研究日記

考えたこと、読んだ本、出席した集まりなどを残しておくためのもの。

游心庵

2006-12-26 | Weblog
小樽に行ったので、
行ったときは必ず行く「游心庵」という喫茶店に行ってきた。

そこは古い民家を改造した喫茶店である。

黄昏時に、
古い民家の窓際に座って、
ポタポタたれる雫を見ていると、
その家に住んでいてボーっとしているような錯覚に陥った。

その民家が作られた頃の時間の流れが好きなのかもしれない。

自由主義

2006-12-18 | Weblog
一つ言えるのは、
我々には介護サービスを強制的に受けさせる術はない、
ということである。

私が予測する未来は、
何度も私が足を運んで説得するが拒否され、
ある日意識を失った本人を発見して、
救急車を呼ぶ、
というものである。

しかし私ができることは、
その予測を本人に話し、
介護サービスを使うか使わないかを選ばせることだけである。

ここで忘れてはいけない前提は、
ある一個人の頭脳が常に他の人より優っているとは限らない、
ということである。

自らを個として集団から分離できない人や、
(つまり自分と同じことをみんな考えると思っている人)
優秀なテクノクラートにありがちのことであるが、
私の未来予測が、
本人の「大丈夫だ」という未来予測より
必ず優れているとは限らない、
ということである。

明らかに認知症などである場合を除いて、
最終的な個々人の判断には踏み込まないのが、
自由主義である。

生活保護における高齢者分離

2006-12-07 | Weblog
新聞報道によると、
生活保護制度において、
高齢者を分離することが検討されているらしい。

それによって、
担当者が訪問したりする手間をなくし、
高齢化で業務量が増えることを避け、
職員増加回避を狙っているらしい。

その方向は賛成である。

ただし、
最近思ったのであるが、
そうすることは次のような副作用が心配される。

一人暮らしの不安からか、
近くに住む娘などの家に入り浸っているお年寄りが、
少なからずいることである。

24時間見ているわけではないので証明はできないが、
ほとんど娘の家で寝泊りして、
住所のある家は物置代わりになっている人もいるかもしれない。

それを考えると
高齢者を分離して、
ほとんど年金と同じようにすると、
次のような不正ができるようになる。

年金収入が無いか、少ないお年寄りがいたとする。
それまで娘たちと一緒に住んでいて、
十分な生活はできた。
ところが、
「一時的に別居して役所に申請すれば、
保護費がもらえるよ」と噂を聞いて、
そのとおりにした。
その後は、娘の家で前と同じように暮らしているが、
毎月、保護費が入ってくる。

ほとんどの人は上記のようなことはしないと思うが、
一人でもそういうことをするひとがいて、
噂が広まれば、
不公平感が広まるだろう。

高齢者分離に際しては、
扶養義務との関係をきちんとすべきである。

非合理的な存在

2006-12-03 | Weblog
最近、友人や親戚の子どもに会うことが多い。

生まれたばかりの赤ん坊は、
必要なときに食事や排泄を手伝う必要がある、
植物や水槽で魚を飼っているようなものだと思ったが、
2、3歳ともなると、
それとはまた違うものだと感じた。

こちらの言葉が通じているのか通じていないのか、
ようとして知れない。

もう少し大きくなれば、
難しい言葉をやさしく言い換えるなどの手法で、
コミュニケーションできるのだろうが、
この年齢はやさしく言い換えた言葉でさえ通じているのか
どうかよく分からない。
(通じている可能性もある)

彼らは場の支配力がある。
大人の価値観から言えば、
ほとんど物事が進まないまま、
3,4時間経っていた。

私はバランスを重んじる価値観を持ち、
能力的に理知の面に偏っているので、
そういった非合理的存在と無為の時間を過ごすことは、
私にとって良いことと思える。