犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
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天犬

2023年10月01日 | 毎月馬鹿
今日は、近所のドッグランで開催される’しつけ教室’に参加した。

基本中の基本事項を教わった。
・犬が自主的に飼い主を意識すること
・目を合わせること
・「おいで」で来ること
・「待て」できること

待てないのよ。オヤツを見たら。
そのくせ、呼んでも来ないのよ。
っていうか、目を合わせるの苦手なのよね。
飼い主よりも他の人のほうがチヤホヤしてくれるから好きだし。

我が犬ウーゴくんはたいへん穏やかな性格なので、
困っていることは無い。
と言ってみたものの、
実のところは上に書いたような調子なんである。

「しつけ」の方法は一応は知っているけれど、
トレーナーさんがいる所でしっかり実践してみたことが無い。
だから、参加してみた。



初めてのオヤツを持って行った。
いつものオヤツだとすぐに飽きてしまいかねないからだ。

おかげで、30分間のお教室の間、
集中力が途切れずに済んだ。ほぼ。

目を合わせるコツも教えていただいたので、
今後、うまく気を引いていきたい。



前に飼っていた犬とも、こういう機会を得られたら良かった。

カバサという名の雌犬は、
内弁慶だった。
そして脱走癖が有った。

内弁慶の癖に脱走する。
外で暴れまくってくる。
通りがかりのよその犬を咬んでしまったことも有る。

体重11㎏足らずの小柄な中型犬であった。
自分より小さな犬に対して、強気の態度で出た。
相手によって態度が違うのは、弱気の証拠だ。
本当に肝が据わっていれば、よその犬を咬む必要なんか無い。
ビビッているくせに強がっているから攻撃に出てしまう。

うまく訓練すれば、そんなカバサにも自信を付けてやることができたかもしれない。
そうすれば、もっと落ち着いた一生を送らせてやることができたかもしれない。

以前出会ったトレーナーの先生は、
「トレーニングをしっかりすると、ペットロスが軽減します。」と言っていた。
絆が深まるからだ、と言っていた。
なるほど、
しっかりトレーニングしていれば、私も
カバサの一生について悔やむことが少なかっただろう。

満ち足りた時間を過ごすために、犬を訓練することは重要なのだと思う。



カバサの運動能力は母親ゆずりだった。
性格も似ていた。

母犬サクラも一時期、我が家で預かっていた。
洗濯機の上に飛び乗って、その上の小さい窓から飛び出ようとしたり、
散歩中に、空き地のフェンスの下をくぐって脱走したりした。

サクラはよその犬に貰われていった。
その翌日に電話がかかってきた。
リードを柵に結んで、外を掃き掃除していたら
逃走した、と言うのだ。

その人が追い駆けて、犬が駆け込んだ道に曲がってみると、
そこは袋小路だった。
しかし、犬の姿は無い。
三方は高いブロック塀である。のに、
犬はいないのだ。

飛び越えたのだ。



カバサも、ブロック塀の上でくつろいでいる猫に飛びついたことが有る。
猫は、予想だにしない跳躍力の犬に、相当驚いていた。
フツウ、その高さにいれば攻撃してくる犬はいないのだ。



いや、カバサは母を超えた。

子どもは親を超えるものだ。
だから、親は自分の子の可能性を潰さないことがまず基本的に大事だ。
親を超えない子なんていないのだ。
だから人類は原始から現代までこのように進化し発展してきたのだ。

と、私は常日頃かんがえている。

犬だって同様なんだ。
カバサは母犬サクラを超えた。



近所に、修道院が在る。
閉鎖的なことで知られる、カトリックの宗派の修道院だ。

門は大きな鉄扉で、全体は高いブロック塀に囲まれている。
どれほど高いかと言うと、
数えてみたら、21段あった。

えーと、1段が20cmだから、4メートル強あるわけだ。

中に高い塔が在る、そこだけが外の道から見える。
塔のてっぺんには鐘が吊り下がっている。
朝夕にはすぐ近くの寺でゴーンと鐘が鳴り、
修道院からはカーンと鐘が鳴る。

時を刻むのが、
規則正しい生活を送る修行者の仕事であるのは
洋の東西を問わない。



カバサの脱走には悩まされた。
どんなに注意していても、たまに脱走してしまった。
こちらの注意を軽く上回るだけの身体能力が有った。

ある時は、よそ様の庭に入って、猫のために置いてある餌を食っている所を取り押さえた。
ある時は、浄水場の敷地で駆け回っている所を、水道局の職員さん総出で捕まえてくれた。

そしてある時、脱走したカバサを追い駆けていたら、
その修道院の前の道に来た。
高い塀に囲まれた、入口のアプローチにカバサは駆け込んだ。
しめた、追い詰めた!
と思ったその時、
カバサは跳ねた。

門扉と門柱の角の所で、跳ねた。
ひとッ飛び、とはいかなかったが、
飛び跳ねながら足を掻いて、それがうまいこと
門柱の石積みや門扉のボルトの頭なんかに引っ掛かって、
さらに登ることができて、
あれよあれよと見るうちに我が犬カバサは修道院の塀の内側へと消えて行ったのだ。



飛び降りて着地は無事だったのか。
足音はすぐに奥へと走り去って消えた。

困った。
なんせ外界と隔絶した生活を送っている修道院なので、
インターホンなんか無い。

鉄扉をガンガン叩くでもない。
書き置きしようにも、書く物なんか持っていない。
とほほ



そこから数百メートルという近さに、また別の宗派の修道院が在るのを思い付いた。
何かしらの交流が無いだろうか。
たとえば電話番号くらい実は知らされていないだろうか。
む?実世界と断絶している修道院に電話なんか有るのか?

私はダメもとで聞いてみようと、行ってみることにした。


つづく
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