英語教師のひとりごつ

英語教育について考える。時々ラーメンについて語ることもある。

留萌のスープカレー CURRY ZION(カリーザイオン)

2014-04-20 14:06:02 | グルメ
同僚の先生においしいスープカレーがあると聞いて、さっそく行ってみました。ZION(ザイオン)というお店です。


チキンスープを頼みましたが、スープに旨味があり、野菜もチキンもおいしいです。留萌でこんなおいしいスープカレーに巡り会えるとは!次はニラ豚というオリジナルメニューも試してみたいと思います。

テスト作りに関するちょっとした話

2014-04-19 21:01:37 | 日記
テスト作りについて、少し調べてみました。そもそものスタートは正月の講演で「総合問題の如何」について話が及んだ時に感じた違和感がスタートだったのですが、その根拠となる証拠を探してみたくて、一応3冊の本を読んでみたのです。その3冊とは卯城(2012)、若林・根岸(1993)、そして静(2002)です。

まず卯城(2012)はリーディングについてさまざまな最新の知見を取り入れてはいますが、「総合問題、No!」と述べるだけで、これといった論証を行っているわけではありません。ただし、テスト作成に関して非常に参考になる部分もあるので、一読の価値は間違いなくあると思います。

次に若林・根岸(1993)は総合問題について、実例を出して否定している分だけ少し卯城よりも丁寧で、論の展開がわかりやすいと思います。ただし、かなり突っ込み所満載であるように思います。つまりひとつの「ダメな実例」から、ひとつずつ「この問題形式はいかん。だって長文の内容と関係がないもの」と否定していますが、そもそも総合問題だから内容と関係がないのではなく、内容と関係のないような総合問題を実例に出しただけ、と思えてしまうことです。つまり「総合問題だから」ダメなのではなく、総合問題で本文の内容と関係なく解ける問題は出すべきでない、という主張になるべきではないでしょうか。これも総合問題を出すべきではない、という主張に関してはかなり説得力に欠けると思います。ただし、この本も「だから読む必要はない」という議論にはならず、特に一貫して「単語とか問題にするにしても文脈が大事だよね」的な主張は、この時代においてはかなり進んだ議論であり、個人的にもかなり共感できるのでぜひ読んでおきたい文献です。

最後に静(2002)ですが、今まで挙げた2冊に比べるとかなりバランスの取れた主張だと思います。しかも解決するための方策もしっかりと述べられており、非常に示唆に富んでいます。ただし、総合問題を否定する根拠が「見にくさ(醜さ?)」とする主張がありますが、では見やすい総合問題は不可能なのか、という疑問が浮かびながら読み進めると、次に著者自身がレイアウトを見やすくした総合問題を例示しているので、不可能ではないことがわかります。とすれば、「総合問題=必ず見にくいレイアウト」とは必ずしもならないはずです。

確かに総合問題はいわゆる「受験テクニックが必要だ」といわれればそうかもしれません。「先に質問に目を通す」などといった類いはまさにテクニックでしょう。しかし、それが果たして総合問題に限った話なのかについて、私には少し疑問があります。どんな試験にもテクニックは付き物であり、この「総合問題悪」議論を終わらせる最もシンプルな方法は、他の読解問題と総合問題を比べて、総合問題の得点が読解力とは相関関係がない、というデータを出せばそれで済むような気がします。しかしどの本を読んでも、そういったデータは挙げられていません。よって現時点でこの問題に関しては「なんか印象としては、総合問題ってよくないと思うんだよね」程度の話から議論が発展しないような気もします。

調べれば調べるほど、わからなくなってきます。それにしてもこの類いの本に共通しているのは、参考文献の少なさです。テスト作りに関する研究は、まだまだ調べられていないことも多いのだと思いますので、これらの文献をとっかかりとして考察すべきことはまだまだ多そうです。それにしても若林・根岸(1993)のいう「無責任なテストが落ちこぼれを作る」という問題提起は、20年たった今でもあまり解決していないと思います。教師として、知識をつけながらテスト作成について今一度帯を閉め直したいところです。


【参考文献】
卯城祐司.(2012).『英語リーディングテストの考え方と作り方』.研究社.
静哲人.(2002).『英語テスト作成の達人マニュアル』.大修館書店.
若林俊輔・根岸雅史.(1993).『無責任なテストが「落ちこぼれ」を作る ー正しい問題作成への英語授業学的アプローチー』.大修館書店.

「入学する」を別の表現で

2014-04-15 19:40:41 | 日記
同じ表現ばかり使っていても、確かに会話は成立するのですが、やはりアウトプットのひとつのメリットとしては「伝わるかどうかを試す」ことも大事なので、ぜひ新しい表現にチャレンジしたいところです。

さて、入学式が終わりました。新しい学校で、新しい生活の始まりです。入学する、を英語で表現するとすべての生徒がこのような文を書いてきます。

(1)I entered Sapporo High School.(札幌高校に入学した。)

しかし、実際の会話ではenterよりも圧倒的にこのような表現が好まれます。

(2)I got into Sapporo High School.

この「get into」で「~に入学する」という意味ですが、この句動詞については、『オーレックス英和辞典(第2版)』の「プラネットボード」というコラムが参考になります。一般的にどちらが使われているか、答えを出してくれるので非常に便利です。このコラムはアメリカやイギリスのネイティブスピーカーへインフォーマントを行っており、アメリカとイギリスの違いについても言及されているので、指導する際も非常に参考になります。


そういえば、日本ではよく「~部に入っている」をあらわすのに次のような表現を指導します。

(3)I belong to the baseball club.(僕は野球部に所属している。)

しかし、実際には次のような表現のほうが会話では一般的です。

(4)I am in the baseball club.

ここで問題にしたいのは、(1)や(3)のような文はだめだ、というような議論ではなく、(2)や(4)を知らない状態を作ってはいけない、という視点だと思います。(2)や(4)が使えるようになったら、(1)や(3)のような文も確かに重要なのです。英語を学ぶときには、常に「まずはシンプルな表現をマスターしよう」と考えることが大事だと思います。もちろん結果的に(1)や(3)のような文を先に学ぶことになったところで特に問題はないのです。ただ、(1)や(3)のような文を使えないような事態だけは避けたいところです。

新たな学校で再出発

2014-04-02 14:26:51 | 日記
昨日は引っ越しで、今日から新たな学校での再出発でした。新たな環境で何かを成し遂げることは簡単ではありませんね。「郷に入りは・・・」といいますが、自分流を貫いてきた私にとって果たしてそれができるのか、少し心配です。。。またゼロから再出発。気合いを入れていかなければ。

「ゼロから」とか「最初から」といいたいとき、特に口語では「from scratch」といいます。次のように使われます。

(1)My mom made this from scratch.(お母さんがこれを一から作ったんだよ。)

「scratch」とはもちろん「ひっかき(傷)」のことで、ひっかく段階からすべて、という感じです。私はまさにI'm gonna have to restart from scratch.な感じですね。


新たな気持ちで、どんどんチャレンジしていきます。まずは教科指導から。全力でがんばります。