陶芸教室で、二十代半ばの女性数人がキャッキャと話している。
どうやら、高校時代の同級生のようだ。
結婚したとかするとか職場がどうとか誰かの噂とか、おしゃべりが続く。
一人が、QOLという言葉を使った。
「きゅーおーえる?何それ」
使った人は医師で、当人としては日常語だったが、
友達には伝わらなかったようだ。
医療とその周辺の業界には当たり前の言葉だけれど、
一般的ではないようだ。
友達同士の会話の中で「何それ」となるのは構わないが、
患者相手に使って伝わっていなかったりすると困る。
専門家同士の会話以外は専門用語を使わないようにする、
というのはけっこう大事なことだと思う。
※
[あらすじ]
母85歳の友人N83歳の耳が遠い。
おしゃべりが楽しめないので、クラブ活動を辞めた。
耳鼻科医は「面と向かっての会話ができるから補聴器は必要無い」と言う。
雑音の無い診察室で、
話題も限られている中で、
一対一で、
しっかり面と向かって
話ができればそれで聴力として十分か。
本人としては、かるた取りはできるけれど、ゲームの後のおしゃべりに加われないから
「つまらない」から辞めた、ということだ。
がやがやと、
様々な内容の、
複数人で集まって、
他愛もない
おしゃべりができないことは、つまらない。
聴力の低下が原因で、日々の中の楽しみが減っている。
※
こういうのを、QOLが下がった、と言う。
クオリティ・オブ・ライフ、生活の質が下がった、あんまり楽しくないのよね、ということだ。
生きている間は、何かの楽しみが必要だ。
ほんのオマケのような部分でも、それは必要なのだ。
年を取って身体が衰えていく中で、いろいろな機能が落ちて
楽しみが減ることも有る。
それが、補聴器ひとつで楽になるのなら、けっこうなことではないかと思う。
※
聴力の問題は、聞こえる聞こえないというだけの問題にとどまらない。
近所のおじさんは、耳が遠くなって、挨拶も聞こえなくなってから、
すっかりぼんやりしてしまった。
表情がどろんと眠たそうな顔になっている。
耳が遠くなったのだと気付いてからは、
大きく高く声を掛けたり、視野に入ってから挨拶するようにしている。
※
周囲の対応も必要だ。
聞こえにくい相手には高めに声を張るとか、聞こえる側に立つとか。
ただ、それも経験してみないと知らないことであったりする。
Nちゃんは言う。
「あたしは左側が難聴ですから。」
しかし、
「右側から話し掛けてください。」とは言わない。
経験の無い人には、後者のような表現でないと伝わらなかったりするものだ。
※
無口で、表情も固い、頑固そうで、あまり他人と関わりたくなさそうな
爺さんが陶芸教室にいる。
しかしまた別の日、今度は明るくにこにこと挨拶してくれ、
自分の作品や道具についても、自らあれこれ説明してくれた。
一見、機嫌のムラが有るようだが、違う。
補聴器を付けていたか、いなかったか、だ。
こんなにも表情が変わり、人との関わり方が変わる。
陶芸教室で、彼は割と黙々と作業するほうではあるが、
それでも、自分の好きな物について人に語る時、やはりきらきらとした様子が出る。
QOLが向上している。
どうやら、高校時代の同級生のようだ。
結婚したとかするとか職場がどうとか誰かの噂とか、おしゃべりが続く。
一人が、QOLという言葉を使った。
「きゅーおーえる?何それ」
使った人は医師で、当人としては日常語だったが、
友達には伝わらなかったようだ。
医療とその周辺の業界には当たり前の言葉だけれど、
一般的ではないようだ。
友達同士の会話の中で「何それ」となるのは構わないが、
患者相手に使って伝わっていなかったりすると困る。
専門家同士の会話以外は専門用語を使わないようにする、
というのはけっこう大事なことだと思う。
※
[あらすじ]
母85歳の友人N83歳の耳が遠い。
おしゃべりが楽しめないので、クラブ活動を辞めた。
耳鼻科医は「面と向かっての会話ができるから補聴器は必要無い」と言う。
雑音の無い診察室で、
話題も限られている中で、
一対一で、
しっかり面と向かって
話ができればそれで聴力として十分か。
本人としては、かるた取りはできるけれど、ゲームの後のおしゃべりに加われないから
「つまらない」から辞めた、ということだ。
がやがやと、
様々な内容の、
複数人で集まって、
他愛もない
おしゃべりができないことは、つまらない。
聴力の低下が原因で、日々の中の楽しみが減っている。
※
こういうのを、QOLが下がった、と言う。
クオリティ・オブ・ライフ、生活の質が下がった、あんまり楽しくないのよね、ということだ。
生きている間は、何かの楽しみが必要だ。
ほんのオマケのような部分でも、それは必要なのだ。
年を取って身体が衰えていく中で、いろいろな機能が落ちて
楽しみが減ることも有る。
それが、補聴器ひとつで楽になるのなら、けっこうなことではないかと思う。
※
聴力の問題は、聞こえる聞こえないというだけの問題にとどまらない。
近所のおじさんは、耳が遠くなって、挨拶も聞こえなくなってから、
すっかりぼんやりしてしまった。
表情がどろんと眠たそうな顔になっている。
耳が遠くなったのだと気付いてからは、
大きく高く声を掛けたり、視野に入ってから挨拶するようにしている。
※
周囲の対応も必要だ。
聞こえにくい相手には高めに声を張るとか、聞こえる側に立つとか。
ただ、それも経験してみないと知らないことであったりする。
Nちゃんは言う。
「あたしは左側が難聴ですから。」
しかし、
「右側から話し掛けてください。」とは言わない。
経験の無い人には、後者のような表現でないと伝わらなかったりするものだ。
※
無口で、表情も固い、頑固そうで、あまり他人と関わりたくなさそうな
爺さんが陶芸教室にいる。
しかしまた別の日、今度は明るくにこにこと挨拶してくれ、
自分の作品や道具についても、自らあれこれ説明してくれた。
一見、機嫌のムラが有るようだが、違う。
補聴器を付けていたか、いなかったか、だ。
こんなにも表情が変わり、人との関わり方が変わる。
陶芸教室で、彼は割と黙々と作業するほうではあるが、
それでも、自分の好きな物について人に語る時、やはりきらきらとした様子が出る。
QOLが向上している。
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