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気仙沼から平泉へ

2015-09-03 19:48:30 | 東北漫遊 花の旅

 

 旅の最後の夜を気仙沼で過ごしました。 

 

 気仙沼も、復興の道半ばに変わりはありません。

 

 しかし、被災時には山間部の相当の高さまで、津波がもたらした瓦礫が散乱する光景は消え、震災の爪痕は海岸沿いに残るだけです。

 

  2011年6月の状況

 

 気仙沼港の駐車場横に、復興屋台村があったので、多少なりとも現金を落とそうと思いました。

 

 私が入ったのは、被災前に民宿を経営しておられた方のお店でした。

 

 この夜の一品目はマンボウ刺、つまりマンボウの刺身です。

 

 それを酢味噌で頂きました。

 

 マンボウなるものを初めて食べましたが、癖のない淡白な味でした。

 

 

 

 次が「モーカの星」とメニューに記された、モウカ鮫の心臓です。

 

 そう言えば、気仙沼はフカヒレの生産量が日本一だったはずです。

 

 気仙沼らしい一品に巡り会え、記憶に残る夜を過ごすことができました。

 

 

 

 翌日は気仙沼から平泉に足を伸ばし、中尊寺を訪ねました。

 

 平泉は何度も通りましたが、いつも先を急ぐ旅なので、中尊寺を訪ねたことがありません。

 

 

 この日は生憎の雨の中で、中尊寺の弁慶堂、

 

 

 能楽堂などを見て、

 

 

 山口青邨の句碑「人も旅人 われも旅人 春惜しむ」の句碑を眺め、

 

 

 金色堂を見学しましたが、金色堂は撮影禁止なので写真はありません。

 

 

 

 中尊寺の後で、毛越寺を訪ねました。

 

 私はここでも最初に、松が気になりました。

 

 

 

 毛越寺は、世界遺産に登録された平泉の資産の一つで、国の特別史跡、特別名勝に指定されています。

 

 しかし、40以上もあったお堂や塔は相次ぐ火災により焼失し、今は遺跡が残るだけです。

 

 

 そして毛越寺はアヤメ園が有名です。

 

 今度は是非アヤメ、ハナショウブの季節に訪ね来たいものです。

 

 

 

 さて、いったい何日かけて奥陸(みちのく)を巡ってきたのでしょうか。

 

 想像以上の暑さに怖気づいて、とうとう花の山には登りませんでした。

 

 体力と気力が残っている間に、次は何としても、東北の花の百名山を訪ねてみたいものです。

 

 今回の「東北漫遊花の旅」は、平泉で終了と致しました。

 

 平泉から東京までは、4時間弱の距離です。

 

 日本も世界も本当に狭くなりましたが、人と人、国と国の心の距離はどうでしょうか。

 

 怨嗟や嫌悪感、嫉妬や疑いなど、人心の距離をコントロールする知恵や技術は、平泉に金色堂が建てられた頃と変わらない気もします。

 

 子供や家族への愛が、他人への怨嗟に繋がらぬよう、自国民への思い込みが他国民への憎しみに転嫁しないようにと願うばかりです。

 

 今回も「東北漫遊花の旅」にお付き合いを頂きまして、本当に有難うございました。

 

 朝夕に涼しさを感じるようになりました。 

 

 気候の変わり目です。

 

 皆様も体調などを崩しませぬよう、くれぐれもどうぞ、ご自愛のほどを。

 

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あの日を忘れない

2015-09-03 18:25:19 | 東北漫遊 花の旅

 

 田老(たろう)町の三王岩の後、宮古市の浄土ヶ浜に足を向けました。

 

 浄土ヶ浜は5年前に立ち寄っています。

 

 その時目にした、真夏の太陽の下、碧い海に白い岩が立ち連なる景観が、今でも印象深く脳裏に残ります。

 

 あの美しい海はどうなったかと心配しながら、浜へ向かいました。

 

 海に下る途中、歩道から見えた浄土ヶ浜は、記憶の中の風景と変わらぬ穏やかな渚を見せていました。

 

 

 

 安堵の思いで浜に下ると、5年前と同じように、多くの親子連れが水辺で遊ぶ姿を目にしました。

 

 

 浜辺の岩に、名も知れぬ黄色い花が咲き、津波の爪痕を感じさせるものは目にしませんでした。

 

 

 

 しかし、浄土ヶ浜を出て、釜石市を過ぎた辺りで、山間の高台に仮設住宅が建ち並ぶ姿を目にしました。

 

 震災から4年半が過ぎても、以前の生活を取り戻せない方達の現状を知らされました。

 

 

 陸前高田市に入ると、今も津波の恐ろしさを如実に示す集合住宅の残骸を目にしました。

 

 5階建ての集合住宅の4階から下の窓は全て破壊されています。

 津波はこの建物の4階にまで達したのです。

 

 

 周囲の旧市街地には、付近の丘陵地からベルトコンベアが伸びて、土地を嵩上げする作業が進んでいました。

 

 

 奇跡の一本松をシンボルに、復興作業は着実に進められている様子でした。

 

 

 

 2011年の6月に訪ねた被災地は、何から手を付けたら良いのかさえ分からない状況でしたが、その時に比べれば、良くはなってきています。

 

2011年6月の当該地区の様子

 

 当時は、東京、大阪は勿論、長崎の島々から駆け付けた、百人を超えるボランティアが、体育館の床に寝泊まりしながら、復旧作業に汗を流しました。

 

 

ボランティアが宿泊した体育館

 

 被災地では、「日本加油(=日本頑張れ) 台湾より」とボディーに記載されたワンボックスカーを目にしました。

 

 台湾の人々から暖かい援助を頂いたことを思い出します。

 

 

 

 二度と再び、このような悲惨な状況を目にすることのないよう、後の世代に記憶を語り伝え、対策を怠らないようにしたいものです。

 

 そう、比較にならぬ程に悲惨だったあの戦争の記憶と共に。

 

 そして悲しいことに、今の世界秩序の契機となった70年前を記念して、人間を殺傷する道具を揃えて軍事パレードを行う国の為政者が何を意図しているかを、冷静な目で、注意深く見つめ続ける必要があります。

 

 地震が避けて通れないなら、対策を準備する心構えだけは忘れないようにしたいものです。 

 

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一億年の歳月の高さ

2015-09-03 16:08:11 | 東北漫遊 花の旅

 

 三陸海岸の真崎岬に穏やかな波が打ち寄せています。

 

 

 オオマツヨイグサが季節の移ろいを予測させながら、潮風を浴びています。

 

 

 岬の形通りに作られた林道を進んで行くと、三王園地と表示された場所に出ました。

 

 駐車場に車を停めて、散策路を進みますと、頂に松を飾った岩が、海中に屹立していました。

 

 立ち上がる岩の横で、ドングリみたいな形をした岩が、程好いアクセントになって、絵のような光景を完結させていました。

 

 

 散策路の脇にコマツナギが可憐な花を咲かせています。

 

 

 三王園地の一角に、「海嘯鎮魂の詩」と銘した詩碑を見かけました。

 

 「独り残りし幼子も

 人の情けにすがりたる

 育てはぐくむ慈悲もあり

 親にかわりし愛の手に

 健やか育ち子もありて

 今静かなる碧き海

 母なる海よふるさとの海」

 

 

 

 

 三王園地の西側から、三王岩を眺めると、岩の下部は大小の砂礫が積み重なる層を成し、その上に熱変性を受けた岩が載っています。

 

 この砂礫層は白亜紀のものだそうです。

 

 地球上に恐竜が繁栄を極め、消えていった様子を、この岩は見ていたはずです。

 

 白亜期とは、イギリスとフランスを隔てるドーバー海峡の白亜(チョーク)を含む地層の意味ですから、先程の鵜の巣断崖も三王岩もセブンシスターズもみな同じ年月を地球と共に見て来たことになります。

 

 

 三王岩は一億年の歳月の高さで、頂に松を育てていました。

 

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鵜の巣断崖はファイブナイトクリフ

2015-09-03 13:57:17 | 東北漫遊 花の旅

 

 

 陸海岸を南にむかいました。

 

 急ぐ旅ではありませんし、「花の名所」にリストした場所もこの辺りにはないので、のんびりと車を進めます。

 

 北山崎園地のすぐ南の鵜の巣断崖にも寄っていくことにしました。

 

 駐車場から海辺の断崖までの歩道の両側は美しいアカマツ林が続いていました。

 

 私は今まで、これ程までに美しいアカマツの林を見たことがありません。

 

 

 

 鵜の巣断崖は海岸から200mの絶壁がそそり立ち、見下ろせば足がすくむような場所で、波が白い飛沫を岩に寄せていました。

 

 数年前に、イギリスの有名なセブンシスターズを訪ね、足を震わせながら白い断崖を覗きこんだことを想い出しました。

 

 写真を並べると、鵜の巣断崖の方がセブンシスターズよりも高く、豪壮さははるかに優ります。

 

 緑豊かな自然に裏打ちされた、世界的にも秀逸な景観だと思います。森と緑を見慣れた日本人よりも、海外の観光客に高い評価が得られるかもしれません。

 

 鵜の巣断崖は絶壁が5層に連なりますから、英語で表せばファイブブラザーズでしょうか。

 

 それともファイブナイトクリフ(five knights cliff )、5人の騎士の断崖とでも命名すれば海外での知名度が上がり、海外からの観光客が増えるかもしれません。

 

 岩手県観光課の皆さん、地域振興策として如何でしょう。

 

  

     左写真 三陸 鵜の巣断崖        右写真 イギリス セブンシスターズ 

 

 鵜の巣断崖から三陸海岸を更に南下し、国道から真崎岬への細い道に紛れ込んでみました。

 

 真新しいコンクリートの堤防を沖に見ながら、親子連れが、海辺で夏の盛りを満喫していました。

 

 

 浮き輪で泳ぐ子供達にカメラをズームすると、満面笑顔の表情が得られました。

 

 

 磯辺には、たわわに実を付けたハマナスが枝を広げていました。

 

 震災から4年の歳月を経て、花は実を付け、子供達が笑顔を見せています。

 

 

 2011年6月にボランティアで入った石巻の海岸は、津波で盛り上がった砂礫の上に瓦礫と流木が積み重なり、渚へも近づけないほどでした。

 

 

2011年6月の陸前高田海岸

 

 その光景を思い出すと今でも胸が塞がれますが、今回の旅で目にした光景は、私に心の安らぎをもたらしてくれました。

 

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八戸から三陸海岸へ

2015-09-03 00:10:10 | 東北漫遊 花の旅

 

 小岩井農場を出て、八戸へ向かいました。

 

 盛岡よりも八戸の方が美味しい魚が食べられると思ったからです。

 

 そして、19時過ぎには八戸の繁華街を歩いていました。

 

 しかし残念ながらこの夜、八戸は小雨に濡れていました。

 

 最初に目に付いたコインパーキングに車を入れて、すぐ近くの居酒屋の縄暖簾を潜りました。

 

 

 

 「ばんや」というレトロな雰囲気を漂わす居酒屋は、かなり名が知られているらしく、カウンターもテーブルも満杯で、私より遅れて来たお客さんは、女将から「本当に申し訳ありません、満席なんです」と断られていました。

 

 

 このような店で、長居するのは野暮の極みと言うものです。

 

 馬刺しと焼き魚を頼み、酒もほどほどに、雰囲気を十分に味わって、店を後にしました。

 

 機会があれば、次にまた訪ね来たいと思います。

 

 

 

 翌朝は、予定以上に早く目が覚めたので、種差海岸の葦毛崎へ行ってみました。

 

 しかし残念ながら。陽が登るはずの水平線上に雲がかかり、期待していた日の出を見ることはできませんでした。

 

 

 

 以前の紀行文で記したように、人生と旅は、3割程度の「当たり」が出れば「良し」とすべきなのです。

 

「当然だよね」と呟きながらも、「残念」の一言を置き土産に、国道45号線を南へ下り、三陸海岸を目指しました。

 

 朝靄の中に続く国道に家屋の姿は僅かで、交通量は少なく、信号も殆どありません。

 

 

 

 実は私は、東北大震災の前年の夏に、この道をドライブしています。

 

 その時は、久慈市南の北山崎海岸などを訪ね、偶然目にした田野畑村の旧島越駅駅舎などにレンズを向けていました。

 

 しかし2011年3月11日の大震災で津波がこの地を襲い、この瀟洒な駅舎は、波の狼藉を受け、跡形もなく破壊され尽くしてしまったのです。

 

 

 2010年8月当時の旧鳥越駅駅舎

 

 今回は、その時以来となる二度目の訪問ですが、北山崎園地の海岸線の景色は当時と変わらぬ表情で私を迎えてくれました。

 

 三陸海岸は、過去に何幾度も津波の被害を被ってきましたが、目の前の景色、そのような痕跡を感じさせるものは全くありません。

 

 

 

 更に、前回の旅では気付かなかった、海岸丘一面に広がるアカマツ林の、見事さに目を奪われました。

 

 

 松といえば、幹を左右に捩り枝を伸ばすイメージが浮かびますが、この松林のアカマツは地表から空へ向かって真っすぐに幹を伸ばし、陽の当らぬ場所の枝葉は殆どが枯れ落ちていました。

 

 昨日、小岩井農場で見たアカマツも同じような姿だったことを思い出しました。

 

 針葉樹は全ての種がこのように真直ぐ空に向かって伸びる姿が本来の形なのかもしれませんが、どうなのでしょうか。

 

 このような視点から、日本全国に木々の姿を眺め歩く旅も楽しいかもしれないと、そんなことを、ぼんやりと考えていました。

 

 海の青と、松の緑。

 

 それらを優しく包む海霧の中で、有るがままの全てを見つめ受け入れたいと思う、有るがままの私が居ました。

 

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