I'll be right here

ポケットにパク・ヒョシン 🥨

オク様から...

2014-07-16 23:13:44 | チョン・ドンソク
VOWの2日目に穴を開けてしまったことをとても残念に思っているようです。

オク様のメッセージのリンクを貼っておきます。
BUTAKME


個人的には...
事務所が変わってもあのメンバーでまたコンサートしに来てくださいとお伝えしたいです ^ ^



ザ・ミュージカル 7月号

2014-07-16 14:00:19 | モーツァルト

うむ
感じ方は人それぞれ^ ^

YouTube をiPhone に入れて聴いていると、ヒョシンくんのヴォルフガングは映像で見てた時より伝わってくるものがあったのは実感。でも、動画と舞台はまた別物ですからね~^ ^

舞台の上のヒョシンくんのイメージはこの記者さんとはちょっと違う印象を持ってます。ウンテくんのヴォルフも私が抱いた感じとはちょっと違うかなぁ~。

まま、記者さんは3人それぞれ違うって言ってるわけですよね~。

そこは一致^ ^

そうなんですよね~。すっごく違う。
だから、今回のアマデくんたちは動きも呼吸も三者三様のヴォルフに合わせるわけで...
すごいですよね~



The musical 7月号





開幕前から『モーツァルト❗️』は叙事、舞台、音楽など既存バージョンを完全に刷新するということで期待感を煽った。 以前のバージョンで裂けたジーンズ姿のロックスターモーツァルトを披露して風変わりな面白味を与えた『モーツァルト❗️』は、今回は天才の一生を現代的に再解釈した。

‘人間ヴォルフガング’の不運な一生がより一層浮び上がった今回の公演で既存キャストであるイム・テギョンとパク・ウンテ、新しく合流したパク・ヒョシンはモーツァルトをそれぞれどんな方式で描き出しているのか。


⒈世間に壊された童心 イム・テギョン


パク・ウンテ、キム・ジュンスと既存バージョンの『モーツァルト❗️』興行を導いたイム・テギョンのヴォルフガングは基本的に純粋で汚れがつかなかった天才の童心を見せた。このような特徴は今回のバージョンでも概ね同じだ。 幼い時期から青年期まで、ザルツブルクとパリ、ウィーンを経て苦労する過程で彼のヴォルフガングは行き過ぎるほど純真無垢に描かれる。

コルロレド大主教の前では優秀なふりをするが、詐欺師のようなウェーバー家族にとって彼は絞り取るに丁度良い不器用ではっきりしない青年なだけなのだ。 特に天才というよりはあたかもネジが弛んだならず者のような前半部設定では彼の存在感はいくらか曖昧になる。

モーツァルトの天才的才能を象徴する‘アマデ’という超現実的なキャラクターだが、イム・テギョンのヴォルフガングはそのようなアマデよりも、たびたびもっと非現実的に迫る。既存バージョンでアマデは一つの象徴でヴォルフガングと連結されていたが今回は才能の領域を一人で担当する。

そう見ると天才的な姿が最も目立ったイム・テギョンのヴォルフガングは急激に平凡になった。彼は単に人々の間に混ざることができない異邦人のようだ。天才的才能が褪せて、音楽に対する情熱より周りの人々との関係悪化が主な叙事になると、‘私は私は音楽’など彼を代弁した曲が力を失う。

天才的才能という彼だけの固有さを失って世の中に進もうとする青年の話に重きがおかれてイム・テギョンの魅力は1幕最後まで苦しく遮られている。曇る存在感が逆転するのは彼がかつらを脱いで出てくる2幕からだ。他の二人のキャストとは違いイム・テギョンのヴォルフガングは洗練されたように脱色した銀髪だ。

他のキャストが現代の最新ヘアースタイルで登場し普遍的な人間の生を隠喩するならば、彼はその時期に降臨した21世紀のモーツァルトのような雰囲気を見せる。 新しく編曲された既存ナンバーをこなす時も拍を外して進歩的な感じを与える。

また、1幕では青年の覇気に輝いた魂が2幕で焦土化する過程でイム・テギョンは最も劇的な対比を見せる。純白の魂が世の中に傷き結局は破滅してしまう悲劇の主人公を自然に憐憫を抱かせる。


2.その男の自我を探す パク・ウンテ


‘ジーンズを履いた世間知らずのモーツァルト’を誕生させた既存バージョンでキャラクターを最も印象的に演じたのがパク・ウンテだった。適当に粗雑でユーモラスなヴォルフガングはパク・ウンテの軽快な演技と合い最上の組合せを作り出した。このようなパク・ウンテの特色は劇前半のユーモアが自制された今回のバージョンでは相対的に被害を受けているように見えた。

だが、新人だった以前とは違いパク・ウンテはこれまでに築いた演技で能力でこれを新たにこなした。今回のバージョンではヴォルフガングの1幕と2幕の色は明確に異なる。1幕のパク・ウンテのヴォルフガングは既存バージョンと似たイメージを見せる。

‘影を逃れて’等の代表曲も行き過ぎたアドリブなしに定石にこなす。ムチャクチャに身勝手な彼のヴォルフガングは自身を強制しようとする大主教と父に対抗し‘黄金の星’を模索する。そのような意志が今回のバージョンでは2幕の短いパーマヘアと金属ジッパーがついたモダンな服装によくあらわれている。

たとえキャラクター自体が自分の運命をコントロールできない人物だとしても、他の二人のキャストとは違いパク・ウンテのヴォルフガングはひたすら弱々しいだけではない。前作『フランケンシュタイン』で‘姉さん的’風貌でファンダムのサイズを大きくしたパク・ウンテは今回は確かに‘男’を見せる。

絶対権力を持ったコルロレド大主教と衝突する‘容易な道は間違った道’ではこのようなパク・ウンテの解釈が光を放つ。 ‘どこの誰にも頭を下げない’と言うヴォルフガングの傲慢さがこのミュージカル ナンバーを通じて一層説得力を持つ。

アマデに対するやり方も違う。イム・テギョンとパク・ヒョシンのヴォルフガングがアマデと運命を共有し、結局は彼に主導権を奪われるとするならば、パク・ウンテにはアマデとは自身の天才的才能を分離させた別個の人格のようだ。だからイム・テギョンのヴォルフガングがアマから自由でないのに対して、パク・ウンテのヴォルフガングはアマデという分身の労働力を思う存分搾取(?)するように見える。

天才的才能に足を掴まれた不運な坊やではなく、自身の運命を喜んで受け入れて仕事をする能動的なワーカホリックのようだ。だから父が冷たく自分から去った後にアマデを精一杯抱擁する場面では、完全な孤独の痛みを見せる他のキャストとは違い、かすかな自己愛の臭いが濃くなる。



3.誤判が生んだ悲劇 パク・ヒョシン


今回のバージョンが既存バージョンと最も差別化される点はヴォルフガングのスタイルと変化した歌詞だ。特に髪を細かくより合わして長く伸ばしてしゃくった既存の姿と違い、今回のバージョンではずっと白いかつらを使い1幕の終わりで自らこれを脱ぎモダンなヘアースタイルを披露する。

そしてこれは2幕での本格的な叙事変奏を予告するきっかけとして機能する。 『エリザベート』のトート時の特有のソウルに充満したアドリブで感動と拒否感を同時に与えたパク・ヒョシンは『モーツァルト❗️』でも自分だけの特色をそのまま見せる。

白いかつら姿もあたかもその当時に住んだ人のように思ったよりよく似合う。 だが、雰囲気の表現と基本的な身振りだけで十分だったトート役とは違いヴォルフガング・モーツァルトは始終一貫の話の中心で劇を導かなければならないキャラクターだ。

だから新人俳優であるパク・ヒョシンの限界はすぐあらわれる。ある状況で彼のヴォルフガングが感じる感情はたいてい演技よりは歌う時にだけ伝えられる。 もちろん容易ではないミュージカル ナンバーで構成されたこの作品でこういう立派な曲の消化力は演技での欠点をある程度よく補完している。

ただしそうするうちにディテールな部分で意外な変数が生じる。たとえばアマデとの緊密な距離調節がそうだ。アマデは観客には一つの象徴だがヴォルフガングには自身であり、運命だ。 後半部では精神的にもヴォルフガングの人生に関与する存在だ。

しかしパク・ヒョシンはこれをたびたび意識しないで行動しているように見える。このような相互作用の不在の中でパク・ヒョシンを眺めるアマデは自然に他者のように感じられることになる。天才的才能が相当部分除去されて‘人間ヴォルフガング’を浮上させた今回のバージョンでパク・ヒョシンのこのような路線は、それでも残っていた天才音楽家の残像まですっかり消してしまう。

その結果彼の『モーツァルト❗️』は不運だった天才の一生でなく、一人の男の誤った選択が招いた悲劇に関する話に終わるのだ。