I'll be right here

ポケットにパク・ヒョシン 🥨

お天気は...

2019-06-26 20:50:00 | パク・ヒョシン
どうかしら...👀
 
昨日あたりは、JALの予報は雨で☔️、韓国のiwhetherなどは晴れでしたが...
今日見ると、JALは晴れで、他の予報は時々雨になってました。
小雨程度なら、過ごしやすいかもしれませんね^ ^
天気予報のリンクを貼っておきますネ。
 
あとインスタから拾って来たKSPOドームの写真も貼っておきます。テントがいっぱいあるから、日除け、雨よけになりそうですよ🙂
 
 
イロイロ考えてくれていそう^ ^
ところで...
MDと被るとやだな〜と思って、クールタオルとかハンディ扇風機とか買えないでいるんですが...全然発表ないですね...👀
明日あたりに発表されるかな〜^ ^
 
 
🌤yahoo
 
🌤iwhether  
 
 
🌤JAL
 
 
 
KSPOドーム
 
 
あ!あと、スパイダーカメラで撮影されるらしいです^ ^
スパイダーカメラで撮った映像はこんな感じ。
 
当たり障りのなさそうな映像を選んでみましたが、コンサートでドキドキしたい人は見ないでね^ ^
 
ツベで検索(spidercam)すると、LOVE コンを彷彿させるような映像も出てきますょ。要注意ね^ ^
 
 

なんか..イロイロ

2019-06-26 13:05:00 | パク・ヒョシン
ゲルから...
 
昨日Feelsに出没したらしいです^ ^
撮影中のアイコンと🕷
 
昔のFeelsの再掲だったみたい..
Feelsはもうブームが去ったのかしら...^ ^
 
🕷っていうとGummyちゃんの韓国語表記が거미でいわゆる蜘蛛なので...
っ先に思い浮かべてしまったのですが...👀
 
ちなみにただ今のFeelsはこちら
 
コミたんも最近コンサートしてるけど、ヒョシンくんはなんもしてないと思うので...👀
コミたんが出てくれると言うのは甘いかしらね〜。
Gummy出てくれるといいなぁ〜^ ^
 
 
そして...
KSPOドームはこんな感じで設営されていってるようですょ。
 
屋外(・・?)
 
MD並ぶ間になんか流してくれるのかと思ったら...
 
 
 
椅子もあるのょ...👀
 
 
照明がついたら、もう最高の場所ね^ ^
 
STPDの時、まだナムになってなかったお友達がわざわざ🛫で飛んで、漏れ聞こえくるヒョシンくんの声を聞きに行ったんですけど..(今は正会員になって、今年初めてのコンサートを体験する予定です^ ^)
 
その時に通り過がりのサラリーマン数人が同じように会場の外でヒョシンくんの歌声に耳👂をそばだてて聴いていたんだって🙃
途中で🍻買いにいって帰って来たって言ってたかな^ ^
 
なんかいいよね〜😊
夏にお外でパク・ヒョシンのライブが見れちゃうのかしら...
 
何が映されるのかな〜^ ^
 
 
 
 

ヘドウィグ キャスケ発表^ ^

2019-06-26 09:55:00 | 韓国ミュージカルとか
WEBには出てないけど、SHOW NOTEさんがツイってました。
載せておきます。
発売は明日の14時です^ ^ 
 
ドンちゃんのチョッコンは日曜日のマチネ公演でした。
日帰り🆗だった😊
 
 
 
売り出す席はチケットサイトによって異なります。
 
🍅シートマップ
✴️インターパーク ☑️Yes24
 
🍅キャスケ
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ニュース記事: デビュー20周年歌手 パク・ヒョシン 涙をのんで待った末に再び咲いた'音楽の神'

2019-06-26 05:25:00 | パク・ヒョシン
なんとも演歌の花道みたいなタイトルで...👀
これ書いた記者、絶対にオッチャンなんじゃないかって思っておりますが... 🙃
そして、デビュー20周年のコンサート前にパク・ヒョシンが歩いて来た道をまだまだよく知らない皆さんに知って貰いたいと思ってる、かなりのパク・ヒョシンファンなんじゃないかと...^ ^
 
ふふふ^ ^
オッチャン、2009年インタビュー当時の写真をサービスしてくれてもよくてよ^ ^
 
なかなか熱い魂のこもった記事でございました🙂
ヒョシンくんはコンサートでよくおしゃべりするので...
彼の20年の足跡👣を少しでも分かっていた方が、聞き取れない部分があっても...、点と点が線に繋がるコトもあると思います。有り難いですね^ ^
 
最後の剣と弓の下りが良くわかりませぬが、武器なのか技術なのか...、まぁ色々携えていると言うコトでしょうか(・・?)
知的な読者の皆様教えくだされ^ ^
 
 
 〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜
 
 
Topclass 2019.6.25
 
①購入サイトのウィンドウだけ開けておき、他のインターネットウィンドウは全部閉めておく。
②事前にログインは必須。
③0.1秒まで表示される'ネイバー時計'や'インターパーク時計'を出しておくことも忘れない。
④十分な準備運動で手首をあらかじめほぐしておく。
⑤光の速度で(光)のクリック'を開始する。
6月29日から7月13日まで開かれるパク・ヒョシンのデビュー20周年記念コンサートのポスター
 
 
歌手パク・ヒョシンのコンサートチケットを得るための、いわゆる'血ケッティング'を始める時に知っていなければならない五つの法則だ。血ケッティングは'血しぶきのチェックイン'という意味。それだけチケットを求めにくいという事だ。パク・ヒョシンはこの血ケッティングの始まりであり、終わりと呼ばれる。現存する国内歌手の中で最も熱いチケットパワーを誇る人物だからだ。
 
デビュー20周年記念コンサート 「パク・ヒョシンLIVE 2019 LOVERS:where is your love? 」が6月29日から7月13日まで、オリンピック体操競技場で開かれる。今回の血ケッティングは歴代級だ。4月にオープンした1回目のチケット4万5000席もオンライン予約が始まってからたった10分で売りきれた。所属会社グローブ社によると、同日、60万人以上が一度に'クリック'を試みたため、オンライン予約先のサーバーが瞬時に麻痺した。後でサーバーが再開された時には、すでにすべての座席が蒸発してしまった後だった。5月の2次予約でもコンサートの座席4万5000席はオンライン予約が始まって数分ですべて売りきれた。9万席が売り切れるのに20分もかからなかった。
 
 
'血ケッティング'の元祖、始まりは試練だった。
©朝鮮DB
 
 
パク・ヒョシンと初めて会ったのは2009年10月、ソウル光化門だった。当時、彼はデビュー10年を迎えており、以前の所属会社との長い紛争を片付けて、2年半ぶりに新しい歌「愛した後に」をリリースしたところだった。酷い目にあった感じで体重が減り、体の節々が細くて見えた。それもそのはず、彼にとって10年は試練の連続だった。1999年「してあげられないこと」でデビュー、「憧れ」「バカ」「いい人」「雪の華」などをヒットさせた彼だったが芸能界は厳しかった。
 
最初から歌手になるつもりはなかった。特に無口で内向的だった彼は脱出を夢見た。親の離婚後、甘受しなければならないことがあまりに多かった十七歳だった。歌に集中して現実を忘れようとした。彼を歌謡祭に出させたのは友人だった。各種歌謡祭で大賞を受賞しオーディションまで通過し、所属社と初の契約を結び、デビューアルバムまで出した。当時、インタビューでパク・ヒョシンは「初めてデビューアルバムが出たときは信じられず何度も目をこすった」と言った。
 
甘〜いデビューの幸せは、ところが、長くは続かなかった。未熟な年齢でデビューしたせいか紛争が絶えなかった。初アルバムを奪われた所属会社はたちまち看板を下ろし、次に移ったまた別の所属事務所はとんでもない要求をし続けてきて、挙げ句の果てに数千万ウォンの借金を返済しなければ、契約を終了できないと言ってきた。紆余曲折の末に別れ、一人で会社を設立して失敗したこともある。前所属会社が彼に言わずにベストアルバムとライブアルバムを出したため長いあいだ頭を悩ませりもした。パク・ヒョシンは「幸せだった記憶よりは、傷ついた記憶の方が本当はもっと多い」と言った。
 
 
「僕があまりにも知らなすぎたのに焦ったから、こんな事になったんです。ここは本当に僕がいる所ではないんだなぁ。そんなことをよく思いました。とても疲れすぎた挙句に音楽に全く耳を傾けず過ごした日々もありました。」
 
 
 
音楽をやめる事は最初、容易い事ではなかった。二度と歌手にならないという思いで音楽を避けて通ったが、行き詰まりを感じてがむしゃらに車を走らせて町を出たある日、突然狂ったように音楽が聞きたくなった。 「車の中からCDを一つ見つけました。つけておいて椅子にもたれて座っているだけで涙が溢れるんです。本当に馬鹿みたいに泣き続けました。」
 
 
軍入隊後もまた別の嵐に巻き込まれなければならなかった。前所属会社が再び専属契約違反だと言って30億ウォンの損害賠償訴訟を提起し、2012年9月、最高裁判所は15億ウォンの賠償判決を下したのだ。パク・ヒョシンは、結局、一般再生申請をした。軍生活の初期にはふとんをかぶり泣いた日々が少なくなかった。そんなに大変な中で書き記した歌が2014年、除隊直後に発表した「野生花」だ。軍生活は意外にも彼にとって薬となった。2年間、国防部広報支援隊で300回ほど公演する間に傷をえぐったかさぶたが落ちて、再び舞台に上がる力を得た。除隊後のコンサート『War Is Over』をオリンピック体操競技場で2日間行った。ミュージカル『エリザベート』もやり始めた。再び立ち上がったのだ。
 
 
ものすごい孤独の末に貰った'Happy together'
©ニューシス
 
 
再び舞台に上がったパク・ヒョシンは慣れない世界で迷っていた十八歳の少年ではなかった。感情を絞り出すように吐き出していた'牛追い唱法'を捨てた。感情とは体温のように変わっていくものであることに気付いたのだ。吸気と呼気だけで余白の動かし方を会得し、声を上げて先に泣き観客を熱くしたりする代わりに一人椅子の上で観客が彼のような呼吸で感応するまで待つ事も分かるようになった。
 
軍生活の中で作った「野生花」は、このような彼の変化を最も迅速に描いた歌だ。歌詞の内容の一部はこうだ。
 
良い記憶だけ、懐かしい想いだけ
あなたが過ぎ去ったその道の上に
こんな風に残って立ちつくしている
忘れられるくらい、大丈夫だと言うくらい
涙をのんで待って震えた末に再び僕を咲かせると
 
2015年公演でパク・ヒョシンは「この歌の歌詞を軍隊のトイレで書いた」と明らかにしている。彼は当時、「私のように生きている孤独な人々に触れてあげられる歌詞を書いてみようと思ったが数日の間集中しても歌詞が書けなかった。そんなある日トイレに座っていたが、1節の歌詞がすらすら出て全部書いてから一人でしばらくまた泣きじゃくった」と言った。
 
 
©グローブエンターテインメント
 
 
'野生花'の歌詞はパク・ヒョシンの内密な告白に近い。慣れない世の中に出て、それだけ甘くない時間を耐えなければならなかった彼はずっと成長の痛みよりも激しい寂しさを経験しなければならなかった。世界の誰も信じられない時期も経ており、誰にも本音を打ち明けられずに小部屋の片隅に閉じこもった時もあった。パク・ヒョシンの歌はそれで時に物陰を選んで踏みしめるようであり、一節独り言のようなのだ。その独白が奇妙にも寂しく、また、他の誰かへ慰め・労わりと安らぎを与える。
 
 
2014年に発表した歌「Happy together」は、少年パク・ヒョシンが脱皮する過程を見せてくれる歌でもある。
 
世間を知らなかった、ただ笑ってるだけだった
青い空に似た夢を持った背の低い子供が
いつのまにか塀を越えている
(中略)
We belong together 一人じゃないよ
永遠に君をために歌ってあげるこのメロディー
(中略)
今僕の前にいる僕が探していた世界
 
2016年、彼が自ら歌詞をつけて発表した歌「息」に似ている。
 
今日のような日
乾いたと思っていた古い涙が流れれば
寝むれないこの幼い胸が息をする
疲れていた僕の一日が呼吸をする
 
パク・ヒョシンは初めて深呼吸をして塀を越え始めたのだ。
 
 
再び首位、歌手たちの歌手として
 
©JTBC
 
 
市場の逆説が起こったのもこのころからだ。パク・ヒョシンが苦労してクライマックスを震わなくても、彼がマイクを握ればチャートが動いてチケット市場が乱高下し始めた。除隊後に発表した'野生花'は、チャートに進入するやいなや、1位を獲得し、同年末、会場には7万人あまりが詰めかけた。2016年9月から発表された正規アルバム7集の収録曲'息''I am A Dreamer'と2018年に発売したデジタルシングル'冬音'もすべて出るやいなや、一気に1位に躍り出た。
 
転役直後に立ったミュージカルの舞台もいつのまにかパク・ヒョシンが掌握していた。『エリザベート』『モーツァルト』『ファントム』などで全て全席売り切れの神話を作っており、2018年の『笑う男』ではグウィンプレイン役を引き受け、公演開始たった一ヵ月で累積観客10万人を突破する気炎を吐いた。
 
パク・ヒョシンはまさに'売り切れ'の同意語、'観客動員'のアイコンだ。なんとなく得られたわけではない。たった一小節を歌うだけでも何時間も発声練習をする緻密さ、人の結婚式で祝歌一曲を歌う時もリハーサルをした後にその歌を録音して別々にモニタリングをしてしまういやらしい完璧主義がもたらした結果だ。歌手ユ・ヒヨルは2016年10月KBS音楽番組『ユ・ヒヨルのスケッチブック』でパク・ヒョシンに向けてこのように語ったことがある。
 
「16年前に、音楽に対する夢を見ていたある少年が、もう音楽の神となって帰ってきた。パク・ヒョシンとは長い間ラジオのゲストとして呼吸を合わせてきた。その時は子どもだった(彼)が、こんなに大きくなった。もうパク・ヒョシンは歌手の間で'歌手たちの歌手'と呼ばれる。」
 
デビュー20周年公演パク・ヒョシンLIVE 2019 LOVERS:where is your love? を控え、パク・ヒョシンはどの媒体ともインタビューをしていない。もっぱら舞台の上で、歌や公演だけでファンたちと話したいというのが所属社の説明だ。事実、パク・ヒョシンは、転役以降は「ユ・ヒヨルのスケッチブック」のように歌を歌える一部の番組を除いては、TV出演を一切していない。コンサート以外の時間は歌の練習に使い、毎日音楽作業をし、家で時間を過ごす方だ。マスコミのインタビューもなるべく断って来た。神秘主義を守ろうとする素振りは見えない。これはひょっとしたら彼が苦しんだ末に見つけた'自分のポジション'をずっと記憶しているからではないか。2009年のインタビュー当時のパクヒョシンの言葉を思い出してみる。
 
"最近は、切った大根が瞬間舌を刺激する食べ物であるのと同じような歌も本当に多いじゃないですか。僕ぐらいは別の歌をやっていたいんです。またリリースしながら心配もたくさんしましたがみんなそう言うんです。「お前の居場所は別にある」って。忘れ難いアドバイスでした。苦労してやって来た僕の居場所をもう忘れたくないんです。記憶するんです、僕の居場所を。」
 
20年歩いてきたパク・ヒョシンはもう分かっているはずだ。彼の居場所は結局マイクの前で鍵盤の前であるということを。ファンたちでいっぱいになった公演会場であり、照明が灯された舞台の上だということを。その上で彼はようやく、したい話をすべて解き明かすことができるということを。パク・ヒョシンのライブはそれだから剣であり弓なのである。濁声と柔らかな声を交えながら長く呼吸して柔軟に声を出す。涙を拭いながら歩いてきた場所、歓呼と喚声に満ちた公演会場の舞台、パク・ヒョシンはもうそこに立っている。