へヨンちゃんの想いがよく伝わってくる記事だったので貰って来ました






ミュージカル俳優イム・へヨン(38)が4年ぶりに'ドラキュラ'のミナで戻って来た。ミナを演じながら、引っぱられるというよりは明確に、主体的に表現したかったと明らかにした。そのため、両目を大きく開けて探して見なければ分からないディテールを加えた。回を重ねるほどにこみ上げてくる感情とディテールを観客席最後まで伝えるイム・へヨン。イム・へヨンは一度も同じ公演をしたことがないと言った。それなので、残った公演まで毎日毎日異なる公演になりそうだと伝えた。

指輪💍を外しているのは気付きませんでした...






スターニュース 2020.5.3

ミュージカル『ドラキュラ(製作:ODカンパニー)』は、アイルランドの小説家、ブラム・ストーカーの同名小説を脚色しており、数百年間、一人の女性だけを愛したドラキュラ伯爵の話を扱った作品だ。2014年初演、2016年の再演を経て、4年ぶりに再再演で帰って来た。4重のフライング舞台など、補完作業を通じて再演より完成度を高めた。
イム・へヨンは『ドラキュラ』でミナ役を務めた。ミナは美しく聡明な女性としてドラキュラ(キム・ジュンス、チョン・ドンソクそしてリュ・ジョンハン)と出会い拒否できない運命に巻き込まれて行く人物だ。彼女は2016年の再演を通じて『ドラキュラ』と縁を結んだ。再演当時はワンキャストで約2週間の公演をしたので残念に思ったこともあるはず。イム・へヨンは4年ぶりに戻ってきた『ドラキュラ』再再演を通じて再演から幾重にも積み重ねて来た感情とディテールをきめ細かく表現した。

2016年の再演に続き、4年ぶりに『ドラキュラ』のミナを演技する事になった感想はどうですか?
▶︎『ドラキュラ』再演当時のミナ役はワンキャストで、公演期間が短かかったんです。2週間半にならないくらいでした。その当時(キム)ジュンスが軍隊へ行く前であり、「これをまたいつ頃するようになるかな❓ 」と俳優たち同士で話したことがあります。それで私が「年齢的に出来ないかも」と話しましたが、今していますね

歳月が本当に早く過ぎて行くようです。4年と言っても、体感では2年しか経っていないようです。そしてひとつも思い出せず、また出来るとは想っていませんでした。様々な状況が合わなければならないから俳優の立場では作品に対して確信を持つことが容易ではないんです。『ドラキュラ』はすごく好きですが、「軍隊に入隊したジュンスが戻って来るまでには結構長い時間がかかっちゃうのね」とばかり思っていました。そして公演に再び参加できるかどうかについては、ほとんど分からないので、また出来る事が嬉しいです。
コロナ19の拡散防止、及びソーシャルディスタンスへの参加のため、公演が3週間中止なりました。 休みの間は何をしましたか? そして3週間ぶりに公演を再開した感想は?
▶︎初体験の休みでした。俳優たち同士では最初の2週間までは良かったと言ってたのですよ
▶︎初体験の休みでした。俳優たち同士では最初の2週間までは良かったと言ってたのですよ

2週間くらいは独自の自宅隔離を自然にしていました。独自の自宅隔離が終わった後の一週間は故郷であり、清浄区域である江陵に行ってきました。3週間ぶりに公演を再開したら慣れて来てたのに不慣れな気分になりました。俳優たち同士で「みんなどんな気分❓」と話したりします。普通の地方公演へ行く気分とまた違ったよです。初公演のような緊張感でしたし、慣れていながらも妙な気分でした。楽なんですが不自由な感じ、わかりますか❓ちょうどそのような感じで、言葉では説明できないですね
舞台に初めて登場して1幕までミナを演じる時に、慣れていて見知らぬこの気持ちが役に立ちます。


▶︎再演時に会ったジュンスとは公演期間が短くて親しくなる機会が不足しました。今度は話をたくさん交わし、再演の時よりももっと楽になりました。実際コロナの影響によって出来なかったのですが、俳優たち同士でやりたいことが多かったんです

ドンソクは弟のようなのでもっと楽でもありました。そのせいか、私が実姉のような感じがしています。2012年『二都物語』の時期に出会ったドンソクは赤ちゃんでした。もちろん私も幼かったのですが、ドンソクはもっと若かったです。お互いに成長して出会って気分がいいです。
ジョンハンお兄さんは気難しくて神のような先輩ですがかわいいんです。私がお兄さんの前でふざけたりするんです。最近は体温を測っていないお兄さんに近づき、体温を測ったりもしました。神のような先輩ですが、かわいい面が多いんです。でも舞台で見るとそんなに心苦しくはありません。2015年『ファントム』以来、久しぶりに舞台で会えて嬉しいですし、いとこに会った感じです。
『ドラキュラ』のミナの前世はどうやって作り上げましたか? そして再再演ではもう少し親切になった感じがします。
▶︎私はエリザベッサが転生したと思いました。 そう考えなければ自分の能力では解釈して表現することが難しいんですよ。再演の時から練習をしながらそこに合わせていきました。最初は
「私がエリザベッサだ」と思いながらドラマを始めた訳ではなかったのです。練習を重ねながら「エリザベッサだったのか」となりました。 親切に表現をしようとしたのではなく、もう少しはっきりと明確に直接的に表現したかったんです。観客が劇を見た時、ジャンプする部分も多く「何どうしたの❓」という部分が理解できるので、親切に感じることもありうると思います。ところで私はミナは典型的な女性ではないと思い、直接的かつ積極的な姿に描いてみたかったんです。再演が終わって製作会社サイドが「タイトルはドラキュラだが、ミュージカルミナだよ」と話してくれもしました。すごく考えてみたのですが、引っぱってもらうより明確に主体的に表現したかったんです。 そうしてこそ観客の方々が理解をして、ついて来られるという気がしたんです。そうしても「あの子どうしたの❓」と言われそうですけどね

ミナを演じながら、気遣う部分があれば❓
▶︎直接的に表現したかったと言いましたが、すべての部分を直接的に表現したりはしません。 'Please Don't Make Me Love You'のナンバーを歌った後に、レンフィールドを訪れる場面で「私にもそんな話をしてくれました。しかし、それが私たちの魂を捨てるほどそんなに貴重なのことなのですか❓ 」と言います。再演時はあなたの霊だとブスッと指摘して話したんです。この魂にはミナとレンフィールドそしてルーシーの魂が含まれたものです。ドラキュラの犠牲にされた全ての人たちに向ける言葉でもあって、ミナ自身にもルーシーにも言っている言葉です。観客の方々にはよくわからないと思います。その魂ですべてを表現出来たらいいのでしょうが、多くのものが入っています。この部分だけは直接的に表現しません。魂という言葉を言う前にその人たちを皆思い出します。

▶︎ジョナサンと結婚してからは一度も指輪を外しません。会わなければいいのですが、よく遭遇してしまう場合があるじゃないですか。別れた人と会わなければいいけれど、どこかで遭遇し続けて、ミナが呼んだりもしてしまい、結局は誘惑の味に出会ってしまうじゃないですか。ジョナサンがいても、その間でずっと葛藤します。もちろん、ドラキュラに心を奪われたのは事実なのですが程度があります。50%を越えたのか、でなければ30%を越えたのか。私は半分以上超えてしまったようです。それで喧嘩をして対抗しようとします。揺れるのが大きくなったらもっと対抗しようとするじゃないですか。その揺れが大きくなって、ドラキュラの誘惑につられてしまう事もあります。
すでに血を分け、交信をして、私の選択によってそのようになったのですが、そのようなものが作用し、またつられてしまうんだと思います。 ヴァン・ヘルシングがジュリアと出会った後にドラキュラが「君は私が生きる理由。私を生かす初恋、長い年月さえも拭い去ることができなかった愛」と歌うでしょう。実際にはとても話にもならない事かも知れませんが、私が確実に聞く設定なのです。実際、後方で聞いています。ドラキュラの声を正確に聞いて、その時指輪をはずしてしまいます。ドラキュラ城に入って「ドラキュラを見つけましたか❓」と聞くのは彼に会うためなんです。
指輪のディテールだけでなく、感情を直接的に表すときもありますね。 特にチョン・ドンソク俳優と演技する時に感情を素直に表現しているようです。
▶︎『ドラキュラ』は《ドラマに抜け穴が多い》《理解できない》という反応がありますが、ドラマが完璧なミュージカルは数えられる程度だと思います。やむを得ない形式で二、三時間の中に詰め込まなければならないんです。だから私はすべてのミュージカルにはドラマ的に穴が存在すると思っています。ところで『ドラキュラ』のドラマに大きな問題があるように先入観を持つことになるのですが、私は公演をすればするほど俳優がもっと多くの試みをできると思っています。もっと多くのものを作り出すことが出来るのでドラキュラ毎に異なる表現をすることは全然おかしくないと思います。ミナもドラキュラも作り手次第だと思います。


面白いのはドンソクとドラマについて明確に話したりはしません。ジュンスともそうですし、ジョンハンお兄さんとも同じです。ただ出来てしまうという状態です。お互い合わせないけれど、それぞれのドラキュラに出会って積み重ねた感情が、その日のドラキュラと良いものを作り出してるんじゃないかと思います。ドンソクはジュンスとは違う切なさがあり、ジョンハンお兄さんはまた別の切なさがあります。ドンソクの哀切な間が私とよく合っているのだと思います。
'トレインシーケンス'の催眠シーンで憑依が解けない感じだったんです。ずっとドラキュラに憑依された状態だったのでしょうか? そして、このとき完全にドラキュラ寄りになりますか?
▶︎ミナとヴァン・ヘルシングが互いに激しく対立しことを望みました。該当部分は演出家が実らせてくれました。初演の時は、このようなバージョンはなかったと言うんですよ。再演の時は(カン)ホンソクがヴァン・ヘルシングだったのですが、その時に私と拮抗したんです。もちろん、当時の公演会場が世宗文化会館だったのでよく見えなかったはずです
ヴァン・ヘルシングの立場では「ミナが堕ちたのか❓」「何だ❓」と思う事も出来ますが、ミナの立場では完全にドラキュラ寄りになったのではないけれど、お互いに最後まで拮抗したら良いと思いました。私はそのドラマが良くて、私の旅程ではそれが正しいと思いました。毎公演ごとにそのシーンで私のトーンが少しずつ違います。ドラキュラを完全に選択したわけではないですが、そのシーンだけはドラキュラ寄りに話をするんです。
'トレインシーケンス'の催眠シーンで憑依が解けない感じだったんです。ずっとドラキュラに憑依された状態だったのでしょうか? そして、このとき完全にドラキュラ寄りになりますか?
▶︎ミナとヴァン・ヘルシングが互いに激しく対立しことを望みました。該当部分は演出家が実らせてくれました。初演の時は、このようなバージョンはなかったと言うんですよ。再演の時は(カン)ホンソクがヴァン・ヘルシングだったのですが、その時に私と拮抗したんです。もちろん、当時の公演会場が世宗文化会館だったのでよく見えなかったはずです

今年でデビュー15年目になったので格別だと思います。そして『ドラキュラ』の公演ももう半分程度しか残ってないですが残った公演でどんな姿を見せてくれるんですか?
▶︎10周年以降は数えていません
一年一年積み重ねて10周年までは格好よかったんです。ところで今は時間を重ねないでほしいです。積もる時間くらい、私が何かをしなければならないということが負担になるような気がします。『ドラキュラ』にはドラマ的な穴が多いと思いますが、私の(表現できる)幅が広くなったと思います。それぞれのドラキュラに会えばちょっとした違いはありますが、変わり続けます。その広い幅の中で、また積み重ねるものがあると思います。毎日同じ時間、同じ場所で公演していますが、一度もしてみた事のない新しい公演になると思います。
▶︎10周年以降は数えていません
