I'll be right here

ポケットにパク・ヒョシン 🥨

Blood Brothers

2014-07-13 16:08:26 | 韓国ミュージカルとか

今月8日に転役したムヨルくん






がっ❗️
翌日の9日にデートでミュージカルを見たっていうもんだから...

気になりまして検索ちゃん



えっと~、誰が出てたっけ

とか思ったら...

あ~、チョ・ジョンソクくんのご出演作品でした~。




コチラはキャスケ^ ^



私もジョンソクくんのミッキー、見たくなってしまった

Interpark Ticket



キム・ムンジョン ~音楽の秘密~

2014-07-13 09:30:22 | モーツァルト
テギョンさんのこのお顔に惹かれてクリックしたら...




なんとキム・ムンジョン音楽監督の文でした~ ^ ^
バーナーをよく見たら、『キム・ムンジョン音楽監督が教えてくれる音楽の秘密』なんてキャッチーなコピーがついていたのですね
気が付きませんでした~

音楽のことは素人にはよくわかないので
訳しながら寝ちゃいまして...

起きてから、お勉強しながら読みまして~^ ^

対位法っていうのは、複数の旋律を調和させる技法のようです。主旋律と裏メロを同時に歌っているのデスね。
どっちの歌詞も何言ってんだかわからず、歌詞見てもどっちの歌詞をどっちが歌ってんだよ~的な、アレですね

明成皇后の一節も<우리는 환궁하리라>という曲のようですが難解デス。
ここにもつまづき、また

ってことで今朝起きて、結局挫折...
なので、この部分はかなり適当
それにしても李文烈さん言葉の美しさと技法は興味深いデスね。
和訳を探したのですが出てないみたいで~。誰か訳してくれないですかねぇ~

そそ、そーいえば、大劇場って観客席の 左右にモニターがあって兼ねてから気になってたんですよね~。
だって、何が映ってるのかと思ったら、指揮者の方が映ってるでしょ。なるほどね~、指揮者が俳優にキューを出してたわけですね~



Play DB 2014/7/10

『モーツァルト!』音楽の鍵、対位法

歌詞を繋げることの難しさ
ライセンスミュージカルでも韓国創作ミュージカルでも一つの作品を舞台に上げるまでに最も悩み修正を繰り返す部分は他ならぬ'歌詞'だ。
ミュージカルの特性上、音楽が与える情緒を尊重はするが、ドラマの理解を助けようと多少それに合わない素朴な単語を使わなければならない事もあるし、言語の選択や言葉遣いによってキャラクターが完成されるから十分に議論され、慎重にしなければならない作業の一つだ。

メロディに、フレーズに、韓国語に、語順はうまく調和しているか?
長短高低に合う拍子と音の高さが適切なのか? など歌詞の作業後に作曲することがなく、他の言語ですでに作曲されている曲を韓国語で改詞する場合、数えきれない程多くの議論と発音の練習、そして公演に上げてからもモニターを通じてまた絶えず悩んで修正する過程が必要になる。

それにもかかわらず、多くの大劇場公演で歌詞の伝達、特にアンサンブルの歌詞の伝達がうまくいっていないという観客たちのモニターにたくさん接することになる。しかし彼らにもジレンマがある。

ある場面では舞台装置や照明機器のせいで、彼らが聞かなければならない舞台の伴奏スピーカーが瞬間的に埋もれて声を聞くことができなくて拍子を見つけられない場合もあるし、また、指揮者を正面から見つめられずに流し目をしなければならない苦労もある。
特に躍動感に満ちた踊りと位置の移動を同時に行ない、'きちんと'歌わなければならないため、数多くの練習を重ね、訓練された俳優たちだけが熾烈なオーディションを通して舞台に立つ資格をつかむ。

ミュージカル公演会場で「歌詞が聞こえませんか?」
私が参加した大劇場公演の中で歌詞が最もよく聞こえると称賛を受けたのが『マンマミ~ア❗️』、そして、「アンサンブルがいったい何を言っているのかわからない」とご指摘❓を受けた作品が『明成皇后』だ。作品に深く関与している音楽監督の立場で見る時このような二つの公演の結果は実際ごもっともなのだ。

『マンマミ~ア❗️』場合、ドラマにABBAの音楽をそのまま再現することが観点でもあり、アンサンブルの俳優たちは自分たちが出演しない場面では舞台の裏で伴奏をはっきり聞くことができた。それぞれにヘッドホンを着用し指揮者をモニターごしに真正面から凝視したまま各音域(ソプラノ、アルト、テノール、バスなど)ごとにスタジオのように分けられた部屋で合唱した。
こういうのは明らかに妨害を受けずに正確なサウンドを伝えようとする音響的な配慮と投資も一緒に後ろ押ししなければ出来ない部分だ。
この人たちが活動的に動かなければならない部分では、場合によってはあらかじめ録音された合唱が若干のサポートをしてくれることもある。

『明成皇后』場合、実際、歌詞伝達部分は先に創作したが、上記のような指摘❓を甘受した部分だ。
「シュンシュンと煮えたぎった湯に木の枝をくべ算法が出来たように、双龍に乗せたように、そのように無事に帰ってきた私たちの王妃」、「十里元山へ雨足が動くように、龍門山の霧が晴れるように、白玉山の尾根の白露をはらうように、5、6月の扉を開けるように、朝露に枝がふくらみ、日暮れにきゅうりがむくれ、真冬の夜長に扉を閉めるように、賺してお伺いして」
十分に易しい言葉で伝えられる部分を探すことはできるだろうが、原作(李文烈の'狐狩り')の内容を生かし、その時代のこの美しい表現を維持することが観点だったのだ。

もちろんこれらが少しでも伝わるように何度も発音練習した公演が『明成皇后』だが、ある部分を聞き取れてもいきなり出てくる'算法'、'双龍'、'枝'、'きゅうり'といった単語に集中力が落ちてしまうのだ。

リーヴァイが愛した作曲技法'対位法'
このように様々な状況が歌詞の伝達に影響を及ぼす反面、作曲家シルベスター・リーヴァイの『モーツァルト❗️』はこういう事とともに、また別の作曲形態で、伝達に影響を与えている。
『モーツァルト❗️』の場合もよくアンサンブルの歌詞の伝達力の指摘を受けるが、リーヴァイがこの作品に特に多く活用している作曲技法「対位法」のためだ。

これだけでない。
<ここはウィーン>のナンバーは、やはり後援者である男爵夫人とシカネイダーを含む、彼を称賛する貴族たちとそうではない貴族たちの隔たりが6個以上のメロディで同時に表現され、父の死を知らせようと来た姉ナンネールとの隔たりを始め、心配するコンスタンチェ、モーツァルトを困らせていたツェツィーリア、彼女の娘たち(娘たちの立場もそれぞれ異なるメロディで表現されている)まで、同時に5声部で表現される重唱曲は失意に陥ったモーツァルトに音楽そのものだけで十分に圧迫感を感じさせることになる。

混乱した感じを与えようとプラター公園で退場する時にアンサンブルが輪唱で表現する部分は、対位法の技法ではないが、やはり絶対にわからないという話が出るのは仕方ない。

このようにリーヴァイは相当数のナンバーで対位法を使いそれぞれの違う立場を同時に表現しようと考える。事実作曲家の立場ではかなり'ぴりっとした作業'に違いない。これらの関係性(ハーモニーとキーなど)をあらかじめ予測して計算して作業をする場合もあり、状況的に同時に表現されなければならない曲は、作曲された曲に若干のコード修正を加える事でピッタリハマるのを感じる時もある。

何はともあれ作曲技法の対位法はドラマチックで緊張感あふれる舞台上の状況を表現し、音楽的に豊かさを与えるのに非常に効果的なので伝達に多少の困難を伴ってもミュージカルでたくさん使われている。

ならば歌詞の理解をあきらめて対位法の曲らを聞かなければならないということになるのか? 事実対位法の曲らがいくら計算がうまくいっても同じ拍子で同時に出てきたら、一度にすべてを聞くことはほとんどできない。集中して耳を傾けあるパートだけ聞くのなら分からないが...

対位法が使われた『モーツァルト!』ナンバーの楽しみ
しかし、対位法の曲らを楽しむことができる方法がある。対位法を使った多くの曲らは主に反復の形態をとる。
つまり、先に一回1節の形態をとって、2節になったら他のメロディが繰り返され1節を覆う形態だ。3節になれば、すでにある1節と2節の上にまた他の音が乗せられることになる。だから観覧の立場からしたら、すでに聞いた1節、2節の感じを持ちつつ新しく追加されるメロディの歌詞を注意深く聞いてみたら、興味を感じることができると思う。

計算がうまくいった新しい3節に伴って時々聞こえる1,2節の単語がわかったら、隠された絵を探すような快感を感じることもできるだろう。

音楽は各メロディとハーモニー、ソリストとアンサンブル、オーケストラが一つで表現される集合体だ。ミュージカルも音楽と演技、振りつけ、舞台と各技術のパートが一つの塊りとなって表現される公演形態だ。全体が一つになっていく作業は想像できないほど困難を伴ったりもする。

内情がとりあえず、どれ一つ目立たないように調和するように表現されなければならず、そうなった時、私たちはいわゆる'良い公演'だと言う事ができるのだ。製作スタッフは一つも逃さないようにいつも悩まなければならず、観客にはいつもその意図が間違いなく伝えられ、十分に楽しむことができる公演になる事を願っている。


文:キム・ムンジョン『モーツァルト!』音楽監督。韓世大学校公演芸術学教授。ミュージカル専門オーケストラThe M.C指揮者。『私の心のオルガン』の作曲および『西便制』『エリザベート』『レ・ミゼラブル』『ラマンチャの男』『ゾロ』『光化門恋歌』等、数多くのミュージカルの音楽監督として活動している。