選択肢が多様化する必然性と日本人の「無宗教」の関係

2007-06-30 12:32:22 | 宗教分析
前回、価値観の多様化の原因は「選択肢が数多くあり、かつ選択肢を選ぶことが奨励されてもいる」ことにあると述べたが、この選択肢と価値観にまつわる状況はほとんど不可逆的(逆行できない)なものであるように思える。


というのも、「選ぶ」という行為が「自由」と密接不可分なものだからである。ゆえに「自由」が奨励される以上、「選ぶ」という行為はますます盛んになっていくだろうし、選択肢もますます増えていくだろう(もっとも、それは見せかけだけで、実際には選択肢が非常に限られている場合も多いのであるが…)。


ここで、ある人は「昔のような価値観を見直す動きもある」言うかもしれないが、それは昔の価値観というのものが選択肢の一つになりうるということであって、昔のように選択肢の(より)少ない状況が見直されたり奨励されたりしているわけではないことに注意すべきである。だから、昔ながらの生活といったものが見直されたとしても、それによって選択肢が減るどころか、むしろ選択肢が増える(価値観が多様化する)結果に繋がるのだ。


もちろん、「選択の放棄」を選択する人がいるのも事実である(ファシズム、宗教など)。ただ、日本人の「無宗教」という状況を考えれば、やはり選択が奨励されていると考えてよいだろう。以前私は日本人の「無宗教」について、宗教的かどうか問題ではなく宗教に対する帰属意識がないことに特徴・問題があるのだと述べた。しかし今、選択の問題から宗教的(オカルトや超越的なものへの関心)な部分はありながらも宗教への帰属意識が希薄化するメカニズムが垣間見えたのではないか。つまり、特定の宗派に帰属することは様々な制約を受けるが、オカルトなどに興味をもって色々調べたりするのはあくまで本人が選択するかどうかの問題であり、嫌になればいつでも止めることができ、選択(の自由)を否定しないのである(これは集団への帰属意識の希薄化とも関連するだろう)。


宗教の忌避は、実際のところ言葉のカテゴライズや学校の教育方法など様々な要因が絡んでおり、分析するのは容易ではない。しかしとりあず、その要因の中に今述べたような「選択の否定」という宗教の特徴が関係していることは間違いないと言えるのではないだろうか。
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