魔女は合わない?ならなぜ鳥居があったのか?金蔵の趣向に合わなそう[※]、
宗教とヒューマニズムのアナロジー…信仰と疑いへの拒否(本当に生きてるだけで価値があるのか疑うことは罪深い行為のように認識されている。これを信仰と言うのである)中身変えろ、サザン、マシンガンズ、東方、うみねこ、冗談か本気かわからん。当たってるだけに何ともはや。げらげら笑ってて突然考えだすからね。どっちも中途半端じゃなくてどっちも真剣だから困惑するのだろう。真剣に笑うからこそ笑う理由が真剣に疑問なのだ[※2]。


始めから神社を持っていたならまだしも、ベアトリーチェによる助けを得た後に無人島は買い取ったはずなので、何か奇妙な感じを受ける。記憶が定かではないが、うみねこで日本の宗教が出てくるのはここぐらいである。しかもそれが消えていて、なおかつタブーになっているのは気になるところだ。もっとも、現時点でその謎が解けるのかはなはだ疑問だが。

※2
たまに「冗談か本気かわからない」と言われることについて書いたもの。
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