旅の最後の夜を気仙沼で過ごしました。
気仙沼も、復興の道半ばに変わりはありません。
しかし、被災時には山間部の相当の高さまで、津波がもたらした瓦礫が散乱する光景は消え、震災の爪痕は海岸沿いに残るだけです。
2011年6月の状況
気仙沼港の駐車場横に、復興屋台村があったので、多少なりとも現金を落とそうと思いました。
私が入ったのは、被災前に民宿を経営しておられた方のお店でした。
この夜の一品目はマンボウ刺、つまりマンボウの刺身です。
それを酢味噌で頂きました。
マンボウなるものを初めて食べましたが、癖のない淡白な味でした。
次が「モーカの星」とメニューに記された、モウカ鮫の心臓です。
そう言えば、気仙沼はフカヒレの生産量が日本一だったはずです。
気仙沼らしい一品に巡り会え、記憶に残る夜を過ごすことができました。
翌日は気仙沼から平泉に足を伸ばし、中尊寺を訪ねました。
平泉は何度も通りましたが、いつも先を急ぐ旅なので、中尊寺を訪ねたことがありません。
この日は生憎の雨の中で、中尊寺の弁慶堂、
能楽堂などを見て、
山口青邨の句碑「人も旅人 われも旅人 春惜しむ」の句碑を眺め、
金色堂を見学しましたが、金色堂は撮影禁止なので写真はありません。
中尊寺の後で、毛越寺を訪ねました。
私はここでも最初に、松が気になりました。
毛越寺は、世界遺産に登録された平泉の資産の一つで、国の特別史跡、特別名勝に指定されています。
しかし、40以上もあったお堂や塔は相次ぐ火災により焼失し、今は遺跡が残るだけです。
そして毛越寺はアヤメ園が有名です。
今度は是非アヤメ、ハナショウブの季節に訪ね来たいものです。
さて、いったい何日かけて奥陸(みちのく)を巡ってきたのでしょうか。
想像以上の暑さに怖気づいて、とうとう花の山には登りませんでした。
体力と気力が残っている間に、次は何としても、東北の花の百名山を訪ねてみたいものです。
今回の「東北漫遊花の旅」は、平泉で終了と致しました。
平泉から東京までは、4時間弱の距離です。
日本も世界も本当に狭くなりましたが、人と人、国と国の心の距離はどうでしょうか。
怨嗟や嫌悪感、嫉妬や疑いなど、人心の距離をコントロールする知恵や技術は、平泉に金色堂が建てられた頃と変わらない気もします。
子供や家族への愛が、他人への怨嗟に繋がらぬよう、自国民への思い込みが他国民への憎しみに転嫁しないようにと願うばかりです。
今回も「東北漫遊花の旅」にお付き合いを頂きまして、本当に有難うございました。
朝夕に涼しさを感じるようになりました。
気候の変わり目です。
皆様も体調などを崩しませぬよう、くれぐれもどうぞ、ご自愛のほどを。
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