成長すべし。増大すべし。
景気良くどんどん行け。
という世の中から引っ込んで、
なるべくあんまりたくさん費やさないように、と暮らしている。
とは言え、wi-fiもスマホも使うし、毎晩酒も飲む。
冷蔵庫も洗濯機も湯沸かし器も使っている。
つまり、わりと豊かな暮らしをしながら、でも
先頭立って経済を回すところからは離れている、という感じ。
なるべく納税したくない。
でも年金の恩恵は受けたい。
いや . . . 本文を読む
私の結論は、タイトルのとおり、「親は無くとも子は育つ」だ。
なぜこのことについて書きたいかと言うと、
どうも「親の責任」とか「親の育て方」とかいうことや
「親に認めてもらう」とか「親孝行」とか「親子仲良く」とかいうことが
よく聞こえてくるからだ。
そんなもん全部要らん。と言いたい。
※
親の育て方だけで人は決まらない。
ごく幼い頃には、最も近くにいる人、つまり多くの場合は母親の
影響を強く . . . 本文を読む
深大寺のドッグランがやっと再開した。
「8月2日以降に」再開する、という貼紙を読んで、
こりゃいつになるか分からんな、と思っていたが、
きっちり8月2日に再開した。
国語が苦手な人が書いただけなのかもしれない。
※
登録受付は植物公園の職員通用口前で、
10-12,13-15時ということだった。
私は10時を回ってから家を出た。
2人の職員さんが登録作業にあたっていた。
列でもできているか . . . 本文を読む
自民党の宣伝ビデオで、
「わたしたちには、皆さんの暮らしを守り抜く責任があります。」
というのは、
「与党には、国民の暮らしを守る責任があります。」
という一般論の、主語を一人称に置き換えることによって
自分たちの思いを言っているふうにしているだけだ。
といったことを先日ここで書いた。
今朝、草取りをしながら、省みた。
私の書いた文中の「国民」て部分はよろしくないな。
「日本に住む全ての人」と . . . 本文を読む
参院選が近い。動画を楽しもうとyou tubeを開くと、政党の宣伝動画が始まることが多い。※中でも面白いと思ったのが、自民党のもの。あいや、面白いというのは「政策として興味深い」とかいうことではなく、「内容が無くて笑けるわ」という意味である。どういうことか。党首が画面に現れて、「わたしたちには、皆さんの暮らしを守り抜く責任があります。」とかなんとか言う。面白い。まず、「与党には国民の暮らしを守る責 . . . 本文を読む
市民の暮らしを形作っているのは、制度である。
消費税を納めているのだって、所得税を納めているのだって、
老母が特別養護老人ホームに入居しているのだって、
月極駐車場を借りているのだって、
保険証を呈示して3割負担で医薬サービスを受けているのだって、
私が戸籍の筆頭であるのだって、
自分の名前だって性別だって、制度の上に成り立っているのだ。
条例なり民法なり憲法なり、レベルの違いこそあれ、
法律 . . . 本文を読む
10年かもっと前か。
インターネット上で、天安門広場の映像を見たことが有る。
作業員が緑色の液体を地面に撒いている映像だ。
そして、「中国人はなんでも人工の物で代用すればいいと思っている。
植物が無ければ緑に塗る。」とかなんとかいうキャプションが付いていた。
確かに、あのくっきりと赤い天安門の前の広場が、
いやに鮮やかな青緑の液体で染められている。
毒々しい色合いの青緑だった。
その記事には悪 . . . 本文を読む
先日、三十代前半の人が家に来た。
薬缶をガスコンロにかけてから、
お茶を淹れてくれるように頼んだ。
「この薬缶って、お湯が沸いたら鳴るんでしたっけ?」
見りゃ分かるだろと思うのだが、フツーの口なので、鳴るわけがない。
お湯が沸いたら鳴る薬缶の口は、細い穴だけ開いた蓋が付いている。
あの「ピー」の音は、私にとってはひどく刺激的でうるさいので、嫌いだ。
そういう薬缶も冬場には薪ストーブに置いて使っ . . . 本文を読む
[あらすじ] その物がその物であるということはどういうことか。
部品の寄せ集めだけではなく、そこに機能が宿っていることも必要になる。
インド人が甕を定義すると、腹が丸くて、底が平たくて、水を入れておける物、
ということになる。
割れたらそれはもう甕ではない。
けれども私は廃車を見たらまず「車」だと思う。
飾られているだけの楽器も「楽器」だと思う。
違うのか?
壊れた物はもう元の物ではないと言 . . . 本文を読む
[あらすじ] ある個人の存在とは何が規定しているのか。
つまり、私が私であるということは、どういうことなのか。
何が私なのか。頭か心臓か骨格か肉か内臓かそういった部分の総体なのか。
ミリンダ王の問いに対して、ナーガセーナは車の喩えで問い返す。
「チベットの僧院に入ると、最初の問答がまさにそれなんですね。
割れた甕は甕なのか。
もう水を入れることができない、それも甕と言えるのか。」
講師の先生は解 . . . 本文を読む
[あらまし] 東大仏教青年会のオンライン講座で、
「チベット仏教入門」を受講しているよ。
先生は受講生にじゃんじゃん問いかけてくる。
「私というのはなんですか?どこに在るんですか?」
受講生が答える。「頭です。思考です。」「胸です。心です。」
「魂は存在しますか?死んだらどうなるんですか?」
などなど
「『ミリンダ王の問い』を読んでみましょう。
中公バックスの原始仏典の巻に入っています。」
イ . . . 本文を読む
[あらすじ] 東大仏教青年会のオンライン講座「チベット仏教入門」の中で講師の先生がどんどん問答をふっかけてくるよ。私というものは存在するのか。どこに存在するのか。死んだらどうなるのか。魂はどこにいるのか。そういったことについて、私自身の考えを書いた。「私個人」という感覚は、肉体が引き起こしているものである。死は肉体の終わりである。だから、死んだら「私個人」ということが終わる。死んだら自分も他人も無 . . . 本文を読む
[あらすじ] 「私」という「個」である感覚は、肉体が引き起こしているものだ。
「私」の本体が脳に在ると思うのは、思考が人間の主体だと思うからであり、
胸に在ると思うのは、感情だと思うからだろう。
肉体が終われば、つまり死ねば、私個人であるということからは解放される。
そのうえで、転生するということも有るのかもしれない。
自分が鬱状態になったのを医薬に頼らずに脱したり、
その後、鍼灸師になるため . . . 本文を読む
5年くらい前だったかにサンスクリットの勉強を始めた。
あんなもん、独学でどこまでも行けるもんでもない。
なんせ何千年のインドの叡智が詰まって溢れてどうかしちゃってるんだから。
東大仏教青年会の講座が、昨年からオンライン化してくれたので、
自宅であれこれを受講できて、非常に助かっている。
インド哲学や仏教学の世界では高名な先生方の講義を、
家でハナクソほじりながら受けられるのだから有難い。
今、 . . . 本文を読む
ブログを毎日書くようになって、十年以上だかなんだか経つ。
前に書いたことで、間違っていた事が有っても、
いちいちその記事に訂正を書き足したりしていない。
何かしら、知識や情報めいたものを書いていたら
間違いを書いてあるのはよろしくない。
誰かが何かについて調べて私の記事に辿り着き
そこに書いてあることを鵜呑みにした場合、困る。
困る?
困るのは誰だろう。
間違った事を鵜呑みにしてしまった人 . . . 本文を読む