読書の記録

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長い道

2016年10月30日 | コミック
長い道
こうの史代
双葉社
 
 「ユリイカ 詩と批評」の11月号が「こうの文代」特集だった。
 「この世界の片隅に」の映画化に合わせたものだろうとは思うけれど、この異色の漫画家はついにユリイカに到達したのだった。
 本誌は、著者自身の対談や、単行本未収録作品が掲載されているのが魅力だが、もともとが硬派な思想誌であるから、ほかに様々な識者が深遠広大にこうの文代について論考している。

 興味深いのが、かなり多くの人が「長い道」という作品に触れていたことである。
 こうの文代の出世作といえば、広島原爆を由来にした三代の家族の物語「夕凪の街・桜の国」であろう。僕はこの作品はもはや文学的境地に達していると思う。
 
 しかし、想定に反し、ユリイカに寄稿した多くの識者が引き合いに出すのは「夕凪の街・桜の国」ではなくて「長い道」であった。
 
 「長い道」は、「この世界の片隅で」や「夕凪の街・桜の国」と比べると、絵柄こそ同じだが、その世界はまったく異なる。
 僕は、こうの文代は「街角花だより」「ぴっぴら張」「こっこさん」「さんさん録」といった作品もおさえていて、「長い道」もこれらのこうのワールドの中にあることに違和感はないのだが、たしかに「長い道」は奇妙な作品であり、ユリイカ的な識者には、一言弁じてみたい作品もである。

 この作品がどういうものなのか、未読の人に説明するのはひどく難しい。お読みになった方は同感だろうと思う。

 ①まず、この作品は「道(みち)」という女性と、荘介という男性による夫婦の物語である。
 ②荘介は、女癖が悪く、仕事態度も悪い。浮気も職場のクビもしょっちゅうというどうしようもないカイショ無し男である。

 まあ、ここらへんは穏当なところである。もちろん、「長い道」を既読の方なら、これではこの作品の特徴はなんにもわからないと言うであろう。
 
 ③道は、道の父親からある日突然荘介のもとに手紙とともにおしつけるように送り届けられた結婚相手である。
 ⓸実は、荘介の住んでいるアパートのある街には、竹林という、かつて道と恋仲だった(婚約してた?)男性が住んでいる

 さあ、だんだん怪しくなってきた。
 これはさぞ、ドロドロと悲しみが支配する作品のように思えてくる。
 
 ⑤道と荘介は、本編に関する限り、性交渉が1度しかない。その1度というのは両者ともに酒の勢いである。
 ⑥道の生活能力はずば抜けており、また根性も座っていて(天然?)、壮介の貯金が底をつきようと、電気をとめられようと、荘介が朝帰りしようと、いつも笑顔で悲壮感を感じさせず(天然?)、喫茶店のパートなどやりながら生活をきりもりしている。

 え? 荘介は女癖が悪いんじゃなかったっけ? 道というのはもっと悲劇的な立場の女性なんじゃなかったっけ?

 ⑦いちおう最終回にむかっての流れらしきものは(かろうじて)あるのだが、各編はショートショートで話が完結している。どこから読んでもさしつかえないほどである。
 ⑧どこかで作者本人のコメントを見たことがあって、曰く「ギャグ」なのだそうである。
 
 と、ここまで書いて、本作品の異様さにようやく気付いてもらえるだろうか。いやこれでも、業田良家の「自虐の詩」や、西原理恵子の「ぼくんち」みたいなものかな? などと思われてしまうかも。(もっともこの2者も「ユリイカ的」ではある)
 
 ⑨各編、実験的な試みをかなり行っており、全編にわたってサイレントなもの、筆で描かれているものといった技法的なものから、わらしべ長者のような大金持ちになってしまうもの、モスラ並みに巨大なサツマイモができる話がある、大海に漂流してしまうものなど荒唐無稽なストーリーものが少なくない。
 ⑩連載されていたのはなんとレディースコミックである。

 
 このユリイカでもそうだし、ネットを見ても、この「長い道」を解釈、分析している文章をわりと見かける。
 僕もなにかこの作品に見えるものを串刺そうと考えてみたこともある。
 なにか読者に挑戦しているような気がしてくるのである。
 
 だけれど、あらためて読み返してみて、こうの文代は、この作品におけるそんな「解釈」をことごとく拒否しているように思うようになった。彼女には「なぞなぞさん」という、記者からインタビューをうけるという内容の作品があって、そこでは作品を捕まえて、なんかわかったような筋道を要求されることの違和感みたいなことが描かれている。
 
 アバンギャルドな作品であることには間違いない。しかし、解釈よりは体感の作品という気がしている。
 
 「長い道」に解釈は不要、とにかく読んで、摩訶不思議な世界につれていかれ、なにかわかったようなわからないような、人間の業の真理をみたような、愛の極北と不条理を垣間見たよう、ただ煙に巻かれただけのような、詐欺にあったような、そんな「右脳で感じる」作品としてここに推薦する次第である。
 
 ユリイカでの作者曰くは「結婚したから書いた」そうです。

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