研究日記

考えたこと、読んだ本、出席した集まりなどを残しておくためのもの。

すごいと思わせること

2005-10-31 | Weblog
「おれが■■に行けば、
みんな挨拶に出てくる」
(■■に入る言葉は、様々。会社や役所など)

という話を、
何人かの年配の男性から聞いたことがある。

そういう話を聞かずに、
そういう事実を見たら、
「すごい!」
と人に思わせるかもしれない。

しかし、
そういう話を自分で言わなければいけないということは、
かなり「すごくない」
と人に思わせる効果があると思えてならない。

願わくば、
その方たちが、
そういった客観性を持つことを。

ガラパゴス諸島としての市役所

2005-10-30 | Weblog
市役所職員という集団には、
いろいろな階層が混在しているため、
大変興味深い。

・・・

『下流社会』という本を読んでいるが、
「生まれで人生が決まる」という
最近多い日本の階層化について書いてある本の一つである。

知らない人に説明すると、
上流家庭で生まれたものはバリバリエリートの外資系で働き、
低所得家庭で生まれたものはフリーターとして生きていく、
という話である。

さてそこで市役所を振り返ったとき、
上から下までいろいろな階層が混在しているように思える。

本当の上と本当の下はいないように思えるが、
それでも出身家庭の所得、学歴などの幅の広さは
民間にはありえない広さだと思われる。
(民間であれば別の企業に勤めているだろう人たちが混ざっているということ)

その人たちが、
出身家庭の所得、学歴で差別されずに同じ給料をもらうのである。
(高卒は給与が低いが、
高卒者が大学卒業ぐらいの年齢になるころには大卒者と同じぐらいの額になる)

市役所が、
社会の環境から隔絶された孤島のように思える。

これは学問的に大変興味深い。
社会の流れに逆らっているものが存在することと、
その内部にいる人間の意識への影響については引き続き観察を続けたい。

ぼくなりの改革

2005-10-29 | Weblog
今日、現場の情報こそ大事だという話をしていて、
職員提案の制度の話になった。

その話をしながら、
自分で気付いたことがある。

昔、職員提案の制度を使って、
改善の提案をしたことがあるが、
そのうち使わなくなった。

それはつまり、
上の人を説得して、
上の人から、
他のところに「上からの改革」をしてもらう仕方だ。

それよりも本当に現場の人がいいと思える改善をして、
周りの人に広げていくほうが良いと思ったのだ。

そっちのほうが確実に変わる。
(説得はなんか疲れるし)

周りの人が採用してくれないというときは、
それは本当に良いものを作れていないだけだ。

まあ、どちらが良いかは、
場合と種類によるだろうけれど(と、一応フォロー)

義務教育国庫負担金

2005-10-28 | Weblog
義務教育国庫負担金の話は、
おそらくマニア以外には
分けの分からない話だと思う。

ともかく学校の先生の給与の半分が
国から出ているのを、
地方自治体に渡そうということだ。

文部科学省は、
「義務教育は国が責任を持つところだから」
と言って渡そうとしない。

それはそれで一理あると思うが、
本当にそう思うなら、
半分と言わずすべてを国庫で負担して、
学校の先生も国家公務員にすればいい(今は地方公務員)。

なぜそう主張しないのか、
理由を聞いてみたいものである。

法定金利

2005-10-26 | Weblog
札幌市の職員が闇金融のオーナーをやっていたらしく、
捕まったらしい。

それはともかく、
金利についていつも思うことがある。

よく金融が問題になるたびに
「法定上限金利を下げろ」という話があるが、
法定上限金利を下げても
それ以上の金利がなくなるわけでなく、
地にもぐるだけである。

50%の確率で貸し倒れになる人たちがいるとする。
その人たちにお金を貸そうという人は、
50%を超える金利でないと貸す気がしないだろう。

50%の確率で貸し倒れになる人たちにも、
お金を借りたい人はいるわけで、
そうなると違法な人たちが貸すことになってしまう。

上限金利を下げずに、
ある程度リスクが高い人でも、
日のあたる場所でお金を借りれるところがあったほうが、
闇金融に流れる人は減るのではないか。

政令指定都市が増える

2005-10-24 | Weblog
最近、政令指定都市が増えている。
平成18年4月に政令指定都市になる堺市で15番目だ。

日本地図に描き込んでみると、
札幌市と仙台市以外は太平洋ベルトにある。

それ以外にも新潟市や岡山市が目指しているらしいが、
14番目静岡市以降は合併特例法で基準が下がったため、
少ない人口でもなれるものだ。

1956 横浜市、名古屋市、大阪市、京都市、神戸市
(7年)
1963 北九州市
(9年)
1972 札幌市、川崎市、福岡市
(8年)
1980 広島市
(9年)
1989 仙台市
(3年)
1992 千葉市
(11年)
2003 さいたま市
(2年)
2005 静岡市
(1年)
2006 堺市

最近は、できる間隔も短くなっている。

消えた歴史

2005-10-23 | Weblog
今日思い出したが、
昔歴史の研究で悔しい思いをしたなあ。

興味を持って、
ある団体の歴史の研究をすることになった。

そこで残っている古い資料をひっくり返して、
書かれた年代が分からないものは推測し、
抜け落ちている部分は複数の資料から推測し、
そうやってなんとか調べた。

何が悔しかったと言うと、
その数年前に引越しや大掃除で、
いくつか資料を捨てていたことだ。

置く場所も無かったし、
腐ったりカビが生えたりしていたのだから、
そのときの判断として間違いは無かったと思うが、
いざ歴史の研究を始めると、
「あの資料を残していたら新たな事実が発見されたのではないか」
「捨てたことで永遠に分からなくなったことがあるのではないか」
と後悔することとなった。

うーん。悔しい。

フリーター向けの職業相談

2005-10-22 | Weblog
今日というか昨日、
フリーター向けの職業相談をしている人の話を聞いた。

ニートとフリーターは大違いで、
ニートの問題は専門外とのこと。

福祉と就労支援の断続面を見た気がする。
ボーダーラインにいる人がもっとも難しい。

働いてばかりいたいのか

2005-10-20 | Weblog
9時5時の話を聞くたび思うのだが、
「公務員だけが」というのはまだ分かるとして、
みんなそんなに働いてばかりいる社会を作りたいのか?
と思う。

昔の日本のように、
みんなが5時に仕事が終わって、
家族で団欒する社会を良いと思う人はいないのだろうか。

思うのは、
一人の人間の、
消費者の側面ばかり強調されすぎて、
労働者の側面がおろそかになっているのではないかということだ。

つまり、
ぼくらは、
消費者としてはかなり幸せになったが、
労働者としては不幸になったのではないかと思う。

確かにコンビニも銀行も夜開いていたら便利だけど、
そのために夜も働く人が出てくる。

夜働く人のために夜働く人が生まれたら、
そのうち24時間変わらず働く社会になるのではないだろうか。

新しい労働組合がうまれるとしたら、
消費者主導から労働者主導を掲げ、
他の業種に9時5時を広げるとおもしろい。