ひぐらしとの関わり

2006-01-04 17:47:47 | ひぐらし
今日ひぐらし推理スレへの書き込みが100回を記録した。書き込みに要した時間にプレイ時間とメモを取る時間を合わせたら、おそらく400時間くらいはひぐらしに関わっている気がする。

思い返せば、ひぐらしにはまったのは目明し編が店頭発売される六日前のこと(1/22だったか)。友人の真・熊八に「サイド3のなく頃に」(画像参照)を見せられたのがきっかけだった。それまではひぐらしのひの字も知らなかったが、画像からトンでもないバカゲーだと思って早速体験版をダウンロード。だが、始めてみれば不穏なopや突如歪みだす日常で心臓を真綿で締め付けていくような感覚から抜け出せなくなっていた(もちろん部活シーンでは笑ったけど)。そうして夜12時から朝4時までプレイ。ここで話が急展開しそうなので一端寝てから再プレイ。終わった感想は「何じゃ~こりゃーーー!」。すでにひぐらしモードを見て凍っていたが、エンディングまで含めてここまで気味の悪いゲームを作るとは!!作者さんは怖がらせる演出が上手いなあと感心した。

とまあこれは後付けの話で、実際は興奮のあまり即行で鬼~暇編収録のCDを買いにいったわけだがwそれから後はもう雪崩のように。村の暗黒史や魅音の大演説、大災害、そして「予言」と来て感嘆したが、それに比例して鬼編の最後あたりからとりはじめたメモは飛躍的に内容が濃くなっていった。で、忘れもしない目明し編。よく練られた事件、他が到底追いつかない濃度な心理描写、そしてさらに深まる謎。ここにてひぐらしは完全な傑作となった。そこからは推理掲示板の書き込み開始、私的捜査ファイルの購入と推理の道をひた走った。

まあその辺りのことを書くと長くなるので割愛wとりあえず、ひぐらしとその推理によって作品を解釈・分析する視点が身に付いたのは大きかった。ここを基点にものの見方が変化し、今まで印象での批判が中心だったのが構図や演出、テーマなどを強く意識するようになったのだ(それはやがて世界や自己に対しての認識さえも大きく変化させることになったが、その内容については「抽象的話題」の記事を参照されたい)。その意味では、ひぐらしは人生の転換点だったとすら言えるかもしれない。ガラクタで構成された世界がおそらく初めて強い意味を持つものになったのだから。まあ上手く結論に繋がらないので(苦笑)、そんな作品の最後を飾る祭囃し編には大いに期待している、としてお茶を濁しておきたいw

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3 コメント

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作品の理解 (バイシ)
2006-01-06 06:03:17
ボゲードンさん(やはりここではこのようにお呼びするべきと思いました)このまえは、お返事ありがとうございました。あと、サフィズムの情報にも感謝します。



>印象での批判が中心だったのが構図や演 >出、テーマなどを強く意識するようになっ>たのだ



そうですね、「ひぐらし」は構成が見事ですよね。(あと売り方も見事なんですが、これは別のところに書きたいと思います)演出に関して言えば、繰り返し「右腕の脱落」が想起させられています。ケンタ君人形の右腕をレナが斧で壊したからといって、話の本筋とは関係ないと思うのですが、何となく不気味な感じがかもしだされます。あと、類似シーン(レシートの要求とか窓を割るとか)の考察は公式HPでも以前取り上げたことがありましたよね。こういうところが上手すぎるので、竜騎士さんが名のある作家のペンネームだと疑っていました。

「ひぐらし」のテーマというのはまだ完結していないので断言はできませんが、多様な要素(DVとか戦争への認識とかコミュニティーの団結とか)が扱われているのは確かでしょう。

私が、アニメなどを作品として「読む」ようになったのは「少女革命ウテナ」からでした。構成が整然としてるなかで、寓意をちゃんと読み取ることが要求される作品でした。映画版のほうがわかりやすかったですね。



あと、ゲームとは関係ないのですが、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」も構成という面で感銘を受けました。簡単に言うと、殺人の瞬間はわざと書かなかったり、最後に全キャラクターが、裁判という「場」に集結して、自己の所信を述べて、話が終わるところとか。まあ、こんな有名人いまさら私がとやかく言うことはないんでしょうけど・・・。ただ、テーマは難しいですよね。いまだって研究論文が書かれていることでしょう。



駄文失礼しました。
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演出と分析 (ボゲードン)
2006-01-06 17:42:33
情報がお役に立ったのなら幸いです。



>売り方も見事



私も「商業戦略」という記事で書いたことがありますが、守備範囲の広げ方は上手いですよね。もちろんそこには、Type-Moonが作った道と、その成功を見ていた他業界が同人業界への興味を強めたという外部的要因もありますが。



>繰り返し「右腕の脱落」が想起させられています



そうですね。ceintureさんのコメントで「属性の符号」が話題になりましだが、これも現場監督、ご神体といった共通性がありますよね。上手いなあと思うのは、これが演出であると同時に推理情報でもあるってことなんですよね。つまり、前者は(符号による)不気味なイメージを植えつけるし、後者はその符号の意味するところをプレイヤーに意識させる効果があります。しかも、ケンタ君人形の場合はあくまで普通の人形であるが故の暗示的な不気味さ、現場監督のは人間のそれという明示的な不気味さ、そしてご神体のそれは神罰といったオカルト的な不気味さをそれぞれ演出すると言うように、相互補完的な関係にあるのには感心します。



>DVとか戦争への認識とかコミュニティーの団結とか



しかも、それが単なるテーマではなく伏線の役割をも果たしているところが凄いですよね。内容的には粗雑な感が否めませんが、綿編で戦争への認識を出し、祟編でDVと(前より深い)周囲との溝を出し、それが皆編で全て昇華されてるのは、構図としては非常にハイレベルなものです。



ウテナとドストエフスキーは未見なのでチェックしてみます。そんなモンも読んでないのかと言われそうですが(汗)もし構成とかに興味がおありなら、筒井康隆小説を強くオススメします。まあ正確には手法と言ったほうがいいのかもしれませんが…



>ただ、テーマは難しいですよね。いまだって研究論文が書かれていることでしょう。



全くその通りだと思います。本来はその時代がどんな時代であったかということ一つとっても難しいのに、それを作者がどう受け取ったか、それが作品にどのように表れているか、そしてそれが人々にどのように受け入れられていったのか、というとことまで考えていかなければならないのですから。その割に分析者たちはポスコロやポストモダン、構造主義といった枠組みに縛られる方を選んで、混沌の海(=作者が何を言いたいか、それをどう表現しているか)に挑戦する気概を失っているとあっては、恣意的な解釈が多量に提出されるばかりで、実のある分析など期待できないと思ってしまいます(苦笑)上で挙げたような手法の創生・適応は、本来人間の認識の危うさという自覚が根底にあるわけですが、何か手段と目的が逆になっている気がしますよね。 



何だが最後は解釈学みたいな話になりましたが、バイシさんの視点や知識は非常に参考になります。ありがとうございました。
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作品との出会い (バイシ)
2006-01-09 02:01:30
ボゲードンさん。こんばんは。



>「ひぐらしは人生の転換点だったとすら言>えるかもしれない」

こんな風に言える作品に出会うのは、とても幸せなことだと思います。

かつてゲーテは自分で書いた「若いヴェルターの悩み」を指して、「この小説が、自分のある時期のために書かれたと思わない読者は不幸である。」という趣旨のことをいいましたが、どうやら私は、不幸だったみたいですw 私にとって「人生を変えた」本があるかどうか・・・。小説ではなさそうですね。



また、ドストエフスキーの話で恐縮ですが、「祟」は「罪と罰」だと思って読んでいました。人物の配置が似ているからです。

世の中のシラミのような人間を殺す権利を自分は持っていると思い込む主人公圭一(ラスコーリニコフ)

存在だけで有害と主人公に思われてしまう鉄平(金貸しの婆さん)

バカ丁寧な態度ながら犯人を追い詰めていく警部、大石(ポリフィーリー)

事件の真犯人を知りつつもそれを誰にも言わずに、原因不明の自殺をする金持ちのロリコン、入江(スヴィドリガイロフ)

主人公から真実を打ち明けられる沙都子(ソーニャ)しかし最後が違っていて、圭一は沙都子に拒否されてしまいますが。

まあ、単なる類似点を挙げただけです。「読み」に役立つかどうか・・・。



筒井康隆に関してはまた別の機会に書かせて下さい。私は現代の日本文学は全くといっていいほど読んだことがないのですが、筒井康隆だけは少しだけ読みましたので。
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