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夢の続き・・・

法政大学ラグビー部・旅行・犬・自然を
こよなく愛し、ささやくブログ

幕末の街 会津

2011年12月21日 20時45分33秒 | 旅行
法政の大学ラグビー選手権への出場をかけた一戦が仙台であり、応援がてら旅行をした。
選んだ街は会津。
今、東北自動車道が無料だし、学生の時から行きたいと思っていた街だ。

ここは会津藩があったところ。
会津藩と言えば、良い悪いは別として最後まで幕府に忠義を尽くし
新政府軍と戦った藩だ。
白虎隊の悲劇でも知られている。

今福島県は、原発事故で大変な状況にある。
戊辰戦争の時に匹敵する国難と言っても良いくらいだ。

そこから離れている会津若松市も原発事故の影響を受けている。

そういう時だからこそ、会津に行きたいと思った。

小生、福島県は全く知らない地。東北自動車道を走っているときは晴れていたのに、
磐越道に入ると雪が・・・

同じ県でもこんなに天気が違うんですな。

天気はあいにくのみぞれだったが、会津はとても綺麗な街だ。
観光MAPを見ると、戊辰戦争の史跡がいっぱいで、新政府軍との激戦を今でも感じることができる。

ちょっとしたタイムスリップの気分だ。

とても1日では周りきれない。

まずは、会津の殿様に挨拶をということで、
松平容保公の墓所に行った。

(会津藩最後の殿様 松平容保公)


孝明帝から絶大な信頼を得ていたが、明治帝を新政府側にとられ、
いつの間にか賊軍の将に。悲劇の殿様だ。
(松平容保公の墓)


143年前の会津は戦場だったが、今は歴代の藩主と共に、静かに眠っている。

そして旧滝沢本陣。
(旧滝沢本陣)



歴代会津藩主の参勤交代や領内巡視、藩祖保科正之をまつる土津神社の参詣の際に休息所として利用されたそうだ。

戊辰戦争の時には、藩主松平容保の陣屋となり、白虎隊も容保の護衛としてここから出陣したそうだ。

座敷には当時の戦闘による弾痕や刀傷などが残っている。戊辰の傷跡がいまだに残る生々しい史跡だ。

すぐそばには飯盛山がある。
ここで16,17歳 青春真っ盛りの白虎隊士が、燃える城下町や落城寸前の会津若松城を見ながら壮絶な自刃をしたところだ。
(白虎隊士の墓)
 

とても悲しい山。今でも無念の想いが伝わってきそうな感じ
総勢20名が自刃。1名死にきれず生き残った。
(飯盛山から見る会津若松城=写真真ん中あたりに見える)

白虎隊士が見た戦場の会津はどのようにここから見えたのだろうか?


そして飯盛山から3km程度あろうか? 会津若松城へ。

赤っぽい瓦のとても美しい城。

戊辰戦争の時、会津軍は籠城した。
その城に、新政府軍は、アームストロング砲をしこたま打ち込んでボロボロにし、落城。
降伏したのち、取り潰されたので、現在の城は、昭和40年に復元されたそうだ。

桜の木がたくさんあったので、春にはさぞかし美しい事だろう。
会津武士と共に散った会津若松城。
戊辰戦争の象徴として会津の歴史を伝えている。
城の中は、会津の歴史や産業、戊辰戦争の様子など貴重な資料が展示されていた。



とても1日では見きれなかった。

今、復興で、観光客を呼び込もうとしている為か、宿はとても安く、また素晴らしいもてなしをして頂いた。
感謝 感謝です。

会津の城下町が一望できる温泉も楽しめた。

食事もおいしく、一日だけでたぶん太ったと思う

行ってきたばかりなのに、また会津に行きたい。そしてもっと会津を知りたいと思っている。

とても素晴らしいところだった。

最後に、福島県が一日も早く復興することを願うばかりだ。

小生も素晴らしいところだとわかったので、また家族や友人達とここを訪れたいと思っている。

そういえば、再来年の大河は、綾瀬はるかちゃん主演の「八重の桜」。

幕末会津のジャンヌ・ダルクと言われる新島八重(旧姓山本)の話だ。

それまでにもっと勉強して、会津の地を踏みたいと思っている。