ブログの方向性:あるものをあるがままに

2006-09-13 02:22:50 | 感想など
どうも最近ブログの方向性という根本的なことについて色々書いている気がするが、これもそれについての記事である。


中立という立場が前提となっていたり、あるいは中立という立場を目標とするのであれば、それは「日和見主義」と呼ばれるべきものだろう(なお周知のとおり、マスコミは中立ではない)。一方私は中立を前提としてきたわけでもなければ目標としてきたわけでもない。そのことは、「天皇家への敬語」や「Kanonを斬る」によく表れている。私が目指したのは、「あるものをあるがままに書き出す」という姿勢であった(私の書いたものこそが実態を表しているという意味ではない。自分の分析や印象などをありのままに書こうとしているということだ)。


だから、評価すべき点と批判すべき点が両方あればそのどちらも徹底的に書こうとした。それが「あるがまま」だからである。それゆえこういった内容を見て「結局お前は反対なのか賛成なのか?」と聞かれれば、「どちらかに決めなければならない理由があるのか?」と答えるだろう(ちなみにここで最も問題なのは、「ねばならない」という考え方だ)。自分の中で賛成・反対が統一されていればそれをそのまま書くが、そのどちらも内包されているのなら、(例えば仕事ならいざしらず)その一方に無理やり結論を持っていく必要性が一体どこに存在しているというのだろう。


もしそれによって生じた「混沌」のために私の記事がわかりにくいというのであれば、その批判は甘んじて受けよう。わかりやすくするためだけに自分をねじ曲げて賛成・反対を決めるくらいなら、書かないほうがマシだと思うからである。歴史学を学び、無宗教の原因を分析し、人の認識について考える中で、いかに真実や実態というものが混沌として複雑なものであるかを嫌と言うほど学んできたつもりだ。だから私は安易な単純化を嫌い、「あるものをあるがままに」描こうとするのだ(人格の統一性や血液型判断に対する私の批判を見ればわかると思うが、安易な単純化ほど私の嫌いなものはない)。そうしてできた基盤ゆえに、それをないがしろにしてまで読者に「わかりやすい」記事を書こうとは思わない。なるほど内容を理解しやすいように言い回しを工夫したりするのはとても重要なことだ。だから例えば、私が書いた評価すべき点、批判すべき点の書き方そのものがわかりにくいというのであるなら、それは完全に私の責任だ。しかしながら、「賛成か反対かはっきりしないために結局何が言いたいのかわからない」というのであれば、場合によっては読み手にも責任があるかもしれない(※)。そもそもそんな地点・方向性を私が目指してないからである。


最低限ブログ内の関連記事くらいは読んだ上で批判なり賛成なりしてほしいというのは筆者のわがままなのだろうか…



例えば一度ひぐらしのレビューの時も書いたが、人を「批判派」「賛成派」とかでいちいち括るなと言いたい。私が何に賛成し何を批判しているかはそれぞれの記事を見れば明らかなはずだ。わかりやすいが故にそういう行為に走るのはわからなくないが、その前に私の記事をちゃんと読んでいるのか疑問である。始めに「批判派」「賛成派」ありきで、そこに勝手に私の記事をカテゴライズしてるだけではないのかという気がする。
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2 コメント

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Unknown (Jがイル)
2006-09-14 20:57:09
ごぶさたす。



自己表現のジレンマですな。難しい。

  _、_

( ,_ノ` )y━・~~~

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Unknown (ボゲードン)
2006-09-14 23:42:55
全くですな(;^_^
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