研究日記

考えたこと、読んだ本、出席した集まりなどを残しておくためのもの。

まちづくりセンターと道内市町村の人口比較

2008-01-26 | Weblog
札幌市にはまちづくりセンターというものがあり、
札幌市を複数の区域に分けて、
まちづくりを支援したりしている。

区域に住む人口にはバラつきがあり、
4万人いるところもあったりするのだが、
その大きさを実感するために、
道内市町村と人口を比較する表を作った。
http://www.pinky.ne.jp/~utopia/diary/2008/080126sityoson-machicen.xls

一例を挙げれば、
網走市や稚内市より人口が多いまちづくりセンターがあったりするのである。
(平成17年国勢調査時であるが)

有効度と実現可能性

2008-01-26 | Weblog
この間、
政策形成研修というのを受けてきたのだが、
そこで出てきた政策を評価する指標
「有効度」「実現可能性」について、
ストンと落ちるようなことがあった。

新聞の社説を読んでいたら(*)、
温暖化対策について、
政府が基準年を2000年に変更する提案をしていることについて
書かれていた。

要は、
・1990年より2000年にしたほうが楽なので、アメリカ、中国、インドも受入れやすい。
・ただ、それだと実効はあがるのか
・こうした「実行可能な提案」でいいのか
といった内容だった。

先の研修の言葉に当てはめると、
政策・・・地球温暖化対策
有効度・・・CO2が減ること
実現可能性・・・アメリカ等が受入れるかどうか

で、
欧州の提案は、有効度はあるけど、実現可能性は低い。
日本の提案は、実現可能性はあるけど、有効度は低い。
といったところか。

具体的な中身については、
・日本の提案の量で、間に合うのか
・本当にアメリカ等はその案じゃないと受入れないのか
など論点があるので置いておくが、
政策の評価を「有効度」「実現可能性」に分ける意義はありそうだ。

*2008年1月22日北海道新聞

軍隊と警察

2008-01-23 | Weblog
「軍隊を廃止する」と主張している人に、
相対したときは、
次のことを聞くと良い。

それは、
その人が警察についてどう思っているかである。

「警察も廃止したほうがいい」と言うのであれば、
そのひとは人間愛にあふれた人である。
「右の頬をぶたれたら、左の頬を」というやつである。
論理的に筋が通っている。
私は共感できないが。
(「泥棒や殺人者はいない」というのであれば、
現実が見えていない人である
「私を攻撃した人間は、私の手で制裁したい」というのであれば、
危ない人である)

さて、
「警察は残したほうがいい」と言うのであれば、
次に理由を聞いたほうがいい。

きちんと答えられないのであれば、
暴力装置というものについて深く考えておらず、
イメージで軍隊の廃止について賛成している可能性がある。

「警察は人民によって選ばれた政府によって統制を受けている。
捕まる犯人も投票権を持っている。
世界政府は存在せず、
軍隊はそれぞれの国の政府の統制を受けているだけである。
攻められる国の国民は、攻める軍隊の政府への投票権を持たない」
等々、
きちん答えられるのであれば、
きちんと暴力装置について考えている人である。

さらに話しを進める価値がある。

灯油泥棒

2008-01-16 | Weblog
私が最近感動したのは、
(感動したというのは誤解を招く言い方だが)
灯油泥棒である。

ローカル過ぎて、
北海道以外の地方で報道されていないかもしれないので説明するが、
灯油の値段が上がるようになってから、
灯油が盗まれる事件が起きるようになった。

泥棒はもちろん悪いことだが、
その行為ではなく、
資源が少なくなる

泥棒が出る
という社会の反応の素直さに、
感動したのである。

この分だと、
食い物が無くなる日が来たときは、
泥棒がすぐ出そうである。

私の農園の周りには柵を立て、
見張り番を立てないといけないかもしれない。

そんな一時代前に、
あっという間に戻りそうで、
社会のもろさに
悲しみを通り越して、
感動するのである。

農と歴史

2008-01-04 | Weblog
最近あまり、
行政改革や地方自治などに関心が無くなった。

例えば
それが最も失敗し、
最も過酷な環境下にあるであろう夕張市であっても、
食料や燃料を奪い合って戦闘が行なわれているわけでも、
大量の餓死者が出たり(孤独死などはあるだろうが)、
難民が発生しているのに市の境目で足止めをくらったりしているわけではない。

行政改革をする人にとって、
文書のてにをはを直すことがあまり関心が持てる対象でないように、
争乱や飢餓に比べれば、
今行政改革や地方自治などでやっていることは暇つぶしのようにしか見えないのである。

争乱や飢餓が過去のものであり、
そんなことを心配することは杞憂であれば、
それでもいい。

私が恐れるのは、
地球温暖化問題である。

ここ数年で、
こんなに身に感じられるほど進むとは思わなかった。
地球規模のことだから、
「大変だ大変だ」と言っても、
じわりじわりと進んで、
気付いたら大変なことになっていた、
というふうになると思っていた。

報道されているような今の展開の速さは、
まるで陳腐なゲームのようだ。

私が今考える未来のシナリオは3つ。

シナリオ1
新技術が開発されたり、
世界が手を取り合ったりして、
地球温暖化問題が回避され、
今の生活とほぼ変わらないまま、
「昔CO2の問題とかあったよね」と笑い合える世界

シナリオ3
地球温暖化問題が解決できないまま、
農作物の生産がガタガタに落ち、
社会秩序も崩壊し、
戦国時代のように、
資源を奪い合って戦闘が行なわれている世界

シナリオ2
社会秩序の崩壊までは行かないが、
「肉は食えない」
「自動車は乗れない」
など生活レベルがグンッと下がった世界

シナリオ1であれば、
私は「誇大妄想狂のやつがいたな」という扱いを受ければ良い。

シナリオ3も、
そこまでは行かないと思う。
昔のマンガに出てきた核戦争後の世界ではないのだから、
そこまで人間の世界の恒常性は低く無いだろう。

シナリオ2は、
十分ありえると思う。
忘れないで欲しい。
アジアやアフリカの人々も含めて、
すべての地球上の人間が今の日本人と同じ生活をすることは不可能であり、
かつ、
アジアやアフリカの人たちが「豊かになりたい」というのを
押し留めることはできないのである。
妥協策として、
日本人は生活レベルを落とし、
アジアやアフリカの人たちはそのレベルまでで我慢する
ということにせざるを得ないだろう。

とても素晴らしい技術でも開発されない限り、
日本人が生活レベルを落とさなければいけない確率は高い。

それがどこまで下がるのかまだ分からないが、
下手したら芋とかかぼちゃとかしか食べれない時代に戻るかもしれない。

私はそのときに備える意味でも、
農業に一番関心がある。
そしてそれに加えて、
歴史に関心があるのである。