不快感の表明が奨励される社会

2007-09-23 12:32:23 | 抽象的話題
今まで、悪いのは常に他の誰かだと考えたり、作品に対して不快感を覚えたときとにかく作品のせいにする傾向について述べた。ところで、このような傾向はいかにして生まれるのだろうか?


二つの要因があるように思える。
一つは「不快感を表に出すべし」という考え方だが、これは「泣き寝入りはよくない」という考え方、あるいは「事なかれ」の否定とも言い換えられる。これは、セクハラやいじめの告発など、必ずしもマイナスではないし、また逆に不快感などを抱え込んでしまう癖がつけば、鬱病になったりもするだろう。とはいえ、モンスターペアレンツの行動様式や車内暴力も不快感の表明であることを忘れてはならない。これらに共通するのは、その表れ方が極端なことである。例えばモンスターペアレンツだが、不満や不快なことがあるのはわかるとしても、それを9時過ぎに電話をかけてきて延々と文句を言ったりする点がまったく意味不明である(=自分の不快感に振り回されている)。彼らの行動は、「不快感を表に出すべし」という傾向に際限がなくなったらどうなるかを示している。


もう一つの要因は、人が不快感に対して過敏になっていることだと思われる。今読んでいる『電波的な彼女~幸福ゲーム~』がそれについて興味深いことを書いているので、引用してみたい。

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「多様な価値観があるのは豊かな時代の証拠でもあるのですが」
「豊かさと価値観に関係あるのか?」
「関係あると思います。貧しい時代であった昔は『損か得か』が価値観でした。でも豊かな時代である今は、『気持ち良いかどうか』が価値観になっています。ですから、かつては確実に『損』であったはずの殺人も、今の価値観に照らして「気持ち良い」と肯定し、実行する者がいるのでしょう」 (前掲書 40P)
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色々と問題のある内容だが、とりあえずここで注目したいのは「『気持ち良いかどうか』が価値観になって」いるという部分である。要するに「気持ちよい(快)=善」という考え方を指摘しているわけだが、それは即ち「気持ち悪い(不快)=悪」という考え方に繋がってくる。ここから、快楽を求めるとともに、不快なものに敏感に反応(反発)するという傾向が生まれるのだろう。こう考えると、不快感を表明するだけでなく、そこにヒステリックな要素が付随してくる理由もわかる。というのも、不快感は(絶対)悪であり、それゆえ不快だと表明するのにためらう必要がないからだ(ゆえに前述の「不快感を表に出すべし」という考え方が奨励される)。こう言ってわかりにくいならば、昔は親和性が高くて「和をもって尊しとなす」を基準とする社会であって、今は価値観が多様化し、かつ「快=善、不快=悪」という(自己の)価値観に則って快を追求し、不快(感)を表明する社会なっている、ということである。このように述べると、たいてい「昔へ返れ」という考え方が出てくるものだが、それは無理である。なぜなら、職業や結婚といったものについて選択する自由が奨励されており(特に女性に関して)、選択の自由が奨励されれば価値観が多様化するのは避けられないからである。逆に言えば、「~は…であるべし」という規定をしないことには、価値観の多様化を止めることはできないのだ。だが、少なくとも社会的には(建前の部分はあるにしても)ジェンダーフリーであるとか国際化の奨励しているから、価値観は否応なく多様化するのである。要するに我々は、親和性の高さや共感という幻想にもはや頼れなくなっているし、頼るべきではなくなっているとさえ言えるのではないか。なぜなら、勝手に共感できると期待し現実に裏切られるから人はヒステリックに不快感を表明(「悪」を告発する)するのだし、また自分からアプローチする力を持てずに引きこもりなどに繋がっていくのではないかと思う。


最後に。ある意味で、鬱病の人とモンスターペアはレンツは同類ではないかと私は考えている。というのも、両者には「不快感をきちんと見ようとしていない」という共通点があるように思えるからだ。彼らは、自分はなぜ不快(悪)と感じるのかを考えず、前者は見て見ぬふりをし、後者はただただ吐き出す。要するに、程度問題はあるにせよ、自分を押さえ込むのも自分を押し通すだけなのも事態の解決にはならないのである。不快(感)が(絶対)悪という意識的・無意識的な思い込みを抜け出すこと、そしてそのために自分の不快感を見つめることこそ必要なのではないだろうか。
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