goo blog サービス終了のお知らせ 

犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
犬のこと、人の心身のこと、音楽や自作のいろいろなものについて

心配ご無用

2013年08月31日 | からだ
[あらすじ]
ストレッサーからストレスを作っているのは、実は自分自身の
ものごとの受けとめ方だ。


ストレスとは、外的なものごとそのものではなく、それをどう受けとめるか
という自分のあり方なのだ、と書いた。

よく似たものに、心配というものがあると思う。

心配というのも、自分が生みだしたものだ。
なぜなら、心配とは、起きていないことについてすることだからだ。
起きたことに対して心を悩ませるのは、すでに心配とは呼ばない。

心配というのは「こうなりはしないだろうか」と、
まだ起きていない良からぬ事態を予想して、そのことは今まだ起きてもいないのに
心を悩ませているのだ。

もったいない。
今はまだ何も悪いことは起きていないのに、くよくよと心配するというのは、
もったいない。

たとえば、
早く出かけないと電車に間に合わないかもしれないから、心配だ。
ふつうに行けば間に合うけれど途中何があるかわからないから、心配だ。
子どもがはじめてお祖父ちゃんの家まで一人で行く、心配だ。
そんなに飲んで体を壊さないか、心配だ。
夫の帰宅が遅い、心配だ。

なるほど、心配にも理由はありそうだ。
心配しておくことで、困った事態になるのを避ける意味はありそうだ。
しかし、いくらかの心配ごとに対して、しかるべき対応や準備を整えれば、
あとは心配しなくて良いだろう。

心配をしても、何も良いことは起きない。
せいぜい、予想した悪いことが起きた時に
「やっぱりね、だから言ったでしょ」
と、心地よくない的中に満足するくらいのものだ。

そんな心配をするくらいなら、
適当な対応をさっさとして、あとは気持ちよく過ごした方が良い。

ものごとをプラス・マイナスに分けて考えるのは好きではないし、
そんなふうに分けられるものとは思っていない。
それを踏まえても、心配というのは負の感情だ、と言いたい。

ひとが病気をしていたら、心配などしない方が良い。
病気の周りを、さらに負の感情で取り巻くことになってしまう。
それより、あたたかい言葉をかけた方がずっと良い効果を出すだろう。

心配ご無用。


コメントを投稿