[あらすじ] 禅の美術展に行った。
中国の書画彫刻などなどを日本は真似っこして取り入れてきた。
でも文化の基盤が何か違うようだ。
さて中国の頂相(エライ坊さんの肖像画)は、
西洋画とはまた違った技法で立体感を出していて、すごい。
日本はその真似をして頂相を描いているのだけれど、
立体感ということにはならない。
しかし、ヘタクソだから、というわけではない。
なにかが違うのだ。
中国の頂相はすばらしいけれど、私は好きにはなれなかった。
では日本の頂相が好きになれたかと言うと、そうでもなかったが、
何か、落ち着いて見ていられる気持ちはした。
そこが何かの違いなのかもしれない。
正体不明だけれど。
国立博物館は広い。
禅の展覧会を催している平成館から、真ん中のなんとか館にいつの間にか移動して、
出ようと思ったら出そびれてぐるりと回って、やっとこ一旦外に出て、
隣の東洋館へ。
4階の会場へ、透明のエレベーターに乗っかって移動。
この間、見る物見る物お宝だらけで、興奮しっぱなし。
いちいち足を止めていたら、たぶん一日じゃ済まない。
篆刻(てんこく)とは、ハンコだ。
篆書は漢字の古い書体だが、ハンコの世界でずっと生き延びてきた。
特に、清の時代にブーム再燃があって、作品が多く出た。
日本の篆刻家、小林斗盦の生誕百年記念という展覧会だ。
物が小さいし、石ということや、個人が大切にするものということ、
最近の人ということで、作品数が多かった。
91歳まで生きた人なので、作品の成熟がそれはそれは見ごたえがある。
作家所蔵の、中国の書画コレクションも展示されていた。
趙之謙、鄧石如、金農、呉昌碩、呉熙載といった名家の書画を
生で見るのは、私は初めてだったので興奮した。
もちろん、中国古代や漢代から清に至る印の数々もあった。
なんせ斗盦は全20巻というハンコ図鑑をものしているほどの研究家である。
作家の使った道具の展示もあった。
ああもっと時間をかけて見たかった。
12月23日まで。
中国の書画彫刻などなどを日本は真似っこして取り入れてきた。
でも文化の基盤が何か違うようだ。
さて中国の頂相(エライ坊さんの肖像画)は、
西洋画とはまた違った技法で立体感を出していて、すごい。
日本はその真似をして頂相を描いているのだけれど、
立体感ということにはならない。
しかし、ヘタクソだから、というわけではない。
なにかが違うのだ。
中国の頂相はすばらしいけれど、私は好きにはなれなかった。
では日本の頂相が好きになれたかと言うと、そうでもなかったが、
何か、落ち着いて見ていられる気持ちはした。
そこが何かの違いなのかもしれない。
正体不明だけれど。
国立博物館は広い。
禅の展覧会を催している平成館から、真ん中のなんとか館にいつの間にか移動して、
出ようと思ったら出そびれてぐるりと回って、やっとこ一旦外に出て、
隣の東洋館へ。
4階の会場へ、透明のエレベーターに乗っかって移動。
この間、見る物見る物お宝だらけで、興奮しっぱなし。
いちいち足を止めていたら、たぶん一日じゃ済まない。
篆刻(てんこく)とは、ハンコだ。
篆書は漢字の古い書体だが、ハンコの世界でずっと生き延びてきた。
特に、清の時代にブーム再燃があって、作品が多く出た。
日本の篆刻家、小林斗盦の生誕百年記念という展覧会だ。
物が小さいし、石ということや、個人が大切にするものということ、
最近の人ということで、作品数が多かった。
91歳まで生きた人なので、作品の成熟がそれはそれは見ごたえがある。
作家所蔵の、中国の書画コレクションも展示されていた。
趙之謙、鄧石如、金農、呉昌碩、呉熙載といった名家の書画を
生で見るのは、私は初めてだったので興奮した。
もちろん、中国古代や漢代から清に至る印の数々もあった。
なんせ斗盦は全20巻というハンコ図鑑をものしているほどの研究家である。
作家の使った道具の展示もあった。
ああもっと時間をかけて見たかった。
12月23日まで。
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