スーパーで買い物をする。
しかしこの頃、スーパーでは野菜をほとんど買わなくなった。
野菜は、近所の農家の直売所で買うようにしている。
あとは、近所の幼なじみ友人Mの母M子様が、
自宅で作っている野菜を分けてくれるのを喜んで貰う。
そこに、今年からは自宅の庭でも少し、野菜を作り始めた。
だから、旬のものしか食べない。
スーパーに行くと、ほとんどの野菜が季節を問わずに店頭に並んでいる。
私の母は昭和ヒトケタ生まれだが、「トマトの旬ていつだったっけ」
などと言っていた。
戦中戦後の子どもの頃は、畑でサツマイモやカボチャを作って食べていたそうだ。
その後、高度経済成長の時期に三十代を過ごし、
そのままアホたれ消費者になり下がってしまったのだ。
今、スーパーの野菜売り場で季節を感じようと思っても、
せいぜい、春に独特のふきのとうやたらの芽が出るとか、
夏に枝豆や茗荷が並ぶとか、その程度じゃないだろうか。
※
作物には季節による特徴が備わっていて、
冬のものは体を温める作用を持っていたり、
夏のものは水分を多く含んで体を冷やしてくれたりする。
生のキュウリを冬にばりばり食っていたら、冷え切ってしまうだろうし、
夏に熱を産むものを食べるとどこぞに炎症を起こしたりする。
季節を感じて生きていたら、
身体の欲する旬のものを食べたくなる。
はずなのだが。
高気密住宅に住んで、都会的消費生活をしていたら、
身体の欲求を感じ取れなくなるどころか、
身体そのものも、今がどんな季節なのか分かんなくなってしまうだろう。
※
その季節相応の汗をかくこと、
日の出日の入りの変化を毎日見届けること、
雨戸だけでなくカーテンも閉めないこと、
月の満ち欠けも見ること。
※
庭で畑をやって、よく分かった。
植物は、できる時はばかすかできる。
今年の春は、春菊を毎日食べて、ついに胃を壊してしまった。
一人暮らしでは、作物ができることに胃袋が追い付かない。
友人に分けまくってもまだ余るのだ。
この時期の我が国は、春菊に関して自給率400%を超えていた。
※
播種の時期をずらしたらうまくいくだろうか。
そんな気がしない。
でもまあ、来年は試してみよう。
おひとりさまって難しい。
※
友人Mは、母M子様により、野菜至上主義で育てられた。
よって、かなりの葉物消化力を誇っている。
Mは全部が臼歯で胃袋は3つ4つ有るんじゃないか
と私は疑っている。
更に、Mは便秘体質である。
そんなMが今年さすがに言っていた。
「毎日キュウリ食べてたらお腹くだした。」
牛か羊かという草の食いっぷりだが、
どうやらカタツムリほどのキュウリっ食いではなかったようだ。
でもめげない。
「だから加熱して食べることにした。」
畑で穫れたてのみずみずしいキュウリを、わざわざ加熱して水分飛ばして食うのか。
つまりは、ほんとに、
作物は穫れる時にはばかすか穫れるんである。
追われるのだ。
※
8月半ばを過ぎて、
ぼんやりしていたら、ニラだのパクチーだのに蕾が付き始めた。
なんでも、花が咲くと栄養がそっちに行くので、
葉が旨くなくなる。
薹が立つ、ということだ。
夏が終わるなあ。
しかしこの頃、スーパーでは野菜をほとんど買わなくなった。
野菜は、近所の農家の直売所で買うようにしている。
あとは、近所の幼なじみ友人Mの母M子様が、
自宅で作っている野菜を分けてくれるのを喜んで貰う。
そこに、今年からは自宅の庭でも少し、野菜を作り始めた。
だから、旬のものしか食べない。
スーパーに行くと、ほとんどの野菜が季節を問わずに店頭に並んでいる。
私の母は昭和ヒトケタ生まれだが、「トマトの旬ていつだったっけ」
などと言っていた。
戦中戦後の子どもの頃は、畑でサツマイモやカボチャを作って食べていたそうだ。
その後、高度経済成長の時期に三十代を過ごし、
そのままアホたれ消費者になり下がってしまったのだ。
今、スーパーの野菜売り場で季節を感じようと思っても、
せいぜい、春に独特のふきのとうやたらの芽が出るとか、
夏に枝豆や茗荷が並ぶとか、その程度じゃないだろうか。
※
作物には季節による特徴が備わっていて、
冬のものは体を温める作用を持っていたり、
夏のものは水分を多く含んで体を冷やしてくれたりする。
生のキュウリを冬にばりばり食っていたら、冷え切ってしまうだろうし、
夏に熱を産むものを食べるとどこぞに炎症を起こしたりする。
季節を感じて生きていたら、
身体の欲する旬のものを食べたくなる。
はずなのだが。
高気密住宅に住んで、都会的消費生活をしていたら、
身体の欲求を感じ取れなくなるどころか、
身体そのものも、今がどんな季節なのか分かんなくなってしまうだろう。
※
その季節相応の汗をかくこと、
日の出日の入りの変化を毎日見届けること、
雨戸だけでなくカーテンも閉めないこと、
月の満ち欠けも見ること。
※
庭で畑をやって、よく分かった。
植物は、できる時はばかすかできる。
今年の春は、春菊を毎日食べて、ついに胃を壊してしまった。
一人暮らしでは、作物ができることに胃袋が追い付かない。
友人に分けまくってもまだ余るのだ。
この時期の我が国は、春菊に関して自給率400%を超えていた。
※
播種の時期をずらしたらうまくいくだろうか。
そんな気がしない。
でもまあ、来年は試してみよう。
おひとりさまって難しい。
※
友人Mは、母M子様により、野菜至上主義で育てられた。
よって、かなりの葉物消化力を誇っている。
Mは全部が臼歯で胃袋は3つ4つ有るんじゃないか
と私は疑っている。
更に、Mは便秘体質である。
そんなMが今年さすがに言っていた。
「毎日キュウリ食べてたらお腹くだした。」
牛か羊かという草の食いっぷりだが、
どうやらカタツムリほどのキュウリっ食いではなかったようだ。
でもめげない。
「だから加熱して食べることにした。」
畑で穫れたてのみずみずしいキュウリを、わざわざ加熱して水分飛ばして食うのか。
つまりは、ほんとに、
作物は穫れる時にはばかすか穫れるんである。
追われるのだ。
※
8月半ばを過ぎて、
ぼんやりしていたら、ニラだのパクチーだのに蕾が付き始めた。
なんでも、花が咲くと栄養がそっちに行くので、
葉が旨くなくなる。
薹が立つ、ということだ。
夏が終わるなあ。
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