犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

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三百科

2019年05月29日 | からだ
ひとのわるくちだとかぐちだとか、
聞いていてきもちのいいもんでもない。

以前の職場に、愚痴の上手な人が一人いた。
その人の愚痴は、いくら聞いていても悪い気がしないのだ。
なぜだったのだろう。
何かすがすがしい。
言い切って本人がスッキリしているからだろうか。
自己完結していて、こちらに何ら影響が無いからだろうか。

では、聞いていられないような愚痴はどんなものだろう。
長い。
繰り返しが多い。
共感を求めてくる。
こんなところだろうか。



[あらまし] 同居母86歳パーキンソン病要介護2認知症状少々。
一日に6回、介護や看護の訪問が有る。その他、歯科や眼科の往診。

身体介護は介護スタッフにほぼ任せており、
私は掃除や買い物や諸手続き。

認知症状も少々で済んでおり、
立ち上がりや伝い歩きもでき、
食事もかなりこぼすが自分でできるので、
自立度は高い。

介護経験者の多くに言われるが、
こういった、自立度の高い時期が一番たいへんだ、という。
寝たきりになると介護者のペースになる。
今はご本人のマイペースに翻弄されている。



さて、母と信頼関係ができていないから介護生活もままならない、
ということを先日書いた。っけな。

以前から、親と同居だと言うと、
「じゃあお母さんがご飯作ってるの?」と聞かれて、
不思議に思っていた。
私は18歳頃から個食だ。

個食の人は、子どもの頃や十代から個食なので、
私なんぞは遅咲き個食だと思っている。
ただ、個食というものを知らない人には、それは異様なもので、
受け入れがたかったり、間違ったことと思ったりする。

つまり、「お母さんがご飯作ってるの?」に「いいえ」と答えると、
「じゃああなたが作ってるの?」と聞かれる。
そこで、いやそもそも一緒に食べてないし、と答えることになる。
ここで、「え?どうして?」と食い下がってくる人は滅多にいない。
なんだか触れてはいけないところに触れたように、話は閉じる。

なぜ個食のことを書くかと言うと、
個食の人みんながそうとは言わないが、
私と母は仲良く一緒にご飯を食べるでもない関係だ、
ということで何かが伝わるかな、と思うからだ。
ひとが触れにくい、ややこしいものがそこに在るからこそ、
一緒にご飯も食べてこなかったわけだ。



母がどうだ母がどうした母が母がと書くことも、楽しいことでもない。
ただ、毎日そのことにずいぶん追われ囲まれているので、
脳みそにあまり他のことを考える余地が無い。

ショートステイで母本人は数日間、いない。
いないならいないなりに、痕跡は有り、その片付けを鋭意推進中である。

母が捨てたがらない、8年前に死んだ父の遺品を、片付ける。
片付ければ、私や犬のスペースができる。
生きている私と犬に、母と別の生活スペースが必要だ。

父の書斎の壁面を埋め尽くす本棚の中の本を、処分しよう。
保存状態が良ければいくらかの銭にもなるものも有るのかもしれない。
しかし、そんな選別をしている余裕も無い。
先のことだけ考えるのだ。

大きさが同じ本が何冊も有ると、縛りやすい。
だから、百科事典から始末しよう。
ひとまずは、目に付いたところから縛る。
『平凡社 世界大百科事典』
『The Encyclopedia Americana』
『Encyclopedia Britannica』
それぞれがおよそ30巻ある。

オエぇ



信頼関係を築くというのは双方向の問題であり、
母が対話をとにかく避ける人だから、ということだけに負わすのはどうかと思う。
対話を避ける母のもとで育った私自身も対話は下手に育ったわけで、
それは他の人との関わりの中で自分で育てていくことになった。
育ったんならあらためて母問題に取り組めば良いのだが、そこまでの技も無い。
そこまでできない自分を認めたくないから、母のせいにしている。
そんなふうにも言える。

自分の意見や思いを伝えないままに行動に出るから約束事を破る結果になる、というのも、
約束を守れないのであれば自宅での生活は無理ですね、という結論を導きたいがため、とも言える。

自分の力や工夫が足りないところは、母本人のせいにしてしまえ、
という乱暴を、私はしている。
してはいるが、そんなことにいちいち対応していられないくらいに、
日常はせめぎ寄せる。
余裕が無いわね。

ショートステイ中で少し余裕が有るから、
自分のよろしくない部分でも書いて、ちょいと完結させておきたい。

その上で、捨てるもんはバカスカ捨てて、
自分のやりたい事に気分良く集中したい。

9日中、今日はもう3日目。
今日は古紙の収集日。
収集車が来るまで、縛りまくるのだ。



と、書いた後も作業を続けた。
判型がいろいろの本も束ねた。
本箱に効率良く詰めるために、父は本をサイズで分けていたので、
こちらも作業しやすかったのだ。

知人友人から父への手紙も、捨てた。
差出人ごとに分けて、透明の平らな袋に移し替えて、五十音順に並べてあった。
袋から出してまとめる作業がしやすかった。

几帳面爺さんに、ちょっと感謝。

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