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私の性自認

2017年04月28日 | LGB&T
[あらすじ] ブログでカムアウトして3周年記念おさらい週間を開催。

私個人の内情についてお話する。
私にはそれしかできない。
性にまつわることは非常に個人的な事なので、私には私のことしか分からない。

私のことについて知ることで知れることは私のことでしかない。
しかし、性的マイノリティのあり方のひとつのケースを知ることにはなる。
念を押しておきたいのは、それはほんのひとつのケースに過ぎず、
別の人はまた全く違った経験をしているということだ。

住む場所、親がどんな人たちか、家族がどんな考えか、
同級生はどんな人たちか、いつ生まれたのか、
それに何より、自分自身がどんな性格なのか、等々の要素で
一人ひとりの経験が異なるのは、LGBTに限ったことではないだろう。

そしてまた、親子の関係にありがちなできごとや、
学校でよく出会うことや、ヨノナカでしばしば気になる事や、
同世代ゆえの共通点等々があることも、やはりある。

共通点も個々の相違もどちらもあるということを、
しっかりおぼえておかないと、早とちりや誤解を起こしかねない。
どうも私ら日本人は(いや日本人に限ったことじゃないだろうけれど)
「あなたもわたしもそうだよね」といった共同意識で安心しがちで、
それは差別意識の源になるはずなのに、マイノリティの中にこそ起こりがちだ。

どなた様も、どうか、私ひとりの話で他の人のことも判断しないようにお願いします。
配慮くらいまではしてもいいけれど、想像や推測が過ぎたり、
判断まで至ってしまうと、間違いになってしまう。



さて、私がどういうカムアウトをしたかと言うと、

ということだった。

では、生まれてこのかたずっとこうだったかどうか、ということについて
ざっと今日は見ておきたい。

結局のところ、私のこういった性質は「うまれつき」だと思っている。
女性が女であるのがうまれつきだと自然に思っていて、
男性が男であることに疑問を持たないのと同様に、
私もうまれつきなんだかわからん性と指向で、
ただ、それを定義して受け入れる文化が今の日本に無かっただけだ。

このまま続けると長くなるので、具体的な内容は次回にするが、
主旨だけは書いておく。

自分が何者であるのか、子どもの頃、思春期の頃、20代の頃、30代の頃、
40代の今と、私の場合は変遷がある。
たとえばある女性が、ずっと自分のことを女だと思って生きるのと比べたら、
ずいぶんと落ち着かない。

落ち着かないというのは、不安定なもので、
この不安定さは、どうも気持ちのありように影響する。
今はやっとFtXという広い表現を得て、ここに落ち着くかと見えるが、
この先どうなるかわからないとも思っている。
ここについては数日後にでも詳しく書く。

FtXとはFemale to Xの略で、女性の身体で生まれたけれど、
Xジェンダーつまり女性でも男性でもないところにいます、という意味だ。
こんな概念は、私が思春期の頃に日本には無かった。

こういう概念がヨノナカに生まれてきたので、
あらあたしそれにあてはまるんじゃないの、という具合に
自分のカテゴリを発見する、といった順序で自覚していく。

もちろん、子どもの頃からずっと、自分としては
「女性の身体で生まれたけれど女性でも男性でもない」の状態なのだが、
それを的確に表す言葉が無かったのだ。

無いと、それに近い他のカテゴリに自分が当てはまるのだと思って
あれこれ試すことになる。
それが、時代の変遷と自分の認識の歴史になっている。

個人史は社会のあり方に影響を受けるので、もはや個人史と言えないくらいだ。
私の性自認について年齢を追って見ていくと、
そのまま日本の性的マイノリティ史の一部が背景に見えてくる。

詳しくは、また今度。

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