古典主義音楽の完成
ベートーヴェンは、ハイドン、モーツァルトと共に古典主義音楽を完成させた3大ウィーン古典派と呼ばれる。
生涯9つの交響曲を残したベートーヴェン。 ハイドンが108個の交響曲を残したことに比べればかなり少ない数だが、難聴という障害を克服し、新しい形式の音楽を作ったということに意味がある。
ベートーヴェンの初期の作品はハイドンとモーツァルトの影響をたくさん受け古典主義音楽の形式が定着し、以後彼だけの個性を加えてロマン主義の砲門を開いた。
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個性と革新の音楽
特に聴覚障害の絶望の中でハイリゲンシュタットの遺書を作成した1802年以後、本格的に自分だけの音楽世界を広げ始める。
この時期(1802~1812)を一般的に「英雄的時期」と呼ぶが、運命を克服しようとするベートーヴェンの意志が投影されたような強くて壮大な音楽が特徴だ。
代表的な交響曲第3番「英雄」(1805)は、一般的な交響曲の2倍を越える50分という長い演奏時間、短調から長調に移る果敢な展開方式と新しい楽器配置など、大きな変化で観客を驚かせた。
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このような大きな変化をめぐっては難解で理解できないというネガティブな反応と新しい音楽に熱狂する肯定的な反応に分かれた。
しかし、その後もベートーヴェンは人々の反応を気にせず、自分の個性を追求し、従来の形式にとらわれない音楽を続けていった。
ベートーヴェンの革新的な試みは聴覚がほとんど失われた状態でも止まらなかった。その結果、最初に交響曲に声楽を編成した交響曲第9番「合唱」(1824)が長い歳月をかけて完成する。
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自由音楽家の時代
ベートーヴェンは「最初の自由音楽家」 と呼ばれる。
ベートーヴェン以前の音楽家たちは王宮と貴族に従属して生計を維持していた。社会変化により中産層と新興貴族が新しい音楽を享受する者として浮上し、楽譜販売、演奏会開催などが活発になり、これが音楽家の独立につながった。
このような社会的変化に加え、ベートーヴェンは自らの音楽と音楽家の価値を高めた。
著作権の概念なしに楽譜が販売されていた状況だったが、作品に番号を付けて正当な権利を確保し、貴族たちに後援を受けながらも彼らに絶対的に服従することはしなかった。
ベートーヴェンを熱烈に後援したリヒノフスキー公爵がフランス将校のための演奏を頼むと、ベートーヴェンはこのような言葉を投げ捨てて出て行ってしまう。 「貴族は数千人だがベートーヴェンはたった一人だ!」
写真出典: Sascha Engst/Bundesstadt Bonn
音楽の聖人、楽聖ベートーヴェン
後世の音楽家たちはベートーヴェンの音楽の壁を越えなければならないというストレスを抱いたまま、彼が残した挑戦的な音楽様式に多くの影響を受け、ロマン主義音楽にへと進んだ。
ベートーヴェンの音楽が誕生して200年余りが経った今も、ラジオや売り場など時間と場所を問わず流れる彼の音楽は依然として強力な生命力を持ったまま私たちと共にいる。
ミュージカル「ベートーヴェン」にはベートーヴェンの音楽がどのように溶け込んでいるのだろうか。
「すべてのナンバーはベートーヴェンの原曲に基づいている。原曲にはベートーヴェンの魂と感情が込められているため、観客が彼の感情とキャラクターに移入できる地点を探すためには原曲を使わなければならないと考え、必要な時はメロディーを作曲し自然につながるようにした。
このような過程を通じてクラシック音楽が現代的な感性と出会えるようにしたかった。観客がベートーヴェンという人物を今日のロックスターのように感じて頂けたらと思う」
作曲家SYLVESTER LEVAY
ピアノソナタ第8番ハ短調《悲愴》
ピアノソナタ第14番ハ短調《月光》
《ベートーヴェン:Beethoven Secret》
Based on Beethoven's Original Music
「私はベートーヴェンの音楽に対する絶対的な尊敬と献身で音楽を作曲した。」
作曲家SYLVESTER LEVAY
ベートーヴェン
MUSICALBY MICHAEL KUNZE & SYLVESTERLEVAY
芸術の殿堂オペラ劇場
WORLD PREMIERE