「デートのとき男性がおごるべきだ」と主張する女性と、
「デートのときは割り勘すべきだ」と主張する女性と、
両方にあったことがある。
この問題に関しては、
私自身は特に考えが無かったので、
社会の大勢に従おうと思っていたのだが、
どちらも正当化する論拠を聞いたことが無く、
他方に肩身が狭い思いさせるほど、
“常識”になりえていないようである。
「男性がおごるのは常識でしょ」と、
男性である私に主張する女性はいたが、
その女性が
「割り勘が常識」と思っている女性を説得するところを見たことが無い。
逆に「割り勘が常識」と思っている女性が、
「男性がおごるのが常識」と思っている女性を、
説得するのを見たことも無い。
女性が複数いる場で、
両派が混在していることが分かっても、
特に議論になったことを見たことが無い。
これはつまり、
この問題が公共の問題として考えられてない、ということである。
個人の問題として考えられているということである。
「それぞれの個人がどちらを選ぶかは個人の自由であり、
どちらを選んでも他人から非難されることは無い」
そう考えられているので、
他人を説得する行動が起きないのである。
他人を説得する行動が起きないので、
論拠が示されたりしないし、
社会の大勢が決まったりしないのである。
「デートのときは割り勘すべきだ」と主張する女性と、
両方にあったことがある。
この問題に関しては、
私自身は特に考えが無かったので、
社会の大勢に従おうと思っていたのだが、
どちらも正当化する論拠を聞いたことが無く、
他方に肩身が狭い思いさせるほど、
“常識”になりえていないようである。
「男性がおごるのは常識でしょ」と、
男性である私に主張する女性はいたが、
その女性が
「割り勘が常識」と思っている女性を説得するところを見たことが無い。
逆に「割り勘が常識」と思っている女性が、
「男性がおごるのが常識」と思っている女性を、
説得するのを見たことも無い。
女性が複数いる場で、
両派が混在していることが分かっても、
特に議論になったことを見たことが無い。
これはつまり、
この問題が公共の問題として考えられてない、ということである。
個人の問題として考えられているということである。
「それぞれの個人がどちらを選ぶかは個人の自由であり、
どちらを選んでも他人から非難されることは無い」
そう考えられているので、
他人を説得する行動が起きないのである。
他人を説得する行動が起きないので、
論拠が示されたりしないし、
社会の大勢が決まったりしないのである。