犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
犬のこと、人の心身のこと、音楽や自作のいろいろなものについて

mercy, mercy

2019年11月10日 | 椰子の実の中

私と父との関係が難しくなった頃、
それでも月曜日の夜8時からは一緒にテレビを観て楽しんだ。
少なくとも、隣にいて笑っていることまでイヤではなかった。
一緒に笑うことは、大事だと思っていた。
もちろん、それだけで関係が修復されるほど簡単ではないが、
良い時間、楽な時間であったことは間違い無い。



だから、私はだいじょうぶだぁ教を信じている。
そうです。私が観ていたのは変なおじさんです。
月曜日の夜8時は、志村けんのだいじょうぶだぁ。

志村けんのデシ男、ひとみばあさん、いいよなおじさん、
石野陽子とのごご五時の夫婦、おハナ坊、
などなど

そこで力を発揮していたのが、田代まさしだった。
萩尾みどりさんとの「貧乏母子」の悲劇の音楽は今も
何か貧しいできごとがあると脳裏を流れる(大袈裟)。



応援している人たちを裏切ることになった。
などという表現を見かける。
かなり多く見る。

そんなこと、ひとに言われなくても、
本人はそれで苦しんでいることと思う。

復帰して活動が軌道に乗ってくると
調子に乗ってまたクスリに手を出す。
などという言い方も見かける。

調子良くないからクスリに頼りたくもなる。

応援してくれる人が多くいることは分かっている。
支えにもなるが、プレッシャーにもなる。
自分自身がかくありたいという思いに沿っていられる時間は
支えになり、
気持ちが不安になった時に、支えだけでなくプレッシャーにもなる。

「一人になった時」に、薬を使うことを考える、
と話している。

親族であれば、血の繋がりが有れば、どこかにいれば家族かと言ったら
そうではないのだと思う。
自分は一人ではない、と思える存在というものが必要だ。

いくつかの活動の中で、しっかり寄り添ってくれ、
信頼を寄せる人たちがいた。
身近に支える人は、そういう存在でありたい、と思っているだろう。
本人が苦しめば、そういった仲間も苦しむ。

それでも、一人だと感じてしまう時が有る。



孤独感は人それぞれに出遭う時が有るとは思う。
しかし、関係を喪失するという経験がそれまでに有るか無いかで、
その孤独感の迫り方が違うのではないかと思う。

「こうなっちゃったらヤだな」という想像と、
「またあんなことになるのか」という明確な感覚との違いと言うか。



何度も何度も笑わしてもらった恩を私は忘れられない。
また見たい、と、いつも思っている。

病を治すことは難しい↓
https://www.youtube.com/watch?v=nc_wEZmweZM

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