都会のたぬき日記・合唱とか料理とか

上京10年目。たまに演奏会を聞きに行ったり、東日本大震災で被災した地域へ歌いにいったり。趣味は料理になりつつある。

棗のうた・なにをさがしに

2007-08-28 18:15:26 | 携帯から
初めて聞いた不来方高校の演奏は96年のCD。なにをさがしにはこの年の課題曲ですね。
当時(2000年)高校生の私は聞くことなど全く興味がなく、演奏の良し悪しも分からないどころか自分の好みがなんなのかさえ謎の人間でした。
つまり、「どの演奏もみんな同じに聞こえる」という状態。
棗のうたは中学の時に歌ったことがあったので、懐かしいなぁと何気なく手にとって聞いてみたんですよね、確か。
で、ついでに不来方も。


びっくりしました。

何これ?同じ高校生?

技術的に優れていることに度肝を抜かれた気がします。
上手くなることは大事って、当たり前だけど当時はよく分かってなかったので。
上手くなるってこういうことか!という発見。
外国合唱団や大人の合唱が上手いなんて当たり前と思ってましたからね~。
具体的な目標、理想が生まれた瞬間でした。

今じゃこんなんですが、技巧的な曲が嫌い(というか理解不能)だった当時の私は、安積女子など全く見向きもせず、アンチ輝昭街道まっしぐら。
今思えばもったいないことをしていたなぁ…98とか、会場で聞いてたはずなのに。
(当時は中学生で課題曲の存在も知らず、同級とHvad estってやつ聞き飽きた~とか言ってた気がする^^;)
そんな私には不来方の演奏は水晶のような歌声に聞こえたに違いありません(笑)

安女に心を奪われるのはそれから数年後のことです。

お疲れ様です、その1

2007-08-26 23:57:29 | 携帯から
今日は全日本の県大会だった!という人、多いんじゃないかい?
めでたく上位に選ばれた人も、おしくも代表ならずだった人も
みなさまお疲れ様でした!

今年は関東大会を皮切りにして参加(=聴きまくり)の予定で―す。

楽しみにしてますよ!うひひ☆

2007/08/24

2007-08-24 22:47:54 | 携帯から
ライブで心を揺さぶられることが多い私ですが、録音には録音の良さがあるなと最近改めて反省しております。
同じ曲を何度も聞いてそのたびに新しい発見をすると、自分の未熟さを自覚し、またその演奏に対する愛おしさが生まれてきます。
小さい頃に読んだ本を大人になって読み返したら全然違う感想を持つ、そんな感じ。
対象自体は何も変わっていないのに、私のモチベーション次第で曲は様々な変化をします。
そして、何度も聞いていくうちに愛着が湧いてくる。

発見には良いも悪いも含まれます。
こんな風に歌ってたのか―と感心したり、この和音決まってないなーと苦笑いしたり。
全部含めて好きになれるって、人間関係(というより恋?)に近い気がする。
付き合っていくうちに良いところも悪いところも見えてきて、それでも好きと言えるのはその演奏を一つの存在として認めているから、なのかな。

最後がやけっぱちになってても、肝心な和音がことごとくずれていても、誠実な音によって作られる真摯な音楽は、深く私の中に響きます。

2004の橘高校「タイフウ」(残念ながら変換出来ず)
この歌に出逢えて本当に良かった。

彼女たちに、心から感謝。

蕁麻疹

2007-08-09 01:30:54 | 携帯から
再発


中学校の頃に発疹して以来たまーにぽつぽつと出てたんですが
最近頻繁に出るようになりまして…。


何だろう。いつもなら
〓環境の変化
〓バナナ(実はアレルギーなんです…)
くらいしか原因は思いつかないのだけど…


絨毯はがして畳にしたからかなぁ。




・・ダニ?



痒い痒い…。

定期演奏会が終わりました

2007-08-03 13:43:51 | 携帯から
今年もたくさんのお客さんが来てくださいました。ありがたいことですね。
狭い地方都市で、こんなにも多くの人が毎年変わらず聞きにきてくれることはこの街でいかに愛されているか改めて実感させてくれます。(ま、私はもう部外者ですけどね)
いろいろなことがあったけど、いつまでも変わらずに歌い継いで行くことはそれだけでかけがえのない財産となるのですね。

伝統はとても重く、けれども暖かいもの。
過去の栄光を鬱陶しがったり、プレッシャーに感じたりすることもあるだろうけどでもその前に、今自分がその伝統を受け継ぎ、受け渡していることを実感して欲しい。
伝統が、感謝の二文字に変わる瞬間がきっとあります。


今年も客席では聞くことが出来ず、本番は本部のスピーカーで聞いてました。ゲネは聞いたので。

本番をまともにみたら私は絶対に泣きます。泣きます。
コンクールでもなんでも、若い学生が一生懸命にがんばる姿にはとても弱いのですよ。
苦労やがんばりが見えれば、もう堪らなく泣けてきてまともに演奏が聞けない…。
これでは隣の座席にも迷惑がかかるし仲間内にも面倒くさがられるので^ ^;自重。


私が努力と演奏の出来をはっきりと区別するのはこのためでしょうね。
がんばったことを評価するのであれば全てが満点なのです。
苦労の度合いなんてそれぞれ差があるだろうけど、10代を輝かせている一瞬には優劣はない、と思います。(と、年寄りの考えかなぁ;)
まともに演奏と向き合うためにはそこを無情に割り切らなければいかんのね。
コンクールの結果なんていい例。
努力の度合いによって左右されるもんじゃないんだから、結果は結果と割り切って、決して他の団体を否定することだけはしないでください。


あれ、何かあらぬ方向へと長くなりました。この辺で打ち切り。