研究日記

考えたこと、読んだ本、出席した集まりなどを残しておくためのもの。

チャップリン

2006-01-26 | Weblog
人と話していて、
チャップリンのことを思い出した。

私はチャップリンの映画が好きだ。

チャップリンはよく貧しい人の役をやるのだが、
私は貧乏ネタに弱いらしい。

貧乏の中、
それでもお金を貯めて何かを買ったりする話に弱い。

前に一度だけ吉本新喜劇を見たことがあるが、
あれはホロッと泣かせるストーリーになっている。
チャップリンも泣かせるところがある。

昔の喜劇は
ピエロの伝統を受け継ぎ
泣かせがあるものなのかもしれない。

マンネリとシンプル

2006-01-25 | Weblog
芸術や娯楽の分野において、
年代を積み重ねて、
たくさん作品が生まれると、
人気が衰退していくという現象がある(マンガ、ゲームなど)。

なぜそうなのか。

マンガ雑誌の投稿コーナーを読んでいて、
「描き尽くされたといわれた野球マンガにおいて・・」
という記述に行き当たった。

またイベントの企画をしていたときに、
「マンネリと言われても、
初めて来る人には新鮮だ」
という話があった。

そこで、ハタッと思いついた。

その分野を最初から知っているマニアの存在が、
冒頭の問いの答えではないか。

これまで出た野球マンガを全部読んでいる編集者にとっては、
確かにドカベンと大差無いストーリーは許されない。

しかし、小学生とか、
過去のマンガを知らない人にはおもしろいはずだ。

マンネリを超えようとして、
新しいアイデアをひねっているうちに、
複雑になってしまい、
初期の作品たちが持っていたシンプルなおもしろさがなくなってしまうのではないか。

ニンテンドーDSが売れているのは、
(子どもが品切れだと話していた)
シンプルさに回帰したことにあるのではないか。

『アースシーの風 ゲド戦記Ⅴ』

2006-01-24 | Weblog
ゲド戦記の最終話である。

(作者は最初3巻で止めるつもりで、
その10年後に4巻(最後の書と名付けた)を出し、
そのまた10年後に5巻を出したのだ)

ところが、
これまでと違い、
内容的にはあまり考えさせられることはなかった。

ただ、
書かれていた議会の様子が、
議会の初期のころを感じさせて、
印象に残った。

「議員たちの多くは、
自分の意見がもし王の意見と対立しても、
こちらに十分な根拠があり、
ちゃんと議論をすれば、
ほかの議員たちを動かし、
王さえも説得できると信じるようになってきていた。」

「セゲ王子は、
そんななか、
かたくななまでにルールを守り、
人が話している最中の割り込みを禁止し、
砂時計で計って、
きっちり1回2分までしか話させないようにした」

毒舌キャラ

2006-01-23 | Weblog
この間古い友人と話していて改めて思ったが、
私は毒舌キャラだ。

振り返って見ると、
ひどい毒舌を言っている。
それを受け入れてくれる仲間はありがたい。

そうでない場では、
毒舌を抑えようとしているが、
ポロポロと出てしまうことがある。

そういった気兼ねなく、
自由にしゃべれるのは本当にありがたいことだ。

古い友人は貴重である。

名刺

2006-01-21 | Weblog
先日、
立食パーティで名刺を配りながら考えていたが、
実際のところ
もらった人も何にも使わないだろうなあ、
と思った。

私が見目麗しければ、
あとから女性(もしくは男性)が連絡してくる、
という使い方もあるかもしれないが、
残念ながらそれはない。

あと名刺から得られる情報と言えば、
職務ぐらいだが、
その性質上あまり問い合わせもないだろう。

何か専門があれば、
そのことについて質問するために連絡する、
ということはあるかもしれないが、
私は特に専門は無い。

また、
法学や行政学のことなら、
大学の教授に聞いたほうがいい。

人が私に聞くとすれば、
札幌のことだろうか。
札幌を専門とし、
札幌を強調した名刺にすると良いかもしれない。

あの行動様式に意味を持たせるなら。

受ける

2006-01-20 | Weblog
知り合いの反応に、
ずっと何かひっかかっていたのだが、
今日それが言語化できたので書く。

否定的な意見に対して、
すぐ身構えるような反応をするのは、
得策ではない。

「○○はこうしたほうがいいんじゃないかな?」
「いや、それはこれこれこうで」
よりも、
しばらくは
「ふんふん、なるほど」
と聞いていたほうが良いだろう。

特にアイデア出しや議論をしているときは、
すぐ身構えると、
相手の言う気がなくなるので、
しばらくは受け身で、
相手の話を引き出すのがいいだろう。

こんどそのことを注意しよう。

インフレ目標論

2006-01-19 | Weblog
新聞にインフレ目標論について載っていた。

竹中大臣が、
「インフレにすれば税収もあがり、
消費税を上げなくても財政はバランスする」
と言っているらしい。

考えてみた。

100円のものがインフレで200円に値上がりすれば、
消費税は5円から10円になる。
確かに消費税の税率は上げてないのに、
5%から10%上げたとき並みの税収増になる。

そのときの問題として、
(1)金利も上昇し、国の借金の返済額も増える
(税収が増えても、返済する借金も増える)

(2)預貯金や年金が目減りし高齢者が困る
(同じ額しかないのに、買えるものが減る)
(現役世代は給与も上がっていくからそれほど困らない)

の2つは新聞に挙げられていた。

私が思ったのは、
福祉や公共事業にしろ、
値段が上がり、
その分政府の支出が増えて、
税収が増えても、出て行く分も増えてしまうのではないか、
ということだ。

まあ、福祉の対象者や公共事業の業者に泣いてもらえば、
そうはならないが、
そういうつもりなのだろうか。

新聞に、
インフレも増税も、
国民の金を政府に移すのは同じだが、
増税は「取りますよ」といって取り、
インフレは知らない間に取る、
と書いてあった。

名言だなあと思ったが、
つまり、
増税は政治家も徴税官も大変だが、
インフレなら楽、
という点が、
この問題の本質なのかもしれない。

世界の構成元素

2006-01-18 | Weblog
マンガの『陰陽師』が大好きで、
安倍清明も大好きなのだけれど、
読んでいると五行(月火水木金)が出てくる。

また、
四元素(地火水風)も有名だ。

思ったのは、
それらと元素の周期表(H(水素)、O(酸素)など)も、
世界の構成として考えられた点では同じ、
ということ。

周期表のほうが、
世界をうまく説明できたので、
正統の冠を与えられて、
教科書の中に収まっているが、
出発時点では「世界は何でできているか」の答えとして考えられた点で同じだ。

真実に力を持つほうよりも、
力を持たないほうのほうが、
マンガや小説の中で取り上げられ、
魔術的な力を持つように感じられるのはおもしろいことだ。

『ゲド戦記 最後の書』

2006-01-15 | Weblog
前作で世界を救った大賢人ゲドが、
力を失いぐだぐだになっている姿が描かれている。

正直言って、目を背けたくなる姿だ。
尊敬していた人がボケてしまった姿を見るようだ。

それも受け入れるのが深みある人間なのかもしれないが、
私にはまだできない。

また、
2巻に出てきた少女テナーが、
子育ても終えた女性となって出てきている。

彼女は、ゲドとは対照的に強い。

(女性は・・・、男性は・・・という考え方はあまり好きではないが)
彼女に対してもだが、女性に「生きる力」とでも呼ぶべきか、
そういった力を感じることがある。

それは家事などに象徴的に現れるが、
かと言って、
料理や掃除をマスタークラスになるまで極めればその力が身につくか、
と言えば
そうではないと思う。
何か別のものである。

なんとなく、
私にはその力は一生身につかず、
欠点として存在し続ける予想がする。

ルールに理由を付ける

2006-01-12 | Weblog
ルールには理由が付いてないことが多いが、
それは、
理由を付けると議論に開かれるからではないだろうか。

議論は、
主張→その根拠→予想される反論に対する反論→再度主張
という形で主張されることが多いが、
ルールのみ示すのは、
主張(結論)のみ示すのに等しい。

根拠(理由)があると、
反論もしやすくなり、
議論になりやすいため
「開かれる」と言う。

人々が話し合いでルールを作っていくのが時代の流れだとすると、
ルールに理由を付けるようになるのだろう。

閑話休題

ところで、

 ルールには理由が付されないことが多いが、
 それは、
 理由を付すと議論に開かれるからであろう。

 ルールには理由が付いてないことが多いけど、
 それは、
 理由を付けると議論に開かれるからじゃないかな。

など、
だいたい中身が同じでも、
いくつかの文体で書くことができるが,
どれがいいのだろうか。

私の思考言語は、
もっとももったいぶった偉そうな文体のやつである。

口調とか気にせず、
中身を問題にしてくれる人(大学時代の友人)と話すときは、
その口調でしゃべるが、
それ以外の場合は、
相手の受け取り方を考えて、
いろいろ変える。

一つ過程が増えるので、
その分効率は落ちる。
思考言語で議論している方が楽ではある。