犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
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のどかな騒音

2017年07月11日 | おらほ調布
[あらすじ] 東京都下調布市深大寺町。
宅地化の中に残る農家に挟まれて住んでいる。


高速道路を走っていると、ときに広く切り通した所があり、
上に橋が架かっている。
狭い道が高速道路沿いの斜面を登って山の中へ消えてゆく。
あるいは、橋の上を軽トラックがわたってゆく。

自分は高速で通り過ぎて行くだけだけれど、
フェンスの外の一般道には、どんな生活があるのだろう。
と、かすかに旅心がくすぐられる。

・・・
と、
よく考えてみれば、
なんのこたあない、自分がその一般道の生活者なのだった。

私の住まいは武蔵野台地の南端近くにあり、
中央自動車道はその台地を切り通して、1kmあまりの区間を走る。
自宅からほんの100mほどのところに、まさに
高速道路に架かる橋がある。

ちょうど引っ越してきた年に、開通したのだ。
子どもの頃、高速道路を走る車に向かって、橋の上から手を振ったりしたものだ。
20代の頃、飼っていた犬は、高速道路の橋の上でひと休みするのが好きだった。



切り通しの区間には、騒音を反射するための板が設置されている。
しかし、どれほどの効果があるのだろう。
自宅と高速道路の間は100mほどあるけれど、ちょうど畑が多く、
建物が少ないので、防音壁になるものが無い。
けっこう騒音は届く。

夏場、窓を開けていれば、聞こえる。
南風の日は特に聞こえる。
曇った日は反射するのか音が大きい。
冬は上空の冷えた空気で屈曲して音波が届く。
つまりは常に轟々というタイヤの走行音が聞こえている。

小鳥が鳴き、虫が鳴き、農家で鶏が鳴くのどかな町だが、
その底で常に低く轟音が鳴っている。

数年前、大雪が降って高速道路が通行止めになったことがある。
この時、ふだんの騒音がいかにあるのか、思い知った。

気にすると気になる。
慣れてしまえば気にならなくなる。
慣れとは怖いものだ。
気にするというのも辛いことだ。



日曜日、橋を通りかかったら、十歳くらいの女の子がお父さんと橋のフェンスにかじり付いている。
足下は休日の渋滞である。
女の子は下に向かって手を振り続けている。
手を振り返してくれる人がいるたびに、きゃっきゃと喜んでお父さんと笑い交わしている。
見てみると、10台に1台くらいは、運転席か助手席の人が手を振ってくれている。
渋滞ながらもまだ流れがあるから、気持ちの余裕はあるし、橋の上の子どもも見える、
ちょうど良いスピードだったのだろうか。

のどかさとは。

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