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犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
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ジョーホー

2013年09月30日 | 椰子の実の中
[あらすじ]
「情報」という言葉が嫌いだとかまた言い出したよ。
情報と、それによく似た知識などとの違いは、何か。


具体的にどういうものを情報と呼ぶか、考えてみた。

たとえば
「30日(月)のみ、牛豚合挽き100g58円!!!」とか
「映画会、公民館にて、18:00~、入場無料」とか
「鬼太郎ナンバープレート申し込み、○月○日まで、市役所○○課」とか
「大盛りグルメランキング」とか
「京王線、落雷の影響で30分遅延」とか
こういうのは情報か。

最初、いくつかの例を考えながら、情報とは数字にまつわるものかな、と思った。
しかし、
「1969年の日本の出生数は1,889,815人」とか
「1964年東京オリンピックでの日本のメダルは金16、銀5、銅8」とか
こういうのは、情報とも呼べるが、その中でも記録と呼ぶべきものだろう。

また、実験結果や気象に関するものや歴史的な事柄などなども、
情報っぽいけれど、記録と言ったほうがよさそうだ。
それは、振り返って参照したりするからではないか、と思った。

情報は、その時には役立つけれど、過ぎ去ってみたら意味を持たないものではないだろうか。

ところが、どうも情報という言葉の意味が広がっているのか、
そもそも情報という言葉の意味が広いものなのか、
様々なものが「情報」と呼ばれているように思えてならない。

「情報」とまとめて呼ばれてしまっているものの中にも、
知識や、記録や、統計や、個人の感想や、個人の意見などもあるように思う。

情報過多の時代、なんて言われるけれど、
そういったいろんなものを全部ひっくるめて「情報」として扱ってしまっているからではないか、
とも思われる。

と、今日ここで私が発信しているのは、情報ではなく、個人の意見である。
IT時代の用語だと、これも「情報」なのかな。

流行語は、意味が広がる性質を持っている。
いろんなものをひっくるめてしまう力を持っている。
そういう力を持った言葉を濫用することは、
表現やものの捉え方が雑になる危険をはらんでいるので、気を付けたいと思う。


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