犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
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おひとりさま

2022年08月23日 | 椰子の実の中
スーパーで買い物をする。

しかしこの頃、スーパーでは野菜をほとんど買わなくなった。

野菜は、近所の農家の直売所で買うようにしている。
あとは、近所の幼なじみ友人Mの母M子様が、
自宅で作っている野菜を分けてくれるのを喜んで貰う。
そこに、今年からは自宅の庭でも少し、野菜を作り始めた。

だから、旬のものしか食べない。

スーパーに行くと、ほとんどの野菜が季節を問わずに店頭に並んでいる。
私の母は昭和ヒトケタ生まれだが、「トマトの旬ていつだったっけ」
などと言っていた。
戦中戦後の子どもの頃は、畑でサツマイモやカボチャを作って食べていたそうだ。
その後、高度経済成長の時期に三十代を過ごし、
そのままアホたれ消費者になり下がってしまったのだ。

今、スーパーの野菜売り場で季節を感じようと思っても、
せいぜい、春に独特のふきのとうやたらの芽が出るとか、
夏に枝豆や茗荷が並ぶとか、その程度じゃないだろうか。



作物には季節による特徴が備わっていて、
冬のものは体を温める作用を持っていたり、
夏のものは水分を多く含んで体を冷やしてくれたりする。

生のキュウリを冬にばりばり食っていたら、冷え切ってしまうだろうし、
夏に熱を産むものを食べるとどこぞに炎症を起こしたりする。

季節を感じて生きていたら、
身体の欲する旬のものを食べたくなる。
はずなのだが。

高気密住宅に住んで、都会的消費生活をしていたら、
身体の欲求を感じ取れなくなるどころか、
身体そのものも、今がどんな季節なのか分かんなくなってしまうだろう。



その季節相応の汗をかくこと、
日の出日の入りの変化を毎日見届けること、
雨戸だけでなくカーテンも閉めないこと、
月の満ち欠けも見ること。



庭で畑をやって、よく分かった。

植物は、できる時はばかすかできる。
今年の春は、春菊を毎日食べて、ついに胃を壊してしまった。
一人暮らしでは、作物ができることに胃袋が追い付かない。

友人に分けまくってもまだ余るのだ。
この時期の我が国は、春菊に関して自給率400%を超えていた。



播種の時期をずらしたらうまくいくだろうか。
そんな気がしない。
でもまあ、来年は試してみよう。

おひとりさまって難しい。



友人Mは、母M子様により、野菜至上主義で育てられた。
よって、かなりの葉物消化力を誇っている。
Mは全部が臼歯で胃袋は3つ4つ有るんじゃないか
と私は疑っている。
更に、Mは便秘体質である。

そんなMが今年さすがに言っていた。
「毎日キュウリ食べてたらお腹くだした。」

牛か羊かという草の食いっぷりだが、
どうやらカタツムリほどのキュウリっ食いではなかったようだ。

でもめげない。
「だから加熱して食べることにした。」

畑で穫れたてのみずみずしいキュウリを、わざわざ加熱して水分飛ばして食うのか。

つまりは、ほんとに、
作物は穫れる時にはばかすか穫れるんである。
追われるのだ。



8月半ばを過ぎて、
ぼんやりしていたら、ニラだのパクチーだのに蕾が付き始めた。
なんでも、花が咲くと栄養がそっちに行くので、
葉が旨くなくなる。
薹が立つ、ということだ。

夏が終わるなあ。
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