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映画作りの糧とすべく劇場鑑賞作品中心にネタバレ徹底分析
映画ブロガーら有志23名による「10年代映画ベストテン」発表!

追悼 新藤兼人監督

2012-05-30 23:20:28 | 映画人についての特集
パラパラとキネマ旬報ベストテン全史をめくる
昭和26年、小津の「麦秋」が1位をとった年の第10位に「愛妻物語」という映画がランクインしている。新藤兼人監督の作品だ。
昭和28年。1位「にごりえ」(今井正)、2位「東京物語」(小津安二郎)、3位「雨月物語」(溝口健二)。他に成瀬や木下がランクインしている(ちなみに翌年には黒澤明の「七人の侍」が公開される)まさに日本映画界の伝説の巨匠たちが作品を競って作っていたころ、第10位に「縮図」という作品がランクインしている。新藤兼人監督の作品だ。

2012年の現代から観れば、伝説というか神話のような世界に写る昭和20年代の日本映画界のメンバーの一員であった新藤兼人。
そしてつい昨年、2011年のキネマ旬報誌で第一位となり、同年のアカデミー賞外国語映画賞日本代表に選出された「一枚のハガキ」の監督も、同じ新藤兼人である。バケモノのようなお方だ。

たしか「バキ」という漫画で中国格闘界を束ねる100歳を超える老人が登場した時、「彼は過去の実績ではなく現在の実力で中国格闘界の頂点に立っている」というような紹介がされたが、新藤兼人もそんな感じだ。
ほぼ過去の実績だけで巨匠扱いされつまらない新作映画を撮っても過去作品の崇拝者たちが褒めちぎるような監督が少なからずいる中で、新藤は90歳を超えてもなお新しいタイプの映画を作り、こければ容赦なく批判され、それでも撮り続けた。
「東京物語」や「七人の侍」の時代から、デジタルだ3Dだの時代に至るまで、彼は過去の実績や功績に甘えることなく映画と向き合い戦い続けた。

そんな巨匠新藤であるが、その映画の多くにはセックスが描かれていた。美しいわけでもエンターテインメントなわけでもないそのえげつない性描写は、キスもセックスも知らなかった学生時代の僕を当惑させ、なんか無駄にエロくてよく判んない映画を撮る人という印象しか無かった。
それでも「午後の遺言状」は面白かった。
95年に公開されたこの映画。その年の私の年間ベストテンは、映画研究会の会報には、1位「耳をすませば」、2位「ガメラ」、3位「Love Letter」、4位「東京兄妹」、5位「ひめゆりの塔」、6位「遥かな時代の階段を」、7位「午後の遺言状」、8位「2112年ドラえもん誕生」、9位「GONIN」、10位「人造人間ハカイダー」
・・・となっている。なんとも甘酸っぱいベストテンだ。「午後の遺言状」がどう見ても浮いている。
そんな幼い私をしてそれでもベストにランクインさせるだけの強さがあった。
その当時、そこまで小津にのめり込んでいなかった私は、この映画の主演が杉村春子であることに感激しまくっていたわけではない。
老いた俳優たちを休ませず座らせず、ずっと立ち話をさせる冒頭から引き込まれた。老いと性という相反するように思える物同士を、不思議と自然に同居させた物語に奇妙な面白さを感じた。
泣けりゃ名作と考えてる日本アカデミー賞で、会員構成から言って独立系映画にほぼ勝ち目がないはずの日本アカデミー賞で、「午後の遺言状」が最優秀作品賞をとったのは、「Shall weダンス?」が全部門をとったこと以上の珍事であり快挙だと思う。

その後も新藤兼人監督はメジャーに一切すりよらず、いつものように凄かったりつまんなかったりする映画をコンスタントにとり続けた。
個人的には一番好きな映画は「三文役者」である。
99年か2000年の映画だ。
いつの間に撮っていたのかとっくの昔に亡くなっている妻、乙羽信子のインタビュー映像を織り交ぜながら、自作にたびたび起用した俳優、殿山泰司の半生を描く。ところが殿山の半生を描く物語を利用してむしろ新藤自身の映画制作の半生を描き、先にも述べたように亡くなった妻、乙羽信子へのラブレターにまでしてしまっている。恐るべき私映画。
殿山泰司の役は竹中直人が演じる。昭和20年代か30年代の大阪かどこかの街中の場面を、別に隠すことなく1999年の大阪で撮っている。セットを組むとか特撮で古い町並みを合成するとか、そんな小細工は一切しない。殿山に実際にあった出来事を、その出来事が起こったのと同じ場所で撮るだけだ。それは盟友の思い出をなぞり、自身の映画制作の歴史をふりかえる感傷的な行為に過ぎないのかもしれないが、それにしてもあまりにも堂々としていた。
死期の近づいた殿山を演じる竹中にも特に病人っぽいメイクを施すこともない。殿山が最後に出演した映画を監督した堀川弘通監督本人に出演させて下手な芝居をさせたり、その一方で竹中の芝居は一貫してオーバーアクトだがそんな芝居も虚構でありすぎる世界にたやすく吸収されていく。
それらは、映画があくまで虚構であることを強烈に意識させるものであり、あるいは所詮は虚構でしかないという諦めを前面に描き出したものかもしれない。
リアルを排除した世界で描かれる実話の数々と、強烈にギラギラとリアルであることを主張する亡き妻のストック映像。
老齢の監督だから作り得た映画であると同時に、映画に映し出される物とは何かということを90近くになっても探求し続ける、その姿勢に当時30くらいのガキんちょだった僕は感服したのだった。

最近になって代表作の一つに数えられる「裸の島」を観た。
台詞の一切ない映画。瀬戸内海の小島の畑にひたすら隣の島から水を運んでは撒く家族の話。乙羽信子と殿山泰司が夫婦を演じる。こうした台詞のない映画は最近ではキム・ギドクが好んで撮るが、新藤は50年も前に卒業している。
言葉を捨て、性を求め、老いを受け入れ、リアルを捨てた映画人生。

そんな新藤監督がよくインタビューで語っていたのが、いつか撮りたい原爆の映画の話だ。原爆が爆発してからの数秒だか数分だかの世界、それだけを描き、原爆が行うのはただ人を殺すというそれだけであることを伝えたいという。特撮で人間がむごたらしく蒸発したり吹き飛ばされたりする地獄絵図が延々続く映画になるのだろうか。それがそんなに素晴らしい映画になるとは思えない。それでも新藤監督は「映画の力を信じている」と言い切っていた。
映画で描くことの限界を自嘲するように描いた「三文役者」の監督から映画を信じているという言葉が出るなんて、一体どんな人なんだろう。けれど、結局その映画は作られることはなく、新藤監督が思い描いた原爆映画はもう観ることはない。

生きること、どんなに汚くても生きること。それこそが新藤監督のテーマであり、映画への信頼の源なのだ。死んだ乙羽信子だって生き返るのが映画だ。命も時代も言葉も超越して生き続けるのが映画だ。だから老人と性を描くことで命を表現したのだ。
だから私は生きよう。生きてる限り映画を見よう。生きてる限り映画を撮り続ける・・・すくなくともその努力はしよう。

新藤監督、ありがとうごさいました。安らかにと言いたいところですが、今頃は向こうで待っていた乙羽さんに新しい脚本を渡しているころでしょうか。
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