あと一週間もすればウンテくんのお誕生日🎉🎂なので...、ウンテくん関連の記事でもUpしようとネットサーフィンしていたら、面白い映像に出会ったのでUpしますネ







このシリーズ面白いから、他の方のStoryもボチボチUpしていきたいと思います



ウンテくんをお名前しか知らないわ〜って方は勿論の事、昔からご存知の方も痺れますょ〜!
昔のライオンキングの時の写真は見た事無かったし、掘り出し映像がチラホラ出て来ます

ご期待ください

2006年、伝説が始まった❗️
サイ🦏の前足から最高の俳優になった男

考えた事はあるかい⁉️
ミュージカルの神がいたとしたら、どんな姿をしているのか...

‘ミュージカルの神’ パク.ウン.テ!

ココにミュージカルの為に生まれた男がいた。
JCS、ジキル&ハイド、フランケンシュタイン...
ミュージカルの神と呼ばれる男がいた。
韓国ミュージカルの誇り!パク・ウンテ!
(当時)彼の舞台を見た人!

僕だ!僕!

名前:パク・ウンテ
生年月日: 1981.6.14
三兄弟の末っ子として生まれる。
富川の市場で八百屋を営んでるご両親の下に生まれたパク・ウンテは、中高生時代は良い職場に就職して親孝行をしようと考え、とても地道に勉強していた学生だったという👨🎓
特別に芸能の才能があるとか、歌が上手いとか思ってもいなかった彼は、後にミュージカル俳優になるとは夢にも思わなかったという。
幼い時に適性検査をしたら、いつも『軍人』や『警察』と出て来るほどで、実際に陸軍士官学校へ志願したりした彼は、高校3年の時に急に進路を変えるが、一旦大学へ行き、新しい夢を探そうと思い、多様な分野に進出出来る経営学部を選択することにした。それで、漢陽大学経営学部へ入学❕
趣味を生かして、バンド『声で大きくなる木』のヴォーカルとして活動したりもしたパク・ウンテは、大学祭の歌謡祭に何度か出場したが、その都度、予選で脱落❗️
2001年江辺歌謡祭に出場した彼は2回の敗者復活戦の末に『告白』という歌で銅賞🥉受賞した。

♬受け入れて貰えないんですか〜?
♬告白するよ〜
これをキッカケに微かではあるが歌を歌うということへの挑戦意識が芽生えた彼は、海軍広報隊で軍服務をしながら、全国の音楽専門家と夢を育もうと思いついたが、実情は誰も彼を認めてくれなかったそうだ。

そこで、「君、江辺歌謡祭に出たというのは本当か?」「や!何が歌だ。勉強しろ!お前は勉強が似合ってる。」という言葉を投げかけられたパク・ウンテは、この言葉を噛み締め、「そうだよな。俺が歌だなんて...」「しっかりしろ、勉強を一生懸命やるんだ!」と考えるようになり、軍除隊後、漢陽大の経営学部全体で4位を獲得し、奨学金を貰って大学へ通ったという。成績表を見て喜ぶ両親を見て、「俺は勉強の才能があるんだな〜」と思ったパク・ウンテ!歌は趣味でやろうと決心し、その1年、就職のスペックを積む為、本当に一生懸命勉強した。
ところが、25歳になったある日、大学祭のイベントで歌謡祭が開かれると、頭がずっとそちらに傾いて勉強に集中出来ず、未来に対する怖さと葛藤で、眠れなくなってしまうこともあった。そうやって、自分の未来に対して3ヵ月間真剣に悩んだ末に「俺は歌をやる〜!」と決心し、ある事務所に練習生として入ったが...
そこでは掃除ばかり🧹🧼🧽し続けながら、大した収入もない日々を送っていたある日、企画社の代表が「ウンテ、君はここでこんな事してるんじゃなくて、このオーディションをやってみろ。」「それ、なんですか?」
代表が渡してくれたのはミュージカル『ライオンキング』のオーディションだった。ミュージカルに対して何も知らなかった彼は、踊りを踊って演技をするなんて、その気にならなかったが、当時、ダンスとシンガーを別に選ぶという内容に勇気を出して生涯初のミュージカルのオーディションを受けて見事に合格した💮

そうして、2006年シャルロッテシアターの柿落としの作品だったミュージカル『ライオンキング』のアンサンブルとしてデビューする事になり、サイ🦏の前足などの役を演じながら、もっと大きな夢を育て始め...
舞台の上に立つのが幸せだと感じた彼は、ただその瞬間が楽しかったと言った。

(つづく)