[あらまし] 母85歳パーキンソン病要介護2認知症状少々。
そんな母はキリスト教徒なのである。
キリスト教徒にとって、今日は教祖様の誕生記念日である。
ぜひとも教会に集まりたい。
クリスマス礼拝に行くのを諦めた時も有った。
今思えば、今年よりもずっと体調は良かったのではないかと思う。
しかし、その時はその時なりに、自分の体調の変化を受け入れられずにいたのだろう。
※
できなくなった事を受け入れる必要も有る。
受け入れつつ、なるべく維持すべくリハビリをする、というのは
精神的に難しいことだとつくづく思う。
どこまでは自分自身でやれるか。やっても安全か。
どこからは人に手伝ってもらえばできるか。
どこから先はすっかり人にやってもらうと良いか。
その見極めも、よほど客観的でなければ自分自身ではしにくい。
では身の周りの誰か、医師か看護師か介護スタッフかケアマネさんか、
ご家族の方かが、客観的に判断したときに、その判断を受け入れられるか。
※
教会まで車で送って行く。
教会の前は一方通行の狭い道だ。
以前は、そこへ曲がるバス通りの角に車を停めて、降りていた。
しかし、そのバス通りも広いわけではない。
サッと降りられるなら良いが、降りるのに時間がかかるのなら、交通に迷惑である。
今年は、教会の前まで送ることにした。
ついでに教会の受付の人に、帰りにタクシーを呼ぶことをお願いした。
頼んでしまわないと、自分では遠慮して頼まないというおそれが有る。
バス通りまで歩いてタクシーを拾えばまだしも、
バス停まで歩いてバスに乗って帰る、などという冒険をおかしかねない。
※
パーキンソン病の薬の影響で、唾液に独特のにおいがする。
体調によって、そのにおいの強さが変わるようだ。
出かける前の緊張感が作用したのか、母が出かけた後の家は、
ムンと薬の影響の唾液のにおいがこもっている。
※
地元の京王タクシーに乗って、無事に帰って来た。
良いドライバーさんで、助かった。
ああ、名前を聞けば良かった。
※
なりゆきに任せても、動きは改善しない。
しかし、リハビリに取り組んでも、もうさほど改善しないとも言える。
運動能力の維持のために、日頃、何をするか。
自分の運動機能の衰えを、どう受け止め、どう対応するか。
「60過ぎると」「70過ぎると」「80過ぎると」突然それまでと変わる、
といった言い方はよく聞くが、
同じことは30でも40でも50でも言っている。
私は来年で50を迎える年齢だが、
この年はこの年で相応に変化は表れている。
それをそれなりにしておけば、それなりに生活できて、
それなりにそのうちに思うままにいかなくなる。
そんな中でも、何か続けたいことが有るならば、
たとえば自分の目でものを見るとか、自分の足で歩くとか、
そういった続けたいことが有るならば、
今から、取り組む態度が必要なのだと思う。
やりつけないことをやるのは、しんどい。
誰だってしんどいが、動きづらい時は余計にしんどいし、
気持ちや思いにこだわりが有ればもっとしんどい。
つまり年を取ってから初めてリハビリをするのは、かなり面倒だ。
今から、やりつけないことをやってみよう、と思う。
あーしんどめんど。
そんな母はキリスト教徒なのである。
キリスト教徒にとって、今日は教祖様の誕生記念日である。
ぜひとも教会に集まりたい。
クリスマス礼拝に行くのを諦めた時も有った。
今思えば、今年よりもずっと体調は良かったのではないかと思う。
しかし、その時はその時なりに、自分の体調の変化を受け入れられずにいたのだろう。
※
できなくなった事を受け入れる必要も有る。
受け入れつつ、なるべく維持すべくリハビリをする、というのは
精神的に難しいことだとつくづく思う。
どこまでは自分自身でやれるか。やっても安全か。
どこからは人に手伝ってもらえばできるか。
どこから先はすっかり人にやってもらうと良いか。
その見極めも、よほど客観的でなければ自分自身ではしにくい。
では身の周りの誰か、医師か看護師か介護スタッフかケアマネさんか、
ご家族の方かが、客観的に判断したときに、その判断を受け入れられるか。
※
教会まで車で送って行く。
教会の前は一方通行の狭い道だ。
以前は、そこへ曲がるバス通りの角に車を停めて、降りていた。
しかし、そのバス通りも広いわけではない。
サッと降りられるなら良いが、降りるのに時間がかかるのなら、交通に迷惑である。
今年は、教会の前まで送ることにした。
ついでに教会の受付の人に、帰りにタクシーを呼ぶことをお願いした。
頼んでしまわないと、自分では遠慮して頼まないというおそれが有る。
バス通りまで歩いてタクシーを拾えばまだしも、
バス停まで歩いてバスに乗って帰る、などという冒険をおかしかねない。
※
パーキンソン病の薬の影響で、唾液に独特のにおいがする。
体調によって、そのにおいの強さが変わるようだ。
出かける前の緊張感が作用したのか、母が出かけた後の家は、
ムンと薬の影響の唾液のにおいがこもっている。
※
地元の京王タクシーに乗って、無事に帰って来た。
良いドライバーさんで、助かった。
ああ、名前を聞けば良かった。
※
なりゆきに任せても、動きは改善しない。
しかし、リハビリに取り組んでも、もうさほど改善しないとも言える。
運動能力の維持のために、日頃、何をするか。
自分の運動機能の衰えを、どう受け止め、どう対応するか。
「60過ぎると」「70過ぎると」「80過ぎると」突然それまでと変わる、
といった言い方はよく聞くが、
同じことは30でも40でも50でも言っている。
私は来年で50を迎える年齢だが、
この年はこの年で相応に変化は表れている。
それをそれなりにしておけば、それなりに生活できて、
それなりにそのうちに思うままにいかなくなる。
そんな中でも、何か続けたいことが有るならば、
たとえば自分の目でものを見るとか、自分の足で歩くとか、
そういった続けたいことが有るならば、
今から、取り組む態度が必要なのだと思う。
やりつけないことをやるのは、しんどい。
誰だってしんどいが、動きづらい時は余計にしんどいし、
気持ちや思いにこだわりが有ればもっとしんどい。
つまり年を取ってから初めてリハビリをするのは、かなり面倒だ。
今から、やりつけないことをやってみよう、と思う。
あーしんどめんど。
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