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静内から のどかな自転車旅

2015-09-29 19:11:45 | 自転車でコスモスの島へ

 

 静内の街に戻り、国道235号を襟裳岬へ向かいました。

 

 この時は、青い空に浮かぶ白い雲が今日の晴れを約束しているように思えました。

 

 

 

 街外れで、静内川を渡りました。

 

 車の旅ではめったに意識しない、新たな地平へと「川を渡る思い」が旅の記憶の中に積み重なります。

 

 

 

 なにも無い国道に白線が伸びて、太陽の光が示す角度が日時計のように見えました。

 

 いつもは意識しない太陽の動きを感じながら、ゆったり長閑な自転車旅を続けます。

 

 

 ドライブではない、散歩でもない、自転車旅特有の時の移ろいの中で、絵のような空と海、風と雲のハーモニーを五感に刻み、全てのことから解放された、贅沢な感慨に包まれていました。

 

 

 海岸線をなぞる道の遥か先に、風の岬が潮騒の中に揺れています。

 

 光りを遮る雲の下で微睡む岬はあまりにも遠く、自転車をこぎ進める行為が、その場所に辿り着くこととは無縁のように思えました。

 

 

 海に突き出た岩礁の周囲は、昆布の森のようです。

 

 磯に接する海は、海底に広がる黒い森を映して蒼く、波の動きも嫋やかです。

 

 

 玉石が光る浜には、昆布干し作業に勤しむ人達の姿があります。

 

 

 振り返れば、数時間前に居たはずの大地が、雲の下に佇んでいました。

 

 私は本当にあの場所から来たのでしょうか?

 

 

 不思議な感覚を伴いながら、潮風に吹かれながら、自転車の旅を続けました。

 

 

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コスモスは北海道に良く似合う

2015-09-29 11:06:47 | 自転車でコスモスの島へ

 

 二十軒道路桜並木でコスモスのフラワーラインを眺め、静内へ引き返すことにしました。

 

 旅はまだ始まったばかりです。

 

 坂を転がり下る自転車の、空に浮ぶ雲の先に、秋が顔を覗かせていました。

 

 

 坂下の民家の庭先でコスモスの花群れを見かけました。

 

 北海道の心地好い大気と広やかな大地、屈託ない人々の暮らしぶりを、爽やかなコスモスが象徴する気がします。

 

 あっけらかんと明るく、素直なコスモスの花は、ほんとうに北海道の景色に良く似合います。

 

 

 

 自転車をこぐ背に朝陽を浴びながら、静内の街へ向かうと、

 

 

 小川の岸にアカマツらしき木立を見かけました。

 

 本当にアカマツでしょうか?

 

 この辺にアカマツが育つかな?

 

 函館付近で松並木を見た記憶が蘇ります。

 

 今まで私は、渡島半島がアカマツやクロマツの北限と認識していました。

 

 興味を覚え、マツ林の方へハンドルを向けると、鳥居が見えました。

 

 鳥居の横に

 「皇祖神社由来 明治四年静内郡開拓の朝令を受けた稲田家臣団が淡路から移住した際、神武創業の古に復するという明治維新の趣旨を奉じ、開拓の守護神として奉斎したものである」

 

 と記された掲示と、その横に「百年の赤松」という石碑が設けられていました。

 

 

 北海道にアカマツの自生はありません。

 

 どうやらこの杜のアカマツは、明治初期に淡路からの入植者達が持ち込んだようです。

 

 周囲に広がる稲穂とともに、人と植物の興味深い関係を再認識しました。

 

 

 そして、三年前にイギリスを旅した時、グラスゴー植物園に掲示されていたアンリ・ルソーの絵を思い出しました。

 

 その絵に付された

 

 「動物には植物が必要で、この絵から植物を取り去ることはできません」

 の解説文に記された「動物」を「人間」に置き換え、

 

 静内のコスモスやアカマツの存在から、

 

 「植物を必要」とするものに、精神的、心理的な意味が含まれることに気付かされました。

 

 

 

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