私は4年前にブログやSNSでカムアウトした。
自分にまつわることをブログにちまちまと書き綴って来たが、
クローゼットのままだと、どうしても書けないことだらけになってくる。
書いても書いてもすっきりしない。書けば書くほど隠すことになる。
そういう矛盾に耐えられなくなって、噴き出した。
という流れだったような記憶が有る。
他にもカムアウトに至る理由はいくつか有るが、今日の主題ではないので割愛する。
カムアウトは、その年の東京レインボープライドの日に合わせた。
ブログを書いて、アップロードして、ほんじゃ行ってきまーす!と代々木へ向かった。
久々に業界に出てみると、だいぶ様相が違っていた。
十年ひと昔という文字どおりで浦島X太郎状態。
思えば、自分が何者であるかも、分からないままのカムアウトだった。
久々に業界の空気に触れ、あちこちでパンフレットをもらったりして、
ちょこちょこと勉強を再開した。
そして、FTXとかXジェンダーとかいった言葉もやっと知った。
※
新しい知識を入れるために、新しい本を読んだり、
歴史を追うために90年代後半の本からおさらいしたり。
自分の音楽活動や家庭運営や人生の岐路だとかに集中して生活している間に、
「クィア・スタディーズ」というものが進展していた。
90年代後半の本を読んでも、私にとっては新知識であり、
目からうろこが落ちる思いだった。
わーすげー!と思ったが、それは実は既に否定されている学説だったりした。
こりゃあいけない、と新しい本から読むようにしてみたりした。
近年、一般向けのLGBT本が増えている。
どこから読んだらいいのか分からないくらい多いと思う。
新知識を入れておいてから、自分と関わりの深いところを読んでみることにした。
というのが、この本。やっと辿り着いた。
この本は2003年に出たものだ。
※
関わっているのはみんなMTFだから、
FTMやFTXの状況とはまた随分違うだろうと、後回しにしていた。
けれど、そんなもんじゃなかった。
トランスジェンダーが何者かという概要を押さえ、
現在TGが抱える、社会や医療と関わる問題点を指摘し、
日本と海外におけるTGの歴史を俯瞰し、
では今、現実に何ができるか何をすべきか、というまとめに入る。
すんばらしい構成だ。
※
ホルモン治療して性別適合手術(SRS)を受けて、逆の性別になる(本来の性別に戻る)。というのが、
トランスセクシュアルの人々の目指すところだ。
そのために、2名の精神科医から性同一性障害(GID)の診断が必要だったり、
手術もFTMの場合2段階になったりと、かなり困難な段階を踏んで行く必要が有る。
そのため、治療のどの段階にいるか、ということでピラミッド型の階層ができている。
不可逆的であるSRSを、本当にGIDではない人に施してしまわないために、
診断は慎重である。
それが、GIDにとってはもどかしい。
ここらへんはまたセンシティブな事なので、あらためて書きたいと思う。
現状、本当にGIDではない人、つまりSRSまでは望まないような人を、
「偽」とか「エセ」とか言って嫌う、という現象が有る。
GIDにとっては性別は男女二極なのだが、
性別を二極で捉えていない人、曖昧なところが居心地良いのだ、という人も
多くいる。
現に私がそこに収まっている。
※
LGBTとひっくるめる言葉への批判も有る。
そこにI(インターセックス)を加えるべきだとかいややめてくれとか、
ではQ(クィア)という言葉を添えようとかいう手段も考えられている。
また、並列させてしまっているが、ゲイの抱える問題と、レズビアンであることの問題と、
バイセクシュアルの状況では全く異なるし、
ちょっこり加わっているTはこれまた違った課題を持っている。
ひっくるめちゃっていいのか、という問題が有る。
※
TG自身一人ひとりがTGとして実生活することも、
それ自体が社会に影響してゆく。という考え方も有る。
二極の性別に埋没するのとは違って、曖昧な性別のまま世間で暮らすというのは、
それだけで周囲に影響を及ぼす。
トランスは、見た目に表れるからだ。
※
『トランスジェンダリズム宣言』は、15年前の本であるが、
既にどちらの問題にも解答を出している。
つづく
自分にまつわることをブログにちまちまと書き綴って来たが、
クローゼットのままだと、どうしても書けないことだらけになってくる。
書いても書いてもすっきりしない。書けば書くほど隠すことになる。
そういう矛盾に耐えられなくなって、噴き出した。
という流れだったような記憶が有る。
他にもカムアウトに至る理由はいくつか有るが、今日の主題ではないので割愛する。
カムアウトは、その年の東京レインボープライドの日に合わせた。
ブログを書いて、アップロードして、ほんじゃ行ってきまーす!と代々木へ向かった。
久々に業界に出てみると、だいぶ様相が違っていた。
十年ひと昔という文字どおりで浦島X太郎状態。
思えば、自分が何者であるかも、分からないままのカムアウトだった。
久々に業界の空気に触れ、あちこちでパンフレットをもらったりして、
ちょこちょこと勉強を再開した。
そして、FTXとかXジェンダーとかいった言葉もやっと知った。
※
新しい知識を入れるために、新しい本を読んだり、
歴史を追うために90年代後半の本からおさらいしたり。
自分の音楽活動や家庭運営や人生の岐路だとかに集中して生活している間に、
「クィア・スタディーズ」というものが進展していた。
90年代後半の本を読んでも、私にとっては新知識であり、
目からうろこが落ちる思いだった。
わーすげー!と思ったが、それは実は既に否定されている学説だったりした。
こりゃあいけない、と新しい本から読むようにしてみたりした。
近年、一般向けのLGBT本が増えている。
どこから読んだらいいのか分からないくらい多いと思う。
新知識を入れておいてから、自分と関わりの深いところを読んでみることにした。
というのが、この本。やっと辿り着いた。
この本は2003年に出たものだ。
※
関わっているのはみんなMTFだから、
FTMやFTXの状況とはまた随分違うだろうと、後回しにしていた。
けれど、そんなもんじゃなかった。
トランスジェンダーが何者かという概要を押さえ、
現在TGが抱える、社会や医療と関わる問題点を指摘し、
日本と海外におけるTGの歴史を俯瞰し、
では今、現実に何ができるか何をすべきか、というまとめに入る。
すんばらしい構成だ。
※
ホルモン治療して性別適合手術(SRS)を受けて、逆の性別になる(本来の性別に戻る)。というのが、
トランスセクシュアルの人々の目指すところだ。
そのために、2名の精神科医から性同一性障害(GID)の診断が必要だったり、
手術もFTMの場合2段階になったりと、かなり困難な段階を踏んで行く必要が有る。
そのため、治療のどの段階にいるか、ということでピラミッド型の階層ができている。
不可逆的であるSRSを、本当にGIDではない人に施してしまわないために、
診断は慎重である。
それが、GIDにとってはもどかしい。
ここらへんはまたセンシティブな事なので、あらためて書きたいと思う。
現状、本当にGIDではない人、つまりSRSまでは望まないような人を、
「偽」とか「エセ」とか言って嫌う、という現象が有る。
GIDにとっては性別は男女二極なのだが、
性別を二極で捉えていない人、曖昧なところが居心地良いのだ、という人も
多くいる。
現に私がそこに収まっている。
※
LGBTとひっくるめる言葉への批判も有る。
そこにI(インターセックス)を加えるべきだとかいややめてくれとか、
ではQ(クィア)という言葉を添えようとかいう手段も考えられている。
また、並列させてしまっているが、ゲイの抱える問題と、レズビアンであることの問題と、
バイセクシュアルの状況では全く異なるし、
ちょっこり加わっているTはこれまた違った課題を持っている。
ひっくるめちゃっていいのか、という問題が有る。
※
TG自身一人ひとりがTGとして実生活することも、
それ自体が社会に影響してゆく。という考え方も有る。
二極の性別に埋没するのとは違って、曖昧な性別のまま世間で暮らすというのは、
それだけで周囲に影響を及ぼす。
トランスは、見た目に表れるからだ。
※
『トランスジェンダリズム宣言』は、15年前の本であるが、
既にどちらの問題にも解答を出している。
つづく
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