犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
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本棚整理

2022年12月11日 | 椰子の実の中
[あらすじ] 現代アメリカ文学を専門とした父の人が他界したのは11年前。
日本古典文学や国語学や方言を専門とした母の人が特別養護老人ホームに入居したのは2年半前。
その蔵書をやっと整理することになった。

「あんたファザコン?」と聞かれたことが有る。
そんなことは無い。
と迷わず答えた。
父との関係は悪かったからだ。

しかし、関係が悪いなんていうことは、
思い入れが強いから起きることとも言える。
じゃあファザコンじゃん。

「お母さんのこと好きなのね」と言われたことが有る。
そんなことは無い。
これも否定した。
母を信頼できていない。

親との関係がうまくいかなかった理由の一つは、
私が、自分の女性という生まれつきの身体の性別に違和感が有り、
恋愛対象は女性であり、
そのことを親に話せなかった、ということが有る。

日頃の発言を見ていると、とても受け止めてもらえなさそうだったから
話さないことを選択してきた。
だから、親は私のことを理解していないし、誤解している、と感じている。

しかし、’もし’話していたら、受け止めてくれていたかもしれない。
そう考えると、私は親にチャンスを与えなかった、と言うこともできる。



ここで親に関わる事を書くことが多いのは、
私が育った家に今も暮らしていることと、
わりと書きやすいことが理由である。
後者が大きいかな。
つまり、
現在のことを書くのは、自分のプライバシーに大いに関わるので
けっこう厄介なのだが、
親のことなんざ過去の事なので、どう書いてもどう読まれても
どうってこと無いってのが正直なとこなんである。



本棚の整理をしていると、
古いアルバムや、古いノートがゾロゾロ出てくる。

亡父は小説を書く人だった。
日本の「私小説」という文化はなんだろうね、困ったもんだね。
私は二十代前半くらいまではせっせと読んだけれど、
今はアンチ文学と言っても良いくらいの気持ちだ。

なんせ私小説というのは、
経験にもとづいている。
経験というのは、「自分」の「過去」である。

この15年ほど鍼灸師として、身体の健康ということを見つめてきたが、
どうも、「自分」というものにこだわるほど心は縛られ、
心が動けないと、身体に症状が表れるようだ。

つまり、私小説だの文学だの言って
あんなことがあったこんなことがあったそんでこんなことをわたしはおもった
なんてなことをねちねち書き綴るほどに病む。



というふうに書くことも、
「私はこういう経験をしてきてこのような考えを持っています」
と書いているので、まさにそのものズバリの例なのかもしれない。

毎日ブログを書く、と決めている。
簡単なことではない。
だから、ついつい安易なネタを選びがちである。
すると、どうせどうでもいいことだから、と親の話題を書く、
ということが起こる。
それは過去を振り返る作業にもなる。
そのことは自分の心身に良い作用とは言えない。

このように考えると、
毎日ブログを書く、なんて、やめちまいたいな、
と思ったりもする。

いやいや。
毎日ブログを書いているというのは、
自分にとってかなり大きな部分を占めている。
なにもやめるこたあねえだろう。

毎日「こんな新しいことがありました」という内容を書ければ
それに越したことは無い。
できなくもなさそうだ。
しかし、さっきも書いたように、
日々の新しい事を書くのは、かなりプライバシーに触れる。
難しいのよね。



なんだっけ。
ああ、蔵書の整理をしていると、って話を書こうとしていたんだった。

そう、
古いアルバムや古いノートをどう整理しようか、
考えることになる。

さてどうするか。

つづきは明日。
おやすみなさい
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