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映像作品とクラシック音楽 第45回 『サウンド・オブ・ミュージック』

2021-12-03 20:51:00 | 映像作品とクラシック音楽
クラシック音楽が印象的な映像作品についてあーじゃこーじゃと語るシリーズも気づけば第45回。目標の50回までもうすぐです。
今回は・・・っていうか今回も? クラシック音楽ってわけじゃないですけど、まあいいじゃないですかな感じの作品で『サウンド・オブ・ミュージック』を取り上げます。

いまさら内容を説明する必要はない有名作ですが、一応物語解説です。ネタバレです。
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オーストリアのとある修道院で神に仕えるため修行しなきゃならないマリアですが、今日も丘の上の草原で「♪ザ~ヒルザ~アラ~イブウィズサウンドオブミュージ~~ク」などと歌っています。修道院のパイセンたちもついつられて「マリアなんて困っちまうわ」みたいに歌って院長にマリアのポンコツぶりを訴えます。
これはやばいわと思った院長はマリアに修行の一環で厳格なことで有名なトラップ大佐の子供たちの家庭教師に行けと命じます。
行ってみるとトラップ大佐はアホみたいに厳格な軍隊風の躾で子供たちを育てています。おいおいフルメタルジャケットかよこの家は、と思ったマリアは子供たちを子供らしく生き生きのびのび育てようと、外に連れ出して音楽を教えます。
怖くなったら歌えばいいんだよ、♪私の好きなものは・・・とか、ありゃまドレミファも知らんの?じゃあ♪ド~はドーナツ~のド~・・・とか
教育方針でハンサムなトラップ大佐と対立するマリアですが、子供たちがお客様をオモテナシするための歌を聴いて、かつては音楽を愛していた心を取り戻し、つい美声を披露してしまいます。
お金目当てで大佐と結婚しようとしていた嫌な感じのマダムは、女の直感で大佐はマリアにときめいている!と見抜き、心理戦でマリアに揺さぶりをかけてマリアが急に家庭教師を辞めると言い出すように仕向けました。
修道院に戻って誰とも口を利かなくなったマリアに、院長先生がお説教します。「全部の山にお登り!」と。
イエッサーとトラップ家に戻ったマリアですが、大佐は婚約発表をしたばかりでした。ところがマリアが戻ってきて自分のトキメキに気づいた大佐はマダムとの婚約を解消してマリアと結婚すると宣言します。
二人が新婚旅行から帰ってくるとオーストリアはあのやべー国ナチス・ドイツに併合されていました。ヒトラーなんか大嫌いなトラップ大佐ですが、ナチス政府から総統のために軍務につくのだ!と命じられて、国外脱出を決意します。夜中に車で逃げようとしたらゲシュタポどもが見張っていて、逮捕されそうになります。大佐はこれからあなたたち主催の音楽祭に出るところですよと嘘をつき、人前で歌うなど絶対許さんなどと子供たちに命じていたトラップ大佐は子供たちとともに人前で歌う羽目になります。
そしたら音楽祭は超絶もりあがっちゃって、大佐も気分良くなってエーデルワイスを熱唱。
ついに音楽祭の審査発表となり、なんと第一位はトラップ一家合唱団でした。
「みなさんステージにどうぞ!!」と司会の方が言っても誰も出てきません。もう一回、「ステージにどうぞ!!」と言うと、舞台袖からはトラップ一家ではなくゲシュタポの制服着た奴が出てきて「逃げたぞ!」と叫びます。
トラップ一家は修道院に匿ってもらうのですが、ナチの追手が院内にドカドカ入り込んで、でまあ色々とすったもんだの末にトラップ一家は車で逃走。ナチも車で追いかけようとするのですがエンジントラブルでも起こしたのかナチの車はブヒヒヒンと鈍い音を立てて動きません。
二人の尼さんが修道院長に言います。「私は罪を犯しました」
院長が聞きます「どんな罪です?」
尼さんはナチの車から引っこ抜いた部品を院長先生に見せます。あの尼さんたち、かつては車の修理工だったのかもしれないですね。
かろうじてナチから逃れたトラップ一家は、車を捨て歩いて山を越えてスイスを目指し、マリアの心には院長先生の「全ての山に登りなさい」が響いているのでした。
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「サウンド・オブ・ミュージック」とはまあちょい意訳で違訳かもしれませんが「音楽の聞こえ方」となりましょうか。
本作では主要な歌は劇中で2回歌われます。どれも同じ歌詞なのに状況によって全然ちがう歌に聞こえます。

「サウンド・オブ・ミュージック」は超有名なオープニングでマリアが歌い、映画のはじまりを告げます。中盤でトラップ大佐がかたくなな心を開くシーン、子供たちの歌う「サウンド・オブ・ミュージック」に自分の声を重ねます。音楽の力を表現しています。

「マリア」は修道院のみなさんがマリアはどうしようもない娘で困っちゃうわと、マリアに対する呆れとか腹立ちを表現する歌でしたが、映画後半でマリアと大佐の結婚式で尼さんたちが同じ歌を合唱すると今度は大好きなマリアを祝福する愛にあふれた歌に聞こえます。

「もうすぐ16才」は、トラップ家の長女リーズルが郵便配達の青年との恋の予感と胸のトキメキを歌う歌ですが、後半ではその青年(ナチにかぶれてしまった)に思いが伝わらない切ない胸の内を表現するために歌います。

「私の好きなもの」は、雷が怖くて眠れない子供たちを勇気づけるためにマリアが、怖かったり悲しかったり苦しかったりしたら私の好きなものを歌って忘れましょうと教えます。中盤でマリアが去ったあと子供たちはマリアがいなくて寂しくて仕方がなく、そうだマリア先生が歌えばそんな気持ち忘れるって言ってたよ、と歌い出すのですが、歌えば歌うほどマリアのいない寂しさがつのって余計に悲しくなってしまうのです。この歌には未遂で終わった3回目の歌唱シーンもあります。ナチに追われて恐ろしくなった末娘のグレーテルちゃんが怖いから歌ってもいい?とマリアに聞きますが、マリアは歌ってはいけない時もあるの、と言って聞かせます。

「ドレミの歌」は日本全国民が知ってるんじゃないかと思うヒット曲ですが、これは子供たちにマリアが音楽を教えるために歌います。教育の歌であり、自由を謳歌する歌です。しかし終盤ナチ主催の音楽祭で歌われるドレミの歌は、ファシズムのプロパガンダに利用されているようでむなしく響きます

「エーデルワイス」はトラップ大佐がホームパーティで客をもてなすために余興で歌います。ところが音楽祭では聴衆が大合唱で歌いそれはナチに屈しないオーストリア国民の誇りを歌い上げる曲に響きます。

「さようなら、ごきげんよう」はトラップ一家のホームパーティで子供たちがゲストの皆さんにさよならを告げる歌ですが、音楽祭の審査待ちの合間に歌われる場面は、私には大佐が逃亡の準備をするための時間稼ぎのように思いましたし、後の展開を知っていれば一家がオーストリアにお別れを告げているような趣もあります

「すべての山に登りなさい」は修道院長先生がマリアの背中を押すために歌います。これが映画のラストシーンでは文字通り山を登って未来へと向かっていくトラップ一家を祝福する歌として使われます。

…という感じで、大体の歌が劇中で2回歌われ、歌詞は同じなのに全然違う歌に聞こえるというのが面白いですし、もちろん作者の狙いなんだと思います。

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監督のロバート・ワイズは『ウェストサイド物語』も有名ですが本作も素晴らしいです。
歌はどちらも甲乙つけがたいですが、ダンスとかパフォーマンス的な良さでは『ウェストサイド物語』の方がすごいと思います。しかしストーリーと映像と演出は『サウンド・オブ・ミュージック』の方が映画のすごさを堪能できるように思います。

『サウンド・オブ・ミュージック』には好きな逸話がありまして…
もともとワイズは中国に駐屯するアメリカ兵が無意味な戦いで死んでいく映画(後の『砲艦サンパブロ』)を撮りたい撮らせろと会社に訴えていたのですが、そんな陰気な映画に金出したくない会社は、やんわり断ろうとしてかミュージカル映画を大ヒットさせたら撮ってもいいよと言ったそうです。そこでワイズが撮ったのが『サウンド・オブ・ミュージック』でした。これが当時の映画史上ナンバーワンヒットを記録しアカデミー作品賞まで取ってしまい、約束通りワイズは『砲艦サンパブロ』を撮らせてもらったのでした。

ワイズは後に映画版『スタートレック』第一作を監督します。そういえば『スタートレック6』ではクリストファー・プラマーがクリンゴン帝国の悪の司令官役で出演していまして、意外とサウンド・オブ・ミューシックと縁が深いシリーズたなあ・・とこれは完全余談でした。

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『菩提樹』という映画がありまして『サウンド・オブ・ミュージック』より前に作られたドイツ映画でミュージカルではありませんが、トラップ一家とマリアの物語です。ラストはアメリカの移民審査のための収容施設で、一家はそこで歌ってアメリカへの入国を認められます。こちらもなかなかの佳作です。

・・・と今回はこんなところで。それではまた!素晴らしい映画と映画音楽でお会いしましょう

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